第5節 地域再生・教訓の継承に向けて


1 地域再生・情報発信

わが国の環境問題の原点とも言うべき水俣病は、被害者個人の健康被害や環境汚染をもたらしたばかりでなく、被害者への差別や住民間の軋轢による地域社会の疲弊などの様々な影響を地域社会にもたらしました。このため、熊本県及び水俣市による平成2年からの「環境創造みなまた推進事業」をはじめ、地域社会のきずなを取り戻し、地域を再生するというもやい直しのための取組が地元自治体によって進められ、その一つの成果として、平成4年から毎年5月1日に水俣病犠牲者慰霊式が行われるようになりました。また、国は平成7年の政治解決の際の閣議了解や総理大臣談話及び平成17年に発表した「今後の水俣病対策について」において、紛争の解決のみならず、地域の再生・振興、水俣病の経験の発信と国際協力などを行うことを示しました。現在、国、関係県市町及び関係団体では、以下のような取組を進めています。
1) 地域住民のきずなの修復等を図るために、国、熊本県、水俣市及び芦北町が出資し、水俣市に2カ所、芦北町に1カ所「もやい直しセンター」を建設し、地域住民等により交流や福祉サービスの拠点として活用されています。

写真	もやい治しセンターでのイベントの開催 水俣市立水俣病資料館提供

2) 水俣病の経験を次世代に伝えていくために、国や関係県市では、水俣病の経験を次世代に伝えるセミナーや、「水俣市立水俣病資料館」、「新潟県立環境と人間のふれあい館−新潟水俣病資料館−」等における資料の展示及び水俣病患者から直接その体験を聞くことができる語り部の講演、熊本県の小学生が水俣市を訪問し、公害被害から環境再生へと立ち上がる水俣の姿を学ぶ「こどもエコセミナー」などを実施しています。また、(財)水俣病センター相思社は、「水俣病歴史考証館」での写真・パネル等の展示や、水俣病発生地域等を案内する「水俣まち案内・環境学習」という取組を行っています。
3) 水俣病の経験を海外に発信するために、環境省及び国立水俣病総合研究センターでは、水銀汚染問題がある国への研究者の現地派遣や、外国人研究者招聘による共同研究、国際シンボジウム・ワークショップ、開発途上国の行政担当者を対象に水俣病経験を伝えるセミナーを実施しています。また、水俣市では、平成12年度からJICA(国際協力機構)の委託を受け、「住民との協働による環境都市づくり(公害の経験から)」をテーマに、海外で環境行政に携わる外国人研修員を受け入れています。
4) 水俣市では、平成4年に「環境水俣賞」を創設し、環境保全に関する活動を育成しています。また、同年に宣言した「環境都市モデルづくり」に基づき、行政と市民が一体となり様々な取組を行っています(コラム参照)。新潟県においては、平成17年に新潟水俣病の公式確認40年を迎え、同年6月に新潟県知事が「ふるさとの環境づくり宣言」を発表し、水俣病を未来への教訓としていかし、今後の行政の運営に当たっていく決意を宣言しました。同年8月には記念事業を実施し、シンポジウムなどを開催しました。また、新潟水俣病被害者の会は、「新潟水俣環境賞」を創設し県内に関わる公害・環境問題において優れた功績を挙げた個人や団体を表彰するとともに、小・中学生を対象にした「新潟水俣環境賞作文コンクール」を実施しています。

コラム 語り部制度

悲惨な公害を二度と繰り返してはならないという願いから、水俣病の経験や教訓を次世代に伝えていくために、「水俣市立水俣病資料館」や「新潟県立環境と人間のふれあい館―新潟水俣病資料館−」では、水俣病患者から直接その体験を聴講できる語り部制度を設けています。
・水俣市立水俣病資料館語り部の会会長 濱元二徳さんから
「二度と水俣病のような悲惨な公害が発生しないように伝えていくために語り部をしています。今、豊かな生活の中で、自然が汚染され、健康が害されています。今後も便利で豊かな生活を望むのであれば、自然を汚染しない、自然に感謝する生活をしなければなりません。公害の恐ろしさや人としてやってはいけないことを語り部の話から感じて、人が安心して暮らせる21世紀をみなさんでつくっていってほしいと思っています。」
・新潟県立環境と人間のふれあい館語り部 小武節子さんから
「後世の人たちが同じ経験を二度と繰り返さないためにも、生きるためになくてはならない水や身近にある自然を大切にする気持ちをみんなで持っていかなければいけないと思います。世の中が便利になればなるほど、公害は切り離せない問題だと思うのです。そのためにも、一人でも多くの人、特に、今の若い世代の人に私たち被害者の経験を知ってもらい、自然などの環境を守っていくことがこれから重要になることをわかっていただければ幸いに思っています。」

写真	語り部の活動の様子 水俣市立水俣病資料館提供



2 水俣病公式確認50年事業

公式確認から50年を迎える節目の年に、水俣病問題をそれぞれの立場から検証すること、水俣病の経験をいかして教訓とすること、地域のもやい直しと振興を一層進めることを目的として、国、関係地方公共団体、水俣病関係団体、住民等が一体となって「水俣病公式確認50年事業実行委員会http://www.minamatacity.jp/jp/50th/top.htm(以下「実行委員会という。)」を設立し、水俣病公式確認50年事業に取り組んでいくこととしました。
具体的には、実行委員会の中にある「慰霊」「教訓」「地域福祉」「もやいづくり」の4つの事業検討部会が事業計画を策定し、水俣病の多くの犠牲者を慰霊するととともに、これまでの50年を回顧し、その教訓を後世に伝えるためのシンボジウムの開催や50年誌等の制作、地域のもやい直しを進める住民参加の事業などを行います。平成18年5月1日に行われた水俣病犠牲者慰霊式には小池環境大臣、江田環境副大臣が出席し、環境大臣が祈りの言葉を述べました。

写真	水俣病慰霊の碑 水俣市提供 水俣病慰霊の碑には「不知火の海に在るすべての御霊よ 二度とこの悲劇は繰り返しません 安らかにお眠りください」と刻まれている。


コラム 環境問題に対する水俣市の取組

水俣市は、二度と水俣病のような不幸な出来事を繰り返してはならないという強い使命感のもと、環境汚染というマイナス部分を環境問題に取り組みながらまちづくりをすることによってプラスに転換するために、平成4年に「環境モデル都市づくり宣言」を発表しました。
その後、一般廃棄物を22種類にも細分化する徹底した分別収集・リサイクル・減量化の推進、水俣市独自のISO制度(家庭版・学校版等)の創設・実施、エコタウン事業や水俣環境共生推進事業の展開など、環境に配慮したまちづくりを積極的に進めてきました。

写真	住民参加によるゴミの分別収集 水俣市立水俣病資料館提供

平成17年には、市の将来の都市像を「エコポリスみなまた」とし、新たな総合計画を策定し、平成17年から5年間、この計画に沿ったまちづくりを進めることとしました。
「エコポリスみなまた」のイメージは、「環境=ゆとり」、「経済=ゆたかさ」、「健康・安心安全=いやし」の3つのバランスをよく調和させながら、市民と行政がもやいの精神で協働し、地域資源をいかした自主自立の地域づくりを進め、持続的に発展向上していくまちを目指そうとするものです。具体的な取組としては、エコツーリズムの充実発展、学校給食センター等の活用による地産地消の推進、薬草と温泉・食を結びつけた癒しの里づくり、公共施設への新エネルギー・省エネルギー技術の積極的な導入が挙げられます。
なお、これらの取組は、環境首都コンテスト全国ネットワーク(NPO法人環境市民など11団体)が、持続可能な地域社会づくりを日本で率先的に進めることを目的として、5年間にわたり行っている「環境首都コンテスト」において、水俣市が16年度、17年度に全国総合第1位になるなど、高い評価を受けています。


3 さらなる取組に向けて

国は、これまで関係地方公共団体や関係団体とも協力しながら、健康被害の救済や地域の再生、情報の発信のための取組を試行錯誤しながら進めてきましたが、公式確認から50年を経てもなお、多数の者が公健法の認定を申請し、また、損害賠償請求訴訟を起こすなど多くの課題が残されています。これらの状況もあり、公式確認から50年を迎えるに当たり、第164回通常国会の衆参両院において、「水俣病公式確認50年に当たり、悲惨な公害を繰り返さないことを誓約する決議」がなされました。また、1)被害者の方々等の長きにわたる苦しみをお見舞いし、2)水俣病の被害の拡大を防止できなかったことをお詫びし、3)水俣病の経験を内外に広く伝え続けるとともに、水俣病の教訓をいかし、環境を守り安心して暮らしていける社会を実現すべく政府を挙げて取り組んでいくことを決意することを内容とする「水俣病公式確認50年に当たっての内閣総理大臣の談話」が発表されました。これからもこの国会決議や総理大臣の談話を踏まえ、すべての水俣病被害者を含む地域の住民が安心して暮らしていけるようにするため、水俣病被害者等の高齢化に対応した医療と地域福祉を連携させた取組を進めるほか、環境保全や地域のもやい直しの観点から、何が必要で有効かを模索しながら、施策の推進に努めていきます。また、水俣病のような問題を二度と起こさないためにも水俣病の経験及び教訓を引き続き国内外に発信し続けていきます。


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