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南極条約体制についてのお勉強タイム

2007年12月21日(金)

 昭和基地に入って今日で3日目ですが、本当にあっという間に過ぎ去りました。毎日が新しいことや非日常的なことの連続で、朝から晩まで太陽の沈まない昭和基地でバタバタと過ごしておりました。ここにきて、ようやっと少し気持ちが落ち着いてきましたので、そろそろ私の南極での仕事についてもご紹介していきたいと思います。しかし、それにはまず、南極の歴史について触れることが必要不可欠となりますので、今日はそちらをご紹介したいと思います。

 すでにご存じの方もおられると思いますが、長い間人間を寄せ付けなかった南極大陸に本格的に人間が近寄るようになったのは19世紀初頭頃で、その背景には当時高額で取り引きされていたアザラシやクジラの狩猟がありました。その後、19世紀から20世紀にかけて、各国が狩猟のみならず冒険や様々な調査・観測ために南極を訪れ、また、南極を拠点に活動を行うようになりました。そのような中で、「南極のこの部分は我が国の領土だ。」と主張する国々が出てきました。これらは、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、ノルウェー、アルゼンチン及びチリの7ヶ国で、「クレイマント」と呼ばれています。(ちなみに、我が国が 昭和基地を設置している東オングル島や近隣一帯は、ノルウェーが領土権を主張。)しかし、これら「クレイマント」の主張する領土は、お互いにオーバーラップしていたり、境界が曖昧であったりするなど、各国が公式に合意しているものではありません。また、これら「クレイマント」の主張を受け入れない「ノンクレイマント」と呼ばれる国々もあり、20世紀半ばまで、南極の領土権を巡る主張はエスカレートしていきました。

今年5月にインドで開催された第30回南極条約協議国会議の様子

 そのような中で、領土権に関する各国の思惑が複雑に絡み合う南極という場所が、軍事目的や核実験といった世界を巻き込みかねない争乱の舞台になることを避けるべく、「クレイマント」や我が国を含む全12原署国の署名のもと、1961年に「南極条約」が発効し、南緯60度以南の陸域及び海域が同条約の適用範囲となりました。「南極条約」は、各国に領土権の主張を完全に「放棄」させるものではないのですが、一時的に主張を「凍結」して、科学分野での平和利用や国際協力を推進していくことを目的としています。この条約のおかげで、この「凍結」が続く期間は、南極はどの国の領土にもならずに平和の維持と科学研究が推進される体制が整ったのです。以降、「南極条約」の締約国は増え続け、毎年各国持ち回りで開催される「南極条約協議国会議」において、様々な重要事項が議論されています。

 さて、この日記の主役である「環境」の話が南極の表舞台に現れるのは、「環境に関する南極条約議定書(以下「議定書」といいます。)」が1998年に発効してからとなります。議定書は、南極における自然環境の保護も科学研究と同様に国際協力のもとでしっかり推進していこうというもので、南極条約とあわせて「南極条約体制」と呼ばれています。特に、動物の捕獲や鉱物資源の採取、また、本来南極には生息していない生き物の持ち込みなど、南極独自の自然環境に悪影響を及ぼしかねないものを厳しく制限しようとするもので、批准国は議定書が求めるルールをどのように自国で徹底できるかについて考える必要があります。我が国では、議定書発効と同時に「南極地域の環境の保護に関する法律」という法律を施行し、その後も議定書が求める新たなルールもきっちりと守っています。この法律を所管しているのが環境省であり、私がその代表として現地確認に来ていると考えていただければ、今回の同行の趣旨も分かりやすいかと思います。

 少し長くなってしまいましたが、南極という場所が外交、科学、環境など多方面で非常に重要な場所であることが、少しでもご理解いただければ幸いです。現地での私の仕事については、これから少しずつご紹介していきたいと思います。