環境省総合環境政策超長期ビジョン検討について

第9回超長期ビジョン検討会議事録


平成19年5月18日(金)10:00~12:30
ホテルフロラシオン青山2階 芙蓉(西)

○議事次第

1.開会

2.議事
  (一)超長期ビジョンの構成について
  (二)目指すべき環境・社会像と定量的分析について
  (三)今後の検討の進め方等について
  (四)その他

3.閉会

配付資料一覧

【資料】

資料1
超長期ビジョンの構成について(案)
資料2
目指すべき環境・社会像について(案)
資料3
目指すべき環境・社会像に係る定量的分析について

【参考資料】

参考資料1
超長期ビジョンの今後の検討項目と手順(案)
参考資料2
第8回超長期ビジョン検討会(平成19年4月17日開催)議事録
参考資料3
超長期ビジョン検討会名簿

出席委員

安井至座長、西岡秀三主査、明日香壽川委員、沖大幹委員、川島博之委員、柴田康行委員、花木啓祐委員、原沢英夫委員、細田衛士委員、森口祐一委員、山本博一委員、湯本貴和委員、若林敬子委員

午前10時02分 開会

○津森課長補佐 定刻となりましたので、始めさせていただきます。
 議事に入ります前に、資料の確認をお願いいたします。
 まず、座席表の下に議事次第をお配りしておりますが、資料は全部で6種類ございまして、資料1「超長期ビジョンの構成について(案)」、資料2「目指すべき環境・社会像について(案)」、資料3「目指すべき環境・社会像に係る定量的分析について(案)」、そして参考資料1が「超長期ビジョンの今後の検討項目と手順(案)」、参考資料2「第8回超長期ビジョン検討会(平成19年4月17日開催)議事録」、そして参考資料3「超長期ビジョン検討会名簿」となっております。
 足りない資料等ございましたら、事務局までお申しつけいただければと思います。
 また、広井委員は急遽欠席となっておりますので、お伝えいたします。
 それでは安井座長、よろしくお願いいたします。

○安井座長 ご多忙中のところお集まりいただきまして、ありがとうございます。
 本日は、お手元の議事次第のように1、2、3という形で議題を用意させていただいておりますが、実はこの検討会、なかなか難しいことをやっておりまして、こういうふうにすんなり行くか、いささか疑問ではございますが、一応この順番のとおり試みてみたいと思っております。
 また、今日は、予定どおりいきますと途中で休憩を入れることになっておりますが、この休憩は例によりまして無くなる可能性もございますし、また、その段階で内部的な打ち合わせをするかしないかにもかかわりますので、とりあえずは議題1を検討させていただきたいと思います。
 事務局が用意いたしました資料1「超長期ビジョンの構成について(案)」、苦瀬さんからご説明をお願いします。

○苦瀬企画官 それでは、資料1のご説明をいたします。
 本日、資料1、2、3とも(案)とつけてしまったんですが、この(案)をとったものが完成形かというと、そういう意味でつくったものではありませんで、まさに今日の説明資料ですので、むしろ(案)をとった方がよかったかもしれません。場合によっては、後の記録的にはとらせていただくかもしれません。
 資料1は、前々回、前回と、どんな考え方、どんな構成のものでまとめるかという話をしておりまして、それが前々回と前回と微妙に違ったりとか、あるいは前回の議論の中でも、どういう意味合いで複数の像をどう並べるのかとか、その辺ちょっと議論があって、整理が悪かったところがあったかと思いますので、参考資料1に、前々回の資料3-4あるいは前回の参考資料1に相当するものをつけておりますので、その3、4、5、6をどう整理するのか。そういう意味で、この資料1は整理案という感じではあるんですけれども、そういう意味でご説明申し上げたいと思います。
 もう一つ、参考資料としてはつけておりませんが、前回の資料1にも関係いたします。
 1つは、「2050年の環境・社会像を描く構造について」と書いてありますけれども、参考資料1の3、5、6あたりをどうするかということですね。
 1つは、社会・経済の趨勢で、その描き方と2050年の社会像という6番の関係がどうかというところがあろうかと思うので、その考え方を整理しておきたいと思っているんですけれども、「社会・経済の趨勢」のところ、第7回資料の3番で言えば、幅を持ってではありますけれども、一応趨勢をいろいろ想定しておきますということで、ここは余り色をつけずに趨勢なりを書いていくわけですけれども、ただ、その中では当然幅を持って書くことが必要でしょうし、さらにいろいろ変動をすることもあることに留意する必要があるということも書いてあります。
 イですけれども、「社会・経済の趨勢」の中には外国、国際情勢を中心に、我が国の政策による変動可能性が少ないものも多いけれども、そうではなくて変更可能な部分もある。それは両面あるんだけれども、それは全体の趨勢をそこで見るものとして書くということを行う。
 その後の方に書くことに関係しますけれども、2050年の社会像という6番の方で書くものは、3番の「社会・経済の趨勢」に書いたことを前提とした上で、では、どういうふうな社会が2050年で持続可能なものとしてあるかということを書くことになろうかと思います。
 それをつまり、ちょっと表現は難しいんですけれども、それを1つ書くんですけれども、それは、また6のところで言いますけれども、目指すべきというか、2050年の社会像というのはこれ1つだけというものでもないだろうけれども、これであればよさそうだというか、成り立ちそうというか、持続可能性がありそうだ、そういう割と無色でよさそうなものを考えるのと、もしこうなったら、こういう場合にはこっち、ああいう場合にはあっち、それを複数書いていくんだろうなというところで、それは後ほど(3)の6番に関するところでもう一回申し上げます。
 エですけれども、「社会・経済の趨勢」に書くことを全くそのとおり6番で扱うかというと、その6番、あるいは2050年の社会像の方では、それは持続可能性のある2050年の社会像だということですから、当然単なる予測値ではなくて、政策的目標、こうしたら持続的であるし、そうする方向に行かせなければいけないという方向を考慮に入れて書く。当たり前のことのようですけれども、そういう意味では6番と違うものになるということだと思います。
 (2)ですが、環境像。ここで議論があったのは、環境像を幾つ示すかというか、持続可能な社会の条件みたいなことを第7回資料の5番で示そうとしているわけですけれども、それが第7回のときには1つ。要するに、持続可能な社会の条件を満たすというラインを1つ書くというイメージで書いてあったと思いますが、前回、そうではないようにしましょうという話がありました。それは前回、言ったとおりで、環境像は、もちろん持続可能性を満たす範囲ということでありますけれども、やはり事項によって複数設定し得るものがあるだろうということで、主なものについては複数設定を考えたいということです。
 具体的な条件を複数設定すると書いてありますけれども、裏にいきまして、複数設定する要素として今、想定しているのは、地球温暖化関係と物質循環の関係は、例えば2つぐらい想定するのかなということです。その中身は後ほど資料2の説明のときに申し上げますが、例えば温暖化で言ったら、温度なのか大気中の濃度なのか、資料2の方でご説明するときには「2度から3度ぐらい」という言い方をした上で、具体的な計算をどれかとどれかでやろう、そういう展開になりますけれども、そういうことを考えているということです。
 それから(3)、これが一番議論があったところかと思いますが、持続可能性の条件を満たす2050年の社会像は、前回の資料ですと、グローバル化重視と国家自立型重視の2つをやる、その上でさらに、そういうシナリオを想定した上で、どういうふうに対応していくのかというような、まず一時的に示すのは2つだ、検討するのは2つだという感じのことを言っていたんですけれども、そういうことでもなくて、それですと、前回、割と特徴がはっきりしたものだけ2つという感じの言い方になっていたかもしれませんけれども、そこはそういうことだけではなくて、ある意味、中間的というか、標準的と言うと意味が強過ぎてしまうんですけれども、持続可能性を満たすと思われるものの中で、割と重要なものと、ある観点に沿ってあちらとこちらに振らせたものというように3つぐらいのことを掲げようかと。あちらとこちらというのは、これまでの議論を踏まえて、グローバル化と自立になるかと思いますが、そういう形で示そうかということでございます。
 (4)は、経路の話もちゃんとしましょうということで、前回も議論されていると思うので、今回、特に新たなことではないかもしれませんけれども、確認的に、一応そこに書いております。
 2、補足ですが、今も言いましたように、特に社会像のところが前回、議論があったところかと思いますが、それについて「対照的なものを2つ検討する、その先はその後ですね」という感じだったのが、ちょっと違う感じになりますということで、いかがでしょうかということです。
 2つ目に書いてあるのは、それと同じようなことですけれども、要するに、グローバル化重視と国家自立重視という2つを検討するんだということだけではなくて、そういうものを筆頭に3つぐらいにしたい、そこがうんと違うかなというところです。

○安井座長 なかなか微妙な口ぶりでございましたけれども、実を言いますと、やはり結構微妙な話でございまして、ご存じのようにこの検討会は、1つはモデルは走っているというかなりサイエンティフィックなパスと、そうでなくてどうやるんだとこの検討会とパラに走っておりまして、その間のインタラクションがあるものですから、こちらで「こう決めるんだ」と言ったって「モデルはできないよ」みたいな話もあれば、その結果が出てこないと何ともわからないみたいなことがいろいろありまして、今現在ですと、まあこの程度かなという感じになっております。
 要点は幾つかございますけれども、1で構造について、(1)で書いておりますことは何かというと、結局、外的な要因と内的な要因というか、意図的に変動可能なものはこんな感じでどうですかといったことが大体書いてあって、ただ、外的要因でも、何か予測していたとおりいけばいいけれども、いかないようなものは若干考慮できるような構図を書きたい。何を書くのかわからないんですけれども、予測し難い事態というようなことも場合によっては少し考慮しようと。
 それから、環境像でございますけれども、持続可能性というものがやはり重要で、その範囲内で記述するんだけれども、持続可能性の条件を満たすための環境資源に関する条件としては、複数決定すると書いてありますが、複数といっても、1はまず温暖化ですから、温暖化ガス濃度とか、あるいは温度等はやる。もう一つは、物質循環を想定すると書いてありますが、現時点で物質循環をどう想定するかに関しては、まだ余り明確な合意はないように、私は思っております。
 今日は森口先生あたりに、ちゃんとそのあたりを決めてよという感じの会議なのかなという気がいたします。
 (3)は、像、いわゆる名前をくっつける場合になりますけれども、中間的、大体このぐらい、普通にやると─「普通」と言うのが一番いいように思うんですけど、「標準」と言うと、何かそれがすごい規範的なものになってしまうような気がするんだけれども、普通というケースがあって、普通というケースに対してグローバル化重視と自立重視をやるみたいな感じかなと。何だかよくわからない真ん中が1個あるんですよ。
 それから、そこに至る道筋をどうのこうのと書いてあるのが4番でございまして、どのケースでもそうなんですけれども、2050年に「ここだよ」という着陸地点を示したところで、それまでとにかく一生懸命GDPを極力上げていって、最後はつじつまを合わせるというやり方と、最初から着陸する所を見ながら徐々に高度を下げるようなやり方もありますので、その辺は中間地点、これもまた2030年がいいだろうなどと言っていましたが、それがまた社会的というか全体的な情勢から見て、ワーキンググループ3などが「2020年が排出量ピークだよ」などということを言い出してしまったらこれはどうするのかなみたいな感じがあるので、ご意見いただきたい。
 最後に、2の補足でございますけれども、そうやって出した社会像が「目指すべき」というようなものなのかというのが、1つ文章上、大きなところかなと思っております。我々は、先見的に目指すべき社会があってそれを計算するというスタンスではないので、幾つかあって、結果的に出た「この辺がよさそうですよね」ということは言うんだけれども、その「良さそうですよね」というのが「目指すべき」社会なのかどうか、日本語としてどうなのかといったことも、何か今のプロセスでは出てきてしまっているのかなという気もしておりまして、その辺に関してもご意見をいただきたい。
 そういうことで、少しぼんやりした記述でございますのでご議論いただくのは難しいかもしれませんが、この資料1と前回の参考資料1をあわせて皆様からご意見をいただくと同時に、ある意味で一番合意ができていないのは、物質循環というものをどのように設定するのがいいのかみたいなところかという気がいたします。

○森口検討員 いずれ振られそうですので、先手をとらせていただきたいと思いますが、今の物質循環の話に直接お答えするのではなくて、その前提となることで先に発言したいことがあるものですから、その発言をして、あわせて物質循環について口火を切らせていただきます。
 (2)の環境像の1つ目の「・」で、「環境像は、持続可能性を満たす範囲内記述する」とさらっと書かれているのですが、これは実に深遠な問いでありまして、持続可能性とは一体何なのか、非常にストロングなサステイナビリティからウィークなサステイナビリティまでいろいろあるわけでありまして、非持続可能なBAUの設定は特に行わない、これが一番大事なメッセージだと思うんですね。
 現在のBAUは非持続可能であるということは、何となくある種の共通認識があるだろう。それよりましな超長期ビジョンを書こうとはしているんですけれども、絶対的なサステイナビリティとは一体何なのか、本当にここで議論し切れるかというと、正直言って、それはしんどいところがあると思います。当然、気候変動については具体的な目標を書かれるんだと思うんですね。それに対して物質循環というのは、サステイナビリティとは一体何なのか、随分いろいろな人がいろいろなことを言っているわけでありまして、そのレベルを一体どこに設定するのかと、この物質循環の目標をどうするのかは直結してまいります。
 例えば、後で資料が出てくると思うんですが、最終処分を非常に減らそう、日本国内の最終処分場がいっぱいなので、廃棄物を減らしましょう、あるいは我々の研究所でも、実は持続可能な埋立処分というような研究もやっておるわけでありまして、最終処分場が満杯にならないことだけをもって持続可能と言うのであれば、これは比較的簡単な定義が可能なんですね。しかし、恐らくここで検討することは、そういう非常に狭い意味での物質循環ではないだろう。一方で、物質循環という言葉を書いてしまうと、例えば気候変動だって炭素循環がうまくいかないから起きるんだと言えば、これも物質循環かもしれない。多分そこまで広げるという議論ではないと思うんですね。ですから「物質循環」と言っていることは、少なくとも非常に狭く、どうにか廃棄物が減ればいいということだけではない。少なくとも資源の方の側面は、何らかの形で見ていくんだろう。
 しかしながら、一切不可逆な資源採取を行っていけない、そういったサステイナビリティの定義もなくはないので、そこまでやろうとすると、では今から何をするのかというと、日本の中に既に蓄積された資源だけでどうやって将来、食っていくのか、そういう定義をするのか。そこのところの置き方、実はまだまだ議論としては未熟で、これは環境問題というよりは、そもそもそういうもののサステイナビリティをどう考えるのかということ自身がまだまだ学問的に未熟なところもありますので、そのあたり、非常に深遠な話題でありますので、ここの「持続可能性」というのは一体何なのかを改めて、すみません、今日そんなことだけで時間を潰すわけにいかないとは思いますけれども、こういう機会にちょっとお考えいただければなと。それに合わせて具体的な目標を設定していくことになるのではないかと思います。

○安井座長 ますます深遠な話題になってきております。(笑)
 ほかのところでも結構でございますが……

○細田検討員 私、やはり今の話はどこかで押さえておく必要があろうかと思います。
 と申しますのは、経済学で言うと、さっきおっしゃいましたウィーク・サステイナビリティというのは「自然資本というのはアーキテクチャーな資本に代替がありますよ」と言ってしまうと、「もう今だって市場経済ではサステーナブルですよ」と言う人さえいるわけですよね。そうなってしまうと、市場経済でOKですよ、それでサステーナブルというのは非常にウィークなサステーナブルになるし、「いや、そんなことは絶対ない、自然なものには手をつけてはいけない」とストロングになると、もう相当狭いレンジになってしまうわけですよね。
 そういう哲学的な議論に陥らず、どこかざっくりした分かれ目はつけておいた方が、書きぶりが相当よくなるのではないかと思います。
 そこで重要なことは、経済学的に代替関係をどう考えるか。インジウム、今、計算すると5年しかないわけですね。では、液晶はどうなるのか。亜鉛か何かにするのかよくわかりませんけれども、すぐ代替が効くんだと発想するなら何もしなくていいし、代替ができないならインジウムのリサイクルも考えなければいけない。市場でそれが回るところもありましょうし、そこのところは、やはりある程度ざっくりと我々の考えを押さえておく必要があるかと思います。

○花木検討員 皆さん同じようなことを言っておられるわけですけれども、森口さんの話にあったように、持続可能性というのは、満たすか満たさないかのようにイエス・ノーではないというのは、もうみんな同意されることだと思うんです。持続可能性がより高いか、より低いか、どのあたりに設定するか。現状のビジネス・アズ・ユージュアルは非常に持続可能性が低いので、それをよくしていこうということでそれは連続量なのです。
 それと、実はそれよりもう少し本質的に引っかかっているのは、(2)が「環境・社会像」ではなく「環境像」となっている点です。前段は「環境・社会像」となっていますね。持続可能性という言葉で評価しようとした途端に、環境だけでは評価できないことになってくるんですね。これは日本の中の問題で言えば、格差の問題であるとか生活の質の問題であるとかを含めなければいけない。格差はちょっと要因が違うかもしれませんけれども、生活の質と我々が使う物質の量には非常に関係がある。それを数量であらわそうとすると環境経済的なアプローチになってくると思うんですが、その社会的な部分を入れない限りは、なかなか持続可能性ということを言い難いという問題があると思うんですね。
 それと、今の環境像のところの2つ目の「・」で、まさに森口さんがおっしゃったわけですけれども、もう少しお伺いしたいのは、「持続可能性の条件を満たすための環境・資源に関する具体的な条件は複数設定して」と書いてあって、繰り返しませんが、持続可能性の条件はイエス・ノーではないんだけれども、持続可能性を高めるための条件ということで、これは、いろいろあるけれども環境・資源については複数設定するという意味なのか、それは言い換えると環境・資源以外のもの、生態系の多様性とかそういうものは、この「環境」に入っているのかどうか。これはある意味ではこの文章に対する疑問なんですが、もし生物多様性だとかリスク物質、それからこの前、最後に沖先生から話題があった、前から課題になっている水質の問題、大気の問題、そういった環境の質の問題、それがこの「環境」という言葉に入っているとすると、資料の裏にいくと書いてある「地球温暖化及び物質循環」を複数設定する要素として考えるという「物質循環」の中にそういうものが全部入ってくるのか、あるいは地球温暖化、物質循環は別に生物多様性、それから我々の生活の質としての大気、騒音、水質というのを入れるのか、そのあたりをどういう構造でここに書いておられるのか、お伺いしたいと思います。

○安井座長 場合によると、事務局内でもまだ合意があるわけではないかもしれない。(笑)

○苦瀬企画官 どういうつもりかということで言うと、これは多分、ある程度は安井先生も含めて合意があるような気もしているところですけれども、例えば環境物質による汚染だとか在来型の汚染については、割と一定の水準で「安全でなければいけない」とか、もちろんリスクの程度がどのぐらいでなければいけないとか、設定のしようはあるんでしょうけれども、余りそこで分けるというよりも、そこは1本でもいいのではないか。そういう意味で、2つの中に特には書いていないということになるかと思います。
 ただし、広い意味で、今回、参考資料1の5番を見ていただくと、物質循環の中に汚染の問題も入れてしまっています。そういう概念整理で言うと、汚染のところも複数のつもりなのかどうかは文言上、疑問が出てしまうんですが、汚染のところを特に積極的に分けたいと思ってそれを入れたというよりは、参考資料1の2ページの5の(2)で言うア、イの固まりのところでの複数ということをイメージして、「複数」と書いたということです。
 それでは、(3)の生態系に係る問題については複数設定しないつもりか、1個でいいと思っているのか。これは多分、どの項目についても複数考えてみた方がいいのではないかということを、今の汚染についても生物多様性についてもあり得るのかと思いますが、特に生態系については、1つ決めるのでも、数量的に決めるとなるととても大変ということがありますし、そういうテクニカルな問題だけではなくて、恐らく……

○花木検討員 誤解があったかもしれません。複数設定というのは、シナリオという意味の複数ですか。「複数」と言われるのは、温暖化、物質循環という意味の複数ではなくて、それぞれについて複数のシナリオ設定をしていくという意味ですね。

○苦瀬企画官 はい。

○花木検討員 そうすると、それ以外のところは、ここに環境像としては出てくるけれども、シナリオスタディは必ずしも必要ないのではないか、あるいは場合によっては一部やる、そういう意味ですね。

○安井座長 そうです。

○西岡主査 また「今さら」というような話をしてしまうかもしれませんけれども、例えば温暖化の例で言いますと、日本がこれだけ何%減らしますよということは、世界の持続可能性に対して一つのコミットメントをしているという具合に考えるわけですね。そうしたときに、この全体の作業自身が国内を見ているだけではなくて、世界に対して「日本はこういう形で世界の持続性に貢献するんだ」といったことになると、今の皆さんの議論の中で、例えば、やはり日本に出入りするところのいろいろな意味での環境に関する活動あるいは資源といったものに対して、何かのバウンダリーといいましょうか、目標を設定することが多分、出てくる必要があるかなと思うわけですね。
 我々、気候を使うことに対しては、これだけコミットメントしますよという話が多分、気候の問題ではある。だけれども、これは沖先生のバーチャルウォーターはどれくらいまでしか使わないとか、それから物質については、ひょっとしたら特にエコロジカルプリントみたいな形でもしなければいけないかもしれないし、あるいは生態系というのは非常に難しいけれども、もちろん日本の生態系は守りますけれども、多分それだけが世界に貢献することではなくて、例えば野生生物の出入りの話とかワシントン条約とか、いろいろな問題もありますけれども、そういう面で、外とのつながりでの何かのあれがあるかもしれない。それから、日本が輸出入している化学物質についてもどう考えるかとか、いろいろな、日本を一つの使用者と見たときに「我々は、環境に関する資源はこれくらいにとどめます」というような宣言的なものが要るのかなということなんです。
 これは、こういうものができたときに、国民に向けては「中ではこうしましょうよ」という話ですけれども、外に向けて「日本はこういう形で世界のサステイナビリティに貢献することを考えております」というようなこともするんだったら、何かそういうことも考え方としては要るかなということを考えました。
 余り大もとに戻るようなことではないと思うんですけれども、そういう考えも取り入れられたらと思っております。

○安井座長 あとご意見をいただきたいのは沖さんと、それから川島先生には、例えば物質循環の中に農業絡みのN、Pなどはどうするのかといった話はどう思われているのか。

○沖検討員 水の話で言いますと、余り水に関係ないことですが、持続可能性ということを考えたときに、2050年に世界的に見て持続可能になっていなければいけないかどうかということですね。
 といいますのは、BAUが持続可能でないという話がありましたが、IPCCのA1あるいはB1の人口を見ますと2050年ぐらいにピークという予想になっていて、現在の国連の長期の推計、どのぐらい当たるかわかりませんが、いずれ今世紀の半ば前後にはピークを迎えて減っていくのではないかといった予測が出ているとしたときに、世界の持続可能性に対する一番のプレッシャーが人口だと考えると、その一番の危機が2050年ぐらいである。そうすると、考え方次第ですが、その頃には非持続的な資源を使って何とかその人口を乗り切って、そして今世紀の終わりぐらい、少し人口が落ち着いてきたころに持続可能な社会を目指すというパスがあってもいいのではないかと私、個人的に思っているものですから、そう考えると、2050年に持続的でなければいけないかというところが、ちょっと微妙かなと。
 つまり、例えば化石水のような水資源を考えても、2050年には人口が多くて何とかそのときの食糧を満たさなければならないとしたときには、非持続的だけれどもこれを使ってしまって、その後はその後で何とか持続的にしようということも、まああり得る。極端に言えばですね。そう思いますので、皆さんと違うことを言っているわけではなくて、2050年時点でどのくらいの持続性を達成するかということは、そういう状況を考えてからでもいいのではないかと思いました。
 もう一つ、せっかくの機会ですから述べさせていただきたいと思いますが、一番最初のこの会議に出たときに、将来像を語るのであれば若い人の意見を聞いた方がいいのではないかと私、申し上げました。再びそういうことを感じましたのは、例えば参考資料1の5に「目指すべき2050年の日本と世界の環境像」とあって、これを具体的に社会・経済シナリオを回して、こういう像が達成可能ですよということを示そうというのが、多分、今、座長や担当課の方で考えていらっしゃることだと思うんですが、これを見ると超保守なんですね。現在より悪くなってほしくない、今のままの日本と世界であってほしいというように読めるわけです。
 例えば温暖化に関しても、大きな危険を生じさせない、枯渇しない、物質循環はちょっとあれですけれども、汚染についても現在の程度以下のリスクとか、生物多様性でも現在程度とか、全部今がいいと。それだけだと私はちょっと寂しい気がするというか、本当に今の環境でみんな満足しているのか。いや、環境省ができてから三十数年たって、もう日本はきれいになったのでこれ以上何もインプルードしなくていいと思っているとは思えないので、もうちょっと夢があって、せっかく四十数年後なわけですから、こんなふうにもっとよくなっていますよと。前回の水、大気と同じことを言っているかもしれませんが、そういう像をもう少し示すべきだったかなと。
 これは多分、合宿の成果なんですけれども、超保守なんですね。最近それを感じました。
 ただ、それはさっき私が言ったこととは矛盾していまして、実は若い人に何が望みかと聞いても、今の豊かさを失いたくないといった結論が多いんですね。なので、だれも欲していないならいいと思うんですけれども、ここはせっかくの有識者会議だと思うので、もっとこんなところをよくするべきだ、そうした上でも地球温暖化に差し障りはないし、物質循環的にも今よりずっと負荷が少なく、持続的な社会に持っていけるんだということを示すのが望ましいのではないか。もう少し夢を入れた方がいいなと感じました。

○川島検討員 それでは、食糧とN、Pの持続可能性について少しお話しいたします。
 非常にハードなことを言いますと、Pはいつかなくなるという意見が必ず出てくるんですが、私は、そこそこ試算はしているんですが、次の50年でなくなることはまずないだろう。
 食べ物についての話ですが、後ろの参考資料を見るとかなり危機感を煽るようなことも書いてあるんですが、実は私は、食糧はかなり余裕があると思っているんですね。
 何が問題かといえば、先ほど細田先生からお話がありましたが、恐らく足りなくなれば、だれかが何かやるんですよね。非常に市場が柔らかく動いている部分で、過去の50年くらいを今、整理して検討しているんですが、技術の進歩が非常に早いんですね。これはよく知られていることですけれども、単位面積当たりの収穫高は人口の伸びを上回ってしまうので、次の50年でサステイナビリティがなくなってしまうかと聞かれれば、どんどんよくなっている。何がよくしているかといえば、それは人間の技術なんですね。科学技術がそれをよくしているということで、サステイナビリティがなくなっていくのかという議論をされるとすごく困ってしまう。
 人間は、恐らく自然資源を使いながら悪さをしているんだけれども、科学技術をえらく発達させてしまっているのが私は現実だと思うんですね。その辺を踏まえて書かないと、人間が経済活動をし、科学技術を発展させていくと自分が滅びていく、よくあるストーリーですよね。現実に起こっていることは、このストーリーとは全く違うんですね。食べ物の部分で見れば私は、科学技術が発達してサステイナビリティが増していると思うんですね。だから、これを見ているとオーソドックスな危機論ですか、人口が増えて人間が経済活動で悪さをすると大変な天罰が下るぞというストーリーなんですが、現実に起こっていることは、私は、食べ物についてはサステイナビリティが増していると思っています。ちょっと答えにならないかと思いますが。
 Nについても、日本でNを消化できないかという議論が常についてきますよね。ですけれども、これも真っ向から反論するとおかしい話で、外から輸入穀物─バーチャルNが入ってくるからおかしくなると言うんですけれども、では、入れなかったらどうするかといったら、日本でつくらなければいけないわけですね。日本でつくると、穀物に含まれるNの2倍くらいは環境に出さないとできないわけですね。日本に1億2,000万人が住んでいる以上、外から持ってこなければ日本の中でつくらなければいけないんですから、余計Nが出るわけですね。ということは、Nについての日本のサステイナビリティということを話すと、日本に1億2,000万人は、いすぎるということなんですね。
 そういう意味では、6,000万人くらいだったら外から持ってこないしNも適切にできるという議論で、ですから、どこにサステイナビリティの基準を置くかをしっかり言っていただかないと、何というか、その場、その場でNのサステイナビリティがない、バーチャルNが入ってくると言ってみたり、かなりオーソドックスな危機論でサステイナビリティを語ってしまうとちょっとずれていく、そういう印象を持っています。

○安井座長 余り時間もないんですけれども、いろいろご意見いただきまして、だからどうという結論がすぐ出たというわけではございませんけれども、先ほど申しましたように、この検討会の意見と実際に事務局でやっていくモデルの計算と、うまく整合性をとりながら進んでいけばいいんでありますが、今、伺いましたようなお話と、それから実際、計算にインプットするデータとして何をやるか、シナリオを幾つ書くかということに関しては、実はそれほど大きな影響はなしで、今のは多分、こちら側の結果が出た段階からまたフィードバックしつつ……。
 それとまた別に、これは事務局にお願いなんですけれども、やはり持続可能性ということを報告書に載せる前に、もう一遍どこかで進行にかかわらないアドホックなミーティングを開いて、少しガス抜きをやらないとだめではないかという気がするんですね。雑談になってしまうので、こういう進行にかかわるようなところでそれをやるわけにいかないので。
 例えば今、沖さんがおっしゃったことでも、私は実を言うと人口は2050年ピーク説だけれども実際の危機は2080年説なので─というのは、人間がそれから贅沢になるから。だから、人口はそうなんだけれども1人当たりの消費量はそれから増えるから、私は2080年ぐらい、場合によると2090年あたりが危機ではないかと思っているんだけれども、それはしかし贅沢をやめればいいのでね、どうということはないのかもしれないけれども、そんな話とか、それから細田先生の、まさにウィークかストロングかといった話、どの辺がオプティマムかみたいな話とか、そんなこともやっていきたい。
 そして、そろそろまた森口先生に戻したいんですけれども、要するに、計算の入力側のデータとして何を考えたらいいのか。そういうことを考えないで、例えば今程度といいますか、恐らく今の日本のリサイクル社会というのは世界的に見ても、物によってはやり過ぎかもしれないぐらい、今の世界のスタンダードに比べればやり過ぎているけれども、それを評価する方向なのか、そうではなくて、もう少しGDPを稼ぐと多分またリサイクルが進むと思うんだけれども、そういうような、GDPが若干伸びるからその範囲内でできることだという解釈ぐらいでいいのかというあたりを計算にどう反映するかというところが、一番効くかなと。
 沖先生の「もっといい環境があるよ」という話も、これは雑談になってしまうから言わないけれども、ノルウェーなどに行ってみて大分思い当たる節があって、結局、このモデルではGDPを伸ばすんですよ。GDPを伸ばすと、多分その範囲内でできることがあるんです。だから、そこの自由裁量権があるかなと思っているわけです。伸びれば。
 そういった範囲内、要するに、ある意味で手の内に自由度を確保するという範囲内で何かできるのではないかという感じなんですけれども、いずれにしても、そのあたりを森口先生あたりに、「こういうことは外的条件として決めろ」みたいなことがあるかどうかが1つ大きいかなと。どんな部分でもいいんですけれども。例えばレアメタルだけではなくて、廃棄物でも何でもいいんですけれども。

○森口検討員 いろいろ申し上げたいことがあったんですが、まず、沖先生からご発言があったこと、非常に示唆に富むことかなと思っていまして、2050年をどう考えるかなんですが、持続可能性というのは恐らくある一断面で、クロスセクションで考えていてもだめで、例えば2050年にBAUの予測をしたときに、今はとにかくBAUは非持続可能と書いているんですけれども、2050年にこういう検討をやったときには、「とりあえず2050年は持続可能だね」と言っていればいいのかもしれないですね。2050年という断面では、実は非持続可能なんだけれども、これからよくなっていくから、実は「これから持続可能だね」ということが2050年に言えていればいい、そういうことなのかなという気がするんですね。
 ですから、常に持続可能性というのは、ある程度、将来に向かった時間軸をダイナミックな概念で、ある単断面だけで言っていても多分しようがないんだろう。あるいは2050年では持続可能だと思っていても、その後、何らかの変化が起きればまたいい持続可能に陥ることもあり得ると思うので、そういう意味では、安井先生が2080年危機説とおっしゃったことと沖先生がおっしゃったことは多分全然矛盾していなくて、そういうものを書いていくんだろうなというのが1つ目の感想です。
 その上で、まず物質循環というか、資源みたいなものに関してどのぐらいの目標が置けそうかという話に関しては、西岡主査がおっしゃったことと少し関係してくるんですけれども、例えば物質材料研究機構のグループがやっておられるものの中で、この後、世界の人口が伸びて経済が伸びると、例えば金属資源がどのぐらい足りそうか、足りなくなりそうか、こういう試算はされていて、それに関して言えば、川島先生がさっきおっしゃった農業に比べると、もうちょっと危機的、もっと足りないかもしれない、農業よりはそんなものの方が足りないかもしれないなという予測はありますので、例えば先進国であれば、経済生産当たりの効率みたいなもので言えば、例えば8倍ぐらいにしなければいけないとか、そんな数字がそろそろ出かけているので、何らかの数字は出せると思います。
 その上で、今度はモデルが対応できるかということになると、私も十二分には理解していないところがあるんですけれども、今、増井さんなどがやっている国環研のモデルは比較的、何というか、クロスセクションごとの分解能をそれなりに配慮してつくっている。つまり、ある程度リアリティをもって社会を描かないと説得力がないというところがあるので、ある種の産業セクターの中に分かれた構造になっているんですね。
 こういう類のものを数十年、あるいは2080年ぐらいに向かって伸ばしていくということは、 構造的には非常に難しいんです。2080年ぐらいに向けてやっていくというのは、例えばローマクラブ、もう古典ですけれども、ああいうタイプのシステムダイナミクスで、余り中は細かく分かれていないんだけれども非常に長期にわたって解き得るようなモデルにしなければいけない。特にポイントは何かというと、蓄積したものからどうやって物を回収して、またフローに戻していくかというところが非常に大事なんですけれども、今、持っているモデルの中ではそれがなかなか十分に表現し切れていないんですね。それをやらないことには、実は資源循環のサステイナビリティという議論は余りうまくいかないんですね。
 それは私自身も非常に研究課題として重要だと思って、最近、手をつけかけてはいるんですけれども、現時点でこの検討に間に合うような定量的な予測をするのは正直言って非常にしんどくて、そういうことを少し定性的には考えながら設定していくのかなと思うんですけれども、今、この検討のベースになっている国環研で動かしているモデルにいきなりそれを突っ込むと、かなり厳しいのかなと私は感じているんです。もし誤解があれば、後で増井さんの方からリアクションいただければと思います。

○増井氏 今は、ある断面、2050年という1つの断面しか検討していませんので、そういう意味では、確かに森口さんがおっしゃるような矛盾点というか、問題点はあるかと思います。ですから、その後で経路の話をする、そのパスをどう描くかという、そこのところで今、どれだけストックされていて、そこからどれぐらい使うのかといった話ができるのかなと思っています。
 ただ、どういう経路を幾つ描くのかについては、時間的な問題も実はあるので、完全にご希望どおりのものができるかどうか、不安な面もあるんですけれども、何とか対応は可能なのかなと思っています。
 もう一件、2050年について、結構細かいところまで表現しているといった話がありましたけれども、実は2050年の像についてもいろいろ矛盾というか、検討会で求められているものとそうでないもの、今、森口さんがおっしゃった内容の矛盾点みたいなものがありまして、前回の検討会の中でも、人々が本当にどういう生活をしているのか、そこのところである程度リアリティを確保しておかなければいけないと感じています。そうすると、2050年あたりが限界なのかなということで、その辺の矛盾を感じながら作業をしています。

○川島検討員 楽観論みたいなことを申し上げたんですが、私はこういう話だと思います。食糧などで見ると、非常に危機が迫っているといったところでサステイナビリティを考えると、妙な話になってしまうと思うんですね。ただ、サステイナビリティという概念を食糧で見ていると、絶対量が足りなくなって飢えるというよりは倫理的な面がかなり強く入ってきて、食糧をつくるためにこれ以上自然の物質循環を乱すのかとか、1人当たりもっとどんどん妙なものを食べる方にいくのかとか、そういうことが入っていると思うんですね。
 だから、サステイナビリティということを常に科学的に「ここまで行ったら人類が滅亡するぞ」というところで書くのではなくて、いつか沖先生が言っていた「足るを知る」ですか、そういったところがかなり入っていて、現在の人間の、例えば1人当たり生きていくのに乱す物質のディスターバンスをこれ以上増やさない方向で行って、何かをつくる社会にするのではないかという倫理的、宗教的な面をかなり入れないと、話がどんどんおかしくなっていってしまうと思うんですね。これ以上人間が何かやると滅びてしまうというストーリーには、私は余り賛成しません。むしろかなり倫理的、それは恐らく湯本さんなどの生物多様性の問題なども含まれてくると思うんですが、人間が余りエゴイズムで生きるのはいけないのではないかというところとかかわってくる、食べ物のところからは、そういうふうに思っています。

○安井座長 後でご意見をいただきたいと思っております。
 それでは、一応こんなふうにさせていただきたいと思います。資料1でございますけれども、実際に今日の結果を増井班といいますか、国環研側のモデル班に渡して「これをやってよ」ということだけを考えますと、特に新しく具体的に「これをこういうふうにやれ」といった提案は特になく、むしろフィロソフィーからのディスカッションが多かった。これは、その結果を報告書にどう反映するかというときにもうちょっと考えた方がいいので、そのためにどういった思想を持つべきかに関して放談会みたいなものを開いて、少し考えさせていただく。
 このモデルに関しては、例えばシナリオを幾つ持つかに関しては、大体、今、頭にあるようなことでそれほど狂わないような気がいたしますので、当面これまでの既定方針で進めさせていただいて、結果が出た段階でまた「こんなものか」というようなことを、これは後の議論とも絡みますので、そのときにやっていただきたいと思います。
 そういうことで1番目の議題はおさめをつけさせていただきたいと思います。
 次の議題は、目指すべき環境・社会像と定量的分析についてでございます。
 それでは、苦瀬さんに口火を切っていただきたいと思います。

○苦瀬企画官 これも先ほどの参考資料1で、前々回に項目と手順ということで、ある程度報告の項目のイメージみたいなこともしつつ、どんな項目を整理していく必要があるか並べた、それを踏まえて項目を立てて、特に重要なポイントである環境像、社会像をどう設定し、さらにそれが成り立つか、それでいいかといった分析をする具体的なものに落としていくとこういうことかなというたたき台というか、議論の材料を整理したものです。
 さっき幾つもご指摘いただいたことで、全部はこたえ切れないんですけれども、この中で関係するところがございますので一、二触れますと、花木先生からは、環境像と書いてある社会的な要素が満たされないと、持続性はできないというご指摘があって、それは第1回目のときから、そもそもこの持続可能性はどういう範囲でやるんだろうみたいな議論をしたところとも関係すると思うんですが、そういう社会的な公平性とか、いろいろな社会的な問題も視野に入れ、そういうものうまくやらなければいけない社会像というのをある程度含めて、モデルでどこまでやるかは別として、そもそも考え方としては、この6番の中ではそのことを入れる。だけれども、それは一応は、そういう汚染の問題にしろ物質やら水やらいろいろな問題についてやる、そういうことでの持続性を目指すことを先に設定した上で、そういう感じの構造になっています。ですから、それを満たすためには社会の公平みたいなものも必要なんだけれども、公平性の方を先に目標に立てるかというと、そういう形にはしていない。だけれども、6のところでは意識するということかと思います。
 あと具体的な中身については、日比野さんから説明していただきたいと思います。

○日比野氏 では、資料2に基づきまして、具体的に中身を説明させていただきます。
 まず、目次をごらんください。
 今回のご説明、まだまだ中身がきっちり埋まり切っているものではないので、大まかに、こういったストーリーで作業、及び最終的にこの検討会の成果として取りまとめていくというところを中心に見ていただいて、ご議論いただければと思います。
 本日ざっくりご用意いたしましたのは、目次の3から6に至るところでございます。1、2については前段というか、これまでやってきた作業の手順、検討に至る手順などをまとめたものです。
 目次の方でざっくりご説明いたしますと、まず、社会・経済がどのような趨勢になっているか。ここで言う趨勢というのは、ここ数年のトレンドという意味ではなくて、2050年に向けて国内外で各種検討等されているものをいろいろ集めて、こういうふうなことになると国内外で言われているということを中心に取りまとめます。
 3では社会・経済なんですけれども、持続可能性についてこういった問題を指摘されているというところが4章で述べます。そして5章で、そのためにはどんな目標を設定すべきかを書きまして、そのためにはどんな社会像になっていなければいけないかということを6章で書きます。
 そういったストーリーで作業及び検討結果をまとめていく予定でして、具体的にどうなっているかは2ページ以降で説明させていただきます。
 2ページをごらんいただきますと、社会経済の趨勢ということで、よく書かれるような分類、統計書とか、こういったものでは大体こんな感じで、いろいろな断面でいろいろな記述がされますので、そういった断面がどんな趨勢になっていくかということを、ここで書いていこうと思います。個別にはちょっと飛ばしますが、人口、経済、エネルギー資源、水資源、食糧、国土、社会資本、国際社会、そういったものがどんな傾向であるかを最終的には文章で書きつつ、これまでいろいろ集めてきたグラフや表、そういったものをいろいろ追加して、より見やすい形にしていこうと考えております。
 そういった趨勢に基づいて、7ページに持続可能性のリスクとして、これは苦瀬さんからこれまで説明いただいたものと変わっていないんですけれども、地球温暖化、物質循環、生態系、その他の問題について、どういった問題があるかをここに書きます。ですので、このままBAUでいったらどんな環境問題が生じるかをおおむねここで定性的に、これまでの国内外の検討も含めて、そういったところで書いていこうと思っています。
 8ページでは、具体的に目指すべき環境像、定量的目標を書いていく予定です。
 まず(1)地球温暖化、エネルギー資源問題についてですけれども、地球温暖化については、気温上昇を産業革命─工業化以前から2~3度程度の上昇にとどめる。そして、その達成のために必要な年度までの排出量を吸収量以下に抑えることを目標としていこうと考えています。
 エネルギー資源については、枯渇による問題を避けるために消費量削減、再生可能エネルギーの利用を拡大していく必要があろう。そのためには、今、4トン程度の1人当たりエネルギー消費量を2トン程度に削減していく。また、そのエネルギー消費量ですけれども、再生可能エネルギーの部分は除いたものにするのが指標としてふさわしいのではないかと考えております。ただ、再生可能エネルギーとしては、そこに列挙したものを定義的な対象としていますけれども、果たしてバイオマスをどう扱うか、これから検討していく必要があるかと思っております。
 物質循環につきましては、とりあえず、今の段階では最終処分量が3,000万トンを切ってきていますけれども、将来的に2,000万トンの目標、もしくはもっとドラスティックに10分の1目標、200万トンぐらいまで減らしていったらどうなるかという検討をしてみてはどうかと思っています。これについては今、この数字を置いておりますけれども、とりあえずこの数字をもとにモデルの方でいろいろ解析して、緩過ぎる、もしくは厳し過ぎる、経済的にどうしようもない状況になっているといったことになったら、その結果を踏まえてまた変わっていく可能性がありますので、とりあえず仮置きの数字だと思っていただければと思います。
 これは出口の指標ですけれども、広い意味での物質循環問題をとらえていくという意味では入口についても必要だということで、ここに3つ「・」を挙げておりますけれども、その中のいずれか、または複数について目標値を設定する必要があるのではないかと考えております。再生利用量、循環率を高める、リサイクルを増やすという意味での指標、さらに、とはいいつつ再生可能な資源を投入しない限りそういったものは回っていきませんので、再生可能資源の投入量も見ていく、そういった指標を検討の対象といたしております。
 続きまして生態系ですけれども、ここら辺は、先ほど苦瀬さんからもご説明がありましたように、定量化が非常に難しいので、現在程度の生態系の水準確保を目指すといった記述にとどめております。
 そういった環境の目標で、環境像につきましても、10ページに示してありますように具体的にグラフも載せて、見やすい形にしていこうと思っております。
 続いて11ページ、目指すべき社会像についての記述に移ります。
 まず、どういった環境像、どういった社会像にすべきか定性的な記述を行っております。ここにつきましては、いろいろな書き方があるかと思いますが、まず(1)地球共生マインドに基づく持続可能なライフスタイルというところで、人々の価値観、心、そういったものを、より持続可能な社会を実現するための方向に持っていく必要があるのではないかということを書きます。
 その中に「・」で書かれているものは、皆さんに合宿のときに出していただいたコアエレメントを中心に、それらを事務局の方で集約して分類し、列記しております。[1]に集めたものは、まず、日常生活の中でよりエコロジカルなライフスタイルを定着させるために、こういった社会になっていなければいけないというものを抽出しております。[2]については、日常生活というよりは、労働の場において人々がどういう心の持ちようでやっていくかというところを列記しています。時間がありませんので、個別の「・」については説明を省かせていただきます。
 (1)が心の持ちようで、(2)は実際に産業、経済といった局面で、要は物を食べていく、そのための糧としてどういったところを持続可能にしていかなければいけないかを書いておりまして、[1]持続可能な社会を支える企業市民では、お金を稼ぐ局面で環境に配慮した行動をとっていくべきということを書いております。[2]ものづくりを通じた環境立国では、環境技術で日本は金を儲けていくということを書いております。[3]につきましては、サービス産業の中で新しく環境サービスというものを提供していく産業を今後、創出していく必要があるのではないかということを書いております。
 (3)につきましては、技術です。省資源、省エネ、ゼロエミッション等の技術が開発、普及されていなければならないのではないかというところを書いております。あと、直接環境技術ではないんですけれども、IT、ナノテク、バイオ技術、こういったものがより環境をよくする方向に開発され、適用される社会を実現していく必要があるのではないかということで、ピックアップします。
 (4)安全・安心・持続可能な暮らしを支える国土・社会インフラでは、国土形成、社会資本、そういったものがより持続可能なものになっている姿を書く予定です。
 [1]エコシステムサービスの持続的活用では、生態系サービスがうまく維持・管理されて、それらを国民が享受できている社会を書いています。
 [2]地域活力の維持と環境保全の両立につきましては、農村部、山間部、そういった所がすたれていくのではなく、しっかりした活力を持って、しかもそこで環境が維持されているというような社会を描いています。
 [3]、それに対して都市部につきましては、だらっとスプロールした都市ではなくて、コンパクトシティを核としたものになっている姿を書きます。
 [4]は、まさに(4)の全体のあれですけれども、安全・安心、そういったものを実現している国土ということを書きます。
 [5]は食糧問題です。安定した供給がされるといった姿を書きます。
 [6]は、水についてです。?につきましては、エネルギー供給システムです。[8]が交通システム、[9]が住宅・建築物。ちょっとここは分量が多いんですけれども、国土利用、社会資本について、持続可能になっているということを列記します。
 (5)は、そういった社会のちゃんとしたルールができて、それを運営できる日本社会になっているということを書きます。
 [1]重層的なガバナンスの機能では、地域的なもの、地球的なものの両方を睨みつつ、しっかりした統治が行われるような政治、ルールができていなければいけないということです。
 [2]は、予防原則、あと次世代間の調整ができるようなルール、そういったものができている必要がある。
 [3]につきましては、市場がグリーン化されている必要がある。
 このように、(5)についてはルール面を書いております。
 (6)は、国際関係。そういったものが日本の協力及び日本がそういった国際的ルールをつくるようなアプローチ、そういったものをしていっている姿を書く予定です。
 以上が6.1なんですけれども、こういった社会の姿をあくまで定性的に書きまして、それが本当に定量的な側面から見ても整合性がとれていて、本当に環境目標を達成できているのかを6.2で具体的に、ここにはまだ全然入っていませんけれども、この後、増井さんから説明していただくモデル、その結果をうまく引用して、整合がとれた社会の姿、ちゃんと持続可能な社会となっている姿を記述していく予定でおります。
 具体的にどんな項目を記述するかといいますと、二酸化炭素排出量及びその構造であり、エネルギー消費量及びその構造であり、資源消費・循環の分量であり構造、あと食糧・木材・エネルギー資源の自給率、日本における土地の利用状況、人口、ライフスタイル、経済・産業の状況、交通の状況、住宅・建築物の状況、そういったものを、まだこれは仮の値ですけれども、17ページに示してありますような表やグラフを使いつつ、文章とともに書いていく予定でおります。
 18ページまでの今の定量的な姿というのは、1つ「こういった方向になるでしょう」というのをお見せするんですけれども、それぞれもうちょっと違うシナリオもあるのではないか、本当に将来の社会像はここで言う1つなのかというご意見もあるかと思いますので、もうちょっと違う方向に動いたらどうなるのか、また、そういった状況でもしっかり持続可能な社会、もしくは目標として掲げた環境像が達成できているのかを示すために、6.3の分岐シナリオを書いております。
 どういったものをここで分析するかといいますと、[1]標準シナリオ、これは先ほど安井先生からもお話があったように、「標準」とするとちょっと規範的なので、「普通のシナリオ」とか「混合的なシナリオ」とか、そんな表現に置き換える必要があるかもしれませんが、6.2でやったような分析をまず1つ揃えまして、それがよりグローバルな方向に進んだ場合、もっと国際交流が進み、いろいろな対策においてももっと国際的な枠組みを利用した方向に進んだ場合、逆に、もっと国家の中でクローズして物質循環や対策を行っていくようなシナリオ、その両方に振らせて社会がどうなっているかを見ていこうと考えております。
 具体的には20ページから、そういった社会の違いによってどのような定量的な違いが生じるか、これもまた6.2と同様に増井さんの計算結果を交えまして、定量的にこの章で記述していく予定でおります。
 ここでは、例えば人口の想定、就業者数の想定、あと先ほどからいろいろ議論になっている話ですけれども、例えば23ページにありますように、これはまだ仮置きの数字ですけれども、食糧自給率が今のまま置いたり、もっと大きく高めるように置いたりといった違いを見せて、それぞれどんな社会になっているのかを検討していく予定でおります。
 そういった社会経済の趨勢から目指すべき社会像をどんな感じで検討して、最終的な結果としてまとめていくか、今、ご用意しているストーリーについてご説明させていただきました。

○安井座長 これが最終的なアウトプットみたいな格好になっておりますが、関連いたしまして、今、増井さんの方でおやりいただいている定量分析絡みの話を続けてご説明いただいて、まとめて議論させていただきたいと思います。

○増井氏 それでは、お手元の資料3に基づきまして説明いたします。
 まず、お詫びが2点ございまして、1つは、お手元の資料3はどうやら古いバージョンが印刷されているようで、昨晩、加筆したものを事務局に送ったんですけれども、締め切りに間に合わなかったようです。6ページあたりまでは全く同じで、7ページ、8ページに少し加筆してあります。どういう点を加筆したのかは、また後ほどご説明いたします。
 また、タイトルに「目指すべき環境・社会像に係る定量分析について(案)」と書いていますけれども、むしろ報告書の案というより作業の進捗について、あるいは作業の方法について書いてございますので、その点、内容がタイトルと合っていないことをご理解いただければと思います。
 今回の資料3の中身ですけれども、1ページの冒頭に書いてございますように、対策というところをメインに記述しております。つまり、先ほど日比野さんの方から2050年の社会像あるいは環境像はどういうものなのかという説明がございましたけれども、そういう持続可能な社会を達成するために、ではどういう対策が必要になってくるのか、その対策をどういうふうにモデルに盛り込んでいくのか、そのあたりの説明をここに書いてございます。
 ただ、対策といったときに、この資料では主に個別の対策、いわゆる環境対策ということで、技術によって環境負荷を減らしましょう、あるいは効率を上げましょう、そうしたことがメインに書かれているんですけれども、実は対策というのは、そういう個別の対策、技術だけではなくて、社会構造の変化も含めた、より広い意味での対策というものも含まれております。その点、今回はどちらかというと狭義の対策がメインに書かれていますけれども、広義の対策もあるとご理解いただければと思います。
 1ページの1番は環境目標ということで、これは資料2の焼き直しです。1点注意といたしまして、真ん中のあたりなんですけれども、さまざまな指標を今回、持続可能性を達成できているか見ていくわけですけれども、ある項目についてはモデルの結果ではなくて、その前提として扱われる項目がございます。例えば各部門別の循環利用率の指標ですとか、あるいは食糧自給率、あるいはエネルギー効率-社会全体ではなくて、それぞれの部門ごとなんですけれども-、それについては前提として扱うという形でモデルが構成されています。
 ある指標については、計算結果として表現されるもの、例えばCO2の排出量ですとか、指標として余りふさわしくないということでしたけれども最終処分量ですとか、こういったものが混在しています。先ほど来、川島先生からいろいろ議論いただいております倫理的なものといいましょうか、こういうような、明らかに持続的でない状況をインプットした場合に結果がどうなるのか、あるいはそれを持続的なものとして考えられるであろうパラメーターに置き換えたときにどうなるのかといったことを入力条件として変えてみて、その結果がどう変わっていくのかを見るものと思っております。
 2番の(1)社会像の描写と広義の対策は、前回の資料に相当するものですので、ほとんど記述はしておりませんけれども、例えば、2ページに簡単な図が書いてありますが、どういう部門があって、どういう主体があって、どのような財や資源のやりとりがあるのか、そういう中で具体的に、例えば輸出入の中でどういった製品を輸出入すればいいのか、あるいは環境保全に関する政府の役割、あるいは政策といったものを実施していく、さらには環境保全に寄与するような社会資本ストックを整備、構築していくといったことが重要になってくるのではないかということで、書いております。
 また後ほど説明しますけれども、今回の資料の中で二重に示されている部分が、主にその対策に相当するものであるとご理解いただければと思います。
 (2)各環境問題に対する対策の検討では、それぞれどういうものがあるのか、温暖化、物質循環、生態系サービス、それぞれについて考えています。
 温暖化でいきますと、エネルギーの効率を上げていくとか、供給側でいきますと発電効率を上げるとか、エネルギーのミックスをより自然エネルギーを利用するようなものに変えていく、さらには高炭素エネルギーから低炭素エネルギーへと転換していく、そういったものが考えられます。
 物質循環では、生産当たりの物質投入量を減らしていく、あるいはその投入する財について再生品の比率を上げていく、あるいは投入に対して廃棄物の発生量みたいなものを減らしていく。その発生量に対して実際、排出されるものを減らしていったり、あるいは、それと同じ意味ですけれども、副産物、有価で取引されるようなものの比率を上げていく。あるいは廃棄物処理部門につきましては、実際処理される廃棄物に対して再生利用量を増加させたり、あるいは最終処分量を減少していく、そういう技術なり対策が考えられるだろうといったことを書いています。
 生態系につきましても、活動当たりの土地の需要量を減らしていったり、あるいは本当に生態系保全において重要な土地を確保していく、増加させていくといったこともあるのではないかということが書いてあります。
 その他としては、共通項ですとか、あるいはもう少し環境の側面が弱いものについて書いているんですけれども、製品の長寿命化、あるいは長寿命な製品を使うとか、グリーン購入・グリーン調達、投資先、ファンドにおいてもエコファンドといったものを重視したり、あるいは再生品市場を活性化したり、もう少し環境に関連するルールを強化する、あるいは徹底したり、あるいは情報を適切に公開していく、そういったことが考えられるのではないかということで書いてあります。
 3ページの(3)以降は、それぞれの部門で具体的にどういうような形で対策が盛り込まれていくのかを図示しております。
 例えば3ページは、一般的な生産部門について書いてあるんですけれども、左上の生産財とエネルギーというところから点線があって、活動当たりのエネルギー需要とエネルギー転換効率が囲まれているボックスがあるかと思います。これが、例えばそれぞれの生産部門でエネルギー効率を変える場合には、各部門でのエネルギー需要と生産財との関係を変更することになります。
 そこから時計回りに行きますと、製品の長寿命化ということであれば、その生産財、各部門で生産されるものを示す何らかのパラメーターに対して、それがより長寿命なものへと変わっていくことを示すように値を変更したりとか、生産当たりの物質投入量といったものですと、生産財と非エネルギーの中間財といったものとの関係が変わっていくというように、それぞれの部門でどのような対策が考えられるのかをこういう形でまとめてあります。
 4ページは、廃棄物処理部門ですとか発電部門について、一般の部門と違うところがありますので、その特殊なところを書いてあります。
 5ページには家庭部門、家庭における対策ということで、実際に再生品の利用をするとか、あるいは消費行動を変化させる、そのためには環境教育というものが必要になってくるでしょうし、より環境を保全させるためには、環境に対して人々が進んで何らかのお金を支払う。これはいい意味での環境保全ということですけれども、環境保全支出が増えていったり、あるいは実際、製品を購入するときでもグリーン購入をしたり、あるいは使えるものはなるべく長く使うといったようなことが考えられるのかなということで、こういう形で記述しています。
 この家庭部門につきましては、前回の検討会の中でも議論がありましたように、もう少し家庭の生活の場面といいましょうか、ライフスタイルがイメージしやすいようにというご意見がありましたので、環境研の方で今、構築中の消費行動ライフスタイルモデルを使って、より具体的に家計の行動がわかるようなものを目指しています。
 それが5ページの下の表なんですけれども、生活の場面で衣、食、住、あるいは医療ですとか移動、通信、こういったものがどう変わっていくのか、それが結果的にモデルの入力条件とどう対応していくのかといったこと、今回は表で示しているだけなんですけれども、こういったものを通じて生活がこう変わっていく、2050年の生活というのはこう変わっていくよ、それがどういうふうにモデルに反映されるのかといったことを明示していこうと考えております。
 6ページでは、では、実際どういうふうに試算していくのかという、その試算例を書いています。まず3.に[1]から[4]と書いています。まず、対策導入の前提はということで、対策が単独で導入される場合は問題ないのですけれども、例えば水素自動車を普及させようといった場合には、水素自動車単独で普及することはまず不可能で、社会において水素スタンドがある程度普及しないと水素自動車も普及していかないといったことがあります。そこで「対策を実際導入するために社会全体がこう変わっていないといけない」ということを記述していく。そして、実際にその対策が2050年においてどれぐらい普及しているのかという普及量、これはその前の[1]のところの前提ともあわせて、どの程度普及しているのかを示す。
 そして、では具体的にその対策にはどれだけ直接的な費用が必要になってくるのかということで、その費用を明記する。そしてその対策の効果、具体的にどれぐらい、例えば温暖化の場合ですとエネルギーの消費量がどれだけ変わるのか、あるいは生活のスタイルがどう変わるのかといったことを書いていき、こういったものを入力条件として、実際計算することになります。
 その例として、脱温暖化2050年研究で行っています対策のうち幾つかを取り上げます。主に家庭に関するところなんですけれども、例えば太陽光発電ですとか、家の中に断熱材をよりたくさん入れる、あるいは高効率の自動車を導入するといったことを想定した場合にCO2の排出量がどう変わるのかを見ています。
 それとはまた別に、広義の対策ということで、社会全体をどう変えれば世の中どう変わるのかということも、例えばITが普及することによって運輸、サービスといったものが通信といったものに置き換わるような例も、そちらの方はコスト的な情報が余りないので、大胆に前提条件を仮定して、計算しています。それをお示ししたのが7ページのグラフなんですけれども、これが前のバージョンということで、狭義の対策、6ページの表にあるような対策を導入した場合にCO2の排出量がどう変わっているのかといったことだけが描かれております。
 最後に「事務局からのお願い」と書いてありまして、今回、個別の対策を示しましたけれども、それ以外にも、持続可能な社会を構築するために社会全体がこう変わっていないといけないねといったところがあろうかと思いますので、そういうところについて、事務局でも情報収拾していますけれども、ぜひ検討員の先生方にも情報提供にご協力いただければと思っております。
 経路についての議論ですけれども、先ほども森口検討員からお話がありましたように、2050年だけを見ていると、2050年でいろいろなインフラがもう整っているといった前提条件で話をしていますので、2000年から2050年までの間が全く見えないという問題点があります。そこで、2030年を中間年にとって経路の議論をしようではないかということで、前回、検討会でも議論になったかと思いますけれども、そこでさらに環境目標を複数設定するとなると数が非常に多くなってしまいますので、どれぐらいの数のシナリオ、経路を検討すればいいのか提案させていただいています。
 1つは、最初に安井先生がおっしゃったことと同じですけれども、初めから計画的に目標達成のために進めていく場合、それから、最初はある程度緩い目標を定めておいて2030年以降にその目標をぐんと上の方に変更する場合と、2030年まで何もしないで、2030年になってそろそろ本当にヤバくなったということで急に高い目標水準に変えるといったことを前提として考えてみて、それぞれの場合でどれぐらいコストが変わるのか、あるいは、同じ高い目標水準を設定しても、後になってこれはヤバクなったから慌てて対策しようという場合には、その目標はとても達成できないよといったことを示すのか、そういったことを検討していけたらと思っております。
 ちょっと繰り返しになりますけれども、お願いといたしまして、こういう対策があるよ、特にコストに関する情報はなかなかありませんので、ぜひその点、コストに関する情報、あるいはその対策の効果等も含めまして、検討員の先生方に情報提供をお願いできればと思っております。

○安井座長 ……ということでございまして、何となく最終的なアウトプットの姿がチラチラ見えつつ、あと、行うべき研究は検討が追いかけているような状態なんですね。
 実際にやる数値計算、モデルの方がどうなるかは、実を言うとわからないんですよ。ですから、今もそこで出てくるものを想定して、大体こんなものだろうと思ってやっていますけれども─というのは、既に2050の方でやっているものですから、そんなに狂いはないだろうと思いますけれども、実際のところは確実にわかっているわけではないという状況です。ですから、本当の計算結果が出てきたところで、ひょっとしたら今、余り精緻な議論をしてもしようがないということはあります。
 あと、今、増井さんから要望がございましたように、さまざまな情報が重要だと思いますので、もう少しそのあたりも詰めさせていただいて、こういう情報が欲しいとか、あるいは、これからご意見をいただいて、こんな情報も使えるのではないかといったようなことも入れていただきたいし、あと、先に何か条件を変えろということに関しては、もう大体合意というか、大体目安ができていると思うんですが、例えば、その結果を使ってこんなデータを出せとか、そういうものを出し得るのではないかみたいな話がもしあれば、そういうこともつけ加えていきたいと思っております。
 私自身、今、こういったイメージで一体これを何に使うのかと考えますと、その解決策は、先ほど川島さん、沖さんあたりが言っておられたように、技術というものが一つの鍵ではあるんですよね。しかし、それを実際に使えるようになる社会システムと、それを実際に受け入れて使うライフスタイルと、多分3本柱かなという気がするんですけれども、社会システムだからライフスタイル、それを支える技術と言った方が世の中の受けはいいかもしれないんだけれども、そういう3つに関して、結局、今、技術が足りているのかという検討─ここでやるべきか、やらざるべきかはわかりませんが─がとにかく1つ重要で、それで、農業技術は進歩するとおっしゃったんだけれども、先ほど細田先生がおっしゃったインジウムの代替技術などというのは、多分、進まないですよね。材料というのはリーディングタイムが15年ぐらいかかる、しかも物の代替というのは結構難しいので、多分進まないと思うんですよ。
 一方で発電技術などは、今だとコンバインドサイクルだと熱効率50近いものまであるのかな、もっと上に行ってしまったのかな、そうなんだけれども、それはしかし実際に動いているわけではなくて、全体としては火力発電所の効率は相変わらず三十何%しかないわけで、それは結局、技術はあるけれども導入されないというパターンなわけですよ。
 製鉄の技術は、多分、今やっている鉱炉の改善はもう大体終わりかな。そうなってくると、これから5割カットでつくれと言われると、まだ技術がないんですよね。多分そう思う。
 だから、そういう全体的なイメージなりスコープなりを何か書いた方がいいのかなという気がしている。
 それから、増井さんの話を聞いていてフと思ったんだけれども、例えば建物の技術、断熱の技術などは、実を言うと、50年後には今、つくった建物がもっているわけですよね。だから、長寿命製品である建築物や都市構造などに関しては、時間を前倒ししてやらないと間に合わない。だから、モデルとして2030年「おい、ヤバイよ。切り換える」というのが本当にフィージブルなのかという話が自分で言っておきながらちょっと気になって、その辺、どうやって深めるんだろうみたいな話もあるかなという気がします。
 あと使う側、例えば国環研の脱温暖化2050プロジェクトで出ている家庭の中で使える技術というのは、まだないのはLEDの高効率化と、あと何がないんだろう、それぐらいかな。あとはもうほとんどある……

○日比野氏 強いて言うと、ヒートポンプの効率の達成が。

○安井座長 8でしょう。今、レベル6まで来たから、大体もう行ったようなものじゃない。8は多分行かないような気がするけどね。6といえば達成率75%で合格だと私などは思っていて、問題は、それが100%普及するかどうかだという気がするんですよね。
 そういうふうに、物によって技術にまだら模様があることをちゃんと書き、それを社会が受け入れていく上で、やはり社会システムが先行しないとコストの問題が片づかないから受け入れられないので、その辺をどうするかみたいなことをちょっと書くのかなという気がします。
 ……というのが私の意見でございます。その他、何か進め方に関してというか、最終的な報告書の像みたいなものがこんなふうに出てきて、最初、我々が始めたときのイメージはこうだったのか私などは忘れてしまっているんですけれども、皆様が最初に持っておられたイメージと、今、出ていこうとしているものが本当に合っているのか、合っていないのか。そして、余り政策のリコメンデーションまではやらないというスタンスなのか。IPCCも最初はそういうスタンスだったかと思ったら、何かここのところそうでもなくて政策のリコメンデーションまで出てきているような気もしないではないので、ここでも政策のリコメンデーションするというのもないわけではないんだろうけれども、その辺を含めて、皆様からご意見をいただけたらと思います。

○苦瀬企画官 今まで議論してきたこととどうかという関連と、さっき言い落としたことなど、若干補足したいんですけれども、1つは、資料2で並べた項目は、ある程度報告の項目かもしれないというイメージも持っていなかったことはないんですけれども、まだ資料3などは、今、2050年の像の分析としてはこういうことをやっているという説明なので、これをそのまま載せるかは、またいろいろ議論があるだろうと思います。
 それから、1回目の検討会あたりでこの検討の射程だとか時期の問題だとか、いろいろ議論していただいたところを、正確ではないながら、ある程度思い出して申しますと、さっきの花木先生に対してのお答えみたいなものと重なりますけれども、環境なり資源なり、広い意味での環境の問題での持続可能性は、ある種、軸に置くところはあるけれども、それは社会像全体を見ないといけないのでという意味で、それを見るということなので、全部を最初から目標に掲げるのではなくて、環境的な方を目標に掲げるけれども、それは社会全体を見ての持続性だということになっているんだろうということがあります。
 それから年数、2050年の時点は何で、持続可能性とはどういう意味かというのは、今の安井先生のお話とも関係すると思いますが、そこは最初の頃の議論で安井先生からも、多分、本当の持続性が2050年に到達しているわけではないというお話をいただいているので、本当の持続可能性に向かう、ある意味では途中かもしれないけれども、2050年の像を一応の目標として設定して、その時点で成り立っていて、その先のさらに持続可能性を高めた社会につながるようなものである、そういう位置づけではあるんだろうと思います。
 あと、資料3で言っている「対策」という言葉については、増井さんからも報告がありましたけれども、多分、対策という言葉で普通言っていることとは違う意味も含めて、そういう社会になっていますというようなことを含めてということなのかなと私は理解しましたけれども、ちょっとそこは外してこれを読むのがいいのかなと思いました。
 とりあえず補足しなければと思った点は、以上です。

○安井座長 特にまだご発言がない方、どうぞ。

○明日香検討員 最初はちょっと大きい話で、後の方は温暖化に限った話になるかと思います。
 最初に、危機論みたいなものをどう出すかというお話があったかと思いますが、私は、もちろん悲観的ではないんですが─というか、余り過度な危機論はよくないと思うんですけれども、やはりローマクラブみたいなものがあって、ローマクラブみたいなことにならなかったというところもあると思うので、そういう意味で、それなりの効用はあるのかなと。
 そのときに、2番目なんですけれども、BAUが何もしなかったらどうなるかというのは、やはり皆さん注目するでしょうし、そこら辺はある程度書いた方がいいのではないか。何となくよいシナリオだけで議論が進むと、そこだけで「では、何もやらなくていいのではないですか」というイメージを持つ方も多いのかなと。
 では、ここからは温暖化の話なんですけれども、そのときにチラッと、例えば4℃で破局的実証なりという話が出ていたんですが、多分ここはまだ難しい話で、熱源循環の話に持っていくのかもしれませんけれども、そうすると溶けるのは3000年とか4000年という話になりますので、そこら辺はちょっと書き方が難しいですし、変に書くと突っ込まれるところかと思います。
 4番目に、先ほどの、技術をどう普及するなり入れるかという話になると思いますが、例えばIPCCの第3作業部会の話では、炭素価格を20ドル、50ドル、100ドルで、それを設定したときに、この分野ではこのくらい技術が入って、このぐらいCO2は減るということが結構明確に書いてありますので、それも多分1つでしょうし、炭素価格のことをどの程度書くかはまたいろいろ議論があると思いますが、多分IPCCも、ある程度そういう社会にならないと変わらないよというメッセージを出そうと、ある意味では政治にかかわってくることかと思いますけれども、社会がそういう、端的に言えば化成科学なり石油化学なり、そういうものがある程度CO2が高くならないと変わらないよと。そういうものが高くならないと、すべて今の話はないんですよということをもっと認識してもらうためにも、炭素価格なりそこら辺の話を明確に書くのは1つかなとは思います。
 最後に、西岡先生から日本が云々という、マニフェストみたいな話があったと思いますが、私も、最終的に温暖化に関して負担分担の議論がどうこのシナリオで議論されるのか見えないところで、もちろん2050年にエネルギー消費量で2トンというのかもしれませんし、2100年くらいで1トンというのかもしれませんけれども、それまでの経路で、例えば日本と途上国と先進国の負担分担でもいいんですけれども、そういう基準なりをどう考えるのか、結構いろいろ議論があると思いますし、もしかしたらポスト京都の交渉にもつながるかもしれないので余り出したくないのかもしれませんけれども、そこら辺は、少なくとも内部である程度議論した方がいいのかなと思います。

○湯本検討員 事務局の方で生物多様性、生態系機能、本当に面積いいのかということを心配されているお話があったんですけれども、私は、マクロにはそれでいいんだと思っています。
 1つには、面積が広いほどそこにいられる生き物、種類は増える。関数系はいろいろあるんでしょうけれども、それはまず間違いなくて、もう一つは、他のいろいろな人間活動のセクターとコンプリートするのは、やはり土地利用の形態だと思います。そういう意味で、マクロでは面積というものがあると思います。
 ただ、同じ面積を1個マスで置いておくのか、それとも100に割って分配するのか、そこの話は技術論なので、そこはよりよい面積の仕方はあると思いますが、ただ、一番マクロのパラメーター的には面積が一番単純で、それ以外にないし、それはマネジメントの対象になりますよね。つまり、これぐらいの面積は置いておきましょうねということも、政策的にもマネージャブルな単位だと思うので、そこのところは面積以外にないというのは、私は同意いたします。
 ついでに、1年くらい前の川島先生の熱帯雨林はどれぐらい残しておけばいいのかというのは、私は非常に大事な宿題として受けとめています。結局、例えば今回も、地球温暖化の何たらということと生物多様性、あるいは生態系機能は分けてくださっているんですけれども、まさにそこのところはそのとおりで、特に原生林を守るということは、一般的には、自然を守ることが地球温暖化を阻止することに効果があると漠然と思っている方が多いんですけれども、実はそうではなくて、原生林を守ることが必ずしも自然のCO2吸収能力を上げることになっていないのは事実ですよね。それは、あるいは例のエネルギー作物みたいなことを考えてもそうなので、そこのところは別であるというのは、はっきりどこかで考えた方がいいと思うんです。
 だから、今日も川島先生おっしゃってくださったように、生物多様性というのはちょっと別の倫理的な、必ずしもそれは他の機能とリンクするようなものとして考えるべきではない。繰り返しますけれども、自然を守ることがCO2削減にはならないということは、はっきりどこかでうたった方がいいと思います。そういうトレードオフというか、それはどちらかに偏ってはまずいんだろうというのは、例の熱帯雨林はどこまで面積あればというところで私は、いろいろなことを言う人がいて、熱帯雨林がなければ熱帯地域の農業の持続可能性は保障できないんだという話がありますけれども、それもどこまで人間の代替政策が可能なのか、それは例年議論になっているわけですよね。だから、いわゆる危機を煽るタイプでは、それはそういうふうに言ってもいいんですけれども、ただ、予防原則というところでそういうふうに押さえるのもいいんですけれども、そこのところは必ずしもわかっているわけではないということです。

○若林検討員 ごく簡単に人口の視点から気になるところだけ申し上げたいと思います。
 資料2の17ページで人口を取り上げていただいていますが、経済との関係で一番気になるところとして、就業者数の男女別の想定が出ていますけれども、これをごらんいただきましてもわかるように、高齢化問題というのは男と女で大変な違いがあって、性比の問題が非常にはっきり出てまいります。
 人口学の世界では一般的には左に男を書いて右に女をかくので、「あれ?」とびっくりする図ですけれども、男と女でいかに違うか。女性の就労関係が2050年経済との関係では取り上げていただくのは大事な点だと思いますが、今、私が気になっておりますのは、前に人口問題には4つの側面があるということで、人口の数の問題と資質の問題、移動の問題、高齢化問題。とりわけ2番目の資質のところ生命倫理の問題が非常に引っかかって、これからの21世紀、問題になる。
 さき程もちょっと倫理論について発言がありましたように、今、生命倫理の問題で、生とか死をめぐるところの価値観が、法的な視点で大分議論になっているのはご承知のとおりであります。2050年の人口研の推計でも、2050年の推計に当たって寿命をどう見るかの設定では、女はもう90歳を超した仮定で推計しています。もう一つ、癌が全部改善されたらどれだけ寿命や死亡率に影響するかも試算されていますが、いずれにしろ90歳を超すような、そしてまた介護問題等々、寿命の問題も、出生だけではなくて、死をめぐる倫理論、生まれ出るところだけではなくて死のところにも注目する必要がある。一方ではAIDSだとか、世界的な問題がどうなるかといったことにも関係しますが。
 以上コメントです。

○山本検討員 森林資源の関係で申し上げますと、資料2で、エイヤッというものだと思いますけれども、2050年を目指したシナリオが書かれていますが、日本の森林のポテンシャルからすれば、不可能な話ではない、ある程度可能な範囲内の議論だと思います。
 ただ、森林資源のことを話すときに、先ほどから2050年という時期の問題が議論されていますけれども、我々からすると割と現実的な目標設定でして、あともう43年しかないという感覚で、裏返して逆に考えると、43年前といったら東京オリンピックの年で、そのころ日本の森林政策で一生懸命スギやヒノキを植えていたのが今の状況に至っているわけでして、森林資源の場合、2050年を考えるということは、もう今から手を打たなければ間に合わない、そういう時間の感覚です。
 その議論の中で、先ほどもちょっとペンディングというか、はっきり話が出ていないのは、エネルギー資源の目標の中でバイオマスをどのように設定するか。それによって日本の森林資源に対するインパクトがどれぐらい強くなるか、そこのところが、お話を伺っていてどうなるのかなというところです。
 それから、自給率を議論するときに、消費側、使う側をどのように設定するかになるわけですが、今回の資料に木造住宅の耐用年数の比較がありましたけれども、実は日本の木造住宅、それから住宅の耐用年数は世界の水準に比べて非常に短い。日本の森林資源の消費の3割ぐらいは住宅とかそういうものに使われているわけでして、使う側の耐用年数をちょっと伸ばせば需要が結構下がってくる。あるいは紙の消費率とか、その辺をちょっといじれば自給率というのは結構変わってくるものだなということがあります。
 あと、ちょっと表現で気になったのは、資料2の13ページの社会インフラの関係で、書きぶりなんですけれども、片方で山村の地域活性化が大事であると書いていただいているのはいいんですが、その並びでコンパクトシティの概念が出てくるわけです。都市部においては当然この議論でよろしいと思いますが、今、日本の社会の中では、いわゆる地方都市の中でもその地方都市なりのコンパクトシティの概念がどんどん浸透しておりまして、いわゆる限界集落とか、そういった所の維持が非常に厳しくなっている。それが2番の地域活力の話と連動してくるわけでして、この地域活力を意識するならば、地方都市におけるコンパクトシティの議論は慎重にしていただきたいというのが私の意見です。

○柴田検討員 12ページ、13ページに関係するかと思いますが、全体的として、特に先端科学技術による環境技術立国ということに関連するかと思いますが、今の環境政策を考えていっても、まず最初に、今の環境がどうなっているかを把握した上で、実際の問題点を把握して、こういう形でいろいろな対策を打っていくわけですけれども、最終的にその結果として、環境が実際に意図されたように改善されていって、他に別の問題点が出てきているようなことはないだろうかといったことも監視していく必要が当然あるだろうと思っています。
 ある側面、例えば省エネにつながるような物質が逆に新しい汚染問題を引き起こすといったことがないように見ていかなければいけないということを考えると、こういった改良していく、改善していくということに加えて、環境をよりよく把握していく、監視をより的確にしていくということも大事なのではないかと思っていまして、環境の診断技術とか監視技術といったものをより的確にする、あるいはより安価なものをつくって途上国に広げていくといったことも考えていかなければいけないのではないかと思います。

○安井座長 ETBなどはどうするんですかね。そういうようなこともいろいろございますね。

○細田検討員 資料2の3ページの図3.2がすごくおもしろくて、これはゴールドマン・サックスがどういう根拠でつくったのか。将来、世界の市場を仕切るのは米国と中国とインドである、こうなるわけですよね。人口セクションもありますから、パーキャピタルの問題と掛け合わせてどうなるのかわかりませんけれども、これ、日本はもう明らかに停滞ということですよね。
 これを見ると、サステイナビリティという観点をどう定義するかは別として、日本ができることは一体何だろう。日本国内で考えると環境負荷はそんなに大きくなりそうもない、余り贅沢もしないで、こんなものしかつくれないと。そうすると米国─何でアメリカがこんなに増えるのかよくわかりませんけれども(笑)、そうすると、そこのところの境界条件、省資源に関しても食糧に関しても、これを見ると、ひょっとして外的に我々がコントロールできないものが多過ぎるのではないかという気もするんですね。そうすると、ストライクゾーンがかなり狭くなってくる。
 あるいは、言い方を変えれば、日本だけを考えて外的条件を考えれば、日本だけのサステイナビリティはこうだということは言えるのかもしれない。どこにシナリオをつくってくるか大きく影響される気がするんですけれども、ここは。大変難しい問題だと思います。

○安井座長 なかなかおもしろい問題だと思います。

○原沢検討員 私も温暖化にかかわって発言したいんですけれども、第2作業部会の影響の総会に出て、最終的に出てきた結果は2度から3度が一つの温度の閾値みたいな話があって、その辺、ワーキンググループ3とは比較が直接できないんですが、総会の議論では、影響がちょっと緩くされているようなところもあるものですから、やはり影響研究者は、温暖化に対して非常に深刻に考えているということであります。
 先ほど、沖先生から夢のあるシナリオ、川島先生からは食糧は大丈夫だという話があったんですけれども、私は、結構危機感を持った方がいいのではないかという印象を総会で受けております。
 SPM(政策決定者用の要約)という報告書では、そういったところがかなり薄められていたりするものですから、こういうシナリオの特に温暖化の部分については、やはり何度目標みたいな話はしっかり押さえておいて、そのときの影響もしっかり押さえておいた上でつくった方がいいかなと。
 さらに、第1作業部会からは、今まで2.6度だった気候感度が3度に上がっている話とか、さらに気候のフィードバックが効いているのではないか、出てくる資料がみんな余りいい方向ではないということもあったりする。科学的な知見はそういうことになってきているものですから、危機感を持った形でのシナリオづくりであった方がいいのではないか、特に温暖化についてですけれども、私はそういう印象を持っております。

○安井座長 その具体的なところは、やはり国環研内部でもう少し詰めていただいて、妥当なところを選択していただけるということでよろしいですかね。

○山本検討員 資料の関係で1つ質問したいんですけれども、資料2の8ページの具体的な話の中で、「必要な年度までに排出量を吸収量以下に抑える」という表現があるんですが、これは具体的にどの時期をどういうものにしようということですか。日本の話ですか、世界の話ですか。

○安井座長 これは多分、世界の話ですね。

○山本検討員 いつごろを言っているんですか。

○日比野氏 それはちょっとまだ……。

○安井座長 これはまた難しいんだな。結局、スタンレリーみたいにいろいろなカーブがあり得てしまうんですよ。同じように最終的な到達地点を決めても、そこまでの道筋がいろいろあるから、なかなか難しい。さっき言ったみたいに、こんな絵だって結構いけるわけなんですけれども、こう行けばこう行くだけで、こう行けば余り差がないということですけれども。

○沖検討員 まず、一番最初に安井先生がおっしゃった、この文章は結局、最終的に何に使われるのかということで、基本計画は大体5年ごとにつくられて、それは短期、中期の目標を定める。それがいろいろな進路があって、安井先生が一番最初におっしゃったとおり、これは予測をするのではなくて、俯瞰型に50年先の到着点を示すものであるという意味でいうと、まさに環境省は、こういう社会をつくっていくように今、常に考えていますということの2008年時点とか、そういうものが出るんだろうと私は理解しております。それ以上でもそれ以下でもないだろう。
 なので、例えば原沢先生のお言葉に対して私が難しいと思いますのは、結局「環境社会像」と言ったときに、環境省が考えている環境にかかわるところの記述になる。ところが、どういう社会にしていくかというところは環境省が所轄しているけれども、では、悪影響をどう抑えていくかというところは必ずしも環境省だけではやっていけないというところに、ここの難しいところがあると思います。
 例えば、恐らく洪水のリスクが増えるだろうと思います。ただ、そのためにどのぐらい治水投資をしなければいけないか、それが経済にどのぐらい影響を受けるかということは、恐らくここの検討にはなかなか入らないし、その準備すらまだできていない。あるいは渇水に関して、平均的な状況では恐らく足りなくなることはないと思います。
 それは2つ目で私、コメントしようと思ったんですが、増井さんの方で産業別の出荷額なりの変化が出るようですので、それがありましたら、多分ラフに工業用水がどのぐらいになるか、さらにそのエネルギー効率の変化を考えると、工業用水がどうなるだろう。それから、人口があって、そこに経済が少し入れば生活用水も見られる。農業用水に関しては、パイプライン化がどう行われるかといった話が入ってきますので難しいですが、ただ、自給率を向上させるという目標だけでやってしまうと、恐らくちょっと過大になってしまう。この辺は川島先生もお詳しいですが、今よりかなり多い、例えばコメの生産を今とほぼ同じぐらいの農業用水使用量でやっておりましたので、今後、自給率が上がっても農業用水がすぐ増えるかどうかはわからないといった難しいことがあると思います。
 それで、需要側はいいんですが、供給側がどうなるかに関しては、細かく見ると変動が激しくなりますので、実質的に利用可能な水資源量は多分、減るだろう。雪も減りますので、去年から今年にかけてみたいに暖冬が増えるということは、実質、使える水資源が減ると思います。ただ、それに対して社会が「では貯留量を増やそう」と思うのか、貯留施設をつくるというと、すぐ「ダムだろう。ダムみたいなものはこれ以上は要らない」と。何年かに1回は渇水で困ることがあっても、それを受容する社会にすると決断されれば、これは渇水のリスクは上がるけれども、上がったままであるという社会も想定されますし、しかも、それが別に社会にとっての便益としてはマイナスでないと考えられると思うんですね。
 そういったことがあって、その辺、原沢先生がおっしゃったのは、私はリスクはあると思うんですが、そこに対して、人によっては技術の力で乗り越えろと。温暖化はあるんだからもっと堤防を高くしてダムをつくることを考えろとおっしゃる方もいれば、いや、そんなのダムをつくりたいから言っているんだろうと言う方もいるという状況ですので、水の専門家の端くれとしては、そこの議論は非常にしにくいところがあります。
 もっと言うと、IPCCのワーキンググループで私も水のところを担当しましたが、やはり日本国内の状況と世界の状況は全く違う。世界といっても、特にOECD各国とそれ以外はもう全然違う状況です。今、既に脆弱性を持っている国々が温暖化によってさらに深刻化するというのは、どんな研究をしても明らかであって、そこに対してどうやっていくかというのは国際的に物すごく重要な問題ですが、国内の将来像をやるに当たっては、そこよりもっと国民の皆さんが切実に考えている環境問題とがあって、私は水問題、特にそこが物すごく違うなというのが、今、分断されているところでございますが、そういう意味では、ここが国内を考える限り、やはり私は夢を持たないといけないのではないか。
 ただし、もしその夢をどこかに書き加えるとすると、世界というのはバラ色だけではない、それに対して日本がどんどん環境を通じて貢献していくんだということは、もちろん書き加えなければいけないのではないかと思います。
 何か言おうと思っていたことが原沢先生への返答になってしまいましたが、細かい点で言わせていただきますと、資料2で未来像、14ページに分散型節水システムとあります。分散型はいいと思うんですが、節水だけではなくて、分散型の水処理システムというのもぜひ一言書き加えていただければと思います。
 それから、外は考えなくていいのかというお話が先ほどありましたが、多分、日本が環境立国になるためには、少なくとも環境基準、環境規制を国内と近隣諸国で共有することが非常に大事なので、ご検討をいただいた上でやはりそうかなと思われたら、ぜひそういう文言も入れていただければいいのではないかと思います。

○川島検討員 食糧の件、100%楽観論のようにとっていただくと困るんですけれども、沖先生のおっしゃっていることと極めて似ていて、食糧というのはすごく、「食糧危機が来る」と言うと、私たちが危機に遭遇しそうなんですけれども、私はOECDカントリーが次の50年で食糧危機に遭遇することはないと思うんですね。ただ、非常に格差がある問題で、アフリカの貧しい人とかインドの貧しい人がどうなるかというと、確かにIPCCが言うことだと思います。ただ、これはかなり国内に限定してということなので、そんなにそこのところを強調する必要は、私はないと思っています。食糧については、非常にフレキシブルな市場がそこにあると思っています。
 もう一つ、これは気になったんですが、23ページの一番最後に食糧自給率の話がポンと出てきて、それから、細田先生からあったゴールドマン・サックスが日本がだめだよと書いているといった話と2つ出てくると、これが環境省から出ていくとすると極めてポリティカルな話になっていって、FTAの問題をどうするかといった話がこれ、すごく迫っていますよね。日本を再び経済的に活性化するために乗りたいという勢力と、どうしても農業のことが気になるから嫌だという勢力があって、環境省は、グローバル化を進めてもこれ40%と横棒なんですね。ですけれども、私はやはりコメについての関税を下げていく、またはゼロにしてしまうということになれば、これは必ず下がっていくと思います。その辺について何も議論がなくて、グローバル化でも40%を横棒に引っ張ってしまうというのは、かなり乱暴な議論だと一部で受けとめられるのではないかと、そこはちょっと懸念します。

○安井座長 なるほど。多分、グローバリゼーションと言いつつ関税は下げない。韓国方式とかね。(笑)
 いろいろご意見いただいておりますが、今の沖先生あるいは川島先生のお話でもそうですが、極論すれば、例えばODAをどうするんだということを書くのか、書かないのか等いろいろありまして、ODAは、今、国のポリシーとして向こう何年間まで4%減で下げていくという方針になっているんですけれども、そんなことで本当にいいのかといったことをここに書くのか、書かないのか。私は個人的には書きたいんですけどね。だから、それを書くのか書かないのかという話もありますし、いろいろ。

○森口検討員 3点ぐらい申し上げたいことがございます。メモしていないのでうまく整理できないかもしれませんが、1点目は、さっき3ページのGDP見通しということで、細田先生がご発言されたところに関連するんですけれども、これが環境問題なのかどうなのかはともかくとして、ある意味では日本の相対的地位が下がることは明らかで、だけれども、そのこと自身は非常に重要な意味を持っている。だから、それはもっと重大に受けとめなければいけないのではないか。私は決して温暖化に対して楽観しているわけではないけれども、温暖化が問題であると同時に、このこと自身が問題なんだということをもっと共有しないと危ないなと。
 つまり、温暖化がなぜ起きるかというと、こういうことが背景にあるからであって、それでは気候感度がたまたま今、高いという議論があったんですけれども、それが間違っていて、実は低くて、温暖化はそれほど心配ではなかったということになって世界が楽観の方に走る方が、私は非常にリスキーだと思っているので、温暖化は決して楽観論にする必要はないんですけれども、温暖化そのものだけが問題なのではなくて、その背景にあるそういう需要、化石燃料消費という需要を起こすようなグロース、成長があること自身が問題なんだということは、やはりもう少し危機感を持つ必要があるかなと。
 特にそれは資源に関して言えることで、これは食糧資源だけではなくてそれ以外の部分もあることから、そこのところはやはり重要ではないかというのが1点目です。
 2点目は、さっき湯本先生がおっしゃったこととも少し関係するんですけれども、例えば最終処分量が、2,000万トンというのはそれほど厳しい目標ではなくて、200万トンにしても構わないんですけれども、なぜそうしなければいけないかということをもうちょっと考えた方がよくて、実はそこまで下げようと思うとエネルギーを消費しますので、別に2,000万トンではなくて5,000万トンに戻していいとか、貴重な生態系は破壊してはいけないけれども海面埋め立てだって別に構わないとか、環境上、受け入れ可能であれば、いろいろな環境問題、資源問題を同時解決していく上では、本当にエンドオブパイプのところをここまでギリギリ締めなければいけないかということは、もう少し議論していいのかなと。
 ただ、「埋立処分場は大丈夫ですよ」と言ってしまうと、みんなごみを減らさないから、それで安心してしまうからいけないねという議論は当然あるんです。だからこそ、それはある種、危機感を煽らなければいけないという議論はあったと思うんですけれども、実は結果的に最終処分量はすごく下がっているんですけれども、廃棄物の発生量は減っていません。最終処分量は確かに減っているんですけれども、最終処分場がないよということだけでは廃棄物の排出量は減らない。
 そうすると、これが一番申し上げたかったんですけれども、どういうメッセージを発信するか。さっき明日香先生がおっしゃった、例えばローマクラブのような警告があったからそう起きなかった、みんな対応したんだということはありますけれども、毎回それでいくのかどうかということなんですね。つまり、危機感を煽るからみんなが対応する、そういうことを繰り返さないと我々の社会が持続可能な社会にならないというのは、ちょっと寂しいのではないか。もう少し冷静に将来を見通した上で、ちゃんとその先々に備えていけるような仕組みをもうちょっと考えていけないかと思っています。
 そういう意味で、沖先生がおっしゃっている、もっとポジティブに夢のあるものを描いて、そういうもののために我々は変わっていくんだというスタイルを書いてみたいなという気持ちは持っていて、もう少しそういう夢のあるというか、明るい議論ができないかと思うんですけれども、でも、これはやはり環境省というか、環境行政の歴史もありますので、私は最初からそういうことを言いたかったんですけれども、なかなかそれも難しいんだろうなとは思います。そういうことを言ってしまうと「何もしなくていいんだね」「環境問題は大したことないんだね」こういう反発を食らうというか、そういうリアクションが起きるのも確かなんですけれども、そういうリアクションが起きないような社会をつくるということも含めて、これは絵空事かもしれませんけれども、そういう夢も追ってみたいなと思います。

○原沢検討員 私も、やはり夢のあるシナリオを書きたいとは思いますが、どうもやはり悲観的にならざるを得なくなってしまうんですね。それはいけないと思うんですが、1つは、このシナリオづくりの当初に、何もしないときにどうなるかみたいなことを議論したことがあって、温暖化というのは、そういうところがちょっとあるのかなと。
 先ほど農業について、日本は大丈夫だと理解したんですけれども、もうコメにいろいろな被害が出始めているということで、温暖化かどうかわかりませんけれども、九州の方ではどうも質が悪くなったり穫れなくなってきているといった話もあったりする。本当に50年後の農業は大丈夫なのか。日本は先進国だから、その分いろいろ対応できる、お金があれば何でもできるという川島先生のお話もあったんですけれども(笑)、「オーストラリアで小麦が……」みたいな話になったときに、貿易を通じて日本というのは非常に危うい、それを避けるためのシナリオづくりだと思いますし、環境省のテリトリーは環境だけではなくて、環境基本計画というのはすべての基本計画の上に立つべき計画だと思いますのでもっと国土政策、都市政策、コンパクトシティといった話も入っておりますので、そういうところまで話をしてもいいのではないかと私自身は思っています。
 やはり日本のシナリオということであれば、夢のあるシナリオだし、非常に幅広のシナリオでもいいのではないか。ただ、やはり温暖化はひたひたと進んでいて、今回、先進国でさえも被害を受ける。そういうところが抜けてしまったので、ちょっとメッセージ性が弱くなっているんですけれども、それは沖先生も私も、そういうことは議論の中で出てきたと理解しています。今の話は、今度の放談会みたいなところでしたいと思っています。

○安井座長 「放談会」という言葉はやめましょうね。「大きな哲学を語る会」にいたします。(笑)

○花木検討員 私は、今後の検討の最終的なビジョンに至るまでに、どう力を入れていくかというところで気になっていることをお話ししたいと思っています。
 これまでは、このシナリオスタディに非常に力が入っていて、また、そこから出てくる成果も非常に期待されるんですけれども、何度か話題が出ているように、生物多様性の問題、それから水環境、大気環境などについては、直接はこのシナリオで新しいことは出てこないけれども、ビジョンとしては入れていかなければいけない。あるいはシナリオの前提となっている循環型社会の形成、あるいは低炭素社会の問題、これはシナリオの前提ではあるけれども、シナリオ計算の中では新たな結果が出てこないだろう。そういった問題についてどこまで書き込むかというところなんですね。
 超長期ビジョンの中には、温暖化の問題もあるけれども、それは一部であって、それ以外の日本としての従来型の環境問題がある。その中で、さまざまな問題が資料2の中で書かれてはいるんですけれども、その中で、環境省自身が非常に、いわばエキスパートを持っていて取り組んでおられる自然保護の問題、水環境、大気環境の問題もあれば、直接は環境省は担当しておられなくて、国土交通省がやっておられる問題もありますよね。それを全部カバーするにしても、力の入れぐあいが当然違うべきであると思うんですね。
 環境省が直接やっておられる部分については、例えば今、大気汚染のことは何も書かれていないですよね。水環境のことも3行か4行しか書いておられなくて、その部分は省内に専門の方がおられるので、そこは環境省として力を入れて書くべき部分です。そこまで力は入れないけれども、客観的に書かなければいけない国土利用の部分も重要です。そのあたりをきちっと書くようにしていかないと、シナリオスタディはいいけれども、それ以外の部分の検討が甘いと、やはり最終的なビジョンとしては具合が悪いと思いますので、それをどうやって、いわば専門外の意見、あるいは環境省の中の他局の意見を入れていくかというあたり、ぜひご検討いただきたいと思っております。

○安井座長 事務局側にはかなり重い宿題でございますね。最終的には本当にそのあたりの調整になるものだと思っておりますが、少なくともここはそういう注文だけ出しておいて、我々はとりあえず、環境省の所掌範囲がどこだか知らないというスタンスで行けばいいのではないかと思っております。

○明日香検討員 ついでに、放談になるかもしれませんけれども、先ほどODAの話が出ましたが、私も、日本を重視して、日本は夢ある、明るいというのは何となくわかりますが、やはり世界の現実も当然考慮するべきだと思いますし、そのときに、具体的には環境ODAなりそういう話をもうちょっと積極的に入れて、戦略的に入れてもいいのかなと個人的には思っています。
 実際に、今、気候安全保障では政治的にもかなりハイレベルの話になっていますし、国際政治の場でリーダーシップをとるためということを考えれば、もっともっといろいろな機会を使って維持するべきだと思いますし、これもそこら辺で、かつ環境ODAの絡みの話をすれば、環境技術の技術移転の方とも、ひもつきかどうかは別にしまして、そちらの方ともくっつけながら、日本にとってもよい、世界にとってもよいというところはもうちょっとうまく入れられるのかなと思っています。

○湯本検討員 環境省で言うと、一方で自然再生事業をやっていらっしゃるわけですから、2050年にどういうふうな自然があるのか、つまり、そこではトキやコウノトリが田園地帯に飛んでいるようなことをイメージされているのかもしれませんけれども、では、シカとかイノシシとかクマはどうするのかという問題はもちろんありますから、やはりその辺の具体像が今のところ、「今の生態系、種類が余り減らないようにする」しかないですから、そこのところはもうちょっと工夫があればと思います。

○安井座長 そのあたりをどこまで書き込むかというのは、かなり難しいところです。ただ、2050年にクマが何頭いるのかというのは本当に重要な話だと思いますね。まあ、西尾さんにしっかり考えていただいて。どこをどこまで書き込むか。

○西尾局長 すごく難しいですね。─いや、トキとコウノトリが飛んでいる状態は達成するんでしょうね、まず。問題は、クマがいるべき所にとどまっている社会にどうやってなるのか、ちょっとそこは、記述文としては書けるんですけれども、シミュレーション的にならないかなという感じがします。事務局で相談してみます。

○安井座長 それでは、大体予定の時間はこれでぎりぎりだと思いますが、苦瀬さん、今後の進め方についてどのぐらいご説明になりますか。

○苦瀬企画官 前回だか前々回だかに今後のスケジュールみたいな紙をお配りしてきた中の話で言いますと、前回と今回が2050年の社会像とそれについての定量的分析を相互にやりながらということだったんですが、実態としては、今日初めて中身のご議論をいただいたような感じでございまして、そういう意味では、次回までの間にまたいろいろ作業をして、次回もうちょっとこれに関することもやらなければいけないかと思うんですが、他方で、全体としては今年の秋までにまとめたいというのもあって、そこがやや押している感じにはなっております。
 次回はたしか6月28日を予定していたかと思いますが、そこからは今度、途中の経路についてどう考えるかも含めての議論を始めることが必要なのかなと思っております。
 これまでお示ししてきたところでは、あと3回か4回と検討会の回数を申し上げていたかと思いますが、検討としては大体それぐらいですけれども、予定の回数どおりなのか、あるいは先ほど安井先生がおっしゃったような哲学的なですか、そういった意味のものを加えるなり、前に申し上げていたよりは、もしかすると1回増やすことがあるのかどうか、その辺もまたご相談して、ご連絡させていただきたいと思います。
 今日は「大体こんな構造で」みたいなお話から中身までありましたし、最後の方では花木先生から書き込むべき重要な内容についてのご指摘もいただきました。そういったことをすべて含めてまた検討して、次回は今回の続き、2050年の話もするとともに、その次の経路の話にも進んでいくことになろうかと思います。
 その間に、実はこの検討についてはアドバイザリーグループ会合というのもあると前から申し上げていると思いますが、その会合が6月8日に1度ありますので、そこで現在の状況を報告して、ご意見をいただいて、それも反映させていくことになります。

○安井座長 進め方に関しましては、次回が少し空くんですよね。6月の末で、その間にアドバイザリー会合があって、その間に、もし必要とあらばこちらから個人的にアドバイスいただくような感じですかね。

○苦瀬企画官 そうですね、いろいろ進め方の話もあれば個別に材料をいただきたいこともあるので、個別にアドバイスをいただくこともあるかもしれません。
 それから、これは毎度のことですけれども、今日ももっと言いたかったとか、あるいは他の先生の意見にもっと答えたかったみたいなことがあるかと思いますので、1週間以内を目途にメールなりFAXなりで追加的に、今日の議論の補足的なご意見なりをいただければ幸いです。

○安井座長 先ほど私がちょっとご提案申し上げた哲学的─場合によっては倫理的かもしれませんけれども、放談的でもいいんですけれども、そのようなことをもしやるとしたら、やはりそれは報告書の方向性を決める可能性もないわけではないので、余りぎりぎりでは無理ですよね。例えば11月に最終報告書を書くとして、10月にやったのでは間に合わない。
 そんな状況を考えると、いつごろですかね。日程についても事務局と検討しまして、できたらどこか隙間を縫ってやらせていただくことになるかもしれませんので、ひとつよろしくお願いいたします。
 議題なしというよりも、もう一遍「持続可能性」というものに関する復習、それから、先ほど川島さんからあった、倫理とは何かというような話を少しやろうという感じでございますので、特にターゲットがあるわけではありませんが、前段、持続可能性の定義についてはハードからソフトまで、その辺は細田先生が大枠、述べられますか。どういたしますかね。やはりちょっと何かがないと。

○花木検討員 環境基本計画か何かのときに、随分研究されたと聞きましたが。

○苦瀬企画官 環境基本計画では、そこはちょっと抽象的な表現で書いてあるという感じですね。こうすると美しいなという言葉を書いて、その中でちょっと、もちろん書いてあるんです。最初の方の数ページに若干要素還元的に書いてあります。それが一つのベースにはなるかと思いますけれども。

○安井座長 だれか外の人を呼ぶことが許されるかどうかということも含めて、ちょっと検討させていただきたいと思いますので、ひとつよろしくお願いします。
 ……ということでございまして、大体よろしゅうございますか。それでは、事務局からもう一遍次回の確認をお願いいたします。

○津森課長補佐 それでは、最後に今後の日程についてご連絡いたします。
 第10回目は6月28日木曜日、10時から12時半、三田共用会議所大会議室で行われます。会議案内につきましては、追って通知いたします。
 また、幾つか事務局の方で不手際がございました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
 事務局からの連絡は、以上でございます。

○安井座長 それでは、これにて閉会とさせていただきます。
 本日はありがとうございました。

午後0時29分 閉会