昭和基地離岸の時が来ました
私が昭和基地入りした昨年の12月19日から数えて59日目、ついに第49次南極地域観測隊の夏隊が昭和基地を離れる時が来ました。私を含む同行者も、夏隊と共にヘリコプターで昭和基地を離れ、「しらせ」に戻ります。「住めば都」とはよく言ったもので、最初は不安を覚えた昭和基地での暮らしも、多くの隊員の支えのおかげで、次第に快適なものとなりました。しかし、この2ヶ月間当たり前のように過ごしてきた昭和基地とも、今日でお別れです。また、出発前の訓練や、往路の「しらせ」でもずっと行動を共にしてきた越冬隊員との別れの時でもあります。昭和基地に残る越冬隊員29名は、これから来年のこの時期まで、昭和基地や基地周辺で各種観測を行いつつ、基地そのものを維持するため、奮闘する日々が続きます。
「一期一会」の出会いと別れ
別れのヘリポートでは、去る者と残る者が、様々な思い出を胸に、写真を撮ったり握手したりと、惜別の時を過ごしていました。私自身も、わずか3ヶ月足らずの同行ながら、越冬隊員との別れには、ぐっとこみ上げてくるものがありました。しかし、別れの時はあっという間に来て、同行者を含む夏隊全員がヘリコプターで「しらせ」に戻り、オーストラリアのシドニーへ向けた航海が始まりました。ヘリコプターが「しらせ」に着艦した後も、東オングル島の端まで移動して、去りゆく「しらせ」に向けて手を振り続けてくれた越冬隊員の姿は、今日昭和基地を去った全員にとって忘れられない思い出となることでしょう。
仲間との惜別の時
さて、昭和基地離岸直前の最後の10日間は、各種調査や片付けなどに追われ、日記を更新する時間を確保することが出来ませんでした。そこで、復路の「しらせ」においては、引き続き日記を更新しつつ、昭和基地での私の業務や隊員の日常生活についても、「回想録」といった形でご紹介していきたいと思います。