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化学物質と環境円卓会議(第2回)議事録

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■日時:平成14年2月6日(水)14:00~16:00
■場所:主婦会館プラザエフ 9階「スズランの間」
■出席者:(敬称略)
<学識経験者>
  安井 至 東京大学生産技術研究所教授
  <市民>
  有田 芳子 全国消費者団体連絡会事務局
  後藤 敏彦 環境監査研究会代表幹事
  崎田 裕子 ジャーナリスト、環境カウンセラー
  角田 季美枝 バルディーズ研究会副運営委員長
  中下 裕子 ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議事務局長
  村田 幸雄 (財)世界自然保護基金ジャパンシニア・オフィサー
  山元 重基 日本生活協同組合連合会環境事業推進室長
  <産業界>
  出光 保夫 日本石鹸洗剤工業会環境保全委員長
  河内 哲 日本レスポンシブル・ケア協議会企画運営委員長
  瀬田 重敏 (社)日本化学工業協会広報委員長
  田中 康夫 日本レスポンシブル・ケア協議会企画運営委員
  仲村 巖 (社)日本自動車工業会環境委員会副委員長
  小林 珠江 日本チェーンストアー協会環境問題小委員会委員
  <行政>
  岩尾 總一郎 環境省環境保健部長
  大森 昭彦 農林水産省大臣官房技術総括審議官
  片桐 佳典 神奈川県環境科学センター所長
  鶴田 康則 厚生労働省大臣官房審議官
  増田  優 経済産業省製造産業局次長
   (欠席)  北野 大  淑徳大学国際コミュニケーション学部教授
 原科幸彦  東京工業大学工学部教授
 橋本伸太郎 (社)日本電機工業会環境政策委員会委員長
  <ゲスト>
  浦野紘平 横浜国立大学大学院環境情報研究院教授
  神沼二眞 元厚生労働省国立医薬品食品衛生研究所化学物質情報部長
  宮本純之 国際純正応用化学連合(IUPAC)環境問題上級顧問、
(財)化学物質評価研究機構顧問
  山本喜久治 化学リーグ21政策センター
  司会(事務局)  安達一彦 環境省環境保健部環境安全課長
■資料:
○事務局が配布した資料
資料1 今後の進め方について検討が必要な項目(案) [PDF(73KB)]
資料2 地域フォーラムの進め方と今後のスケジュール(案) [PDF(59KB)]
○事務局が配布した参考資料
参考資料1 「化学物質と環境円卓会議」(リーフレット) [HTML]
参考資料2 「化学物質と環境円卓会議」の運営要領 [PDF(8KB)]
参考資料3 化学物質と環境円卓会議第1回議事録 [HTML]
○ゲストが使用した資料
浦野資料 化学物質に関するリスクコミュニケーションについて [PDF(953KB)]
神沼資料 化学物質と環境に関するリスクコミュニケーション [PDF(275KB)]
宮本資料 適切なリスクコミュニケーションと科学者の役割 [PDF(864KB)]
SCOPE/IUPAC International Symposium on Endocrine Active Substances [PDF(1,627KB)]
山本資料 「環の国」化学物質と環境 -円卓会議:意見- [PDF(255KB)]
○円卓会議メンバーが配布した資料
田中康夫 地域対話参加者別割合 [PDF(101KB)]

1.開会

(事務局:安達) それでは時間がですので、ただいまから第2回「化学物質と環境円卓会議」を開催したいと思います。
 本日は、北野さん、電機工業会の橋本さん、原科さんがご欠席とご連絡を受けています。また、中下さんと鶴田さんにつきましては所用により若干遅れてのご参加という連絡をいただいています。また、前回ご欠席の後藤さんと山元さんが今回初めてのご参加となりますので、簡単に自己紹介をお願いいたしたいと思います。後藤さん、お願いいたします。


(後藤) 後藤です。環境監査研究会で、環境マネジメントや環境報告書に携わっています。この円卓会議にかかわる関係でいいますと、PRTRの法律を作るときの技術検討会の委員もしていました。現在、ISOで環境コミュニケーション規格を作っていますが、その日本のエキスパートにもなっています。どうぞよろしくお願いします。


(山元) 日本生協連は約600の会員生協の連合会です。生協としてもいろいろ事業的な取り組み、あるいは組合員の活動等々、環境活動を積極的にしていますので、その辺の視点からも参加させていただければと思っています。よろしくお願いします。

(事務局) どうもありがとうございました。前回からもこの会合におきましてはふだん「先生」あるいは「部長」と呼ばれている方も「さん」づけで呼ぶことになっていますので、ご了承いただきたいと思います。
 申し遅れましたが、私は事務局を務めています環境省環境保健部の安達です。
 次に、お手元の資料の確認をさせていただきたいと思います。封筒に入っているかと思いますが、まず1枚目に議事次第、「資料1」、「資料2」としてそれぞれ1枚紙を用意してあります。次に、参考資料といたしまして「参考資料1」、「参考資料2」が前回お決めいただきましたこの会議の運営要領です。また、「参考資料3」は第1回の議事録。これにつきましては既にメンバーの方々にご確認いただき、現在インターネット上で公開している議事録です。その次に、本日4人のゲストの方にご発言をいただく予定にしていますが、資料の順番が発表の順番と異なり順不同ですが、4人の方々の資料をそれぞれ用意しています。その次に、「田中資料」としています1枚紙はメンバーの田中さんにご用意いただいた資料です。最後に、英文の「SCOPE/IUPAC」という資料がありますが、ゲストでご発言いただく宮本さんが用意されました追加資料です。なお、これにつきましては部数の関係で傍聴者の方々のお手元には渡っていないかと思いますが、後ほどインターネットで公開いたしますし、また、必要な方は事務局へ言っていただけましたら用意したいと思っています。資料につきましては以上です。
 それでは、本日の司会進行役は安井さんにお願いしていますので、どうぞよろしくお願いします。

2.議事


(司会:安井) 安井です。それでは、司会役を務めさせていただきたいと思います。ほかの2人の学識経験者が欠席ですので私に回ってきたものと理解しています。
 さて、早速議事に入りたいのですが、あらかじめお願いがあります。本日はゲストとしてお招きしておられる方々にできましたら十分にご発表いただき、また十分にご議論いただきたいと思います。会場の都合を伺いましたら、最大限30分ぐらいは延びてもいいというご了承をいただいていますが、メンバーの方々はかまわないでしょうか。いかがでしょうか。あまり延びないようにしたいと思いますが、なるべく議論を切らないで有効に時間を使ってまいりたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

(1)化学物質と環境に関するリスクコミュニケーションについて

(司会) それでは、本日の議題の(1)ですが、「化学物質と環境に関するリスクコミュニケーションについて」です。まず、ご紹介がありました3名の方に専門家としてのご発表をいただきたいと思っています。最初に、神沼二眞さんからお願いします。国立医薬品食品衛生研究所化学物質情報部長でいらっしゃいました。では、神沼さん、よろしくお願いします。

(神沼)
 化学物質の毒性・安全性に関するデータベースの構築、国際的な情報ネットワークの構築、環境データ表示のための地理情報システムの開発などを行ってきた。化学物質に関する情報は膨大な量が提供されているが、その情報にたどり着くのがむずかしい。また、膨大な情報をどのように処理するかの研究開発が必要であり、市民は情報を活用できる知識を身につける必要がある。


 今日はこのような席にお招きいただきましてありがとうございました。私自身は今はフリーになりましたので、あまりお役に立つかどうかわかりませんが、まず自分の立場をはっきりさせるために少し過去のお話をしたいと思います。資料に大体細かいことは書いてありますので、ご覧になっていただきたいのと、それから本日用意していない資料に関しましても、実はインターネットでほとんど取れますので、後で見ていただきたいと思います。
 私は専門家といっても、リスクコミュニケーションの話題に関してあまりにも専門が違って、情報学やコンピュータが好きで、どちらかというとウェットな実験をほとんどしたことがなく、理論的なことをしてきた人間なのです。そういう人間が化学物質についてどういうきっかけで関わりを持ったかをお話ししたいと思います。1978~1979年に、私が初めて科学技術庁のある研究班で責任者に近い立場で、何も知らないところに化学物質の安全性の評価システムを作れという話がありました。実はそのときに非常に困り、世界中に手紙を書いたわけです。今と違ってメモリタイプライターがやっと出てきたころで、150~200通の英語の手紙を書きました。これは非常に大変なことでした。
 そして世界中にいろいろな情報、化学物質の安全性に関する情報をほしいと言ったところ、非常にいいレスポンスをしてくださったところがあります。大体外国の方はこういう点ではレスポンスがよくて、7割ぐらいの回答がありました。いろいろな文書を送ってくれましたが、その中で抜群にいい情報を送ってくれたのは、当時NIHとEPAで共同プロジェクトをしていたステファン・ヘラーという人です。彼はCIS(Chemical Information System)というシステムを作っていました。このCISはどんなコンセプトでできているか、これは私の後の仕事にとても影響いたしました。この話は要するに化学物質に関することはいろいろな問題がある。化合物のデータベース、さらに法律の問題、生物の問題、いろいろなものがある。それをできるだけ1ヶ所からどれも見られるように、ほかのところにとべるようにしよう。これがCISの概念でした。
 私は、これを非常にすぐれたシステムだと思い、当時この中核になるシステムを日本に持ってきて動かしてみようと思いました。当時、大きなコンピュータはありませんので、夜中にあるところのコンピュータを借りて動かし、その結果、トキシコロジー・インフォメーション・ネットワークという概念を提案しました。79年ぐらいのことだと思います。そこで特に強調したのは、データベースのデータベースという概念です。つまり化学物質に関しては1つや2つのデータベースではとてもものが語れない。さまざまなデータベースをくっつけなければいけない。これには情報学的にどうしたらいいか、情報技術としてどうしたらいいかという問題がありました。もう1つは、インハウスシステムと、パブリックな、というか外からアクセスできるシステムの2つがあります。実はCISは2つのことがある意味でごちゃごちゃになっていましたが、私はこれを整理して、インハウス、つまり自分の研究所とか研究グループが入るシステムと、外の一般的な人が入れるシステムを考えました。
 ただ、当時はこういうことをしてもなかなか実現することができませんでした。例えば発がん物質に関しては、既に世界の専門家が集まったIARCやリヨンにあるWHOのがん研究センターというところでモノグラフを出しています。おそらく世界で最も権威のある発がん物質に関する情報だと思いますが、その情報から、例えば三次元構造みたいなものは出てこないわけですが、これらの情報を全部くっつけて1つの統合的なデータベースにしようと試みました。
 その後、この仕事が基盤になり、私は1つの研究会を作りました。産・官・学の研究会で、CBI(Chem-Bio Informatics)研究会を作り、実は今、そちらの応援をしています。さらにそれから10年後、1989年に前職になりました。その時、まさに化学物質の安全性評価の仕事に関する旧厚生省とWHOの窓口になったわけです。1980年からそのようなリスク評価の専門家のグループがスタートし、たくさんのモノグラフを作りました。私が着任したときはたぶん130ぐらいのモノグラフができていたと思いますが、現在は200を超えていると思います。
 私はそこのアドバイザリー・ボードといいますか、インターナショナルなアドバイザーになりました。しかし、自分はその専門家ではありませんので困ってしまいました。私が主張したことは次のようなことです。このようにたくさんの評価文書がある。発がん物質に関する評価文書も、さまざまな化合物に関する専門家が時間とコストをかけた文書がある。しかし、それは一般には知られていないし、使われてもいない。なぜだろうということです。それは日本だけの現象ではなくて、こういうモノグラフができると、いろいろな国に送られ、お偉いさんのところに飾られ、また、なかなかリバイスされないという状況です。それをどうしたらいいかということです。
 それからもう1つ、当時、ある新書版のような本を読んでいたときに、昔、私がいた国立衛生試験所の化学物質情報部あるいは国立衛生試験所というところで化学物質の評価文書を作っているが、どうやらそれを秘密にしているというような記述があったのです。これは全くの誤解で、私どもは当時そんなことはべつに秘密にはしていなくて、ただそういうものを一般の方に知らしめる努力をするだけの力もリソースもなかったわけです。そういうことで機会があるごとにこういうものを外に出そうということになりました。
 そのためには英語を翻訳をしなければいけない。さまざまな文書がありますが、当時既にインターネットが始まっていて、我々はその先導も努めていましたので、まず、できるだけインターネットで公開する、パブリックに出さなければ意味がない、税金を使った意味がないということで、専門家の会議でも私はそういうことを強く主張しました。現在ではIPCSのプロダクトは、すべてインターネットで無料で提供されることになっています。一時期カナダのグループからCD-ROMが出て、それとの契約でもめていましたが、たぶん既に決着し、完全にパブリックに出すということになりました。
 そういうことで、私の感覚ではもう既に膨大な非常にいい情報が無料で手に入る状況にある。しかし、一般の人がそれを手に入れることはきわめて難しいわけです。なぜか。私は1994年からウェブサイトを作り、たぶん日本で一番初めに医薬品とか化学物質に関する情報をできるだけ公開するということをしていました。いろいろな反響もありました。中にはすごく勇気のあることをしたと。私は全然わからなくて、自分がいいと思うコンテンツを出しただけなのですが、例えばそういうものが行政との関係で必ずしも好ましくない人が出したものはどうかということがありましたが、私はそのあたりはきわめて無頓着にやりました。いろいろな実験をしてみなければいけないということで、その意味では我々のサイトはかなり注目されたと思います。
 しかしながら、自分が今フリーの立場になってみますと、こういうサイトへのアクセスは非常に難しいわけです。まず自分のインターネット環境をきちんとしておくことは非常に難しいですね。それから、皆さんがつなぎっぱなしにしますと嫌なウイルスが来ます。そういうものに対してプロテクトしようとするとすごく重くなってなかなかうまくいかない。
 私たちが最初の夢として化学物質情報部のウェブサイトを立ち上げ、あらゆる情報をそこから見られるようにしようと努力して、かなりそういうことはできたと思います。これをぜひ皆さんにご覧になっていただきたいのですが、相当詳しい専門家のための情報から一般の方への情報まで見ることができます。中には1冊の本にすると3万円ぐらいで売られているものも全部無料で出ます。ただし、3万円分を打ち出したらかなりお金がかかるかもしれません。
 もう1つの問題は、これにアクセスができたとしてどうするか。私は自分のチームの中に化学物質の専門家とか薬の専門家の方に入ってもらい、例えば化学物質に関するいろいろなIPCSのプロダクトの日本語訳などをを出してみました。その印象として、これを活用するにはどうしたらいいのだろうと。一般の人がこれを見ても何のことかわからない。 アメリカのNational Toxicology Program(国家の毒性計画)では、膨大ないろいろな情報をほとんどインターネットに出ていて、しかも三次元構造でいろいろな動物試験の結果もいっぺんに見られるという、まさに私が以前にやりたいと思ったことが実現していたわけです。さらにそういうものを、少し技術的になりますが、お互いにリンクをはって出すこともしました。これはGINC(Global Information Network on Chemicals)といい、化学物質に関して地球規模の情報ネットワークを作ることになりました。これもわりにうまくいき、インターネットを利用してほとんどあっという間に4~5年で我々は目的を達してしまいました。
 ただ、いくつか問題があります。これは非常に技術的な問題なのですが、世の中にたくさんある、例えばウェブで見ていってAというところにこういうデータベースがある、Bというところにこういうデータベースかあるときに、これをどうやってお互いにつなげるかというのは大きな問題です。例えば環境省、厚生労働省などいろいろなところにある情報をどうやって相互にリンクするかという問題があります。それを多少我々は研究いたしました。
 さらにもう1つ、今日のテーマの1つがリスクということですが、リスクというのは後でいろいろご説明があるとおり、ハザードと曝露(エクスポージャー)の問題だといわれます。そのエクスポージャーというのは、まさにある人がある時間空間的なあるところにいなければ絶対発生しないものです。要するにその物質とコンタクトしなければ何のリスクも発生しません。では、どこにいるかというのが大問題です。どこにいるかというのをどうやって見るかというと、それは地理情報システムがあるわけです。したがって化学物質のリスクコミュニケーションは絶対に地図情報が必要だと私は思いましたので、こういう地図を使う研究をずいぶんしました。
 それからもう1つは、化学物質が体の中へ入った場合の複雑性です。これも専門家がおられるのであえて簡単にしますが、要するに今のはやり言葉でいえば、化学物質は標的にくっついて、くっついただけではなくて、その後非常に複雑な動きをしています。つまり、体の中のミクロ・コスモスを全部データベースにしてしまわなければいけない。それはどのぐらいのデータベースになるかというと、非常に複雑なデータベースになるわけです。今はやりのゲノムから始まって、先程私が言いましたような地理情報システムからグローバルな細かい情報システムまで全部統合したものです。つまり化合物、それぞれのモデル動物の中の宇宙、それから実際の地球上のいろいろなところにあるもの、こういうものを全部くっつけないと本当の議論はできないのではないかということを私は考え、できるだけそういうことをしました。
 今は私もフリーになり、私どもが作ったCBIという学会で化学と生物へのコンピュータの応用を考えています。その中でいくつかの研究を続けようと思っています。
 最後に、私が1つだけ今までの議論でつけ加えたいと思うのは、今日のコミュニケーションというのは、企業、市民、行政の中で、研究者の社会というのが非常に大きいのではないかと。つまり、出されている情報は膨大にあり、アクセス可能なものが非常に多いわけです。だから、やはりそれを無視せず、このように中に入れてしまう手があると思います。しかしながら、やはり研究者の世界というのは行政からも企業からもある意味で独立した科学の世界です。市民からも少し距離があります。そういう意味でこの4つの要素があるのではないかと思いました。
 もう1つは、コミュニケーションを図るには研究機関において私がやってきたようなことがサポートされなければいけない。現実にはほとんどサポートされていない。お金がない。このような研究があまりにも地味で、プロジェクト指向のノーベル賞を30人作ろうというような体制では、ほとんどこのような研究はむだというか、やる本人はむだという気になります。これは反論があったら言っていただきたいと思います。
 時間がないので簡単にしますが、私どもは情報と計算機の立場から自分がしてきたことを、今後、一市民としてサイバーアカデミアというNPOを作って続けていこうと思っています。まさに個々の市民がインターネットにアクセスするスキルをラーニングすること、そしてその情報を活用する、また、学習の機会を作ることが必要ではないかと思います。たぶん個々の非常に充実したコンテンツは、もう既に行政の方も企業の方も出していくような時代になったのではないか。これは情報公開法とリンクしていると思います。時間が非常に短いので、簡単に説明しました。

(司会) ありがとうございました。若干ご質問、ご議論をいただく時間を用意したいと思いますが、何かございませんでしょうか。特に何かご質問はございませんか。

(神沼) 国立衛研のウェブサイトはすぐわかると思いますので、ぜひ見ていただければと思います。そこに検索エンジンがあります。私たちは検索エンジンは非常に重要だと思っています。それは例えば私たちのところに行って、神沼の話したのはいったいどこにあるのだろうといったときに、キーワードを入れれば、国立衛研の検索エンジンであれば国立衛研がカバーしているものは全部検索可能にするもので、これは我々が自分たちで実際に作ってみました。
 今後、この種のものが非常に重要ではないか。もし将来において、化学物質に関してそういうリスクコミュニケーションが行われる基盤をもっと整備するためには、こういうポータルサイトをぜひ作るべきだと思います。ポータルサイトというのは、商業的にはヤフーなどがよく知られていますが、こういうリスクコミュニケーションのためにこそポータルサイトはあるべきだと思います。

(司会) ご質問をどうぞ。


(有田) 提言の中に3つ書いてあるのですが、市民の側にはこういうものが必要だということが、インターネット利用技術の習得と知識となっているのですが、例えば企業側に求められるものはどういうものがあるか、もしお考えがあったらお聞かせいただきたいのですが。

(神沼) これは私としてはバランスの問題としてあげたものであって、行政、研究と比較して見ますと、全体として市民のところが非常に欠けているということです。企業に関してはむしろよくやられていると私は思っています。また、企業がもっと頑張るかどうかということは、やはり市民の中から問題を提起するかどうかによるのではないか。これは私の個人的な感想ですが、今まで自分がしてきたことから見ますと、世の中の変化からいうと、力点を置くべきは市民のところではないかと思ったのでそのように書きました。企業の方にもいろいろなことがあると思いますが、相対的な問題として考えています。

(司会) ありがとうございました。ほかにございませんでしょうか。どうぞ。

(山元) レジュメの2ページに、「価値観を共有しないと合意はありえない」、「価値観を共有しなければ科学的な証明で相手を納得させることはできない」。おっしゃるとおりだと思うのですが、その価値観を共有するためには何がポイントかというお考えがもしあれば教えてください。

(神沼) それは非常に重要な問題で、私は、最初に言いましたように、もともとは理論とか数学が好きな人間なので、リスクコミュニケーションには一言あるのです。しかし、そういうことを言ってもむだだという感じがいたします。なぜかというと、例えばリスクの確率論とか、そういうことを言ってもほとんど一般には理解されない。確率が測度だとか、測度はどうだとか言ってもしょうがないことです。そこで、むしろ価値観が重要だと。自分たちの生活の中で価値観は形成されますので、おそらくリスクコミュニケーションとの関係でいえば、あまり科学的な議論をリスクコミュニケーションに関して展開することは無意味だと私自身は思っています。むしろ実践的に情報を出したり、コンテンツを作ったり、コンテンツを作ることを支援することが重要ではないか。そういうことをすることを通じてその中にさまざまな出会いがあり、価値観が形成されてくるのではないかと思います。やはりあるところ、ある情報を自分が見ないと価値観が形成されないように思うのです。そのような意味で書きました。

(後藤) ご提言の中で、「市民にはインターネット利用技術の習得だけでなく、情報を活用できる知識が必要」とありますけれども、市民が情報を活用できる知識が必要だというのはちょっと無理だろうと思います。すべての市民がそんな知識を持てるわけがない。そういったものを活用できるNGOを育てることは必要だと思いますが、こういう言い方をすると、企業サイドから市民が知識がないからだめなのだというかたちになってしまうと思います。それから、企業がよくやっているというお話でしたけれども、ハザード情報は必ずしもまだ企業の方で十分に研究も発表もしていないと思いますので、企業サイドが十分やっているというのは違うのではないかと思います。

(神沼) コメントしていいですか。

(司会) コメントをどうぞ。

(神沼) 後の方は違う、違わないというのはおっしゃるとおりかもしれません。ただ、私はこれから何が必要かというときの相対的な意味ということで申し上げました。ですから、それは私のポイントとはちょっと違うと思います。

(司会) どうぞ。もしご発言が必要でしたら、国際会議並みに名札を立てていただけましたらわかりますので。

(神沼) 市民がわからないということは、私はないと思います。各市民が的確な知識と理解力を持たない国は、少なくとも私の理想とする国ではありません。サイバーアカデミアというのはそういうことをしたいと思いました。なぜかというと、現在、例えばものすごい勢いでサプリメントとか栄養食品が使われていますね。これは根拠がありますかどうか、私は今少し興味を持って調べています。これらは化学物質そのものです。私たちは、このようなものを熱を冷ますために、傷を治すために使っているわけです。実際それが使われている量を見ますと、各市民がこういうことを理解すべきだと、するところまでもっていかなければいけない。それはどうしたらいいかということで、そのどうしたらいいかというときにNGOなりNPOの方がメンバーとしてそれを助けるということはいいと思いますが、私は最終的には各市民がそのぐらいの知識は絶対持てると思っています。


(小林) 今日のご説明の中の今のご提言については、私はまだホームページを拝見してないし、その中身については何も知識も持っていないので、それについてのコメントはできません。ただ、3つのご提言で、後藤さんの発言と共通する部分と少し違う部分とがあるのでが、私は企業といっても小売業ですので、非常に一般市民に近い側からの発言になると思います。確かに無料でこんなにいい情報が見られる、それを一般市民がインターネットの利用技術を習得し、その情報をきちんと認識できるということはすばらしいことだと思います。けれども、私はそういうことを理解できる、活用できる、そういう国民性を持たなければだめだ、そういう国でなければだめだということはおっしゃるとおりですが、私の感覚としては、そこに至るにはかなり長い時間が必要だと思います。どうしたら本当に理想とするそういう社会ができるのだろうということにこの円卓会議が活用できれば、本当の意味の円卓会議になるのだと私は強く思います。このテーマ、先生のご提言だけでも、きちんとどうすれば本当に正しい情報が伝わり、そのことを受けて市民の方が混乱しないで、すべて危険だというふうにならない、あるいはきちんと自分の正しい判断で選択できる、どうすればいいのかということをぜひこの円卓会議を使って共有して啓蒙できるようにしていただきたいと思いました。

(司会) あと1分ぐらいで移りたいのですけれども、後でまとめてでいいですか。時間がこれだと30分以上延びそうな気配になっています。申し訳ございません。後で3人の先生に共通のご質問の時間を取りたいと思います。神沼さん、ありがとうございました。
 それでは、続きまして浦野さんからご発表いただきたいと思います。浦野さんは横浜国立大学大学院環境情報研究院教授です。よろしくお願いいたします。

(浦野)
 社団法人日本化学会の化学物質のリスクコミュニケーション手法検討会で、旧環境庁、旧通商産業省の支援のもとに平成9年度から11年度まで検討を行い、その検討の経験を元に、リスクコミュニケーション手法ガイドを作成した。リスクコミュニケーションを行うにあたって、それぞれに誤解が多い。これからのリスクコミュニケーションでは、情報交換と議論を行い、信頼関係を構築することが重要である。


 こんにちは。私の資料になぜか「先生資料」と書いてあるのですけれども、環境省はこれから気をつけた方がいいと思います(笑)。
 今日の私の話は、実は話をしたいことはたくさんあるのですが、私がたまたままとめ役をして日本化学会で平成9~11年の3か年かけて検討し、その検討をもとに作成しましたリスクコミュニケーション手法ガイドの基本部分についてお話ししたいと思います。平成9年度当時、計画は8年度にしたわけですが、5年前には化学物質のリスクコミュニケーションについて誰も言わなかったのです。それが急速にこういう円卓会議にまで発展しました。それを見越して3年間、業界の方、あるいはNGOの方、学者の理系・化学系の人もいますし、人文系の方もお入りいただいて、旧環境庁と通産省の支援のもとに、外国の事例あるいは国内事例も含めていろいろ検討してきた成果が、お手元にパンフレットを入れさせていただいています。宣伝というのではなく詳細目次がついていますのでそのままお届けしました。ここに私たちグループの、ガイドという形で、ある意味での提言が書いてあります。神沼先生のように3行で書くというわけになかなかいかないのでこういう形になっています。
(パンフレット目次)
 私は大学を出た当時、もう三十数年前から、化学物質の安全という公害から環境問題、様々なことをしてまいりました。今年4月から環境情報研究院の所属になっていますけれども、今までは物質工学科の環境安全工学の研究室ということで、化学物質の環境安全を専門でやってきた者です。
 今日はこの本の第1章の「リスクコミュニケーションの必要性と基本」という部分の概略をご紹介して、これからリスクコミュニケーションをしていくうえで何が大事かという議論の種にしたいと思っています。現在、既存の規制環境法令もあります。PRTR法で、間もなく情報が集まって公開されます。情報公開法もできました。ISOとかレスポンシブル・ケアとか自主的な取り組みも進んできていますけれども、いろいろな事故とか土壌・地下水汚染、ダイオキシン、環境ホルモン、シックハウスなど、新聞ざたになるような話題が次から次へとでてきています。こういう中で市民は、化学物質に大きな関心と不安を持っています。いろいろなアンケートをしても化学物質に対する不安はかなり強いという結果が出ています。そういった中でどうやってリスクコミュニケーションを図りながら適正なリスクの低減を図っていくのか。この部分が非常に重要と考え、どうしてもこのリスクコミュニケーションを間に挟んで管理をしていかざるをえないというか、それが正しいやり方だと我々は思って単なる学術的なものだけではなく、ガイドを作ってきたわけです。
 いろいろな場合にリスクコミュニケーションが必要になります。まず、過去の不良債権のようなものですが、大気や水質の汚染事故とか不法投棄や土壌・地下水の汚染、例えばPCBとかフロンもあります。土壌・地下水汚染は、過去のものでいろいろ始末しなければいけないものでリスクコミュニケーションをしなければいけません。また現在、いろいろな製品に不安がある、問題があるという場合、あるいはPRTRのように現在運転している、操業している工場や研究所のリスク、あるいはごみ焼却場とか上下水道も含めて現在の操業の問題があります。これから将来、行政その他が新しく事業を起こす場合、あるいは工場が新設、増設される場合、あるいは既存の施設でも大量に危険物を抱えている、貯蔵している場合、それをどのように予防的に事故の被害を少なくするか、毒性とかハザードはある程度あるものは持っているけれども、それがリスクにつながらないように事前にどう対応するかというなど、過去、現在、将来それぞれにリスクコミュニケーションを考えていかなければいけないということになります。
 リスクコミュニケーションをするときに、現状はかなり誤解があるのです。一般の方も企業にとっても行政の方もさまざまな誤解をしているために、なかなかコミュニケーションがうまくいかないということで、誤解というのを事例として10個挙げてあります。これは手許の資料に書いてあります。
 アンケートをしましても、化学物質というのは、これは安全だ、これは危険だとすぐに市民はどちらかに分けたい。日本人はどうもそういう性格で、善か悪か、敵か味方かを単純に割り切りたい性格のようで、こういうことが多いのですが、実際は神沼先生のお話にもありましたが、化学物質というのは取り込みの量、もう1つ時期の問題もありますし、それがどのぐらいの期間かとか、そういったものによってもリスクの程度は変わってきます。食塩などでも大量に摂れば当然腎臓病になったり、あるいは食塩で自殺することも可能です。一方、青酸カリでも微量ずつ摂っていても何の影響もない状態が起こるということもありますし、PCBのように体にたまってじわじわと一生の間にいろいろな影響が出てくる可能性があるものもあるということで、それぞれリスクというのは単純にイエスかノーかという判断ではないということです。
 当然、我々が生きていくうえでたくさんのリスクがあります。化学物質についてもいろいろなリスクがありますので、リスクをより小さくする努力を永久にしていくのだという姿勢で取り組んで、ゼロにはできないが、小さくすること、を永久に努力する。例えば交通事故ゼロ運動とかゼロエミッションとかよく言いますけれども、あれは一種のスローガンで、車がある限り交通事故は絶対にゼロにはならない。しかし、それをゼロに近づけていく、少しでも減らせるように永久に努力をしていく。化学物質についても同じように考えなければいけないと思っています。
 次の誤解は、マスコミ情報ですけれども、実は一昨日、私どもの関係の研究会がテレビのニュースに出たのですが、納得できないコメントが勝手に入れられるのです。そういう意味でマスコミというのは、信頼度の高いニュースでも、必ずしも正しい情報が流れているわけではない。しかし、実祭にアンケートを取ってみると、ほとんどの人、企業の方でもマスコミから情報を得ている方が非常に多い。それをよく考えて、マスコミの情報は入り口にする、こういう話があるらしいという入り口にして、それからさらにもう一段深いところは自分で元情報を探していくという努力が必要であるということです。
 4番目の誤解は、化学物質のリスクについて科学的に解明されているのではないかというものです。だから、科学的に議論を進めて科学的に物事を決めるべきだと。特に理工系の方や行政で対応する方はそういう方が多いのですけれども、実は化学物質の中で毒性情報がそろっているものは非常に少ない。ほとんどのものはわかっていない。神沼先生らが一生懸命毒性情報を集めていただいて公開していただいていますけれども、わからないことがたくさんあります。
 それから、今日の午前中、私が委員長で大気のモニタリング手法の検討会を環境省でしてきたのですが、曝露の程度を知るには測定しなければいけません。ところが測定の頻度、場所がとても不十分、あるいは間違っているのではないかと思われるところもたくさんあります。そういう意味では曝露の程度についてもきわめて情報が不足しています。そういう中でリスクを評価せざるを得ません。そうはいっても、科学的なことを無視するというわけではありません。将来変わるかもしれません。現時点で科学的に推計したリスクをできるだけ活用して物事を判断しますが、同時にその知見の不足や不確実性をいつも意識して物事を議論していかなければいけません。その辺をまちがえて、何でも科学的にするべきだというと、永久に科学データはそろわないですから何も決められないということになりかねません。そこの点はぜひ誤解のないようにすべきだと思います。私は科学者ですから、できるだけ科学的情報を集めたいとかそろえたいとは思っていますけれども、誤解のないように。
 学者は客観的にリスクを判断しているという、どうも学者に聞けばいいのではないかという誤解をしている方が多いのです。先程、神沼先生のお話にありましたけれども、リスクを判断するときにはどうしても価値観が入ってきます。価値観が共有できれば一番いいといっても、価値観を全員が共有することははっきりいえばあり得ません。そんな社会だったらおかしいです。価値観がみんな同じ国民だったら大変なことになってしまうわけです。ですから価値観は違うのはあたりまえで、その中でこそリスクコミュニケーションが必要なのだと、私はそう思っています。そういう意味で若干神沼先生と立場が違うと思っています。そういう中で、下にマンガが書いてありますが、同じデータを、ある学者はリスクが10だと、ある学者は1だという。そういうことは往々にしてあります。それをどうやってきちんと情報公開して多くの人が意見を出し合い、どういうところで社会を当面動かしていくか、そういうことがリスクコミュニケーションだと私は思っています。
 誤解の6は、先程もありましたが、一般市民は科学的なリスクを理解できないのではないかという議論が盛んに企業の方の一部でもあります。しかし、それは理解できると信じてやるしかないのです。ただ、それをいきなり学者などから直接全国民に説明するというと、それはなかなか難しいですから、そこで当然企業も努力され、NGOも努力され、行政も努力する必要があります。それで一般市民とどうやってパイプをつなぎ、逆に市民の不安をくみ上げてくるか。それこそがまさにリスクコミュニケーションであると思っています。ただ、そのときにやはり科学的根拠のデータを示しながら議論ことは必要です。しかし、それはあくまでも絶対的なものではないという前提で議論を進める必要があると思っています。
 7番目の誤解というのは、情報を出すと無用の不安を招くというものです。これはよく出る言葉なのですが、例えば狂牛病にしても、今は大騒ぎしていますが、少し前に同じことを言うと不安を招くから出さないでこっそりというような話になるわけです。ただ、これからはそういうことを言っていると、あるとき情報が漏れた、あるいは公開されたときに、非常に大きなショックがかかって不信感ができて、その先のリスクコミュニケーションあるいはリスク管理が非常に難しくなります。あるいは莫大な経費をかけないと解決できなくなり、国民負担が増えるということもあります。できる限り出せる情報は早く出す。ただし、あまり関係ない周辺の情報まで最近は出すことがあります。そうするとかえって物事が混乱してしまうことはあります。あるいはよけいな情報を出すと信じられなくなるということがあります。
 そういう意味では、誤解の8、9がそういうことですが、たくさんの情報を提供すれば理解が得られるかというと、莫大な専門的な知識は、専門家にとっては必要なのですが、一般の方に例えばベンゼンの毒性についてこれだけの情報がありますと並べて、あるいはMSDSでもそうですが、「LC50が90mg/kg/day」と書いてあっても、それがどのくらいの毒性があるのか、説明を聞かされてもよくわからないのですね。あるいはそれを紙で渡されてもわからない。そういうことでやはり相手によってどのようにより正しくわかりやすく説明できるか。私どものエコケミストリー研究会ではPRTR対象物質の毒性を棒グラフで表示しています。そういった棒グラフ表示というのも1つの試みです。ですから、詳しいものを全部出せばいいというわけではないということもよくお考えいただかないといけません。
 それから、リスクコミュニケーションというのは何となく自分たちの考えている計画とか政策を理解してもらうためにするのだと誤解をしている方がかなり多いのです。リスクコミュニケーションというのは、合意形成、理解をして、自分たちの方針に合意してもらうためにするというものではありません。政策そのものあるいは計画そのものに、周辺の方とか利害関係者の意見を取り入れて参加を同時にしてもらって相互理解を深めながら物事を進めていくプロセスがリスクコミュニケーションであって、もう決定しているものを説明するのはリスクコミュニケーションではないということです。
 特に10番目が最近多いのですけれども、情報提供とか説明会とかパブリックコメントのようなものをする。これはもちろんするに越したことはないのです。しないよりした方がいいに決まっているのですが、これをしていればもう我々はリスクコミュニケーションを十分にしているのだという誤解をしている人もいます。それは一方的な情報提供のような形ですので、本質的なリスクコミュニケーションではありません。それは入り口の一部だとお考えいただかないといけないと思っています。
 基本的な誤解の話でしたけれども、そういう誤解を図にしてみますと、プリントにほとんど書いてありますが、正確でないマスコミ情報とか、科学的知見の不足、学者の主観的な発言、これは悪い方から取ると、市民のリスクについての誤解、行政・企業が市民の蔑視をするとか、市民団体のゼロリスク要求、行政・企業の不適切な情報提供、こういうものがきちんと誤解されせずに正しくいかないと、対立になって物事が非常に進みにくくなります。アメリカでは6年前に大統領の諮問委員会で環境行政にこういうことがないように、対立してから問題解決をするとかえって遅くなるので、早い時期から利害関係者を含めた議論をしてやった方がかえって環境政策がスムーズにいくという報告をしています。

これは従来型のリスクコミュニケーションなのですが、企業や行政があります。行政は一方的に企業に規制とか法令、指導とかこういうことを一生懸命してリスク管理をしようとします。学者は両方に、こちらにくっついている方とこちらにくっついている方がおられるという構造で、マスコミは企業や行政から情報をもらって市民団体や地域住民に流すというような方向が多かったのです。あるいは行政から広報誌やいろいろな説明会、あるいは企業も説明会と、一方的に市民団体や地域住民に情報を流して、市民や住民から流れてくるのは何かというと、抗議文とか要望書とか陳情とか、そういうたぐいのものしか流れていきません。これでは多少の行き来は何かしらしている、情報は多少行き来しているのですけれども、こういう状態ではコミュニケーションという形にはとてもなり得ません。

 その次の段階の中間段階が今の状況だと思うのですが、もう一段できればこういう形が望ましいリスクコミュニケーションだという形で我々はまとめています。市民団体・地域住民等があって、行政、企業がある。周辺に議員とか従業員とか取引先とかいろいろありますけれども、そういう全体で情報交換、討議をして信頼関係を作り、100%信頼する、あなたの価値観に私は全部合意しますということはないのですけれども、それだけ努力したり一生懸命しているのなら、そこら辺で我慢しようかとか、あなたの努力は認めますという程度など、レベルはいろいろあると思いますが、そういうことをしていくプロセスを大事にすることが必要です。そのプロセスがリスクコミュニケーションだと私どもは考えていきます。

 これが10年前ぐらいにEPAが出した原則、行政・企業のためのリスクコミュニケーションにおける7つの基本原則というもので、プリントには少し詳しく説明も書いてあります。何かというと、市民をパートナーとして受け入れなさい。結果ではなくて、そのプロセスを十分注意深く計画し評価しなさい。さまざまな人の声に耳を傾けなさい。正直、率直、オープンになりなさい。要するにめんつとか縄張りとかで物事を考えないで、正直にオープンにやることがむしろ信頼を得るということです。それから、ほかの信頼できる人や機関と協力しなさい。自分たちだけでしようと思わない方がいいということ。マスコミに対して適切な対応、理解をしなさい。相手の気持ちを受け止め明瞭に話しなさい。要するに相手に合わせて話をすることが必要で、自分たちの言葉で自分たちの言いたいことだけを言うわけではだめなのです。
 これもだいぶ前から米国のEPA(環境保護庁)が出しており、これをもとにEPAは講習会をしたり、テキストを作ったり、いろいろな活動をしています。日本はなかなかうまくいかないのですが、私どものガイドも基本的にこの原則は正しいということで、これに沿った形でのいろいろなガイドを作っています。
 同時に市民に対しても、ここにおられる角田さんにもご協力いただいて、市民に対する7つの原則も作ってみました。対立者と思わないでやりましょうとか、やはりプロセスを重要にして反省しながらきちんと整理しながらやりましょうとか、信頼できる情報を自分たちで一生懸命集めて対応しましょうとか、感情的にならずに要点を冷静に伝えなさいとか、相手を批判するだけではなくて、代わりの案を提案できるようにしましょうとか、批判や提案を謙虚に聞きましょうとか、他の市民団体、学者、弁護士さん等と協力関係を取りましょうというような原則を作っています。

 もう1つ、最後になりますが、ちょっと時間もオーバーしていますが、議論をするときにリスク比較についても十分注意する必要があります。資料を拝見させていただくと後の宮本委員からもあるようですが、リスクの比較をとかく学者の方とか業界の方は、例えば交通事故でも相当死ぬ、たばこで相当死ぬからダイオキシンなんて大したことはないとか、そういう話がしょっちゅう出てくるのですが、そういうものはほとんど受け入れられない、あるいは全く受け入れられないというランクに入るのです。例えば、リスクと費用との比較、リスクと便益との比較、職業リスクとの比較、同じ発生源からの他のリスクとの比較、同じ病気を起こす他のリスク、この辺は頻繁に日本でも使われているものなのですが、あまり受け入れられないことです。これはアメリカの化学工業会が各会社の工場長に出したガイドの中の抜粋なのです。化学工業会自身が自分たちで作って、自分たちで気をつけなさいということを出した資料の中に入っているものです。特に全く受け入れられないのは、関係のないリスクとの比較です。食中毒と原子力発電所で事故が起こるのと比べたらどちらがリスクが高いかとか、そういう議論は全く受け付けられないということです。ですから科学的に人の一生に対して死ぬ確率とか事故が起こる確率がどうだという学問的なものと、人が物事を判断する基準は決して同じではないという前提でのコミュニケーションを行わなければいけません。かといって科学的な情報を無視するわけではないということもよく考えてコミュニケーションする必要があると思っています。
 以上が私の今日の発表ですが、もう少し詳しい個別のガイドは、事業者用ガイドと企業用ガイドと市民・市民団体用のガイドという3つのガイドと、それから想定問答集ということで五十の問答が出ています。よさそうな解答と全くだめそうな解答の事例が出ています。それについてはもちろん反対の意見の方もおられると思いますが、反対だ、これはおかしいと思うこと自身がコミュニケーションの始まりだと思って事例として出しています。そういうものも今後参考にしていただければと思っています。以上です。

(司会) ありがとうございました。22分55秒発表いただきました。後ほんのわずかしかないようですけれども、何かご質問はありますか。どうぞ。

(山元) 今のお話で、レジュメの11~12ページの誤解のところで、誤解7~9、情報を出すと無用の不安を招くとあります。一方で、全部出せばいいのか、何でもかんでも出していけばいいのかではなくて、その結論としてその中で重要と思われる情報を落とさず、不利な情報も隠さず、できるだけ偏らないように選んで出す。それがいいということなのですけれども、そのためには何か不利な情報も出すところが評価される、そういう社会的な成熟のようなものも求められるような気がするのですが、そのためにはどうしていったらいいのか、そのあたりの先生のお考えがあれば。

(浦野) 私は長い時間しゃべってご迷惑をかけていますので、この問題はたぶん最後の方で共通した問題として議論できると思うのですが、ご質問だけ受け取り回答は後程ということで。

(司会) よろしいですか。それではそういうことにさせていただきます。どうぞ。


(仲村) 浦野さんのお話は大変よくわかるし、納得できるような気がします。こういう中でコミュニケーションの大切さが1つあるわけですが、もう1つ、絶対がないといいますか、相対で考えるのと、白黒がないと、行政上、やはりこういうものはフレキシブルに対応しないといけないということを言っているのだと思うのです。法制化しようとするとどうしてもデジタル化しなければいけないところもありますし、白か黒かを分けていく。それに対してこういうものは、化学業界はよく知りませんが、例えば我々業界ではよく、「自主規制」というのをしています。自主規制は、結果が変わったら、あるいは状況が変わったら次の対応を変えられるのです。我々は非常にいい制度だと思っているのですが、何か行政の中にもそういう比較的自由度のある、フレキシブルな仕組みを入れていかなければいけないのではないかということを言っているのではないかと思うのですが、そういうことでもいいのでしょうか。

(浦野) 現実に日本でも国際的にも多くの化学物質管理を規制だけでできるものではないというのが基本認識で、そういう方向に世界も日本も動いています。デジタルな規制だけで、基準値を超えている、超えていないという議論だけではないことの1つの典型がPRTR、あるいはそれに伴う自主管理でもあるし、あるいはISOも含めて、そういう方向へ全体が動いています。だからこそ逆にいうとリスクコミュニケーションが必要になってくるということになると思います。


(村田) 10の誤解の中に1つだけつけ加えていただければと思う点があります。それは市民はみんなゼロリスクを求めていたり、それから特に化学物質を排出している企業は全部悪だと思い込んでいるという誤解もあるのではないかと思います。それを加えていただければ大変ありがたいのですが。

(浦野) 実をいうと誤解というのはものすごくあって、挙げているときりがないわけです。今回はよくいわれているけれども、それはどうですかと皆さんに、ご自分たちがそういう誤解を1つ、2つでもしていないだろうかという意味で典型的なものを出しているということです。


(片桐) リスクコミュニケーションは合意ではなくてお互いに理解するためだというのはよくわかりますけれども、価値観がそれぞれ違っているという中で、リスクコミュニケーション自体が途中で行き詰まってしまうというようなことがよくあるのではないかと思うのです。どうしても違った意見の中でもって進めなくなってしまう。そういったときにはどのようにしていったらいいのかという考えがあったら教えていただきたいのですが。

(浦野) これも大きな問題で、私だけがお答えしない方がいいと思いますので、受け止めて、あとでご議論いただければと思います。

(司会) 座長の希望としてはそろそろ次にいきたいのですけれども、いいでしょうか。ありがとうございました。
 それでは、3番目、宮本さんからご発表いただきたいと思います。現在、財団法人化学物質評価研究機構の顧問でいらっしゃいます。よろしくお願いします。

(宮本)
 化学物質のリスクについては、人々の理解がまちまちである。リスクとベネフィットを正確に伝え、リスクコミュニケーションを図ることが重要。内分泌攪乱物質については、不適切な説明が多い。科学者はレギュラトリーサイエンスを進めること、研究成果を分かりやすく伝えることが必要。予防的方策も解釈が様々だが、化学物質との共存のために、正しく理解し伝えるようにそれぞれが取り組む必要がある。情報公開と双方向のコミュニケーションが重要。


 宮本です。早速本題に入らせていただきたいと思います。私の話は、題をつけるとすれば、「適切なリスクコミュニケーションと科学者の役割」です。先程も少しお話が出ていますが、悪い言い方をすると、リスクコミュニケーションを狂わせる最大の原因の1つはサイエンティストにある。私は自分がこれまでその分野でずっと仕事をして、いろいろな事例に直面してみて、そのように思わざるをえないところが多々あると思いました。ですからそういうことも含めて、少しリスクコミュニケーションにおけるサイエンティストの役割とはいかにあるべきか、ということについて皆さん方に少し話題を提供させていただきたいと思います。

 ご案内のとおり、毒性と危険度は一致せず、毒性があったとしても、どういう条件がどのようにそろえば実際にそれがリスクとして出てくるかということをまとめて書きました。一番下に書いてありますが、正しい投与量(ドーズ)が毒と薬を区別する。つまり、ドーズあるいは違う言葉で言うとエクスポージャー(曝露)が非常に大事なのだということが500年来いわれているのですが、いまだにこういう考え方は完全に定着していないという面があるかと思います。

 どのような化合物に毒性があり、どのような状態であればその危険性が高まるか、あるいはどういう状態であれば危険性が減っていくかということを論じて、最終的にはそれを科学的に決めるというのがリスクアセスメントと言われているのはご案内のとおりです。
 それがベースになりいろいろなマネジメントのオプションが出てくるわけですが、そのリスクアセスメントを非常に適切にしようと思えば、ここにあるように、それに関連したベースになるサイエンスが必要になってくるわけです。最近の言葉でそれをレギュラトリー・サイエンスと呼んでいます。必ずしも皆さん、定義が同じではありませんが、仮に申し上げると、規制に関係したいろいろなサイエンティフィックな研究をしていくといえます。ですから、そもそも最初からどういう目的で何をするのかということはかなりはっきりしていますし、当然時間軸もきちんと中に入れてやっていく必要がある、言い方を変えると、これはシナリオ駆動型、シナリオ主導型のサイエンスだといわれることが多いのです。それに対して、全く研究者の興味関心で始められるような仕事を一応ここではピュアサイエンスと分けていっています。これは両方、実は非常に関係があるわけです。一例で申し上げますと、今、バイオダイバーシティということが非常に問題になりますけれども、バイオダイバーシティの問題を解決しようと思いますと、古くさい学問だと思われていた、あるいは思われている分類学をきっちりしておかないといけないわけです。そういったものを全部通じてリスクコミュニケーションが必要だということになるのではないかと思います。

 先程来いろいろお話が出ていますが、これをざっとまとめますとお手元の資料にありますとおり、危険/安全の二分法でリスクは考えられないとか、関連科学の現状から必然的に不確定性がある、これは非常に大事な点で後で少し申し上げようと思います。それから、一般市民の関心だとか懸念だとか好みだとか価値観というものがいろいろあるのですが、それに対して意外と専門家は鈍感だというようなことがあります。例えばリスクに対する理解がまちまちで、3つ例を挙げていますけれども、自動車のようにベネフィットが感知できるとリスクを受け入れやすいとか、目に見えないリスクは非常に過大に考えることが多いとか、そういうことがいろいろあるのではないかと思います。
 そういう意味でのいい例、あるいは悪い例がここにあります。少し古い話ですが、日本の主婦とがんの疫学者の2つのグループの人たちががんの原因についてどのように考えているかということを調べた例があります。圧倒的に、主婦は食品添加物と農薬が原因であると考えています。私はこの根拠を少し調べたのですが、よくわからないのです。10年前の話ですが。それに対して、よく知られているように、専門家は普通の食べ物であり、たばこであり、こういったものががんの原因であるとしています。ですから完全にくい違っているわけです。

 そのくい違いがどうして起こったのかということなのですが、昨今、少なくともここ2~3年を考えてみますと、例えばヘリコバクター・ピロリという細菌がどうも胃がんの原因になるのではないかということはおそらくお集まりの大半の方はご存じだと思うのです。それから肝炎ウイルスのCとかBというのが肝硬変から肝臓がんを引き起こすうんぬんという話はかなりポピュラーになってきているわけです。ですから、そのようなきちんとした科学的な1つの結論がうまく社会的につながっていけば、がんの原因についての認識がおそらくこんなにくい違うことは今日ではないのではないかと思います。ですから、こういった例は科学的ないろいろな知見がいかにこのようなリスクを考える場合に社会的に重要であるかということの1つの例になろうかと思います。

 昨今の例で申し上げますと、内分泌かく乱物質、一般に環境ホルモンという言葉で呼ばれていますが、これも学問的には環境ホルモンという言い方は正しくありませんので、私どもは内分泌かく乱物質といっています。これを見ると、わりあい不適切な説明が多く、そのためにいろいろと誤解を招いているといういくつかの例をここに挙げたわけです。2つの化合物が共存すると、その作用は非常に強くなる。これは細かいことは省略いたしますけれども、こういった増強作用があるということが報告され、それを見たかなりの科学者が、だからこの内分泌かく乱物質問題はこれまでの毒性学の常識では律しきれないのだと言った方が結構います。ところがこれはまちがいでありました。一部の科学者というか、かなりの生化学とか酵素化学の専門家はこんなことはありえないと最初から言っていたわけですが、案の定でした。
 それから、ここ半世紀で人間集団の精子の数は半分に減ったといわれます。これも今日のところはまちがいというか、データの統計的な誤りであって、そんな簡単なことではないので、世界的に1つの基準を統一して調べていこうということで今、国際的なプロジェクトが始まっているのはご案内のとおりです。
 それからフィトエストロゲン、要するに大豆などに含まれているいわゆる植物エストロゲンが非常に人間の健康にとっていいのだという話はあるのですが、一方でオーストラリアでクローバーを食べすぎた羊が不妊になったり、あるいは最近の例ですが、ゲネスティンが実験的に発がんを引き起こすということもわかってきています。そういうわけですから、一方的な説明というのはあまり感心しないわけです。同様に、スチレンのダイマー、トリマーは環境ホルモンであるということが2~3年前にいわれましたけれども、調べてみますと、環境省も経済産業省も厚生労働省も、この結論は必ずしもあてはまらないとしています。皆さんのお手元には少し違った表現をしてあるかと思います。私は少し表現を変えまして、「としてよい」とつけ加えましたが、基本的には同じことです。
 それから、ノニルフェノールが魚に対して非常に影響があるのではないかという話があります。これは実験室的には確かにそうなのですが、野外でははたしてそうなのかという事例をいろいろ調べてみますと、一番有名な例は英国の川でのローチというコイ科の魚に対する影響ですが、これは何のことはない、雌が出すいろいろな女性ホルモン、それから人間が飲むピルのたぐい、そこから出てくるホルモンの方がはるかに強い、そちらが主原因だというように最近はだんだん話が変わってきています。

 野外の問題というのは一言で申し上げますと、非常にややこしくて難して、化学的なストレス以外にいろいろな要因が絡んでポピュレーションが減ったり増えたりするということがあるわけですから、後でもまた申し上げますけれども、実験室的にある結果が出たとしても、野外でも起こるというように即断しない方がむしろいいということに専門家の間ではほぼ意見が一致しているのは、これもご案内の方は多いと思います。
 そういうことがありますので、国際的にこの問題は非常に混乱しており、私にこの国際プロジェクトを担当するようにという話が数年前にあり、今、このプロジェクトを担当しています。ここでSCOPEというのがありますが、これは非常に重要な団体ですが、知っておられる方は非常に少ない。私も実は数年前までは知らなかったのですが、何しろ30年の歴史があります。簡単に言うと、国際学術連合、例えば私が主としてボランティアでやっていますのは、国際純正応用化学連合ですが、そうした国際何とか連合というのが自然科学の分野で25あるのです。それがまとまって国際学術連合評議会というのを作っており、その環境関係のアクティビティがSCOPE(Scientific Committee On Problems of the Environment)です。そこから私にこういう国際的なプロジェクトをしてくれないかという話がきて、スタートしてから今で2年ですが、準備期間も含めれば4年以上かけて今やっています。細かいことは時間の関係もあり省略しますが、たまたまこの関連のシンポジウムをこの11月に横浜で開催されますので、この円卓会議にお座りの方にはセカンド・サーキュラーをお手許にご参考までに置いておきました。もしオブザーバーの方で必要な方は申し出いただければ差し上げることができると思います。
 いわばここまではイントロダクションで、本題に入りたいと思います。安井先生、時間を気にしておられますか。まだありますか。
 そこで、科学者がリスクコミュニケーションについて何をしないといけないのかということです。ここでは化学物質の総合管理と書いてありますけれども、1番に、先程申し上げましたように、レギュラトリー・サイエンスをきちんとする。つまり、厳密な科学研究の遂行です。非専門家の方には非常にわかりにくいことだと思いますが、簡単にいえば、実はかなりいいかげんなレポートが出るのです。これにはいろいろな理由がありますが、理由は省略します。調べると、いろいろな理由で結構いいかげんなデータが堂々とまかり通る。かなりりっぱな学会誌にもそれがまかり通っているということがあります。そういうことがあったら困るわけです。
 2)は、きちんと試験研究をして結果は当然出てくるわけですが、誰でもそうなのですが、自分の出した結果は少し拡張、拡大解釈したいわけです。それが間違いのもとになります。ですから、ここには「特定の科学的知見に関し起こりそうな結果を過大視しない」という表現にしていますが、厳密に科学の論理に従って得られた知見を拡大解釈しないことです。残念ながらこれはかなり多く、困ります。
 次は、もう少し端的にリスクコミュニケーションに関連したことですが、言葉の説明は後ほど丁寧にするということで、研究成果の平易かつ的確な伝達・解釈です。そういったことのためには、先程来出ていますように、自然科学者だけではできませんので、社会科学者とか人文科学者も一緒にやっていく必要があろうかと思います。そういうわけで、我々の方で見ていますと、有害性とリスクを混同して世の中へ発表する科学者が結構多いわけです。それから、先程申し上げましたが、実験室で起こったことが即、野外の環境で起こると言いたい人もいます。
 このin vitro、in vivoはわかりにくいかもしれませんけれども、体の例えば肝臓でもいいですし、血液でもいいですが、取り出して試験管内である反応を起こさせる、ある実験をする。それから得られた結果を我々はin vitroといいます。それに対してまるごとの生物を使った実験のことをin vivoといっています。In vitroとin vivoは普通は一緒ではないのです。ところがin vitroの実験をして、つまり試験管内で肝臓なら肝臓、血液なら血液を使って実験をした結果を、それをもって動物の中でそういうことが起こっていると言う人がこれまた結構あるわけです。また、科学者にとって大事なことは、過度に警告的、煽情的にならないこと。それから、当該リスクに対する見解が専門家によって違うことが当然ありうるのです。ですから、マスメディアの方などと話をすると、専門家に聞いてあることを報道するについて正しいかどうかをきちんと検討しましたと言うのですが、それは間違いのもとで、1つのことに対する解釈が確定するまでにはいくつかのステップがいりますので、1人だけに聞いていては危ないのです。そういった点はやはり情報を発信する方も気をつける必要があります。
 後ほど申し上げますけれども、precautionary principleであるとかprecautionary approachに対して科学者はしかるべき責任があります。

 ご存じの方も多いと思いますが、precautionary principleというのは、UNCEDのアジェンダ21の第15章で、「化学物質の悪影響から人間、生態系を守るために予防的アプローチがそれぞれの国の能力に応じて広く適用されなくてはならない。深刻なあるいは不可逆的な損傷の起こる恐れのある場合、科学的確実さが十分でないからといって、それを理由にして環境破壊を防ぐための費用・効果的に意味のある政策を延期してはならない」。と定義されています。
 具体的にもう少し詳しく説明すると、いろいろ調べてみるとprecautionary principleのバージョンが非常にたくさんあって、いろいろな法律や宣言、国際的な条約の前文などに入っています。それが定義や基準を欠いているために、うっかりこれを適用すると間違いが起こる。先程申し上げましたように、リスクの概念はいろいろなファクターで成り立っているので、慎重さの原則、ここでいうところのprecautionary principleをうっかり持ち込んではいけないとか、いろいろなことに気をつけないといけないわけです。まして、慎重さの原則というのは科学とか学術の進歩と相対するものではなく、それと双方的に進めていかないといけないということになるわけです。
 さて、その中で科学者は何をしなければならないか。①~③に書いてありますが、不可逆的な損傷の恐れとはどのような証拠によるのか、潜在的に有害な活動の限界、つまり隠れているわけですが、ちょうどマグマがずっと上がってくるように、どこまで上がってくると実際に問題が起こるのか、そこのところの決め手をきちんと科学者が提案する。それから、そういうことを含めて、どのような事前予防的な措置が実際に有効であるのか、こういう点について科学者は社会的に発言をし、あるいは研究をする必要があると思います。

 これは提言というほどでもないのですが、リスクコミュニケーションをうまく進めるためには、それぞれの社会の階層がそれぞれ役割を果たさないといけない。市民は正しい理解への努力が必要だ。先程ありましたように、市民というのはそんなにばかかということですが、そんなことはないと私は固く信じています。勉強すれば、それだけの理解力は増えると思っています。皆さんがお考えのとおり、例えば携帯電話とか自動車というのは今から50年前にはなかったわけです。結構理屈も頭に入れたうえでそれを使いこなしています。ですからそういった意味で、市民の正しい理解への努力をもう少しオプティミスティックに考えたらいいのではないか。
 科学者は、正しい知見の取得とその正確、平易の伝達が必要です。
 産業界はレスポンシブル・ケアということをかねてから言っていますが、もっと積極的かつ具体的にそれをしていただき、やはり市民から見て産業界はきちんとしているなというのが目に見えるようにしていただく必要があります。
 ニュースメディアは、センセーショナリズムというのはマスメディアの1つのアクティビティとして欠くことができないものかもしれませんが、正確かつ多面的に報道する。
 行政当局は科学的な的確な措置をしてこれを推進する。
 非常に簡単ですが、もし提言ということであれば、リスクコミュニケーションについてそれぞれ社会の各階層がしなければならないことはこういうことではないかと思います。
 いずれにしても、化学物質あるいは化学というのは影の部分と光の部分があるわけですから、それをきちんと認識すること、リスクに対してきちんとした認識あるいはベネフィットとの関係をきっちりととらえること、そのためには、再三いわれていることですが、情報公開と議論の透明化、双方向のコミュニケーションが必要であるということは申し上げるまでもないことだと思います。
 簡単ですが、プレゼンテーションを終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

(司会) ありがとうございました。数分間のご議論を。どうぞ。

(後藤) 誤解のないように申し上げておきますが、私は市民がばかだとか、理解力がないと言っているわけではなくて、すべての市民が知識を持つことは不可能ですよ、だからNGOが必要だということを申し上げました。それから今のご発表ですが、前の国立環境研究所の所長で、その後、人事官をなされた市川先生が昨年出された本に『暴走する科学技術文明』というのがあります。その中で「サイエンスが扱えるのは森羅万象の8分の1事象である」というように書かれているわけで、専門家が努力されるのは重要なことでありますが、たかだか8分の1事象しか扱えない科学にあまりにも頼るというのは非常に問題があると考えています。

(宮本) 8分の1でも10分の1でも私はいいと思うのです。私が申し上げたのは、8分の1とか10分の1の問題ではなくて、8分の1、10分の1であったとしても、これはきちんと皆さんが理解するようにいたしましょうということが大事だということを申し上げたのです。

(後藤) それは同感です。

(司会) どうぞ。


(角田) バルディーズ研究会の角田です。今の科学がリスクコミュニケーションにとってとても大切だというお話はよくわかりますし、浦野先生が座長であったときにも科学の大切さということは十分認識されていたと思いますが、科学といっても、こういう言葉はあまり使いたくないのですが、専門ばかという言葉がありますように、1つの科学の領域については詳しくても、ほかの科学の領域については全く詳しくないというような専門家がマスメディア等に登場して、また混乱した情報を流すということは多々あるわけです。リスクコミュニケーションというのはその後に意思決定がそれぞれあるわけですが、その意思決定に対して科学者がどこまでできるのか、といったところは議論が必要ではないかと思います。その辺はリスクコミュニケーションと科学者に関してもう少し議論が必要かと思いますし、先程言われた社会科学者とか、あるいはイギリス等でやっているパブリック・イン・サイエンスのような、一般市民に科学をきちんと伝えるというようなところがまだまだ日本では不十分だと思いますので、その辺も必要ではないかと思います。

(司会) コメントはいいですか。

(宮本) お答えすることはいろいろあります。専門ばかというのは2つの意味があると思うのです。本当に1つのことに徹しきってとことんやるということが1つ。ただし、先程申し上げたように、自分がやった結果あるいは自分のフィールドで得た結果を、自分が関係のないところ、あるいは自分が専門でないところへ拡大してものを言うのは厳に慎むべきだろうと思います。それから、私はサイエンティストの立場で申し上げたのですが、冒頭に言いましたように、リスクの問題というのは特に自然科学者だけが扱えるものではないわけですから、そういう意味で考えると、自然科学あるいは自然科学者の役割を過大視するのは非常に危険だと思います。ただし、これを軽視してもいけないということです。むしろそういうわけで、いろいろな点で科学者がしていることがおろそかになっている、リスクの伝達ということからすれば、やっている人もおろそかにやっているし、受け取る方もいささかきちんと受け取るということが足りないということではないかと思います。

(司会) ほかに何か。中下さん、どうぞ。


(中下) 科学者の方々がそれぞれ自分たちのことを反省され、自己研鑽を遂げられるというようなことは大変結構なことだと思います。ぜひやっていただきたいと思うのですけれども、私ども弁護士の立場からすると、やはり化学物質によってさまざまな被害が発生してしまったということについては、深刻に受け止めざるをえないのではないか。つまり、科学者の方々が自己研鑽をいろいろ頑張られても、やはり限界があるということを示しているのではないだろうか。市民が感情的になるとか、不安感を過剰に持つというようにも言われましたが、それは感じ方はいろいろあるのでしょうけれども、その不安感に基づいて厳しい対策を要求するということは決しておかしなことでもないし、むしろ未然防止という点からは、そちらの方が正しかったということもあるのではないか。これはBSEがまさにそうではないかと私は思うのですが、この点についてどうお考えかということです。

 それからもう1つ、スチレンダイマー、トリマーが環境ホルモンであるというのはまちがいだというお話でしたが、つい先日、井口泰泉先生のお話を伺い、実はミジンコに対する影響が出ているということが判明したとのことです。これも科学的知見というのは、その時点のものにすぎず、刻々と時間を重ねていけば変動していくということの表れではないかと思います。これは浦野先生が発表されたとおりなのですが、科学を絶対視するのではなく、常に疑いの目を持って科学をとらえ、科学的解明の不断の努力を重ねていくという姿勢こそが大事で、ただし、そのときにどういう対策を取るかは、科学者だけで決めるのではなくて、そういうリスクコミュニケーションを通じて市民の決定というものがむしろ正しさを持つこともあるということを考えるべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

(宮本) ということを申し上げたつもりですが。一言だけ、サイエンスに対して弁解をさせていただくと、この例が一番適切かどうかは別ですが、DDTというのがありました。作られたのは19世紀ですが、殺虫力があると認識されたのは1930年代の後半です。あれで何百万人の人の命が助かった。だから、ミューラーというそれを見つけた科学者はノーベル賞をもらった。ところが今になってみると、それだけではなかったわけですね。ところで、サイエンスのために弁解をさせていただきますと、あの時点のサイエンスのレベルで毒性学だとか環境に対する影響を調べる手だてはなかったということも事実なのです。ですから、私どもは今日わかっていることはこれだけ、これに基づいてある判断を下しても間違いがないという範囲はここ、そこを外れたら危ないということを非専門家の方にきちんと言わないといけないわけです。何でもサイエンスあるいはサイエンティストはできるとは私どもは決して思っていないわけです。ところが、サイエンティストの中に意外とそういう人がいて困るのです。

(中下) 未然防止のためには、そういう不確実な場合にどういうアクションを取ればいいとお考えですか。

(宮本) それは最後に簡単に申し上げましたが、未然防止をしないといけないのはどういうケースなのか。

(中下) あらゆるケースについて。

(宮本) いやいや、そんなことを言ったら、着ているものもだめ、食べ物もだめということになりかねません。今日は時間がなかったから言いませんでしたが、我々がふだん食べているものがどの程度安全かというと、最近のトキシコロジーのレベルで言えば、10倍食べたら危ないものはいっぱいあるわけです。しかし、幸いして10倍食べない。トマトを日に3つ食べる人はいても、30個食べる人はいない。だけれど、30個食べたら中毒するのです。実際はそういうことなのです。ではトマトをやめるかというと、やめなくていいわけです。我々が食べているのは危険のレベルの10分の1だからです。それぞれの時点の判断で、これは放っておいたら大変なことになるということなのか、例えば、トマトを10倍、30個食べる人が一杯いるということになったらこれは少し調子が悪いということになるわけです。ですから、それぞれのケースでもってきちんと考えましょうということなのです。

(中下) 被害が発生しないとわからないわけではないですか、今の話だと。

(宮本) いや、そうではないです。それではまずいですよ。だから実験室的に、あるいは野外の観察で起こったとしても、それは大したことではないのか、放っておいたらものすごいことになるのかという判断をもっときちんとしましょうということなのです。

(浦野) ちょっといいですか。私が半ば関わっているようですが、宮本さんがおっしゃるのは矛盾があるのです。科学的にわからないと言っておきながら、ちゃんとどういうときにどのようなリスクがあるかは判断してから予防原則を選びましょうと。そこは大きな矛盾なのです。例えばトマトを30個食べたら被害が出るということがわかっていればいいですよ。3個なら出ないということがわかっていればいい。ところがわかっていない場合にどうしますかというのが予防原則です。ですから科学もここまで出ました、しかしこれを高いリスクで見るとこのぐらい、低いリスクで見るとこのぐらい、あるいはこういう可能性もあります、あるいはこういう可能性はないですというような将来の可能性についても、それはあくまでも可能性だということをきちんと言ったうえで、ある程度の将来予測をしないとならない。学問というのは、やったことしか言えないのではなくて、しないことも推計できるからこそ学問なのです。ですから、その辺は工学などは特にそうですが、現場の実験を全部してみなければ装置設計ができないのであれば学問にならないわけですから。しないことがどこまで推計できるかということについて、限界もはっきりしなければいけません。ここまでは推計、こういう仮定の場合にはこうなるということは明確にしなければいけませんが、やったことしか言ってはいけないとは言えません。わからないからこそ予防原則がある。わかっているときに予防原則はいらないというのは結構ですが、ということで、その辺を明確にしておく必要があります。

(宮本) そのとおりです。だから、わかる、わからないというのを何で判断するのかというときに、サイエンスがやはり必要ですよと言っているわけです。

(中下) いらないとは言っていません。

(宮本) 私が申し上げたのはそういうことです。だから、申し上げたように、precautionary principleといっても、国によって、それからあてはめるところによって、みんな違います。一律にはいかないから、結局日本の社会で何が問題なのかということを考えるのはとりあえず日本人、我々なわけです。だから、隣の国のprecautionary principleのアプリケーションのしかたは必ずしも日本の役には立たないこともあるわけです。

(司会) 未然防止の話は非常に重要でして、今日とても結論が出るわけではありませんので。

(仲村) 話題が変わりますが、宮本さんに1つ質問です。科学者の役割はまさにこのとおりだと思うのですが、実際、情報を市民に伝えるという意味で、私も技術屋なのですが、技術をお客様に伝えようとすると非常にプロダクトアウトといいますか、やったことの説明だけで終わってしまうわけです。そうするとほとんど伝えきれずに、非常にフラストレーションがあるわけです。ですから、実際は広報の、人間を知っている立場から言葉を変えて作ってもらって伝えるという努力をしているわけです。科学の世界でそれをしようとすると、1つは後藤さんがおっしゃったようなNGO的な役割がいると思うのですが、科学者のサイドからはフラストレーションはありませんでしょうか。あるいは力が至らないなと思うところは。

(宮本) それはだれでもそうで、自分がしたことを100%満足というのはないと思います。でもやはり相手によって、本質は一緒だけれど、ものの言い方を変えるとか、相手の理解度に応じてものを言っていくということは非常に大事なことだと思います。そのことについて、私は必ずしもそんなに悲観はしていないのです。

(仲村) 姿勢はそのとおりだと思うのですが、僕の意見としては、やはり社会的にそれを考える専門の仕組みを作っていかないとと思います。

(宮本) それがいらないと言っているわけではありません。

(仲村) 専門家は弱くなりがちだということですね。

(宮本) それは何とも言えないな。

(司会) 順番もありますけれども、そろそろ宮本さん以外にもご質問がもしあればということでいただいても結構です。

(有田) 先程、浦野さんから言っていただいたので1つは解決したということでもないのですが、先程、宮本さんがおっしゃった中で、こういう発言をされると市民は正しい情報でもひょっとしたら何か隠しているのではないかと思ってしまうというところがあったのです。つまり試験管内でやっていることが生体内で起こっていることとイコールではないのにそれを説明に使う。でも逆の場合もあったりするので、その場その場で説明のしかたが変わったりするのはどうなのだろうと思ったりするというようなことをどうお考えですか、と聞こうと思ったのですが、それはいいです。 もう1つは、現時点での情報なのですが、市民団体もゼロリスクにはできないのだという情報もちゃんと流しています。ある時点では、添加物の話がずっと出ていましたが、それは過去の消費者運動では添加物がすごくわかりやすく、当時は例えば黄色4号、5号はうんぬんといういろいろな情報が流れていたこともあります。でも、その後どうだったかというと、新しい情報がちゃんと伝えられて、全部の添加物、合成物が悪いというわけではないという情報を流した。ただし、それ以上の嫌か嫌ではないかいうのは個人の問題です。べつに私はマスコミ関係者ではないので弁護することもないと思うのですが、宮本さんが新聞をお読みになったらよくおわかりになるのではないかと思うのは、両方の視点がちゃんと載せてあって、わりにそういうふうにマスコミもなってきているかなという感じもあったりして、ただ単にあおるというふうにはとらえていないのです。情報もそこから先はどこに聞けばいいかとこちらも情報を探しています。だからこそやりとりが必要なのだと思うのです。意見と質問とがごっちゃになって申し訳ありません。

(宮本) おっしゃるとおりだと思います。私が言ったのは、ある事象を報道するについて専門家の意見を聞いたからいいのだという言い方は単純すぎますというケースがあるというわけです。

(有田) 手短にと思っていたのですが、もう1つだけ。「正しい理解のために」の科学者の役割という5番目のところがありますね。そのところで3つ挙げられているのですが、ただしこれをそのようにしたとき、いろいろな考え方の科学者がそれぞれ意見を出してしまったら、それは結局どこでどのようにするのですかと聞きたかったのですが。

(宮本) それは簡単と言ったら語弊がありますが、それは簡単なことだと思います。やはりいろいろな人がいろいろな意見を言う。科学者のいろいろな人がこの問題について、自分はこう考える、自分はこう考えると。やはり科学者の中で、「お前はそんなあほみたいなことは言うな」とか、「それは科学者としては全然論じられないようなあほみたいなことを言っている」とか、「お前の意見は正しいのだ」とか、そういうのはやはりおのずから出てくるわけです。だから、科学者の中でもそういう意味でのコミュニケーションというのを必要な場合にはもっときちんと取らないといけない。

(有田) そういうことは現実に行われる場があるということでおっしゃっているのですか。

(宮本) そうです。いつも満足すべき状態でそういうことが行われているとは必ずしも申し上げられませんけれども。

(有田) これからの理想的なあり方の1つですね。

(宮本) はい。もう1つ言わせていただくと、日本のサイエンティストというのはおしなべて、私が言うと偉そうに聞こえて申し訳ないのですが、私なども含んで、そういう意味でのコミュニケーション、ディベートはものすごく下手でしょう? これまでは。やはりそれでは調子が悪いと私は思いますね。

(有田) 指標を使っていただいたらすごくよくなるかなと思ったりしたのですが、浦野さんのおっしゃったようなことでやりとりをしていただければ。

(宮本) 指標は指標でわかりやすいけれど、実はあれも場合によってはちょっと危険がありますから、やはりとことん話し合うということですね。そうしたら意見の違いというのが出てくるわけです。浦野さんの手法はだめだとは言っていません。手法にだけ頼るといけないということです。

(浦野) 私は指標について議論する気はないのですけれども、学者間でそういう議論をする場とか、そういう雰囲気はほとんどないというのが実態だと思います。それを踏まえた議論をしなければいけないと思っています。理想論で話し合ってみんなで議論してディベートして、ある方向の学者間の合意といってはいけないですけれど、いいところに落ちつかせるというような議論はおそらく期待しても無理だとはっきり言えると思います。

(宮本) 今の話に一言いいですか。そういうことをおっしゃるけれど、私はゆえあって25年以上国際的なケミストリーのオーガナイゼーションの仕事をしていますけれども、その限りにおいては結構やかましいですよ。

(浦野) それは国際機関の専門家間では当然そうですが。

(宮本) 日本もそういうふうにもう少しなった方がいいということです。

(浦野) 例えば日本化学会で、我々はリスクコミュニケーションのガイドも作ったりさんざんやって、化学の専門家にいろいろ呼びかけたり、意見を聞いても、ほとんど反応がないのが実態です。

(宮本) そういう面も確かにあります。それはそうだと思います。

(司会) 今、3人の方が挙がっていますが、時間もありますので、手短に3人の方からいただきたいと思います。


(崎田) 簡単なことなのですが、今の宮本さんのご発言で、私は生活者の視点でジャーナリスト活動とか環境学習の推進をしていますが、もう1つ全国ネットの市民活動の事務局長というのをしており、そこで2~3年前、内分泌かく乱化学物質が大変問題になったときにみんなで勉強会を設定しました。そのとき考えたのが、いろいろなお立場の方のきちんとした講義をきちんと受けようということで、1か月ごとに科学者の方、行政の仕組みづくりの方、マスコミの方、NPOとして活動していらっしゃる方をお呼びして勉強しました。実をいいますと、その中で一番まじめに発言されようとする科学者の方が、誤解のないように発言しようとされるほど何をおっしゃっているかわかりづらい。ごめんなさい。悪いと言っているのではないのですが、一般市民としてそういうことがあって、そういうところがわかりやすく伝われば、市民がもっとぐさっとくることはいっぱいあるのにと思いながら伺ったことがあります。

(宮本) 一言だけコメントさせていただきますと、そのとおりだというと科学をやっている人に申し訳ないのだけれど、そういうことはしばしばあります。つまり専門家の言葉でやってしまうわけです。それを説明しろというと、また専門的に説明するわけです。だんだん符丁になってくるわけです。普通の人が聞いたら何のことかわからない。だから、少なくとも専門家の非常に狭い範囲でのディスカッションなり会議でない限り、そういうややこしい符丁なしで普通の言葉で、専門的な言葉を使わずにいかに相手に意思を通じるかということが大事だという訓練を私どもは受けてきたわけです。おそらくご指摘の点はたぶん全くそのとおりだと思います。

(片桐) 先程、情報発信の話が若干ありましたけれども、確かに情報は専門家の間でもいろいろとばらついている中で、だれがその辺の情報を的確に皆さんに伝えるのか。私も若干絡んでいますけれども、行政ではなかなか決められないというか、決めていく場合に一番疑問に思ってしまうのです。要するに神沼さんからいろいろな情報をインターネットなり何なりで提供していただけ、今後ともやっていただけると思うのですけれども、いろいろな情報がみんな見られてしまうわけです。その辺をだれが整理したらいいのか、私の中ではまだわからないのです。情報の整理ということが一番大きなことになってくるのではないかという気がするのですが、いかがでしょうか。

(神沼) そのとおりだと思います。情報の整理といいますか、結局情報学の一番重要なことは、情報を捨てるということです。情報を捨てるためには、情報には価値観があるわけです。皆様が何を覚えて何を忘れるかということは、必ず皆様の中の目に見えない価値観に左右されているわけです。私が申し上げたのは、その価値観はできるだけお互いに話し合っていけば共通のものになる部分もあるが、どうしてもならない部分もある。それは最終的にお互いに合意するということはあり得ないこともあると申し上げたわけです。
 もう1つ、情報をどう使うかという話に関しましては、先程からの議論で僕は非常に大きな視点が欠けていると思います。だれをサイエンティストと呼ぶかです。私は医療の世界の人たちとずいぶん長い間おつきあいをしました。診断と治療は全然違うことを説明しても医者の卵はきょとんとしているのです。私からいいますと、診断というのはサイエンスであり、治療というのはサイエンスではない。アートである。なぜというと、簡単に風邪かどうかというユニークな答えがあるわけです。しかしなから、風邪だったらどうしようというのは、寝ていようか、会議があるから嫌だけれど薬を飲んで行こうかとか、これは価値観によります。今、議論していることは、この後者の議論が多いわけです。だから、前者の議論であれば必ず答えは1つに収斂してきますけれども、後者のものには答えはないわけです。
 だれがそういうことをサイエンスとのつながりで言うかというと、それは私の言葉では、科学技術は非常に発達したけれども、科学技術を賢く使うためには科学と技術がいるということをほとんどの方は認識していない。専門の科学者も認識していない。したがって、そういうことを科学者の世界で科学や技術をいかに人々のためによく使おうとすることをまじめに取り組もうとすると、いわゆる専門家からばかにされる。今、まさに浦野さんがおっしゃったとおりです。私が言いたかったことは、それは皆さんに責任がある。市民がそういうことを理解していないからお金の使い方が、いわゆる専門家だけにいってしまっても平気でいるわけです。私のような前者の科学にいっても平気でいる。例えば、内分泌かく乱物質に関して数年前に日本は100億使いました。それのどの部分が情報システムにいったかというと、ゼロです。それが何年かしてだんだん情報システムにもお金が回ってきたわけです。最初からそれはわかっているわけです。EPAでは既にそういう議論されているわけです。しかしながら、日本においてはこういう議論自身がないのです。つまり、私の言う科学と技術を使うための科学と技術が必要だということを国民が理解していないということが非常にこの国を不幸にしているわけです。
 非常に賢い方はたくさんいらっしゃいます。だからそういう科学や技術はなくても、最初の専門家だけでことがすむということを考えていらっしゃるかもしれないけれども、それはもう通じないのではないかと思うわけです。だから、少し違った科学や技術が必要だということで、そのためにお金を使わなければいけないということを申し上げたいと思います。

(宮本) 一言追加させていただいていいですか。今の件に関連してですが、では科学的ないろいろな発見というのは結局あまり頼りにならないのか、今日出たものは明日ひっくり返るのと違うかなと思っておられるとしたら、それは申し訳ないけれども、思いすぎという点はあります。それはともかくといたしまして、いろいろなデータが出て、通常の場合は学会で発表したり学会誌で発表したりしますが、これは専門以外の方は頓着なさる必要はないのですけれども、どこの学問の分野でも、やはり一流の仕事、一流の雑誌というのはあるのです。その雑誌なら雑誌に関していえば、我々はレフェリーといっていますけれど、ピアレビューというものをして、これは科学的におかしいのではないかということで、かなり立派と思われている研究者が書いたレポートでも変なところがあれば必ず突き返されるというメカニズムがあるのです。そのメカニズムが国際的に見て有効に働いている学会誌なり学会であれば、そこで認められた意見は少なくとも現在の科学的には最高の水準でもってイエスあるいはノーと言われたのは事実であるということになるわけです。ですからあまり何もかもごっちゃにしていただくと困るわけです。サイエンスの世界ではクリティカル・エバリュエーションがきっちりしているということだけは言えるのではないかと思います。
 もっとも、ときどきまちがうことはあります。「Nature」という有名な雑誌があるのですが、数年前ですが、「Nature」の何十年かの歴史を振り返って、ノーベル賞を後にもらったレポートを拒絶したというケースが4つ、5つあるのです。ですから、すべての場合にいいとは言わないけれども、やはりメカニズムとしてはそういうメカニズムがあって、かなりの程度までそれが有効に働いているということだけは信じていただきたいと思います。

(司会) 浦野さんがどうしても一言。

(浦野) 宿題を先程もらっているのに答えていないので。特に情報の話でどう選ぶかということですが、まず今、インターネットが非常に進んできたこともあり、情報の収集も発信も数年前とは格段に違う状態になっています。そういうことで、いろいろな方がいろいろな情報を入手できる状態になっています。特に国際情報はすごく入りやすくなってきました。そういう意味でいろいろな関係者からどういう情報があるかをまずリストするということが大事だと思うのです。こういうリストをどこから集めてきましたということをまず公開できればしていただきたい。そのあとに情報源を選択しなければいけません。捨てる勇気を持つこともとても大事で、私どももかなり限定したものしか扱っていない情報発信をしています。それは情報源の選択をするわけですが、そのときに当然評価が入ってきますので、その根拠をちゃんと書く、同時にこういう選択根拠で情報源を選びましたということを明確にする。それから、その元情報にどのようにしたらアクセスできますかということもきちんとつけて出す。そういう情報の選択と発信のしかたが必要だということが必要です。
 ですから、情報を出すときにはそれをきちんとしないと、好きなものだけ、都合のいいものだけを出しているのではないかと疑われるし、逆に我々がアンケートをしますと、企業の方あるいは自治体の方自身が、自分たちは都合の悪い情報は隠していると思うと8割ぐらいの方が答えていたりするのです。ですからそういうことだと逆にみんな疑っているわけですから、その辺をこれからは非常に注意をして情報を発信することです。
 もう1つの質問で、これは私がお答えしきれない問題かもしれませんけれども、リスクコミュニケーションをしても対立がなかなか埋まらないときに意思決定をどうするかということですね。これはまさに皆さんが困っている問題かもしれませんけれども、これはいかに早い時期から上手なリスクコミュニケーションをするかにかかっていて、これを早い時期から関係者をかなり取り込んでといったら、一緒に議論をしていけばかなりの問題は何とか対立せずにこなせているというのが実態だと思います。そのタイミングを外したり、ある程度問題を起こして対立が生じてしまってからコミュニケーションを始めると非常に難しい状況になるということで、早い時期にどうコミュニケーションをスタートさせるかというのが一番重要なポイントなのではないでしょうか。

(司会) それでは、最後に。

(中下) 今、浦野さんが答えてくださいましたので、だいぶ疑問は解消しているのですが、宮本さんの市民に対して正しい理解の努力ということで、もちろん神沼さんからもお話もありましたように、私どもも努力をしなければいけないなということは本当に実感しています。しかし、産業界も、もっとわかりやすい情報提供に取り組むべきではないか。例えば私たちが物を買うときには、企業は、その製品を選択してもらうために、情報をわかりやすく提供するのに一生懸命になっておられるわけです。それにもかかわらず、毒性情報とかネガティブな情報の場合には、ほとんどもうわけが分からない専門語で、勉強しない方が悪いというような、こういう姿勢は産業界の方にも問題があるのではないでしょうか。市民は正しい理解ができると私も信じています。正しい理解ができるからこそ、よりいいものを選択しようとしているわけです。つまり情報を正しく発信してくだされば、市民は正しい理解をし、選択ができるということになるので、隠すのではなくて産業界からのわかりやすい情報の発信、はぜひお願いしたい。
 それからもう1つ。確かに価値観が違うというのはあると思いますが、そうは言ってもやはり持続可能でなければならないということは、共通の課題ではないか。何でも食べたいからいいのだとか、使い放題使っていいのではないかとはいかないのではないか。やはり持続可能性という大きな制約のもとにある。それをいかにして選択の中に入れていくかという問題である。意思決定の中に持続可能性というものを常に組み込んでいく必要があり、そのために例えば予防原則やあるいは代替物があるのならよりグリーンなものを選んでいきましょうとか、そういう原則を今模索しているのではないかと思うのです。ですから、そういう解決策の方にもう少し熱心に取り組んでいただきたいと思うのです。

(司会) 申し訳ございません。次にいきませんと、終わらなくなってしまいますので。私もいくらでも言いたいことはあるのですが、今日はじっと我慢をしておりましてストレスがたまっています。

(有田) でも、せっかくだから化学業界から1人だけいいのではないでしょうか。

(司会) それでは、すみませんが、できるだけ手短にお願いします。


(河内) 先程、後藤さんからも化学物質に対するデータを取るような努力が足りないというような話がありましたけれども、今実際、新規化学物質に関しては、社会的な合意といいますか、化審法によりまして、難分解性とか長期毒性について疑われる物質はできるだけ製造しないという取り組みは十分できているのだと私は理解しています。それから、既存化学物質については確かに、膨大な化学物質が世の中に出ていて、すべてに対してまだデータを取りきれていないのは事実です。したがって、国をあげて今、取り組んでおられますし、我々の産業界もそれに対してできるだけ大量に使われているものに対しては優先的にかなりのスピードで今データを取ろうとしているわけです。そういう努力はぜひ認めていただきたい。
 ただ、確かにまだデータがないときにどういうことが今できるかというと、これはまさに言われますように、予防的な取り組みということでPRTRがありますし、それに基づいて今、産業界のレスポンス・ケアということでどんどん排出量を下げてきている。これは前も説明しましたが、ただでできるわけではなくて、かなりの金額を投入して下げてきている。今、現実にそういうことを産業界もしているということをぜひ理解していただきたいと思います。

(司会) いろいろとご反論もあると思いますけれども、一応これまでにさせていただきたいと思います。3人のご発表の方々、まことにありがとうございました。

(2)化学物質と環境円卓会議への期待・要望

(司会) それでは、次の議題に入りたいと思います。次は、「化学物質と環境円卓会議への期待・要望」に関して、日本化学産業労働組合連合を代表され、化学リーグ21政策センター代表の山本さんからご発表をいただきたいと思います。少し遅れていますので、よろしくお願いします。

(山本)
 化学業界の労働組合として環境問題に取り組んでいる。化学物質の環境リスクについては、漠然とした不安、専門用語の壁、当事者間の意見交流がないと言う問題がある。一面的な主張からは結論が引き出されず、対立から対話の姿勢に切り替えて、対話を続けることが重要。円卓会議はリスクコミュニケーションの場として、産業界には情報公開、環境セクションの強化等を望む。行政には分かりやすい施策、環境人材の育成、市民のライフスタイルや企業の事業構造といったマクロ面の環境改善政策を求める。市民には、対話を望む、それは低いハードルから初めてほしい、また環境と共に事業活動への配慮を望む。


 ご紹介いただきました化学リーグ21の山本です。今日は話す機会がなくなるのではないかと思って心配していましたが、何とか間に合ったようです。私は10分ぐらいで終わりますので、そのあと皆さんに十分ディスカッションしていただきたいです。今、お話を聞いていましても、なかなか化学物質のリスクとか環境というのは一筋縄ではいかないなと痛感しました。今まで3人の方たちからかなり専門的な、しかも科学的なお話を伺っていたのですが、私の話はほとんど専門用語がありません。非常にわかりやすい話になるかと思います。パワーポイントをお願いします。
(以下スライド併用)

 まず私たちの組織と化学産業の概要について簡単に、前回も業界の方は触れられていなかったので、私の方から労働組合という立場から紹介させていただきます。化学リーグというのは98年に3つの組合ができて生まれた組織で、例えば合化労連という名前をご存じの方はいると思うのですが、それがこの1つを作っているという組織です。今は大体10万人いまして、今年の秋に約20万人になます。今、労働界はいろいろな統合再編の動きがあり、その一環として少し大きな化学の労働組合を作るということになっています。抱えている組織の業種の内訳として、基礎化学品、化成品、医薬品、肥料・農薬、写真感光剤、電子材料、油脂・食品、サービス一般ということで、今ここで論議しているいろいろな環境とか化学リスクの固まりのような労働組合で、連合の中でも非常に環境問題の中で問題となりやすいところが我々の組織です。化学産業の位置というのは大体こんなところで、かっこの中は製造業のランキングです。出荷額で4位とか付加価値で3位とか従業者は37万人ということです。

 では労働組合が環境に対してどういう活動をしているかということです。これはわかりやすくいうと、3段階になっておりまして、ナショナルセンターの連合というところでやっている環境活動があります。これはPRTRもそうですし、ダイオキシンの特別立法のときもそうでした。そのような環境関連政策の法制化、今は地球温暖化などにも取り組んでいます。実践的な運動としてはエコライフがあります。
 それから、我々の組織を産業別にしたものを産別本部といっていますけれども、化学を中心とした環境政策、最近ですとやはりフロンの問題とか、PRTR、ダイオキシンとか、立法化のときにいろいろ活動しています。それから、業種、単組というのは一個一個の加盟組合ですが、そういうところで抱える環境対策とかそういうものをしています。
 それから、加盟組合の中では、主にこれは環境ボランティアとか、緑化とか植林とかリサイクルとか、いろいろな取り組みをしているというところです。こういうのが労働組合の環境活動の一側面ということです。
 我々化学リーグ21として環境課題の立脚点をどういうところに置いているかというと、まず、環境と共存なしに産業の存立はないだろうと思います。これは我々がいろいろなかたちで経験して非常に苦い経験、苦しい経験をしています。そういうことで地域を汚染したり、技術的なきちんとした安定性がないとか、そういうことで環境と共存できないような技術や製品というのはもう産業としてはこれから存立し得ないだろうと、経営層とか企業に我々は言っているところです。
 次に、環境保全は化学産業の技術力、開発力が不可欠で、科学がもたらすいろいろな問題も、この場合ケミカルですが、ケミストリーで乗り越えていこうということが非常に重要になってきているのではないか。これも条件として私たちは強く主張しているところです。
 これは非常に我々にとって悩んでいる問題なのですけれども、環境に悪いものをやめようとか、グリーン・ケミストリーとか、あるいはエコ技術とかエコ製品ということになると、どうしても技術を変えていく、原燃料を変えていくということが要請されるわけです。化学労働運動の歴史を見ると、原燃料転換というのは非常に大きな合理化をもたらしている。これは石炭から石油ということでもありますし、その他のカセイソーダの製法転換ですとか、そういうときに雇用への激変は避けて段階的に進めていただいて緩和してもらいたい。一昨年のCOP6がオランダで行われたときも、やはり労働組合間の話では2つ出ていたのです。1つはキャパシティ・ビルディング、もう1つは、テクニカル・プログレスを雇用を配慮してやってもらいたいということでした。特にアメリカの組合は逆の意味で非常に強く言っていました。そういうことを今、立脚点として考えているということです。

 今、化学物質をめぐる社会的状況は、ここで皆さん非常に熱心なご議論をいただいているわけですが、今、話されたことと私どもが思っていることは非常によく似ていると思うのです。特にリスクという非常につかみどころのない問題について、どう我々が理解してそれに対応していくのかと。3つ挙げています。1番目に漠然とした不安です。化学物質は一般的には体によくないだろう、天然志向とか自然志向の方がいいのだという話が私の身の回りにもいっぱいあります。
 2番目としては、専門知識・用語の壁があることです。どれぐらい危険なのですか、有害性はどのくらいなのですかというときに、ピコグラム、TDI、TEQなどが出てくるとどうも実感からとんでしまう。ここでは許容量とか危険性とか実感がつかめないということで、専門的な論議になりやすい。それをどのようにブレークダウンというか、私などは本当に素人の一員と十分に胸を張って言えるわけなのですが、そういうところまで伝わっていけるようにするのかなということがなかなかわからないし、今のところ方法がよく見つかっていないということです。
 3番目として、当事者の意見交流が進まないことです。進んでいるという方はいるかもしれませんが、労働組合の立場からすると、労働組合自身がお前はどちら側なのか、産業サイドなのか、市民サイドなのかということもよく言われます。それを言われると非常に困るのです。どちらでもないのです。とにかくただ環境はきちんとしていきたいという立脚点はあります。対策は非常に急務である。その対策に対していろいろな法制とか規制が動いていくのですが、本当に十分な合意になっているのですかといいたい。特にサイエンティフィックな議論になってもいろいろな問題がありますし、今回、私もここで話すということで浦野さんのコミュニケーションの手法をだいぶ勉強させていただいて、そういうことなのかと認識を新たにしましたけれども、とにかく対話を続けていくしかない。
 どういうかたちで合意を作るのかということは、我々はどうしても自分勝手な合意をほしがるのです。都合のいい合意を。そればかりを言っていると合意は永遠に作れないのか、ではどの辺で合意を作っていければいいのかということを、とにかく対立から対話で進めることが必要で、今やられているような対話が非常に重要かなと思います。それから、各自の主張から小さくてもいいから合意していく。先程浦野さんが言ったリスクゼロはないのだと、リスクをどんどん小さくしていく非常に息の長い活動ですと、私も今そのとおりだと思っています。
 それから、コミュニケーションがいかに重要かということです。今はかなりナチュラル・サイエンスということでそれをベースに議論されましたけれども、私のように文系の人間にとって環境の話を聞くと、常にやはり頭の上で専門用語とか概念が動いているという感じで、もう少し人文科学的なというか、そういうコミュニケーションの理論とか手法みたいなものがあればいいなと。あるのかもしれませんけれども、どうも我々の方に見えてこないということでそんな感じをしています。

 本当はこのメンバーとして労働組合も入れていただければ、大したことは言えないけれども何か少しお役に立てることもあるのかなと思っていますが、今日は一応ゲストということで話をさせていただいていますので、少し離れた立場から円卓会議へ望むものというかたちで意見を言わせていただきます。
 まず、産業界の方に4点。いくつかありますけれども、情報や行動については開示・公開の原則で対応していただきたい。これは先程からこのメンバーの方もおっしゃっていました。外部から指摘される前に能動的に対応を行う。そして評価もしてもらう。どうしても環境というのは我々が見ていると、言われてからする、起きてかるするということがありがちですが、いかに能動的に動けるかということです。業界団体、企業の中で環境管理セクションがあるのです。ただ、それは2000~3000人の企業で1人とか2人とまだ非常に弱い。ここをもっと強化していただいて、財務とか人事並みに環境セクションというのも人も含めて、手法を含めて充実していただくことがいろいろな開示や公開に対しては有効ではないかと思っています。
 環境対策については、経歴を見ていると、工学、理学、農学とかそういう方が非常に多いのです。ですからもう少し社会系とか人文系の、法律もそうでしょうし、経済、哲学、そういうものを入れて幅を広げて、いいことを言っているのだけれど誤解される、伝わらないということではなくて、いいことはいいこととして伝わって、そういう反響がくるような社会的組織的な側面というのを考えてもらいたいと産業界の方に対しては思っています。
 行政に対しては、よくいわれるのですが、縦割りになっていて、いろいろなところからの規制や法律がかかってくる。化学の現場は安全面まで含めればものすごい規制があります。これをもう少し包括的にしてほしい。提出する事務書類とか、自治体へ行ったりいろいろなところへ行ったりして大変な手間です。ですから、そこのところは現場の身になって政策を考えていただきたい。
 2番目としては、NGO、企業、組合、ほかの民間の環境活動を促進する視点で政策を立案してくれないかと。もちろん国としてきっちり上から規制をするということもいいのですが、組合も含めて民間に対してどういうことがしてもらえるのかという観点からも、NPO支援とかそういうのもあるのでしょうけれども、少し政策を考えていただければありがたいと思っています。
 先程も言いましたが、3番目は「環境人材」です。今、やはり一番足りないのは、専門分野の専門家ということもいるのでしょうけれども、これらを統合したり、あるいは配分したりするコミュニケーターがあまりいないのかなと思っています。ですから、環境人材の育成にも十分力を入れていただきたい。最後に「環境交流カレッジ」と書きましたけれども、1つの例として組合、NGOの方、企業の人も含めて、いろいろな人がそこで勉強していく。そういう1つの勉強する場から合意ができていけばと考えています。今、いろいろな大学でエクステンション・カレッジなどをしていますので、そういうのもぜひ利用していただければいいのかなと思っています。
 あとは市民のライフスタイル、企業の事業構造といったマクロ面の環境改善、政策、特に社会資本だと思うのです。特に地球温暖化などのことで一番重要なのはやはりコミュニティのあり方などだと思いますので、そういう点でもぜひそういう政策を考えていただきたい。
 最後は消費者、市民、NGOの方に言いたいのは、労働組合としても腹を割った、できるできないということをはっきり言い合うような対話をぜひできればいいと思っています。今はこれは無理だとか、ここまではわかってくださいとか、そういう自分たちの内情、内実までさらけ出して対話ができればと。これは我々の努力不足で、こういう機会を1つの機として進めていければと思っています。今も業界に対してはいろいろご意見がありましたけれども、業界との対話はあまり最初から高い金メダルということになると動けなくなってしまうので、銅メダル期待ぐらいから始めていただければ徐々に上がって、2回目のオリンピック、3回目のオリンピックで金メダルになるかもしれないということで、少し低いところから始めていただければと思っています。
 それから、これも雇用との関係なのですが、我々が本当にこの環境ということを産別本部でやるときに、非常にデリケートな雇用問題とぶつかります。例えばフロンという製品をこれから全廃するのだということになると、今、200人ぐらいの組合がフロンだけを作っているのです。非常に小さい会社です。ですからなかなか次のものに転換することもできにくい。ではここでやめたら200人だからいいという話もあるでしょうけれども、我々としてはこれは容認できないのです。ですから、そういう点で責任ある管理のためにもキャパシティ・ビルディングとかテクニカル・プログレスも含めて、供給側のサステイナブル・グロースと環境全体のサステイナブル・グロースと両方あると思うのですが、少し供給側のサステイナブル・グロースということも考えていただければ非常に実のある論議ができるのではないかと思っています。その辺の配慮がいただければと思っています。
 もうほぼ10分たってしまいましたので、今日は本当にいろいろと勉強させていただいて、いい機会を与えていただいたと思っています。やはり対話を通して相互信頼ということをしていけば合意にも近づいていけるかなと思っているということで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

(司会) ありがとうございました。実をいうと、質問の時間を用意していないのですが、何かわからなかったことが1つ程度ありましたら。いいですか。どうもありがとうございました。

(3)化学物質と環境円卓会議の今後の進め方について

 国民各界の意見・要望の集約方法として、地域フォーラムとインターネットの活用があげられている。地域フォーラムは神奈川県と滋賀県で予定されている。地域のPRTRへの取り組みなどに関するアンケート調査の提案、流通業に寄せられる一般市民の意見などの情報提供の提案があった。意見・要望の集約を促進するためにも、円卓会議の方向性を決めていくことが提案された。
 具体的テーマについて、本日の会議で、不確実性を含む情報をどのように扱うか、予防原則をどう活用すれば合意できるか、情報をどのように公開するか、リスクという概念でどうコミュニケーションを取るかの手法をやはり確立しなければいけないという話があった。化学物質についてまずは問題点を洗い出し、円卓会議で優先順位を付け、解決のためのビジョンを作成し、行動計画を作成するといったことを数年かけて行い、ビジョンを共有し具体的な行動に結びつけてはどうかという提案があった。

(司会) 本日の次の議題は、化学物質と環境円卓会議の今後の進め方ということで、お手許に若干の資料があります。「資料1」というほとんど何も書いていない資料ですけれど、少し埋めていかなければいけない。先程来の議論の中に、実をいいますとかなり回答が含まれているように思います。
 「1.国民各界の意見・要望の集約方法」に関して、これはまだ話が出ていませんが地域フォーラムをするということは後程ご説明をいただきたいと思いますが、これは1つの方法だろうと。インターネットの活用はいろいろ出ています。そのほかに何かあるだろうかというところをご議論いただきたいのがまず1つです。
 次の具体的検討テーマに関しては、先程来の三名のご発表、そのあとの質疑応答の中でいくつか出ています。例えばこの問題を非常に大きな立場からまとめてしまえば、不確実性、必ずしも確実ではない情報をもとにどうやって意思の決定を行うかという問題なのですが、それを少しブレークダウンすれば、例えば不確実性といいますとすぐに未然防止、予防原則となりますが、この原則がどうやって活用されればみんなで合意できるのかという話がありました。それから、例えばそういう場合、不確実性とはいいながらも情報みたいなものをみんなでどうやって共有するのだろうかという話になるでしょう。とにかく情報はすべて公開というのが大原則なのですけれども、全部出せばそれで終わったというわけではない。適切なかたちでのデータの公開みたいなものが2番目ぐらいにあります。
 それから、リスクといった非常にわかりにくい概念をどうやってコミュニケーションをとっていくのか。そういう手法をやはり確立しなければいけないだろうという話がありました。
 大体このぐらいにまとまってきて、こういったものを議論する過程で、それぞれのセクターがどういう役割があるのだろうかというような話になってくる。今まで出ているのは大体このぐらいかと思います。
 それ以外にも実をいうともっと大きな話はいくらでもあって、先程、持続可能性というご発言が中下さんの方からありましたけれども、持続可能性とは何ぞやという話を始めるとたぶんこの回で終わらなくなってしまうという気もしますし、化学物質というのはやはり人への影響が非常に大きな問題で、その次に生態系リスクの話などがあるのですけれども、その辺もどうするのでしょうか。今はどちらかというと人へのリスクという観点で語られていますが、たぶんそれだけではない。そこをどのぐらいやるかという議論もたぶん必要なのですが、あまり出ていないです。
 それから、人についてのリスクに関しても、実をいいますと、私も本日花粉が飛びはじめたような気がしてしょうがないのですけれども、人間側が変わっているということがかなりあり、それまで何でもなかったものが何でもなくはなくなってしまっているという事態もあります。そういうことにどのように対応するのかという話も課題になりうるかもしれません。今ひととおり申し上げてしまいましたが、そんなところから具体的な検討テーマを適切なかたちで選ぶということ、あるいはつけ加えなければいけないことがもしあればご議論いただきたい。
 3番目、期待する成果ですが、これはまだしなくてもいいと思っているのですが、どうでしょうか。これは個人的な感想ですが、大体円卓会議をしていること自身が成果だと言えばいいのではないかという気がしないでもないというところもあります。その辺を含めましてご意見をいただきたいと思います。
 時間はあまりありませんが、まずやることは全部やってしまって時間が尽きるまで議論したいと思います。まず資料2に「地域フォーラムの進め方と今後のスケジュール」という、これまた比較的簡単な資料がありますが、これは事務局側でご説明をいただけますでしょうか。

(事務局) それでは、資料2「地域フォーラムの進め方と今後のスケジュール」についてご説明させていただきます。この地域フォーラムについては、前回少しご議論いただいたかと思いますが、そもそも議論する場ではなくて、むしろどのような意見があるのかといった意見・要望を集めるための場と位置づけられていたかと思います。従って、目的についても地域レベルでの取り組み、情報の共有あるいは意見・要望の把握ということで考えています。具体的にはまず関東の地域フォーラムですが、神奈川県で行うということで事務局としては今、作業を進めています。時期につきましては3月中旬~下旬としていますが、3月18日か19日ということで、欠席の方の日程も含めて至急決めたいと考えています。
 その次の関西地域での地域フォーラムですが、現在、滋賀県を中心にご相談させていただいているところです。日程につきましては4月中旬~下旬ということで今後調整させていただきたいと考えています。
 それから、第3回の会合ですが、そこでは寄せられた意見・要望の集約あるいは検討テーマの決定・討議という内容を考えています。5月ごろを目途にスケジュール上は考えています。以上です。

(司会) ありがとうございました。地域フォーラムに関しまして何かご質問はありますでしょうか。どうぞ。

(崎田) 今、候補の場所が神奈川県と滋賀県となっていまして、それ自体はもちろん結構なのですが、今、日本全国、都道府県あるいは市区町村というレベルで、例えば市民にどのようにこういうリスクコミュニケーションを伝えたらいいかという行政と市民のいろいろな実験的な環境学習の仕組みづくりとか呼びかけとか、いろいろなことが起こっているのを少し耳にするようになってきました。できましたらこれと並行して全国でどのような実践的な取り組みが始まっているかというアンケート調査などがあれば全国の様子がもう少し膨らんでわかるのではないかという感じもするのですが、いかがでしょうか。

(事務局) 今回の円卓会議のテーマが「化学物質と環境円卓会議」ということですので、化学物質に絞りまして全国的にどういうことをしているのか、手法を検討してみる必要があるかと思いますが、事務局の方で考えてみたいと思います。なお、インターネット等を通じていろいろな方からの意見募集ということも併せて考えていますので、とりあえず宿題にさせていただきたいと思います。

(山元) 3月の関東地域フォーラムのところで目的2のところ、「化学物質と環境円卓会議」に対する意見・要望を集めたいというテーマが出されていますが、例えば私もこの会議に出るということをほかの人に説明するときに、どういう会議かと言われても言えないのです。何も決まっていないのだとしか言えなくて。今日は安井先生が先程整理された検討テーマの候補があって、これから議論されるわけですが、少し今日の到達点がどこにいくか、こういう方向で検討が進められるというところも情報として出していただければ意見・要望も集まりやすいのではないかと思います。

(司会) ありがとうございました。残り時間があと10分ぐらいになってしまいましたが、一応資料1に戻らせていただきまして、まず先程の崎田さんからのご意見で、その他何かいい方法はないのかということで、まだ残念ながら検討ということですけれども、ほかに何か名案等がありましたら。

(村田) 名案というわけではないのですが、テーマとして皆さんご承知のように今、国際社会では従来の化学物質管理のあり方を見直さなければならないという方向で動きはじめています。せっかくいろいろな所属の方が集まって、幅広く声を聞くという場ですから、従来の化学物質管理の問題点はどういうところにあったのか、今までの管理のあり方を見直すという方向で広く意見をいただいて、それらを整理した上で今後どうしたらいいのかというまとまった文書のようなかたちでまとめることがいいのではないかと思っています。

(司会) ありがとうございました。瀬田さん。


(瀬田) 先程の3月の神奈川県でのフォーラムに関してですが、せっかくこういった地域でやっていただけるわけですから、地域の実態を少し見ていただくということも有効ではないかと思います。そこで、1つの提案ですけれども、例えば円卓会議を午後から実施するのであれば、午前中にメンバーの方々に例えばどこかの工場を見学していただくというようなことを考えてはどうでしょうか。たまたま私ども旭化成は川崎に工場がありますので、もしもそういうことでご同意いただけますならば準備をしたいと思います。第1回のときに私からご説明をしたつもりですけれども、私がこのメンバーの一人になってから、とにかく一生懸命勉強しました。その結果、私が当然と思っている今の化学工業は昔の化学産業とは全く違っているということを私自身があらためて実感したわけで、そこのところを皆さんに見ていただくということもコミュニケーションの1つかなという感じもします。

(中下) 進め方に関してですけれども、村田さんの意見に私も賛成で、私は前回10の提案というのをさせていただきました。先程、安井さんの方からもいくつか具体的なテーマがありました。どれも重大な問題だと思いますので、一度この問題点を全部洗い出し、優先順位を決めていくといった問題点の整理をやってみてはどうでしょうか。私はせっかくこういう機会が設けられたので、この円卓会議を1年程度の期間で終えるのではなく、もう少し長期的に考えて、例えば、1年間で問題点をピックアップし、2年度ぐらいに優先順位とかで合意ができていけばいい。3年目にぐらいになると少しそれを解決するためのビジョンを作っていく。4年目ぐらいには行動計画を作るといったような化学物質政策についての大きなビジョンを共有して、具体的な行動計画にまで結びつけていける場になればいいなと考えています。

(司会) ありがとうございました。

(角田) 前回、私はこの会議の位置づけがわからないと最後に発言した者です。やはり今までの話を聞いていても、リスクコミュニケーションの話をしていく会議になるのかやはりよく分かりません。安井先生も期待する成果はまだ早いのではないかとおっしゃるのは、何かこの会をこうしていくべきだという安井先生自身のイメージもあるのではないかと思うのですが、一度この会議がどうあるべきかというような議論をぜひ今後入れていただきたいという話が1つです。それから、もし地域フォーラムをする場合にも参加人数はおそらく限られますし、インターネットは神沼さんが言われたように、フリーになったときのインターネットの環境整備はやはり大変だという話もありましたので、そうではない吸い上げ方を考えて欲しいと思います。たとえば崎田さんが言われた、例えばアンケートのようなかたちで、円卓会議の設置目的にあるような、化学物質の環境リスクについて国民的参加による取り組みを促進を目的とするといった場合に、どのようなことを国民は期待しているのかということをアンケート等で吸い上げていただけると、それが地域フォーラムや最後の会議にまた議論できるのではないかと思います。そういったことをぜひ検討いただけたらと思います。

(片桐) 私の方からいろいろと検討していただきたいことがあるのですが、NGOの方がいらっしゃるからそれでもってすべていいというわけではないと思うのです。市民の方がいろいろといると思うのです。NGOの方々と市民の間の関係、そういう中では情報が集まってこない部分がかなりあるのではないかと思います。NGOの方々はある程度の知識を持っておられるからいろいろできますけれども、市民の中でもある程度のことは持っている方もいると思うのです。何か事件があれば市民の方々はそれに関心を向けるのですけれども、ふだんはあまり関心がないという方は大勢いると思います。そういう方の意見の吸い上げ方とか、そういう方々をどうしてこの中でどのように位置づけていくのか。それについての検討、その辺をテーマとしてできれば入れていただきたいと思うのですけれども、いかがでしょうか。

(小林) それでしたら、私がお話ししようと思ったのは、アンケートは確かに重要だと思うのですけれども、今回のスケジュールの中で今後検討していくというレベルであれば、例えばこの円卓会議に流通業と生協さんも加わっているので、現実に一般の方からどういうお問い合わせ、あるいは不安、苦情等々が寄せられているかというものが全部データ化されて我々のところに、たぶん生協さんにもありますし、あるいは生協さんはある程度勉強されている会員の方がいらっしゃるから、一般流通とはまた違うかもしれないですが、そういった情報をもちろんこれは無記名で、一般的な消費者はこういうことが不安なのだというようなデータをお出しできます。本当に全部の市民が理解できるレベルにしたいわけですけれども、その格差というのは現実には非常に遠いというのが現状だということで、そういったデータが、1つの例になるかもしれません。お出ししてよろしければ見ていただきたいと思います。

(片桐) 補足のようなかたちでいいですか。リスクコミュニケーションをいろいろやっていくにあたりまして、場面場面によって、リスクコミュニケーションに集まってくる人間も変わってくるのではないかと思います。その意味で、やはり市民の方もという意味合いで検討していただきたい。

(司会) 田中さん、どうぞ。


(田中) 私どもも実はこの市民参加の地域対話をずっとやってきました。その頻度や参加の状況について資料をお配りしています。やはり本当の市民と言ったら語弊があるのですけれども、今言われたようなNGOの方とか、団体の方はいらっしゃるのですが、いわゆる生活者に近い人の参加というのはなかなか難しかったわけです。そこでの意見交換でも出てきましたが、「どうすればそういう幅広い市民の参加ができるような場を作れるのか」こういう機会を通して検討するようにしてはいかがでしょうか。また、我々のレスポンシブル・ケアの取り組みを発表しますと、いろいろご注文を受けます。その中には地域に密着したこと、あるいは化学物質のリスクに関すること等、いろいろ出るわけです。
 私の考えでは、今、事務局のご提案にあるように、地域の取り組みをいろいろまず議論のきっかけとして話していただき、市民の皆さん、あるいはここにおられる皆さんの意見を聞いて、市民参加についてどうあるべきなのか、あるいはどういうお考えでいらっしゃるのかを聞いて進めていくような方法がいいのではないかと思います。そのときには浦野先生のおっしゃったことをきちんと我々は守っていかなければいけないわけなのですけれども、初めてのことですからこれが守れるかどうかは自信がありませんが、一生懸命これに沿って市民の皆さんの理解を深めるような易しい言葉でやるということもいいのではないかと思っています。

(司会) コメントのようですから、先に。

(浦野) 先程からNGOと一般市民の話がありますけれども、同じように企業の場合、ここに来られている業界団体とか大企業だけではなく、中小の企業について、やはりきちんと視点を持っていただきたい。自治体についても、神奈川県という大きな県と別に、地方の中小自治体というのもきちんと視点に入れてご議論をいただきたいということだけをコメントさせていただきます。

(崎田) 今までの議論と大変似ているところがあるのですが、最初に小林さんが、消費者が学んでいくというようなことがこれから本当に必要ではないかとおっしゃった、それがずっと引っかかっています。私も環境学習などを地域社会でやっていると、熱心な方とそうでない方、情報量の多い人と少ない人と、本当に格差があるのです。ですから、やはりいろいろな情報をみんなできちんと共有して学んでいって、それで一緒にどんな活動をしていくと地域社会で信頼関係ができていくのか、今後どうしたらいいかという、これから社会をみんなで作っていく新しい作り方が見えるような話し合いにつなげていけたらいいなと思います。先程実はアンケートと申し上げたのは、個人個人の意識というのもあるのですが、地域社会で本当にいわゆるPRTRのような情報を、地域の商店街と市民とか学校の子どもたちがどう共有していくかというような実験的な取り組みが少しずつ地域で起こっているということを伺うようになってきました。そういう具体例をきちんと集約し、全国の方にお知らせしながら、それを国全体でどのように方向づけるかというような建設的なお話し合いができるのではないかと思ってお話をしました。

(有田) 簡単なのですが、PRTRについても、リスクコミュニケーションについても、何か特殊なすごい専門集団があるとは私はまだ思えず、今からだと思っていますので、どこの団体にどのように流したとしても、ほとんど耳にしていない、ほとんど本当に理解していないというレベルだと私はとらえていいと思っています。だから、そのつもりで、例えばどこにアンケートを流しても情報を流しても、そういうことは知らなかったというようなレベルだろうと思っている。何かくくりというか、あそこはこうだと思い込んで進めるのはあまりよくないので、決めつけないで進めていただきたいと思っています。

(司会) ありがとうございました。予定した時間が終わってしまいました。実をいいますと、資料2にあります事務局側の案ですと、次回は寄せられた意見・要望の集約、これはいいかもしれませんが、2番目の検討テーマを決定し討議となっていて、そこまでいくか。どうも遅れているようではありますが、先程、中下さんの方にご提案をいただきましたように、この会議はおそらく、特にいつまでに何をしなければいけないということはないのですね。予算の都合などと言われるとちょっと困ることはありますけれども。ということですので、若干気長にということになってしまうかもしれませんけれども、当初できるだけ広く問題の洗い出しをして、そこからだんだんに意見を深めていくという方向でいいかと個人的には考えているしだいです。
 いささか不手際で、時間が延びてしまいましてまことに申し訳ありません。本日は以上とさせていただきます。ありがとうございました。