地球上の相当部分を占める海洋には水平及び鉛直に大きな水の循環が存在する。また、海洋からの水の蒸散は、大気から陸へとめぐる水循環の維持にも大きな役割を果たしている。海洋は、水とともに熱を運搬し、大気との相互作用等により、気候の急激な変化を緩和し、地球上の大部分を生物の生息・生育可能な範囲内の温度に保つとともに、世界各地の気象や気候の動態にも深く関与している。さらに海洋には多様な生物が生息・生育しており、多様性に富んだ生態系が成立している。
近年では、気候変動と海洋の関わりについても関心が高まっている。豊富な水を抱える海洋は、大量の炭素を保有する「炭素の貯蔵庫」でもある。また、海の植物プランクトンの年間純一次生産量は、炭素量に換算し、およそ500億トンと言われている。これは陸上植物のそれとほぼ同等であるとされており、二酸化炭素の吸収源としての海の重要さは非常に大きいといえる5。
人類は、古来より多様な機能を有する海洋と深い関わりを持って生活を営んできた。人類の活動が量、質ともに拡大するに伴い、海洋の利用も拡大している。
人類が直接的に海洋から得ている恵みとして、交通の場、食料・水資源・鉱物資源及びエネルギーの獲得、レクリエーションや精神的安らぎの場などがあげられる。特に近年、海洋に関する様々な調査や研究の進捗によって、海洋における未利用のエネルギー・鉱物資源の存在が明らかとなってきた。このような資源の利用に当たっては、持続可能な開発の実現やエネルギー・鉱物資源の利用等に関する国際秩序の構築と維持を図りつつ取り組む必要がある。
海洋の環境とそこに構成される生態系を考えるにあたって重要なのは、広大な水空間の存在である。海洋では水深に応じて流れの異なる水の層が存在する等、三次元的に生物や生態系が分布している。一次生産者として光合成を行う植物は、太陽光が届く海面から水深200mくらいまでの有光層及び沿岸の浅い海底に生育し、深海には全く異なる生態系が存在している。
また、海洋では、多くの生物がその生活史の中で広域に移動していることに加え、生息・生育場である水自体も移動しており、生物の移動性が極めて高い。言い換えれば、極域から熱帯までの海洋の空間的な連続性が高く、広域に複雑な生物のつながりが存在している。
海洋での主な一次生産の担い手が微小な植物プランクトンであることも、樹木等の大型植物が主要な生産者である陸域生態系とは大きく異なる点である。このため海洋では、一次生産の更新速度が早く、また生食食物連鎖と微生物食物連鎖による物質循環の速度も速い。そのため、陸域のように一次生産者の形態で物質が長期間蓄積されることはない。
また、例えば異なる海流や水塊が接している移行領域では栄養塩類に富んだ冷たい海水が暖かい表層水と混ざって植物プランクトンの生産が促され、食物連鎖上位の生物も多く集まる。ただし、地球規模での気候変化に伴う環境変化、例えば、数十年周期で起きるレジームシフトやエルニーニョ・ラニーニャ現象などによって生物の生産量や場所が大きく変動するように、物理化学的な条件によって、生態系の状況が大きく変化することも念頭におく必要がある。
既知の海洋生物総種数は約23万種6であるが、海洋の生物種に関しては陸域に比べてわかっていないことが多く、浅海でもいまだに多くの新種が見つかっているように、未知の種が多く存在すると考えられている。高次分類群で見ると、全35動物門7のうち34は海域に生息する種を含み、うち16は海域特有であるといわれており、陸域よりも生物の形態の変化が大きいといえる。
我が国はその四方を太平洋、東シナ海、日本海及びオホーツク海に囲まれている。また、我が国は、北海道、本州、四国、九州、沖縄島のほか、6,000余の島々で構成されており、その周辺の領海及び排他的経済水域の面積は、約447万㎢と世界有数である。
世界の海洋面積の約半分は大洋底と呼ばれる平坦な海底だが、ユーラシア大陸の東縁に位置する日本列島の周辺海域は、4つのプレートがぶつかり合う場所に位置しているため、プレートの沈み込みにより海溝等が形成され、深浅が激しく、変化に富んだ複雑な海底地形を形成している。大陸棚と内海及び内湾といった浅い海は一部で、我が国の排他的経済水域の大部分が深海域であるという特徴を有する。
周辺海域の平均的な深さについて見ると、東シナ海は300m程度と浅いが、日本海及びオホーツク海は1,700m前後、太平洋は4,200m程度となっている8。朝鮮半島と能登半島を結ぶ線から南西部の東シナ海にかけての一帯と北海道西岸からオホーツク海沿岸にかけては、大陸から伸びる水深0~200mの比較的なだらかな大陸棚がみられる。太平洋側は、本州から南にかけての日本海溝及び伊豆・小笠原海溝や、九州から沖縄にかけての南西諸島海溝(琉球海溝)等、4,000~6,000m以上の深みへと落ち込む非常に急峻な地形となっており、南西諸島(琉球)海(かい)嶺(れい)や伊豆・小笠原海嶺などの海山の連なりも存在する。また、日本海には日本海盆、オホーツク海には千島海盆等水深2,000m程度の比較的大きな盆地がある。
我が国近海には、黒潮(暖流)や親潮(寒流)などの多くの寒暖流が流れるとともに、多数の島々によって形成される列島が南北に長く広がって熱帯域から亜寒帯域に至る幅広い気候帯に属していることから、多様な環境が形成されている。北には冬季に流氷で覆われるオホーツク海があり、海氷による独特の生息・生育環境が形成されており、南では黒潮が多くの南方からの生物を運んでくる。世界最大の暖流である黒潮の影響を受けて高緯度まで温暖な海であるために、世界最北端のサンゴ礁が分布し、多くの海の生物の産卵場、餌場、幼稚仔魚等の育成の場となっている。また、黒潮と親潮が接する移行領域は、多くの魚が集まり良い漁場となっている。日本海の対馬暖流は表層約200mの厚さで流れており、その下流部には低水温で溶存酸素が相対的に多い「日本海固有水」と呼ばれる水塊が存在する。
総延長約35,000km の長く複雑な海岸線には、砂丘や断崖などその形状に応じて特有の動植物が見られ、陸域、陸水域、海域が接する水深の浅い沿岸域には、藻場9、干潟、サンゴ礁などが分布し、海洋生物の繁殖、成育、採餌の場として多様な生息・生育環境を提供している。太平洋側の広大な大洋には、伊豆・小笠原諸島、沖ノ鳥島、南鳥島、大東諸島といった遠隔離島や海山が存在し、周辺より浅い海を形成して湧昇流を生じさせること等により、多様な生物の生息・生育場を提供している。
沿岸域は河川や海底湧水などにより、栄養塩類が供給されるなど、陸域との関連が強い。海岸線を挟んだ陸域から沿岸域に存在するエコトーン(遷移帯)は生物多様性に富んでいる。例えば、高潮線と低潮線の間にあり、潮の干満により露出と水没を繰り返す「潮間帯」は、高さによって海水に浸る時間が異なるため、乾燥、温度、塩分などの環境に違いが生じ、それぞれの環境に適応して複数種が生息・生育している。また、海水と淡水が混ざる河口の汽水域は、塩分濃度の変化に耐性を持つ生物が多く生息・生育し、熱帯・亜熱帯地域ではマングローブ林が形成されるなど、独特な生態系が形成されている。砂浜ではウミガメの上陸やコアジサシの繁殖が見られるとともに、内湾に発達する干潟は、餌となる底生生物の量、種数がともに著しく多いことから、シギ・チドリ類など多くの渡り鳥が餌と休息の場を求めて飛来する場となっている。「海のゆりかご」と呼ばれる藻場は、生物の産卵や成長のための場として、重要な機能を有する。さらに、干潟や藻場などの沿岸生態系は、バクテリアやメイオベントスによる分解、貝類による濾過などによって陸上からの生活排水に含まれる有機物を除去し、また藻類による貯留、鳥類や魚類による搬出などによって窒素やリンも含めて除去することで、水質を浄化する。これらの沿岸生態系は、この水質浄化の機能によって生物の生息・生育環境を保ち、生物多様性の保全に大きく貢献している。
また、深海や熱水噴出孔といった特異な環境には、沿岸や表層とは全く異なった生物が生息している。
このように多様な環境が形成されているため、日本近海には、世界に生息する127 種の海棲哺乳類のうち50種(クジラ・イルカ類40 種、アザラシ・アシカ類8種、ラッコ、ジュゴン)10、世界の約300 種といわれる海鳥のうち122 種11、同じく約15,000 種の海水魚のうち約25%にあたる約3,700 種が生息・生育する12など、豊かな種の多様性がある。我が国の排他的経済水域までの管轄権内の海域に生息する海洋生物に関する調査によると、確認できた種だけで約34,000種にのぼり、全世界既知数の約23万種の約15%にあたる13。このうち我が国の固有種は約1,900種確認されている。なお、海洋生物に関しては、一部の分類群を除き分類学研究が遅れており、未知の生物が多く存在することには留意する必要がある。
5Field, C. B., M. J. Behrenfeld, J. T. Randerson and P. Falkowski (1998) Primary production of the biosphere: Integrating terrestrial and oceanic components. Science 281: 237-240.
6Fujikura et al,(2010)Marine Biodiversity in Japanese Waters. PLoS ONE
7日本分類学会連合の分類による。
8自然科学研究機構国立天文台(2009)理科年表2010
9本戦略では、大型の底生植物(海藻及び海草)の群落が形成されている場を「藻場」という。
10Jefferson et al, (2008)Marine mammals of the world. 及びOhdachi et al, (2009)The wild mammals of Japan.
11Peter Harrison(1985)Seabirds: An Identification Guide. 及び日本鳥類学会編(2000)日本鳥類目録 改訂第6版.
12多紀ほか 監修(2005)新訂 原色魚類大図鑑. 及び 上野・坂本(2005)新版 魚の分類の図鑑.
13国際共同研究ネットワーク「海洋生物のセンサス(CoML:Census of Marine Life)」の調査の一環。藤倉ら(2010)による。
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