環境省自然環境・生物多様性南極地域の環境保護南極地域観測隊同行日記

昭和基地を出発

2013年2月11日(月)

 私が昭和基地を出発するのは、当初2月14日の予定だったのですが、今後天候の悪化が見込まれるため、できる限り多くのメンバーを帰せるときにしらせに帰す、という方針で予定が変更されました。その結果、決まった出発日は2月10日でしたが、10日のフライトも天候の悪化により途中で予定を打ち切られたため、私は2月11日朝一番の便でしらせに戻りました。

 ヘリは、天候(風速、視程等)、しらせ側のヘリの受け入れ準備、昭和基地側のヘリ出発準備の全てがそろわない限り、飛ばせません。また、いつヘリが飛ばせる条件が揃うかもわかりません。昭和基地周辺は2月に入り風が強い、視程の悪い日も多く、常にこちら側の希望通りにはいかない厳しい環境、気候であることを改めて認識しました。

 昭和基地の出発日が早まったというヘリのスケジュールが発表されてからは今まで以上に大変でした。自分の荷物をまとめ、採取したサンプルを梱包しヘリポートに運搬し、実施中の作業が完了できない可能性を考え、越冬する隊員に残りの作業を依頼する。その間も常時、ヘリの時間変更などの放送に注意しているといった感じです。もちろん私以外の隊員がヘリでしらせに戻るのを見送りにもいき、荷物の運搬も手伝いました。

 2月10日には、余裕のある時間帯を見計らい、観測隊メンバー数名と福島ケルンにお参りをしました。福島ケルンは、観測隊の歴史の中で唯一、ブリザードによる犠牲となった福島紳氏の死を悼み立てられたケルン(石積み)で、南極史跡記念物に指定されています。私は自分を含む夏隊が無事に日本に帰れること、越冬隊が無事に冬を乗りきり、日本に帰れることをケルンの前で願いました。

 2月11日には昭和基地で教員2名による南極授業が実施されました。当初は私も生放送で南極授業に出演させていただく予定でしたが、フライト予定が変更となったことから自分の担当箇所の動画を撮影して放映してもらうことにしました。担当したのは「南極の約束事」の紹介コーナーで、南極の動植物を守るため、南極以外の場所から動植物や土の持ち込みは簡単にはできない、動植物、土を南極外に持ち出すことも簡単にはできないという内容を紹介させていただきました。

見送りの様子(ヘリの中から撮影)写真拡大

 2月11日の朝、ヘリが飛べる条件が揃ったということで、ヘリポートに来るよう連絡が入りました。ヘリポートではお世話になった隊長、隊員に挨拶し、ヘリに搭乗。54次越冬隊が中心となり、夏隊員には「54次夏オペ(夏期オペレーションの意味)ご苦労様でした」という横断幕を、1年の南極生活を終えた53次越冬隊には「53次隊お疲れ様!」という横断幕を掲げてくれました。

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