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第3節 

1 国際社会における環境に関する認識の高まり

 1972年の国連人間環境会議から、1982年のナイロビ会議等を経て、1987年の「環境と開発に関する世界委員会」に至るまでの15年間において、環境問題に関する認識、特に環境と開発の関係に関する認識が深まり、「持続的開発」という考えが定着した。この間、熱帯林の減少等の問題に加え、オゾン層の破壊等の問題が国際的に提起され、「地球的規模の環境問題」が国際社会において大きくクローズアップされるようになった。
(1) 1970年代の認識
 1960年代を通じて、我が国をはじめとする先進国では戦後の高度成長を背景に大気汚染、水質汚濁等の環境問題が急激に顕在化し、一方、開発途上国では人口の爆発的増加等に伴う諸問題等が大きな問題となった。こうした問題は、「宇宙船地球号」の考え方を生み、国連はその取組のため、1972年6月にストックホルムで国連人間環境会議を開催した。
 同会議では、「かけがえのない地球」を守るため「人間環境宣言」や広範な分野にわたる「行動計画」が採択され、その後の国際的な活動や取組の指針となった。1970年代はじめ、環境と開発の関係は、対立するものとしてとらえられた。この点は同会議の議論のなかで、特に環境問題に対する先進国と開発途上国の認識の隔たりとなって現われた。すなわち、工業化の過程で深刻化した環境問題への反省としてその対策の必要性を訴える先進国に対し、開発途上国は、過剰な人口、栄養不足、不十分な衛生といった貧困を背景とした諸問題の解決には開発を進めることが不可欠であり、環境対策を行うことで開発や経済発展を阻害してはならないという認識が大勢を占めた。
 また、同会議と相前後して「ローマクラブ」は、「成長の限界」を発表し、急速な経済成長や人口増加等に対し、環境破壊、食糧不足の問題とともに人間活動の基盤であるエネルギーや鉱物資源が有限であることを警告した。資源の有限性は、1973年の第一次石油危機の勃発もあって人々の意識のなかでは定着したが、当時問題とされた資源は、石油や鉱物等の非再生可能資源が中心であった。今日問題化している熱帯林等の再生可能な自然資源の保全については、国連人間環境会議でも討論されたが、熱帯林問題は国内問題であると主張する国があるなど国際的な環境問題としての認識は希薄であった。
 国連人間環境会議は、環境に関する世界的問題についての国連主催の一連の政府間会議の冒頭を飾るものであり、その後1970年代から80年代初頭にかけて人口、食糧、人間居住、水、砂漠、気候等について会議が開催され、国際的な議論が進められた。
(2) 1980年代の認識
 1970年代を通じて、特に開発途上国では、人口増加、開発等を背景に、熱帯林の減少、砂漠化等の土壌悪化、野生生物の種の減少等の問題が深刻化するとともに、工業化、人口の都市集中が著しい地域を中心に大気汚染、水質汚濁等の先進国型の公害問題も顕在化するようになった。
 このような環境問題の新たな広がりを背景に、水、土壌、森林、野生生物等は、食糧生産、燃料等として生活の糧となるばかりでなく、経済的資源であり、それらが開発等によって再生可能な速度を超えて利用され、あるいは公害によって汚染されると、経済発展の基盤そのものを失うことになるとの認識が次第に芽生えてきた。
 また、1980年、IUCNが「世界自然保護戦略」を、米国政府が「2000年の地球」をあいついで発表した。これらに共通している視点は、土壌、森林、野生生物等本来再生可能な自然資源が、過度の利用圧力により急激に減少すると予測し、将来に警鐘を鳴らしていることであった。
 これら1970年代はじめには一般的には問題認識が希薄であった問題の顕在化等により、環境と開発に関する考え方は、環境は経済・社会の発展の基盤であり、環境を損なうことなく開発することが持続的な発展につながるというとらえ方へと進展した。また、環境問題への対応は、環境のみを独立させて議論できるものではなく、その背景にある開発、経済等の構造にさかのぼることが必要であるとの認識も芽生えた。
 こうした認識は、1980年代に入り、「持続的開発」をキーワードとして国際社会において次第に定着するようになった。例えば、国連人間環境会議10周年を記念するため1982年に開催されたナイロビ会議では、開発途上国からも環境保全に配慮した開発の必要性が表明され、「ナイロビ宣言」において、「環境、開発、人口及び資源の間の密接かつ複雑な相互関係を重視し、環境的に健全で持続的な社会経済の発展を実現させる。」とうたっている。また、1984年のロンドンサミットに基づく環境大臣会合は「国際貿易の鎖を通じて先進国の利益が開発途上国の利益と相互に関連しており、環境資源管理は国際政策の重要な要素である。」との認識を示したほか、OECDも、1985年の環境大臣会合において「水、土壌、森林及び野生生物の資源の管理と保護は、将来の経済発展を維持するために改善されなければならない。」としたうえで、「環境資源管理の問題は、開発途上地域を含めた全世界的な観点から対応する必要がある。」としてしいるなど「持続的開発」に向けての先進国の対応の必要性が認識されるようになった。
 一方、温室効果やオゾン層の破壊の問題が1970年代半ば頃から問題提起され、1980年代に入り、米国政府の「2000年の地球」報告等を契機に急速に関心が高まり、砂漠化、熱帝林の減少等の問題と併せ「地球的規模の環境問題」として環境問題の大きなテーマとして認識されるようになった。
 こうしたなかで、ナイロビ会議における我が国の提案により「環境と開発に関する世界委員会」が1984年に設置された。同委員会は、人口、食糧、エネルギー、工業、国際経済等の地球環境問題の背景となる構造を分析し、「持続的開発」を将来の世代のニーズの充足を阻害することなく現在の世代のニーズを満たすような進歩のための取組と位置づけ、「持続的開発」に向けて講ずべき方策を提示するとともに、世界が制度的改革を含め早急に行動すべきことを訴えた「われら共有の未来」と題する報告書を1987年に発表した。この報告は、同年の国連総会に提出され、総会は、各国政府及び国際機関に対し政策や活動計画を策定する際に報告書に盛られた分析結果及び勧告を考慮するよう要請するなどの決議を行った。
 このように、1970年代はじめ対立するものとしてとらえられていた環境と開発の考え方は、大きな変化を遂げ、「持続的開発」の考え方、さらにはその具体化へ向けての行動を求める段階へと進展している。

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