日本の世界自然遺産の魅力を語る

  • 知床SHIRETOKO 中村征夫 水中写真家
  • 白神山地SHIRAKAMI-SANCHI 工藤光治 マタギ
  • 小笠原諸島OGASAWARA IsLANDS 椎名 誠 作家
  • 屋久島YAKUSHIMA C・Wニコル 作家・ナチュラリスト

知床 SHIRETOKO 流氷からはじまる海と山のドラマ

はじめは、どうしても海のカムイ(アイヌの言葉で自然界に宿る神々のこと)に会いたくて、知床の流氷の海に潜っていた。

海の「カムイ」、オオカミウオ。体長1.5 メートルほどの肉食の魚。ホタテの貝殻をバリバリと食べてしまう鋭い歯を持つその顔がグッと岩の奥から迫ってくると、恐ろしさとともに、とても近寄りがたいものを感じた。はじめはあまりの寒さに10 分しか潜っていられなかったが、このカムイを追っているうちに、知床の自然や生き物にすっかり魅せられて、もう20 年近くこの海に通い続けている。

知床の漁師たちは「流氷が訪れないことには豊穣が訪れない」と言う。僕には最初、これがどういうことを指しているのかよくわからなかった。わかってきたのは黄緑色の氷であるアイス・アルジー(微細藻類)に出会ってからだ。

地上から見る流氷は、一面銀世界でまばゆく光り輝いているが、ひとたび海に潜り、その氷の塊を下から見上げると、信じられないほど幻想的な黄緑色をしている。氷が黄緑色なのは、豊富な植物性プランクトンが凝縮されているから。この氷はロシアのアムール川の栄養たっぷりの水が凍った後、風や波によってオホーツク海まで運ばれてきたものだ。

この栄養を含んだ巨大な氷の塊は、春になると知床の海に溶け出していく。氷の上から日差しが照りつけ、植物性プランクトンはどんどん増殖する。するとエビやカニの幼生などの動物性プランクトン、甲殻類などが流氷に体を突っ込んで植物プランクトンを食べる。それを狙って小魚が集まってくる。小魚からひとまわり大きな魚、それを狙いさらに大きな魚、トド、アザラシ、最後にはシャチやサメまでやって来る。

そして、海の食物連鎖は山の食物連鎖につながっている。サケたちは毎年秋になると産卵のために知床にもどってきて一気に遡上する。それを待ちうけ腹を空かしていたヒグマたちの格好の餌となる。ヒグマは美味しいところだけを食べては残すので、それを狙ってキツネや鳥たちがやって来て、森のなかに運んではそれをついばむ。最後に食べ残されたサケは土に帰って森の栄養になる。これらの海と山との食物連鎖をささえている原点が流氷なのだ。

昨年は、知床の海で感動的な出会いがあった。テカギイカという体長1m ほどの深海に住むイカは、卵の袋をかかえて酸素の豊富な海面近くまで浮上する。浮上する間も、サメに襲われたり、他の魚に襲われたりして、傷だらけになる。水面に上がると、今度は上からカモメが来てついばむ。何千、何万という赤ちゃんが卵から無事に誕生するのを見届けると力つきて海底に沈み、生きたままヒトデに食べられながら死んでいった。一つの命が、次の命につながっていく。そういうドラマが知床の海のなかにはたくさんある。

海の「カムイ」オオカミウオ 僕らは海や山の豊穣をいただくときには、感謝しながら生きものたちに生かされているのだということを感じなくてはいけないと本気で思う。そして、そういうことを思い至らせてくれるのが知床の海なのだ。

中村征夫
水中写真家
1945 年秋田県生まれ。水中写真家
ライフワークの東京湾をはじめ、海の環境問題や事件報道にも果敢に取り組み、新聞、テレビでスクープ報道をするなど、フォトジャーナリストとして活動。海の魅力、海をめぐる人々の営みを伝えている。第13 回木村伊兵衛写真賞、2007 年度日本写真協会年度賞、第26 回土門拳賞などを受賞。

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白神山地 SHIRAKAMI-SANCHI ブナの森と人間の知恵

私はマタギとしてこの白神山地を50 年以上歩いてきた。「マタギ」というのは職業的な狩猟者でクマを捕ることで知られているが、実際にクマを撃つのは春先の10日ほど。春には山菜もとれるし、雪解け水がおさまるとイワナを釣り、秋はマイタケやナメコの採集、雪が降り始めるとノウサギなどの猟をはじめる。

このサイクルは縄文時代から現代まで連綿と続き、人間がずっと狩猟と採集を繰り返してきたにもかかわらず、今もまったく同じようにクマもトウホクノウサギもいれば、イワナやアユも清流に泳ぎ、一株8 キロもあるマイタケも生えている。それはここに暮らしてきた人たちが、取り尽くしたり、増やし過ぎたりしないように調和に気をつけて丁寧に暮らしてきたからこそ。

その昔、実はブナの森というのは、東北では特別なところは何もない普通の森だった。その東北のどこにでもあった豊かな森が人とのかかわりを続けながらここだけに残された。

この地の気候は何しろ雪が多い。ブナの森は、半年もの間、雪に埋もれて普通の人は入ることができない。言うなれば白神山地は雪に守られているのだ。ブナは自分を守ってくれるこの雪を溶かさないように、芽吹くときに冬芽を保護している芽鱗( がりん) をたくさん落として地面を覆い、太陽が直接あたらないように工夫もしている。雪はそれでも3 月から4 月にかけて長い時間をかけてゆっくり溶け、林床の腐葉土に浸透する。

ブナの森を歩くとふかふかとして気持ちいいのは、この豊富な腐葉土に覆われているから。腐葉土はものすごい貯水力があって、水道の蛇口をひねったぐらいの勢いで幹を伝い落ちる雨の量でもすべてを染み込ませてしまうほど。そして腐葉土に染み込んだ水は、浄化され湧水となって沢に流れる。白神山地の湧水は本当に美味しい。

ブナの幹を伝い落ちる雨

ブナはとても生命力が強い植物だ。春先、熊狩りのために稜線の近くのマタギ小屋で一晩明かし、朝目が覚めると目の前が新緑一色になっていることがある。ずっと麓にあった芽吹きの最前線が、南風で雨が降ると一気に山を駆け上がってくるのだ。はるかずっと下のほうから一気に芽吹いてくる力を目の当たりにするとき、とてもじゃないけれど我々人間は及びがつかないなと思う。そして自然を恐れ敬う気持ちが自然と芽生えてくる。

マタギは直接自分でクマなど動物の命を奪う。そして手を真っ赤にしてその動物をさばく。一瞬の間にうばってしまう命のはかなさを知るほど、その命の大切さを知ることになるのがこの仕事。マタギの知恵は、何百年という経験がつなぐ先代からの掟。人間を自然の一部と教えるこの命の掟を、遺産地域を見にくる都会の人たちにぜひ伝えたいと思っている。

工藤光治
マタギ
1942 年青森県西目屋生まれ。マタギ
何百年と続いた家業であるマタギを15 歳で継ぎ、白神の山に暮らす。マタギの伝統を継承する数少ないひとり。現在は、マタギ文化の伝承や環境保護活動、白神山地の巡視やエコツアーの企画・運営に携わる。

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小笠原諸島 OGASAWARA IsLANDS 小笠原の空と海の濃い青さ

小笠原にはこれまで四度行った。

大型カーフェリーなどで北海道や九州に行ったことがあるが、小笠原は出航前からなんだか心が華やぐ。きっと仕事の旅ではなく「客船での旅」という、明るい期待に満ちているからだろう。実際、一昼夜の航海の後、父島の港に降りたとき、東京との空気感の違いが歴然としているし、でっかい空と純度の高い汐のかおりが「いっぱいの魅力」となっておしよせてくるのを知った。

おそらく日本で唯一、港に到着したときに実感できる「大きな解放感」がこの島にはあるのだろう。風景はちょっとした外国みたいにエキゾチックだ。でも同じ日本だから面倒なイミグレーションの手続きはいらないし、疲れていれば、その足で海ぞいのカフェーに入って冷たいビールなど飲みながら、今回の旅のおおまかな行動計画、などということを華やいだ気持ちのまま相談できる。

この島にはダイナミックな「海の遊び」がいっぱいあるから、マリンスポーツが好きな人の要望はだいたい叶えてくれるだろう。

最初にぼくが行ったときはダイビングが主な目的だった。すぐに感じのいいダイビングボートをチャーターすることができ、沖縄や南西諸島とは別の、もっと海の色が濃厚でスケールのでかい「青い世界」を満喫した。

二回目はたいした目的もなく、簡単にいえば都会のせせこましい疲れを癒すための旅だった。少しぶらぶらしていると、ごくごく自然に気持ちのいい島の人々と友達になる。出会ってその日の夜に島の何人もの人と浜辺でイキのいい魚などを前にビールで乾杯などしている。そうして、兄島、南島などの素晴らしい無人島に行くことができた。

その頃はまだテレビの衛星放送が入っていなかったので、夕方になると、堤防のあかりの下あたりに島の中学生が集まってきていて、みんなでその日おきたことなんかを話していた。遠いむかしの映画の一シーンのようで記憶に鮮明ないい風景だった。

小笠原で驚くのはどの海岸に行ってもきれいなことだ。海はもちろんのこと、海岸や道などにゴミがまったく落ちていない。この島に住んでいる人はみんなこの島を心から愛しているんだなあ、ということを強く感じた。

小笠原はたしかに楽園だけれど、ここで住んで暮らしている人は急病などをはじめとして、さまざまな不安も抱えている。そういう生活の問題なども島にかよっているうちにいろいろ知ることができた。

椎名 誠
作家
1944 年東京都生まれ。作家
主な作品『犬の系譜』( 講談社)、『岳物語』( 集英社)、近著『国境越え』( 新潮社)『うれしくて今夜は眠れない ナマコのからえばり6』( 毎日新聞社)、最新刊『ガス燈酒場によろしく』( 文藝春秋) など。旅の本、海外への探検、冒険ものなども多数。趣味は焚き火キャンプ、どこか遠くへ行くこと。

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屋久島 YAKUSHIMA サンゴから雪の降る山頂まで

屋久島は「ひと月に35 日も雨が降る」といわれる島だが、不思議とそれだけの雨が降っても川は濁らない。私に誘われて屋久島を訪れたアジアの子どもたちは、川で泳ぎながら水が飲めることに感激していた。またこの川の水が素晴らしく美味しい。私は常々ビール工場をここにつくるべきだと思っている。

また屋久島は海も素晴らしい。以前潜ってみたところ、日本中のどこよりもサンゴの種類が多く見られた。海洋生物の多様性に富んだ海域なのだ。有名な縄文杉を代表するような樹齢1000 年を超える巨木が多く生育するとても古い森もある。20年前、私が創設に関わった自然保護などの専門家を育成する専門学校のフィールドワークは、ぜったいに屋久島でやりたいと主張した。海と川と山の訓練が一カ所ででき、海中のサンゴから雪の降る山の頂まで一日で行ける場所はそうはないから。登山で疲れたらいい温泉もある。

ところで屋久島に生育するスギ「屋久杉」というのは、非常に硬く、独特な良い香りがする。私は地元の方から杉の苗をもらい、信州の私の家に植えてみたが、残念ながらあの素敵な香りは生まれなかった。やはり屋久島の土地に生育してこその屋久杉なのだろう。香りは何百年たっても消えず、土中に埋まっている切り株を嗅いでもかぐわしい香りが立ち上ってくる。その香りは、聖書のなかに出てくるレバノン杉の芳香につつまれたというソロモンの宮殿もよもやと思うほどだ。

私が最初に屋久島を訪れたのは、テレビのドキュメンタリー番組の制作のためだったが、私を呼んでくれたのは、屋久島の森を守ろうという気持ちを持つ人たちだった。島にはもともと地域で森を守る文化があった。私はその方たちに、屋久島が世界自然遺産になるのは大賛成だけれど、大事なことは島で決めてくださいと言ってきた。そして、世界遺産になった島は世界中にあるから、そこの方たちと交流して、お互いの失敗や成功のアイデアを交流させてくださいと。これはどこの遺産地域にも大切なことだと思う。

今後は、樹齢3000 年以上の屋久杉に登って、着床している植物や昆虫についての調査が必要だろう。自然を守るためにはまず事実を知り、それからの教育が大切だと思うから。屋久島は人気の旅行先だけれど、ベストセラーよりもロングセラーの旅行先になるように、これからも屋久島を応援していきたい。

宮之浦岳
C・Wニコル
作家・ナチュラリスト
1940 年英国・南ウェールズ生まれ。作家・ナチュラリスト財団法人C.W. ニコル・アファンの森財団理事長。カナダ水産調査局北極生物研究所の技官、環境局の環境問題緊急対策官やエチオピアのシミエン山岳国立公園の公園長など世界各地で環境保護の仕事に従事。1980 年から長野県黒姫に居を定め、執筆活動とともに荒れた里山の再生に取り組む。1995 年日本国籍を取得。

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