第3章 生物多様性の危機と私たちの暮らし−未来につなぐ地球のいのち−

第1節 加速する生物多様性の損失

 国連のミレニアム生態系評価によると、現在の生物の絶滅速度は、過去の絶滅速度と比べ、100〜1,000倍に達し、生態系サービス(人々が生態系から得ることのできる便益)の状態を示すほとんどの指標が悪化傾向にあります。生物多様性の損失が私たちの暮らしに与える影響(農林漁業からの産物の減少)、生態系サービスが低下することによる経済的損失などについて取り上げ、生物多様性の損失を止め、生物多様性を向上させる必要性を訴えます。


生物多様性とは


 「生物多様性」とは、一言でいうと「深海から高地まで、地球上のさまざまな環境に適応したたくさんの生きものが暮らしていること」です。この言葉の中には次の3つの側面が含まれています。森林、河川、湿原、干潟、サンゴ礁、海洋といった多様なタイプの生態系があることを「生態系の多様性」、このような生態系の中にいろいろな種類の生きものがいることを「種の多様性」、同じ種の中でも体の大きさや模様が異なったり、疾病への抵抗力に違いがあったりするなど、さまざまな遺伝的な差異があることを「遺伝子の多様性」といいます。

 この3つの側面についてもう少し掘り下げてみましょう。

 生態系の多様性とは、地球上のさまざまな循環によって、多様な環境がつくられていることを指します。例えば、降雨が地面にしみ込み草木から蒸散して雲となり雨を降らせるという水の循環。食物連鎖によって消費者を巡った有機物が、最後は分解者によって無機物に戻り、再び生産者が有機物をつくり出すという物質の循環。私たちの経済活動も含め、地球上の生きものの活動に伴って排出される二酸化炭素を森林が吸収し、酸素を生み出すという大気の循環。これらのさまざまな循環が、例えば、特定の池や林という小さい単位から、それらが集まった流域という単位、いくつもの流域からなる列島や大陸という単位、さらに地球全体というように切れ目なくつながって地球の生態系が成り立っていて、全く同じ生態系は存在しません。それが、生態系の多様性ということです。

 種の多様性とは、地球上のさまざまな環境にあわせて生きものが進化した結果、未知の生物も含め、現在約3,000万種ともいわれる多様な生物が暮らしていることを指します。また、生きものの種類が多様だと、生きもの相互の作用も多様になります。食べる・食べられる、寄生する・住み場所を提供する、資源をめぐって競争する、死んだ生きものを分解するなど、直接・間接のさまざまな相互の作用が生じます。例えば、食べる・食べられるという関係において、食べられるものは何でも餌にするという利用の仕方もあれば、この昆虫はこの種類の草の葉っぱだけを食べるといったように特定の種同士が強く結びついている関係もあります。生態系がつくり出すさまざまな物理環境が存在すること、生きものと物理環境との関係や生きもの同士の関係といったさまざまな相互作用によって種の自然な淘汰が起きること、進化を引き起こすような遺伝的な差異があること、これらによって種の多様性が生まれているといえます。

 遺伝子の多様性とは、生物が個体として生命を維持したり、繁殖により次の世代を残したりするなど、存続しようとする存在であることを念頭にその意味を考える必要があります。現在、私たちが見ている多様な生きものは、長い進化の過程を経て生み出されてきたものです。生物の個体の間に遺伝的な差異があり、その差が生存や繁殖に影響するとき、まさにそこで進化が起きます。少しでも生き残りやすい性質が次の世代として広がっていきます。どのような性質が生き残りやすいかは、生きものの周辺の環境に左右されます。違う環境の下では、違った性質が進化します。すなわち生物(個体)の間に存在する遺伝的な多様性(差異)は、生物の進化の源であり、今私たちが目にしている生物多様性は、遺伝的な多様性があってこそ生まれたものといえます。

 では、生物多様性によって、私たち人間はどのような恩恵を受けているのでしょうか。生態系の多様性があることで、森林が光合成によって酸素を生み出したり、水源をかん養したりすること、河川が肥沃な土壌をもたらしてくれること、干潟が汚れた水を浄化してくれること、サンゴ礁が多くの種の産卵、成育、採餌の場であって豊富な魚介類をもたらしてくれることなど、さまざまな恩恵があります。人間はこのような環境のなかで進化し、文明を築いてきました。種の多様性があることで、人間は、これらの多様な生きものの中から利用できるものを探し、穀物や野菜、家畜など食料を大量に生産できる方法を生み出し、食料の確保を容易にするといった恩恵を受けました。さらに、遺伝子の多様性は、「生物多様性があること」の全体を支えており、人間も含めた地球の生物にとって欠くことのできないものであると認識しなくてはなりません。

 私たち人間が生態系から得ている恩恵をより具体的に見てみると、生態系は、動物や植物が再生産される仕組みを内在しており、この仕組みのおかげで、人間は食料や水、木材や燃料といった生存に必要なものを得ることができています。また、生態系は、気候変動や洪水の緩和、水の浄化、病気や害虫の抑制など生物の生息環境を安定させる調整機能もあります。さらに、私たちの精神や文化にも生態系の要素が深くかかわっています。例えば、自然に対して畏敬の念を抱くことや、レジャーとして風景を観賞したり、動植物を観察したりすること、絵画や俳句の対象として自然物が使われることなどが挙げられます。こうしたさまざまな生態系の恩恵を人間が享受するときに、その総体を「生態系サービス」といいます。

 では、生物多様性とそれを基盤とする生態系サービスの劣化はどのような形で現れているのでしょうか。まず、私たちが日常的に口にするもののほとんどは、植物や動物といった生きものに由来するものです。そうでないものは、水と塩ぐらいです。自然の中の生きものを直接利用することもあれば、自然に暮らしている生きものを排除して人間にとって有用な穀物や家畜を育てることもあります。人間による環境の汚染によって生活の場所を失ってしまった生きものも少なくありません。さらに、人口の増加やライフスタイルの変化に伴って、その負荷は増加し続け、あまりにも大きくなりました。例えば、地球上の森林は人間の活動によって、その影響が広がる以前に存在していた面積の半分が消失し、漁業資源は過剰利用している割合が増え続けています。このように、自然に負荷をかけていることは明らかです。生物多様性条約事務局が公表した地球規模生物多様性概況第3版では、生態系サービスの変化について分析しており、その結果からも分かります。食料に関する世界的な動向は、穀物や家畜、水産養殖のサービスは増加しているものの、漁獲、野生下の食物のサービスは低下しています。(図1-5-2)。忘れてはならないことは、生物多様性とそれを基盤とする生態系サービスは、およそ40億年という長い進化の歴史を経て形成されてきたものであり、工場でつくられる製品のように人の手でつくり出せるものではなく、一度失ってしまえば容易には元に戻らないということです。

 生物多様性や生態系サービスを良好な状態に保ち、将来の世代にも引き継いでいくために私たちは何ができるでしょうか。環境に対して影響を及ぼしているという観点から人間の活動は非常に大きいものであり、生態系サービスに依存する社会全体としての取組が必要です。例えば、生物資源に依存する製造業や建設業において、原材料の選択や加工、廃棄などの各工程を生物多様性に配慮した持続可能なものに転換することや、市民を含めたさまざまな主体による生態系サービスへの適切な支払いによって、人類共通の財産として管理していくことなどが挙げられます。また、私たち個人ができることも積極的に取り組むべきでしょう。昔の人たちは、来年も収穫や漁獲が得られるかに気を配って生活していました。大半の人が自ら生産活動を行わなくなった現代では、直接こうしたことに配慮する場面は少なくなりました。しかし、日々いのちをいただいて生きていることを感じ、食べものを大切にして無駄にしないこと、都会であっても街路樹の新緑や紅葉、タンポポや桜の開花、季節ごとに移り変わる鳥のさえずりや虫の鳴き声に気付くことはできるはずです。こうした日常の感覚をもち、もったいないと思う気持ち、いのちの恵みに感謝する気持ちを基本に行動することが大切です。社会全体から個人まで、生物多様性に配慮し、生態系サービスを維持する取組を進めれば、この地球で上手に生きていくことができるでしょう。


生態系サービスと人間の福利の関係


1 急速に失われる地球上の生物多様性

 生物多様性を理解する上で、「種」は最も基本的な単位です。地球上の生物は、およそ40億年の進化の歴史の中でさまざまな環境に適応してきました。進化の結果として、未知の生物も含めると、現在3,000万種とも推定される数多くの生物が存在しています。そのうち、私たちの知っている種の数は約175万種であり、全体のほんのわずかにすぎません(図3-1-1)。生命の誕生以降、私たちを取り巻く地球の生態系は、地球上で生物が活動を続けてきた長い歴史の上に成立しているものです。一度失ってしまえば、その回復には気の遠くなる時間が必要になることは想像に難くありません。生物の生存に不可欠な酸素は植物によってつくられていること、穀物や野菜、果物といった農作物は野生の植物を改良したものであり、生物多様性があってこそ生み出されていること、生物の種が生き残るためには、気候の変化や病気の蔓延などが原因で絶滅しないように、さまざまな環境変化に適応できる遺伝的多様性が必要であることなどからも生物多様性が私たちの生存に不可欠であることが分かります。


図3-1-1 既知の動植物種の数と割合

 過去に地球上で起きた生物の大量絶滅は5回あったといわれていますが、これらの自然状態での絶滅は数万年〜数十万年の時間がかかっており、平均すると一年間に0.001種程度であったと考えられています。一方で、人間活動によって引き起こされている現在の生物の絶滅は、過去とは桁違いの速さで進んでいることが問題です。1975年以降は、一年間に4万種程度が絶滅しているといわれ、実際、人間は、あっという間に生物を絶滅させてしまう力をもっています(図3-1-2)。


図3-1-2 種の絶滅速度

 また、2009年(平成21年)11月に国際自然保護連合IUCN)が発表したIUCN レッドリストによると、評価対象の47,662種のうち17,285種が絶滅危惧種とされ、前年の結果よりも363種増加していました(図3-1-3)。絶滅の危機に追いやる要因は、生息地の破壊が最も大きく、そのほか、狩猟や採集、外来種の持ち込み、水や土壌の汚染など多岐にわたります。評価を行った哺乳類(5,490種)のうち21%、両生類(6,285種)のうち30%、鳥類(9,998種)のうち12%、爬虫類(1,677種)のうち28%、魚類(4,443種)のうち32%、植物(12,151種)のうち70%、無脊椎動物(7,615種)のうち35%が、絶滅の危機にさらされていることが分かりました。私たちは、生物がもつ未知の遺伝子という有益な財産を急速に失っていることになります。


図3-1-3 分類群別にみた世界の絶滅のおそれのある動物種数

 生物の過剰な乱獲や密猟は、生物多様性に影響を与えていますが、希少な動植物の取引に対する国際的な取決めとしてワシントン条約(正式名:「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」)があります。ワシントン条約は、野生動植物の特定の種が過度に国際取引に利用されることのないようこれらの種を保護することを目的とした条約で、1975年(昭和50年)に発効し、日本は1980年(昭和55年)に加盟しました。同条約への加盟国数は、1975年(昭和50年)の18か国から平成22年2月時点で175か国へと増加してきています(図3-1-4)。


図3-1-4 ワシントン条約締約国数の推移

 実際に生物多様性の劣化が、各地で観察されるようになっています。野生のトラは、ベンガルトラ、アムールトラなど9つの亜種が知られていますが、すでに3亜種は絶滅してしまいました(写真3-1-1)。世界自然保護基金(WWF)の調べによると、21世紀までの100年間で生息数が10万頭から約3,400〜5,100頭にまで減少したと推定されています。原因は、美しい毛皮や漢方薬の原料を目当てにした密猟、農地開発による生息地の破壊などが挙げられます。

 国内では、沖縄のサンゴの被度の減少や、東京湾の底棲魚介類の動態の変化、尾瀬でのシカ食害による高山植物の減少などが顕著な例として挙げられます。サンゴは、海水温の上昇、オニヒトデの急増、赤土や栄養塩の流入など、さまざまなストレスにさらされています。現地調査と航空写真の解析結果からは、2003年には1980年と比べて、被度が50%以上の高被度域がわずか18%程度に減少してしまったことが分かっています(図3-1-5)。


図3-1-5 石西礁湖におけるサンゴ被度の変化

 東京湾では、30年間以上(1977年〜現在)にわたって内湾部の20定点における長期モニタリングが同じ手法で続けられており、世界的に見ても貴重な知見が蓄積されています。人間活動の影響を強く受ける沿岸海域において、底棲魚介類群集全体の個体数、重量、種数を調査しています。これによると、東京湾では、1970年代〜1980年代後半にかけて、水質の改善などから個体数、重量ともに増加傾向を見せたものの、1980年代終わり〜1990年代にかけて、個体数、重量ともに激減し、2000年代に入ってからは、個体数は低水準のままで、魚類の重量だけが増加し、それまで普通に見られたシャコ、マコガレイ、ハタタテヌメリといった種類が減り大型魚類が増えるなど、生物相が変化したと考えられる状況になっています(図3-1-6)。原因は明らかになっていませんが、貧酸素水塊の出現、埋立てによる浅海域の減少等繁殖環境の何らかの変化等が想定され、それらの問題を解決しない限り、資源の回復は見込めないと考えられます。


図3-1-6 東京湾における漁獲量(個体数・重量)及び種数の経年変化

 平成19年に新たに誕生した尾瀬国立公園では、1990年代半ばにニホンジカの生息が確認されてからは、湿原などの植生が食害によってかく乱されています。生息数調査の結果、20年には10年前の3.4倍となる305頭のニホンジカが生息していると推定されており、これまでニホンジカの影響を全く受けてこなかった生態系に回復不可能な影響が及ぶおそれがあります。長い歴史の中で成り立ってきた生態系が壊れてしまうことはもちろんのこと、景観や学術調査の対象といった文化的な価値が損なわれたり、景観の悪化が国立公園を探勝する利用客の減少を招き、地域の経済への損失につながったりする可能性があります。


写真3_1_1 ベンガルトラ

2 生物多様性の損失と私たちの暮らしとの関係

 2001年から2005年にかけて行われた国連のミレニアム生態系評価では、過去50年間で人間活動により生物多様性に大規模で不可逆的な変化が発生していると指摘しています。また、21世紀の前半にはさらに生態系サービスの低下が進行し、加速度的かつ不可逆的な変化が生じるリスクも増加すると指摘しており、これに貧困の悪化が加わり、解決に向かわない場合は将来世代が受ける利益が大幅に減少すると結論付けています。

 生物多様性を劣化させる主な原因としては、森林の減少、生物資源の過剰利用などがあり、いずれによる生物多様性への負荷も継続しているか、増大していることが分かります。世界の森林面積は、1990年には40億7,728万haありましたが、1990年〜2000年の間の森林の減少は年間890万ha(−0.22%)、2000年〜2005年の間の森林の減少は年間730万ha(−0.18%)と、減少率が鈍化しているものの、この減少分は、植林、植生の復元、森林の自然回復等による増加分を差し引いたものであり、依然として年間約730万haもの広大な森林が減少していることは大きな問題です(図3-1-7、8)。特に、アフリカやラテンアメリカでは森林の減少に歯止めがかかっていないことが分かります。


図3-1-7 地域別森林面積の推移(1990〜2005年)


図3-1-8 森林地域の年間実質変化率(2000〜2005年)

 一方で、世界の木材需要は、今後年率1%あまりの増加が予測されています(図3-1-9)。生産力の高い人工林の面積も増加していることから、木材需要のひっ迫が長期的に生じることはないと予測されていますが、引き続き、持続可能な森林経営に向けた取組を進めていくことが必要です。


図3-1-9 産業用丸太の用途別需要量(世界合計)の実績と将来推計

 また、世界の漁業生産量は、1950年から2000年の50年間で6倍以上に達しており、人口が同時期に約2.4倍になったのを遙かに超える伸びであり、過剰利用の割合も増加しています(図3-1-10、11)。


図3-1-10 世界の漁業生産量の推移


図3-1-11 世界の漁業資源の利用状況(1974〜2006年)

 将来必要とされる魚介類の資源量は、今後も需要が伸びると推計されており、資源が回復する範囲内で利用しなければ、早晩私たちの暮らしに影響がでるものと考えられます(表3-1-1)。平成21年12月の中部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)では、中西部太平洋のクロマグロ漁について、2002年〜2004年の漁船数や操業日数より増加させないことが決定され、2010年から規制されます。同11月には、大西洋産の漁獲量削減も決定されており、中長期的な資源維持に向けた取組が始まっています。


表3-1-1 水産物需要の将来予測

3 生態系サービスの劣化による経済的損失

 生物多様性の損失が私たちの暮らしに与える影響を客観的に把握するため、生態系サービスの経済的な価値を把握する取組がなされています。生態系サービスにはさまざまな種類があり、中にはサービスの特性から経済的な評価が困難なものがあるものの、貨幣価値に換算することが可能な範囲で試算がなされたものとして、世界的には、これまで表3-1-2に示すような例が報告されています。


表3-1-2 生態系サービスの貨幣価値の評価事例

 このように、経済的な価値を把握しようとする動きが盛んですが、生態系サービスの経済的評価の対象となる自然環境は一つとして同じものはなく、地球温暖化対策において二酸化炭素の排出量に価格を付けるといったような単一の尺度による評価が非常に困難であるため、経済的な評価の検討に当たっては、この点に十分留意する必要があります。

 自然環境の価値を評価するに当たっては、その価値の多様性を踏まえ、利用価値と非利用価値に分け、さらに細かく価値を設定して評価する方法が考えられます。例えば、図3-1-12のような分類が考えられますが、さらにそれぞれの価値の中には、次の2つの評価軸があることを意識して行う必要があります。


図3-1-12 自然環境の価値とサンゴ礁に帰する経済価値

[1] 自然科学的評価:自然がどのような状態であるか、どのような問題にさらされているのかを調べて示すこと

[2] 社会科学的評価:人間にとってどのような意味があるのか、どのような価値をもたらしてくれているのかを示すこと

 また、自然環境のもつ価値をすでに市場価格を有するものに置き換えて評価する手法として、生産高評価法、防止支出法、損害費用法、代替法等がありますが、置き換えることができる市場財がなければ評価することはできません。貨幣換算できない価値は、定性的評価にならざるを得ず、例えば、景観や生態系保全の機能には、置き換えることができる市場財が存在しないため、これらの方法では評価ができません。

 生態系と生物多様性の経済学TEEB)D1(政策決定者向け)によると、地域の開発案件がある場合、往々にして民間部門の利益が重視され、生態系サービスが過小に評価されるため、開発行為がビジネスとしても成立するとの判断をもたらす傾向があります。しかし、政府からの補助金を除いたり、利用後の復元に要する費用などを考慮したりすると、生態系サービスが予想以上に大きく、開発しない方が開発するよりも利益が上回ると分析しています。例えば、マングローブ林を伐採してエビ養殖場を設ける場合、開発者が得られる収益という面からのみ評価されることがほとんどです。エビ養殖場のもたらす経済効果とマングローブのもたらす便益が比較され、前者が相当大きいと判断されます(図3-1-13の左のグラフ)。しかし、エビ養殖場の開発には政府の補助金が入っており、この支援を除いた場合は、開発による経済効果が8分の1程度に減少します(同図の真ん中)。さらに、開発者が得られる収益だけでなく、例えば、5年後にエビ養殖場を原状回復してマングローブ林の機能を蘇らせる場合に必要な公的コストとマングローブ林を残した場合にもたらされる公的便益も含めて開発と保全のどちらがよいか比較すると、保全する方の便益が開発する場合を上回る結果となりました(同図の右)。


図3-1-13 エビ養殖場の開発による便益とマングローブ林のもつ公的便益の関係

 一方、わが国においても生態系サービスを経済的に評価する取組が行われています。例えば、ガンカモ類の国内有数の飛来地である蕪栗沼(宮城県大崎市、ラムサール条約湿地)を対象地として、周辺で行われている環境保全型農業などによって保護された生態系サービス(現在のガンカモ類の飛来数(7万羽)を維持する)の経済的な価値が分析されています。この分析は、複数の環境保全策の案を回答者に示して、その好ましさを尋ねることで環境の価値を分析するコンジョイント法で行われました。全国規模のアンケート調査をインターネットで行った結果、6日間で3,257名の回答(回答率21.6%)が得られました。その結果、各世帯の平均支払い意志額は1世帯当たり年間で1,007円、全国の世帯数5,288万世帯(平成21年3月現在)に広げた場合の合計額は532億円と試算されました(環境経済の政策研究 馬奈木准教授、栗山教授より)。

 このように生態系サービスの経済価値を貨幣価値に換算することで、開発して得られる経済的価値と保全することで保たれる経済的価値や両者に係るコストの比較が行えるようになります。


サンゴとカニの相利共生の世界


 カニ、エビ、巻貝、小魚といったさまざまな生きものがサンゴの枝の間をすみかとして利用しています。ハナヤサイサンゴとサンゴガニ類の関係について研究が進んでいますので、その相利共生(共生していることで、双方にとって利点があること)の関係について紹介します。

 サンゴガニ類は、サンゴがつくる粘液を餌にしています。これがサンゴと共生する利点です。一方で、サンゴはサンゴガニ類に天敵であるオニヒトデから守ってもらっています。サンゴを食べにきたオニヒトデに対して、管足を切ったり、棘をつかんだり、切ったりして撃退する様子が観察されています。沖縄のサンゴ礁で確認されている10種類以上のサンゴガニ類は、すべてこのような行動をします。

 一方で、まだ解明されていないこととして、同一のサンゴ群体の中に同属の複数種類のサンゴガニ類がともに暮らしている場合があり、「生態の似た種は同じ場所には生息しないという原則」に当てはまらないことが挙げられます。一つの仮説として、次のような説の解明が進められています。「サンゴガニ類がサンゴと共生する関係においては、オニヒトデの存在が関係し、オニヒトデがいるとサンゴガニ類はサンゴを守るために多くの種が集まり、オニヒトデがいないとそれを追い払う努力がいらないので、サンゴガニ類の種同士が争い、強い種がサンゴに残るのではないか。さらに、残った種の中で個体同士の争いが起き、大きな雌雄のペアが一つの群体を占拠する状態になる。」という説です。

 このことが解明されるとサンゴをオニヒトデから守るヒントが得られるかも知れません。この例に限らず、生態系の仕組みについてはまだまだ未解明なことがたくさんあります。それすら知らないまま計り知れない恩恵をもたらしてくれる生物多様性を損なっていくことは、人間を含めた地球上のすべての生きものにとって大きな損失となるでしょう。


同一サンゴ群体で確認された複数種類のサンゴガニ類



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