第2節 生態系の危機

人類の知恵を結集した科学技術の進展は、人類に大きな富をもたらしました。あらゆる人間活動は、かつてよりずっと強力な方法で行われるようになっています。農業や治水のために河川の水の流れを変えたり、森林を切り開いたり、海を埋め立てたりといった活動による利益を、現代の人類は大いに享受しています。しかし、人間活動は、科学技術の進展により、今や人間自身が予測できない結果を生むほどに強力なものとなりました。人間は、その扱い方を誤れば、自身を取り巻く生態系を取り返しのつかないほどに改変してしまう力を手にしています。
そうした変化は、世界の人口の増加ももたらしました。1960年から2000年にかけて、世界の人口は約30億人から約60億人に倍増しました。このことは、他の前提となる条件を同じと仮定すれば、人類が生態系に求める生態系サービスの量も倍増することを意味します。
さらに、20世紀後半は、特に先進国を中心として、経済の発展やより快適な生活の希求のため、1人当たりの生態系サービスの需要が爆発的に増えた時代でした。
人間活動により消費される資源量を土地面積として分析・評価する、エコロジカル・フットプリントという概念があります(コラム参照)。世界自然保護基金(WWF)によれば、1980年代以来エコロジカル・フットプリントは地球の生物生産力(生産可能面積)を超過しているとされます。この超過は、自然という資本をそれが再生される速度よりも速く消費することを意味するため、将来の生物生産力の減少につながります。

コラム エコロジカル・フットプリント

エコロジカル・フットプリントは、人間の生活がどれほど自然環境に依存しているかを分かりやすく示すために、ブリティッシュ・コロンビア大学で開発された指標です。グローバル・フットプリント・ネットワークでは、エコロジカル・フットプリントを「人類の地球に対する需要を、資源の供給と廃棄物の吸収に必要な生物学的生産性のある陸地・海洋の面積で表したもの」として、世界のエコロジカル・フットプリントを計算しています。エコロジカル・フットプリントの算定には、農作物の生産に必要な耕作地、畜産物などの生産に必要な牧草地、水産物を生み出す水域、木材の生産に必要な森林、二酸化炭素を吸収するのに必要な森林などが含まれます。
WWFの「Living Planet Report 2006(邦訳:生きている地球レポート2006)」によれば、2003年時点の世界のエコロジカル・フットプリント(需要)は、地球の生物生産力(供給)を約25%超過しているとされます。需要が供給を超える状態が続けば、いずれ、地球の生物学的資源は欠乏してしまうことになります。特にアメリカやEU諸国、日本を始めとする多くの先進各国のエコロジカル・フットプリントは、その生物生産力を超過しています(エコロジカル・フットプリントのかなりの部分は化石燃料の使用による二酸化炭素の排出が占めています。)。2003年の日本のエコロジカル・フットプリント(1人当たり)は、世界平均の生物生産力(1人当たり)の2.5倍、EU加盟国(2006年時点加盟国)は2.7倍、アメリカに至っては5.4倍に達します。これは、世界中の人が日本、EU、アメリカの国民と同様の生活をすると、地球がそれぞれ2.5個、2.7個、5.4個必要となることを示します。

図2-2-1エコロジカル・フットプリント



表2-2-1地球全体の生態系サービスの状態

日本は人口減少時代を迎えましたが、国連人口部によれば、現在約65億人とされる世界の人口は今後も増え続け、2050年には90億人を超えると推計されています(中位推計)。このまま人類が求める生態系サービスの量が増え続ければ、それは地球の生態系が供給し得る量を超えて、生態系そのものを破壊しかねない危険をはらんでいます。
とりわけ、産業革命以降の化石燃料に依存した人間活動の増大は、生態系とその基盤となる生物多様性に重大なインパクトを与えています。第1節でも見たように、豊かな生物多様性に支えられた健全な生態系は、自然のプロセスを調整し、一時的な生態系のバランスの崩れを自身で取り戻す働きを有しており、仮に、干ばつ、津波被害、寒波、洪水などによって一時的に生態系のバランスがゆらいだとしても、そのダメージを克服する能力も備えています。しかし、近年の人間活動による影響は、この生態系の調整機能をはるかに上回るものになっています。また、生物多様性が著しく損なわれることにより、生態系の健全性が更に損なわれるという悪循環が生じています。
炭素循環の観点から見ると、膨大な化石燃料の燃焼による二酸化炭素の排出は、生態系が非常に長い時間をかけて固定した二酸化炭素を大気中に再び放出する行為です。その影響は水の循環にも及びます。降水の強度や様相に変化が生じるとともに、氷・雪の量や融解時期が変化し、河川流量などが大きく変動することで、将来の水資源に深刻な影響が生じる可能性があります。
ミレニアム生態系評価では、人類が地球の生態系からいかなるサービスが得られるかの分析とともに、24の把握可能な生態系サービスの最近数十年間の供給傾向の評価が行われました(表2-2-1)。この評価では、増大する食料などの需要を満たすため生態系に改変をもたらした結果として、4つのサービスは人間を益する能力を増加させているものの、空気や水の浄化、災害からの保護など他の重要な15の機能については減少していることが分かりました。
中でも海洋での漁獲量の低下は深刻で、多くの海域において近代的漁業が導入される以前と比較して、10分の1にまで落ち込んでいるとされています。また、森林や湿地の消失は、自然の遊水池機能を失わせ、洪水などの災害の危険を増加させています。
平成18年3月に開催された生物の多様性に関する条約(以下「生物多様性条約」という。)の第8回締約国会議にて報告・公表された地球規模生物多様性概況第2版(Global Biodiversity Outlook2)においても、15の評価指標のうち12の指標で悪化傾向であるなど、生物多様性の損失が進行しているとされています。
ミレニアム生態系評価は、生態系サービスとその基盤である生物多様性に変化をもたらしている主な人為的影響を5つ挙げています。生息・生育場所の変化、侵略的外来生物、資源の過剰利用、窒素負荷などによる汚染(第1節2(2)コラム参照)に並んで、気候変動は5つの主な影響の1つとされています。
その影響が顕在化していることは、第1章でも見たとおりです。海氷の融解によってすみかを奪われたホッキョクグマの減少、海水の温度上昇によるサンゴの白化などの変化は、生物たちからの人類への警告と言えます。

コラム 生物の絶滅速度は過去の100〜1000倍

IUCNのレッドリストは、客観的な基準に照らして絶滅のおそれのある生物種を危険性のランクごとに記載しています。2006年の結果によれば、よく実態が把握されている評価種のうち絶滅危惧種の割合は、哺乳類23%、鳥類12%、両生類31%などとされており、非常に多くの種が絶滅の危険にさらされていることが分かります。
進化のプロセスの中では種の絶滅も自然のプロセスであり、恐竜のように多くの種が絶滅しました。ミレニアム生態系評価によれば、人類は、そうした自然に起きる絶滅と比べて100〜1000倍もの速い速度での種の絶滅をもたらしていると試算されています。過去の生物の化石などに関する研究成果から、多くの生物が同時期に絶滅する「大絶滅」が過去5回発生したことが分かっていますが、現在の絶滅の状況はこれらをしのぐ規模で進行しており、人類が引き起こした6回目の大絶滅と言われます。
生物多様性条約締約国会議においては、2010年までに生物多様性の損失速度を顕著に減少させるという、いわゆる生物多様性の「2010年目標」が設けられ、各国における目標の達成に向けた取組を促しています。

図2-2-2種の絶滅速度




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