第2章 地球と人との確かなつながり

第1節 地球から受ける恵みと私たちの生活

 私たちの暮らす地球には、化石燃料等の有限な地下資源、生物由来の資源などの再生可能な資源が存在しています。私たちは、これらの資源を利用して生活を成り立たせています。


自然から受ける恵みと主な資源管理の考え方の例

1 健全な生物多様性が提供する暮らしの安全

 健全な生物多様性は、安定した気候の調整や洪水の制御など、環境の激変の緩和や環境の状態を良好な状態に保つ機能を提供します。このような機能を生物多様性の調整サービスといい、そのよく知られた例として、森林の水源涵養機能があります。たとえば、北海道東部の別寒辺牛(べかんべうし)水系の例を見てみましょう。

 別寒辺牛川流域のほとんどは人工林や天然林若しくは湿原であり、農地面積の割合は7.6%に過ぎません。一方、別寒辺牛川の支流である大別川流域では農地開発が進み、流域の3分の2が農地となっています。この両河川の流域の降雨後3日間における河川への雨水の流入量を比較すると、別寒辺牛川流域で降った雨で、河川に流入したのは降雨量の約1割だけであったのに対し、大別川においては降雨量の約7割が河川に流入しています。これは、森林が豊富に残っている別寒辺牛川流域では、降った雨水は、降雨後、一定期間流域内にとどまっていることを示していると考えられます。


大別川、別寒辺牛川の雨水の河川流出量

2 森林資源の維持によって支えられる文化的な木造建築

 文化財の補修に用いられるような大径木の材の供給のためには、100年生以上の森林が持続的に維持されている必要があります。これを可能にしている伝統的な森林管理のあり方について、20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮における建造物の補修を例にとって見てみましょう。

 伊勢神宮の式年遷宮は、690年に始まり2013年には62回目が予定されています。この式年遷宮に伴う建造物の補修は、毎回、大径かつ長尺の木材を中心に、丸太の材積量で約8500m3のヒノキ材が必要となります。たとえば、58回目の式年遷宮の際に注文された丸太の本数は11,000本以上であり、そのうち口径30cm以上の中規模の材が約3000本、70cm以上の大径木が600本以上必要とされました。

 これに必要な材の供給のため、戦後、林野庁における国有林野施業実施計画や、伊勢神宮の境内地として長期的な森林管理がなされています。

 式年遷宮によって立て替えられた後残された廃材は捨てられることなく、全国の神社の材等として余すところなく再利用されます。我が国においては、森林を大切に守り、育て、そこから生産された材を無駄なく使い切る知恵を持っていると考えることができます。


旧神宮備林の持続可能な森林管理

3 地域固有の風土に育まれる地域に根ざした食文化

 私たちは、食品となりうる生物資源であればなんでも利用しているのではなく、それぞれの地域の風土に育まれた資源を入手し、加工し、食することで地域固有の食文化を発達させてきました。また、食品の加工にあっては、自らの手で料理するだけではなく、乳酸菌や酵母などの微生物の力を活用して加工する技術を用いてきました。微生物による発酵作用を用いて農林水産物の原材料を加工した伝統的な発酵食品は、世界各地で見ることができます。

 発酵食品は主としてその地域で採ることができる自然資源を利用して作られています。たとえば、酒類の場合、その原料として、米、イモ、サトウキビ等様々なものが利用され、地域の特色が生まれています(図2-1-6)。魚を用いた発酵食品としては、塩漬けにした魚やその内臓を発酵させた液を抽出する魚醤(ぎょしょう)や塩辛、米と魚を用いて乳酸発酵を進めたなれずし、サバなどをぬかに漬け込んだへしこ等があり、我が国の各地において地域の特色のある食文化が形成されています。


ふなずし

4 バイオ・テクノロジーに利用される生物遺伝資源

 近年、先進国を中心に、遺伝的・生物化学的な研究や開発等、遺伝資源の利活用を含めたバイオ・テクノロジーの活用が進んでいます。一般的に、バイオ・テクノロジーは遺伝子や生物由来の物質を利用して新たな医薬品や高品質の作物などを開発する先端技術として用いられており、医療、環境、食料など様々な分野において、新しいビジネスの機会を提供する重要な技術として注目されています。

 これらを背景に、我が国におけるバイオ・テクノロジー等の新しい技術開発に関して、生化学、遺伝子工学等の特許登録件数については、平成2年には472件だった特許件数(登録)が平成21年には約5倍の2,412件まで増加しています。


生化学、遺伝子工学等の特許登録件数

 このようにバイオ・テクノロジーへの注目が増し、遺伝資源の重要性が高まる中、遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS:Access to genetic resources and Benefit-Sharing)に関して、これまでも、遺伝資源の提供国と、遺伝資源を円滑に取得して人類の福利に貢献する研究開発等を促進すべきとする利用国の立場の違いを乗り越えるため、国際的な議論が進められてきました。COP10を契機として、遺伝資源の利用から生じた利益を公正かつ衡平に配分することによる、生物多様性の保全と持続可能な利用に貢献する仕組みが構築されつつあります。

5 自然が育む文化

 近年、身近な生き物が姿を消しつつある現状は、今後の文化の形成にどのような影響を与えるのでしょうか。これについて、万葉集に収録されている和歌に詠み込まれている動植物を例に見てみましょう。

 万葉集には、現存する約4,500首の中に約50種類の野生動物及び約140種類の野生植物を確認することができます。これについて、動物の種類別に出現する歌を整理すると、野生の哺乳類については、シカやイノシシ、クジラ等が現れます。これらの哺乳類が歌い込まれている歌は、詩情を表すものとしての野生生物のとらえ方のみならず、食料資源等としての意識の一端もうかがい知ることができます。また、ホトトギスやウグイスなどといった季節を告げるものとして野鳥が多数現れるだけではなく、鳥類ではキジやカモといった狩猟の対象種が出現するほか、当時の社会派歌人として知られる山上憶良の手による貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)には、トラツグミのようにその細い鳴き声から連想したと思われる寂しさの象徴としての野鳥が歌に詠まれています。

 一方、現代の日本人の和歌における自然認識において、これらの野生生物のとらえ方は大きく変化していると考えられます。例えば、一般からの公募に基づき秀歌を選定した「平成万葉集」(読売新聞社編平成21年)の和歌1000首に出現する野生生物の種数は、動物で約20種類、植物で約30種類程度であり、万葉集に出現した種数の3割程度でした。


万葉集に登場する野生生物の種数と主な動物種

 これらの変化については、文学としての和歌の表現技術や表現の対象に対する日本人の精神面での変化の他に、和歌を詠む背景となる環境が変化したことも大きな影響を与えていると考えられます。



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