課題名

海面上昇の影響の総合評価に関する研究

課題代表者名

建設省国土地理院地理調査部地理第二課長 川口 博行

研究期間

平成9〜11年度

合計予算額

145,510千円

研究体制

(1)基礎的データの作成・収集と沿岸域の分類に関する研究(建設省国土地理院・東京大学)

(2)デルタ・湖沼の応答/影響のモデル化に関する研究

(通商産業省工業技術院地質調査所・名古屋大学・新潟大学・愛媛大学)

(3)マングローブ林に対する地球温暖化の影響予測に関する研究

(運輸省港湾技術研究所・琉球大学)

(4)海面上昇の影響評価手法とその統合化に関する研究

(建設省国土地理院・茨城大学・名城大学)

 

研究概要

1.序

 我々人間は、過去に公害問題を通して生命の安全と健康を考えさせられた。次に出てきた環境問題では、人間にとっての利益性、快適性という生活質を考えさせられた。これら、既往の環境問題は住民ひとりひとりの利害に密着した問題であり、個々の問題の原因についても捉えやすい。また、これらの問題の多くは局所的な問題であり、影響の生じる地域も限定されているという特徴がある。

 近年、新しい環境問題として地球規模の環境問題が認識されるに至った。この中には、地球温暖化やオゾン層の破壊、酸性雨などが含まれるが、これらの問題の論点は我々人類の生活活動の影響が地球全体に及んでいるということであり、その結果として世代を超えて人類全体の生存基盤に影響が及ぶということにある。すなわち、上述のとおり従来の環境問題では発生源と影響との対応関係が比較的捉えやすく、また影響が生じる範囲も地域的に限定されていたのに対し、地球規模の環境問題では考慮すべき地域的・時間的範囲が極めて広いという点に特徴がある。例えば、地球温暖化に関して考えてみれば、日々の影響は気づかないほど小さいが、数十年のオーダーでみると次の世代に影響が現れ、将来的には人類全体の生存の基盤に関わる問題が生じる危険性があるということである。

 地球環境問題の解決に向けた課題の中では、人間と自然環境との共存が基本的な条件となっている。今生活している我々がただ単によりよい暮らしを求めていくばかりでなく、他の生物や子孫に対して影響を及ぼさないこと、言い換えれば「環境の持続性」を重要視することが絶対に必要である。

 人間の生活、生産の場であるそれぞれの地域の環境を評価しようとする試みは、これまでにも行われてきている。しかしながら、地球規模での環境問題を念頭において地域環境を考える場合には、これまでに行われてきたような人間の生活を物差しにした環境評価手法では対応しきれない。そこでは、これまでの人間中心の価値観を根本から変えていく、新たな環境の捉え方が要請されている。

 

2.研究目的

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第二次総合報告書によると、2100年には地球温暖化により約50cmの海面水位の上昇が予測されている。この影響を最も厳しく受ける地域の一つと目されているアジア・太平洋地域においては、これまでも影響予測に関する調査研究が取り組まれているが、必ずしも順調に結果が得られているとは言い難い。

 海面上昇の影響の総合評価を行うためには、海面上昇が沿岸システムの地形・植生・施設等の各種の個別要素に与える応答/影響のモデル化が求められているとともに、これらを統合化して経済評価することも欠かせない。

 このため、本研究はアジア・太平洋地域の海面上昇の影響について、適切な評価を行うための足がかりとすることを最終目的とする。

(1)海面上昇に対する影響評価の共通的なガイドライン(案)を作成する。

  このガイドライン(案)は、影響評価を行う上で必要とされる海面上昇・気候変動のシナリオ、必要なデータのリスト、データの収集・解析方法、評価モデル、結果の表現方法等を内容としている。このようなガイドラインができれば、多くの発展途上国で共通の手法で影響評価に取り組むことが可能となる。

(2)海岸・沿岸域の自然及び社会経済システムの多様な構成要素に対する影響の評価手法と評価結果を統合化する方法を検討する。この統合化にはGIS(地理情報システム)を活用する。こうした統合化ができれば、アジア・太平洋地域全体の影響の広がりを容易に把握、表示することが可能になる。

 

(3)国レベルあるいはより狭い領域におけるケーススタディの対象として、各種の地理的なデータが比較的得られやすく、現地での研究に蓄積があり研究交流も盛んなタイ国を選定して実施し、アジア・太平洋地域全体の影響評価の足がかりとする。

 

3.研究の内容・成果

(1)基礎的データの作成・収集と沿岸域の分類に関する研究

  影響評価を行う際に必要となる地理情報データについては、データの作成機関等により異なる仕様に基づき作成されたものが多く、本研究で使用する地理情報データの標準仕様を決定する必要があることから、.戰ターデータ:ArcViewシェープファイル形式、▲薀好拭次淵ぅ瓠璽検縫如璽拭TIFF、B地原子:WGS84、づ蟇董Х舒淌拊詫座標系と決定した。

  タイ国における地理情報データに関する調査を行うとともに、バンコク南東部のケーススタディ地域において、GPS測量及び水準測量により取得した地盤高点データから詳細な標高データの作成手法の開発を行い、その他のデータとともに評価用サンプルデータとした。

  熱帯・亜熱帯における海岸・沿岸域の土地被覆について、衛星画像を利用した最も効率的な分類項目と分類のためのアルゴリズムの検討を行い、石垣島・西表島の試験に引き続き、タイ国バンコク沿岸、プーケット沿岸、ソンクラー湖周辺で土地被覆分類を実施した。分類項目に重複や空白域ができたことから、今後も検討を継続する必要がある。さらに、タイランド湾における3次元流動モデルを構築し、同湾の流れが主に風により駆動され、層重的であることが明らかになった。

 

(2)デルタ・湖沼の応答/影響のモデル化に関する研究

  現在懸念されている地球温暖化による海水面の上昇によって、沿岸域はどのように応答し、影響を受けるのか。サブテーマ2では、沿岸域の中でデルタ(三角州)と沿岸湖沼に焦点を当てて、これらの応答と影響が実際の沿岸域に起こった、また、起こっている事例をタイ国とベトナム南部の沿岸域から取り上げて研究を行っている。特に、数千年から数百年の時間スケールでの変化と、数十年から数年の時間スケールでの変化の両方に着目した研究を遂行し、次に示す成果を得た。

   ̄卆渦菫解析によって、1987年以降のチャオプラヤ河口の海岸線の変動を捉えることができた。その変動は1992年には停止した可能性が高い。1987年−1992年の間の変動量は、海岸浸食の激しい場所で300m程度であった。▲船礇プラヤデルタの地形は完新世中期に拡大した内湾を埋積する形で、干潟が海側に拡大しながら形成されてきたことが示され、その形成過程および地形や堆積物の特徴から、僅かな海面上昇によっても多大な影響を受けることが明らかになった。タイ中央平野を構成する完新統を精査した結果、6千年前に広がった内湾が、チャオプラヤー河とメクロン河によって徐々に埋積されてきていることが明らかとなった。ぅ丱鵐灰北東で得られた完新世堆積物コア試料について熱分解GC/MSによりバイオマーカ解析を行った結果、最下部の泥炭中にはマングローブ起源のバイオマーカが含まれているが、海成粘土層には含まれていない。リグニン起源のバイオマーカ分析結果から針葉樹の少ない古植生が推定されることがわかった。ズ能氷期以降の地球温暖化に伴う急速な海面上昇とその後の高海水面期に、メコンデルタはメコン川による大量の砕屑物供給に起因して、比較的浅い海域を急速に埋め立て、前進してきた。デルタ前縁の前進速度はおおよそ2千数百年前に低下している。Τだ弩个砲ける海面上昇影響予測評価において、各地域のDevelopment factorsの抽出・認識することの重要性を再確認し、それを取り込んだ評価手法を構築した。

 

(3)マングローブ林に対する地球温暖化の影響予測に関する研究

 サブテーマ3では、マングローブ生態系における、地球温暖化の「影響伝播の解明」と「影響評価方法の確立」を目指した。マングローブ生態系においては、浸水時間を制御する項目である地盤高と、成長速度を律する塩分・水温といった水質等が重要な支配要因である。こうした要因がどのような影響により変化し、森林構造に反映するのかを明らかにすることが「影響伝播の解明」であり、地球温暖化によりこれらの要因がどのように変化するかを予測するモデルを構築することが「影響評価方法の確立」である。

 本研究では、タイ国のアンダマン海に面した王立林野局マングローブ林研究センターのあるラノンのガオ川流域をケーススタディサイトとして、情報収集及び現地観測を行った。海洋観測機器による調査は平成9年の予備観測に引き続き、平成10年及び平成11年に長期及び短期の観測を実施した。観測地点としては、海に面し海象の変化を直接受ける地点、クリークの途中で海からと陸からの影響を伝播させる経路となる地点、クリーク上流部で陸からの影響を強く受ける地点の3点とした。また、乾季及び雨季における基礎データとして、地形、森林構造、外力(潮汐・波浪)、水質(水温・塩分・濁度)等に関するものを取得し、次に示す成果を得た。

 ’範欧砲茲觝重イ虜瞳濁は海側において盛んであり、乾季における砂泥の供給源となっていると考えられる、対象としたクリークでは、上下流での24の塩分差、乾季における塩分回復速度が12/月の回復速度をもつ、マングローブの種の違いによるゾーネーションが存在する、つ汐振幅の伝播・波による底泥の再懸濁・淡水供給による塩分変化といった物理過程の影響伝播に関する数値モデルを作成した、lmの海面上昇により、クリーク内流速の5%増加、浸水時間の倍増、波浪エネルギーの林内進入等が予測された。Δ海Δ靴娠洞租素天佻のモデル化により、その構造が説明されるとともに、マングローブ林が海面上昇や降雨パターンの変化により受ける影響を予測する手法としての有用性が示された。

 

(4)海面上昇の影響評価手法とその統合化に関する研究

 本研究では、海面上昇の影響の経済評価手法についての検討と影響評価ガイドラインの設計に向けた検討を行い、以下の成果を得た。

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  海面上昇による物理的、生態的、社会的な影響を、国民経済に対する影響として統一的に評価することを目的として、昨年度に構築した一般的均衡理論に基づく社会経済モデルをタイ国に適用し、海面上昇による影響の経済評価(具体的には、海面上昇による被害及び海面上昇対策による便益の計測)を行った。その結果、50cm/100cmの海面上昇によるタイ全国の被害額は、生産額の減少分の定義で、1993年のGDPと比較した結果、0.361/0.685%減少する事がわかった。地域別にみると、バンコクをはじめとする沿岸部では生産額が減少するが、内陸部(北東部・北部)では労働者の転入によって生産額が上昇する。

 ∩躪臈影響評価手法に関する検討

  影響評価データの統合化の一環として、本研究では外力シナリオの設定、一次影響の評価、二次影響の評価というステップでアジア・太平洋地域における海面上昇の影響の総合評価を試みた。

  外力としては、海面上昇と潮汐・台風を取り上げ、一次影響の一つである恒久的な水没に対して、海面上昇により水没する面積とその割合、台風(高潮)により影響をうける地域の面積と全陸域に対する割合をそれぞれ算出した。二次影響としては、沿岸域の人口、社会・経済、自然に対する影響を評価することとし、このために一次影響によって影響を被る人口、インフラ施設、湿地帯の面積をそれぞれ算定した。評価はGISにより実施し、以下の結果を得た。

  アジア・太平洋地域における恒久的な水没地域は、ニューギニア島南部やベトナムのメコンデルタ地帯など広範囲にわたり、その面積は約53km2で全陸域に対して1.1%程度になる。また、高潮の影響も考慮した一時的な氾濫域に関しては、特にバングラデシュや中国沿岸域(上海、長江口付近など)に影響が大きいことが分かる。満潮位以下の面積はアジア・太平洋全域で約31km2(全陸地面積の0.46%)、1mの海面上昇による恒久的な水没域は約62km20.92%)、さらに一時的な氾濫域(40年間最大)は約85km21.27%)と推定された。

 

4.考察

 〆2鵝影響評価のための地理データとして、既存の地理情報データ(1/250, 000.1/50,000)をベースにし、GPS測量・水準測量による地盤高データをもとにしたDEMデータの作成、衛星画像による土地分類データの作成及び、統合化を行った。この場合の条件としては、フォーマットの統一やデータの鮮度の明確化などが重要である。特に、データ仕様の標準化はデータ利用までの時間の短縮をもたらすことが見込め、特に重要となる。

 海面上昇による影響の経済評価に用いた社会経済モデルは、新たにタイ国における評価のために再構築したものであるが、土地面積の減少量の算出については、今回は詳細な地盤高データの取得時期との関係で近隣国の状況を参考にして設定せざるを得なかった。より正確な評価を行うためには、取得した地盤高をはじめとする評価用データを用いた算定が必要である。

 今回、アジア・太平洋地域を対象に構築した小縮尺レベルのGISベースの総合的影響評価手法は、広域的な影響を定量的に評価する上で有効であることがわかった。

 

5.研究者略歴

課題代表者:川口博行

1943年生まれ、現在建設省国土地理院地理調査部地理第二課長

 

サブテーマ代表者

(1):川口博行(同上)

 

(2):斎藤文紀

1958年生まれ、京都大学理学部卒業、理学博士(九州大学)、現在通商産業省工業技術院地質調査所海洋地質部海洋堆積研究室主任研究官

主要論文:

1. Saito, Y., Wei, H., Zhou, Y., Nishimura, A., Sato, Y., and Yokota, S., 2000, Delta progradation and chenier formation in the Huanghe (Yellow River) Delta, China. Journal of Asian Earth Sciences, vol. l8, 99-107.

2. Saito, Y., Katayama, k., Ikehara, K., Kato, Y., Matsumoto, E., Oguri, K., Oda, M., and Yumoto, M. 1998, Transgressive and highstand systems tract and post-glacial transgression, the East China Sea. Sedimentary Geology, vol. 122, 217-232.

3. Hu, D., Saito, Y. and Kempe, S. 1998, Sediment and nutrient transport to the coastal zone. In J. N. Galloway and J. M. Melillo, eds, Asian Change in the Context of GlobalCliimate Change: Impact of Natural and Anthropogenic Changes in Asia on GlobalBiogeochemical Cycles, Cambridge University Press, IGBP Publication Series3, p.245-270.

 

(3):古川恵太

1963年生まれ、早稲田大学大学院理工学専攻科修士課程修了、運輸省港湾技術研究所研究官、新技術事業団派遣研究者、現在運輸省港湾技術研究所主任研究官

主要論文:

1. Sedimentation in mangrove forests: Mangroves and Salt Marshes, 1997

2. Currents and sediment transport in mangrove forests: Estuarine, and Coastal Shelf Science, 1997

3. Surface wave propagation in mangrove forests: Fluid Dynamics Research, 1998

 

(4):川口博行(同上)