第4節 環境汚染への取組

本節では、汚染された環境に対する取組について記述します。

1 汚染底質対策

チッソの水俣工場については昭和43年にアセトアルデヒドの生産が停止され、昭和電工の鹿瀬工場については新潟水俣病が公式に確認される以前にアセトアルデヒド生産工程は既に閉鎖されていました。
その結果、水俣湾周辺地域においては遅くとも昭和44年、阿賀野川流域においては昭和41年以降、水俣病が発生する可能性のあるレベルのメチル水銀のばく露が存在する状況ではなくなっていたと考えられます。
しかし、メチル水銀化合物の排出が停止した後も、関係水域の底質には水銀が残存していたことから、汚染された底質を除去する必要がありました。

写真	水俣湾埋立地 水俣市立水俣病資料館提供

このため、熊本県では、昭和52年から平成2年にかけて、「公害防止事業費事業者負担法」(昭和45年法律第133号)に基づき、チッソ、国及び熊本県の負担により、暫定除去基準値(水銀25ppm)以上の水銀を含有する水俣湾の底質約150万立方メートルの浚渫(しゅんせつ)、埋立(封じ込め)及び58haの埋立地の造成が行われました。この事業の費用については、チッソが約300億円、国及び熊本県がそれぞれ約90億円を負担しました。また、丸島漁港や丸島・百間(ひゃっけん)水路についても浚渫等が行われました。
新潟県では、昭和51年に工場排水口周辺の除去基準値以上の水銀を含有する底質の浚渫が、昭和電工の負担により行われました。

2 魚介類対策

ア 仕切網の設置
昭和49年、熊本県は水俣湾口を仕切って水俣湾内に汚染魚を封じ込める仕切網を設置しました(図3-4-1)。平成9年には、3年連続して7魚種で暫定的規制値(魚介類に含まれる総水銀の平均が0.4ppm、メチル水銀の平均が0.3ppm)を下回ったことが確認されたため、仕切網が撤去されました。

図3-4-1	仕切網の設置図(昭和52年10月1日現在)

イ 漁獲規制等
水俣湾周辺地域では、魚介類の摂食が水俣病の原因であるらしいということが昭和31年頃から分かり始めました。このため、熊本県は水俣湾産魚介類の摂食自粛指導を行うとともに、水俣市漁協に対して水俣湾内での漁獲の自粛を指導しました。このような漁獲の自粛(自主規制)や操業の禁止、捕獲した魚介類の買取りの取組は、途中中断があったものの水俣湾の仕切網が完全に撤去された平成9年10月まで順次行われました。また、チッソ等により断続的に漁業補償が行われました。
阿賀野川では、新潟県により関係漁業協同組合に対する魚介類の採捕規制や、住民への食用抑制の指導等が行われました。また、昭和電工等により漁業補償が行われました。

3 汚染状況の推移

水俣湾及び阿賀野川においては、これまで、水質、底質及び魚類の定期監視が継続的に行われてきました。
平成17年度については、熊本県が行った水銀に係る調査の結果では、水質に関しては環境基準値(総水銀は0.0005mg/l以下、アルキル水銀は検出されないこと。)を達成し、底質に関しては暫定除去基準値を、魚類に関しては暫定的規制値を下回っており、前年度に引き続き良好な海域環境でした。また新潟県が行った水銀に係わる調査の結果でも、水質の環境基準を達成し、底質の暫定除去基準及び魚類の暫定的規制値を下回っており、前年度に引き続き良好な河川環境でした。
今後とも水質、底質及び魚類の定期監視を継続し、特に水俣湾においては、埋立地の点検など、安全管理を行うことが重要です。

写真	現在の阿賀野川の様子 国土交通省北陸地方整備局、阿賀野川工事事務所提供



前ページ 目次 次ページ