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第3節 

1 三つの環境利用

 人間の活動は生物体一般に共通する生存と人間特有の経済社会活動の両面において、大気、水、土壌及び生物等の環境の構成要素と種々の形で深く結びついている。
 第1に、我々は呼吸し、水や食物を摂取することを通じて、生命を維持してきている。これは我々が地球上に生命体として発生してきた時から、基礎的な物質代謝を行っている生理と、食物を獲得するための狩猟、漁労と農漁業活動とを通じて、環境との間に人間活動が持ってきた基本的な結びつきである。
 第2は、産業化の進展に伴って、我々は工業活動を通じて環境中から、大気、水、土壌、埋蔵地下資源などの様々の資源を生産活動に取り込みながら、他方で種々の余剰となった物質・エネルギ―を環境中に排出・廃棄している。これは産業化の進展を通じて増大を続ける埋蔵地下資源を源泉とする人工の物質・エネルギ―の流れのインプットとアウトトップにおける環境との結びつきであり、産業化社会に特有な環境との結びつきである。
 この産業化に伴う環境利用は、各種の自然改変を伴っている。巨大な人工の物質・エネルギ―の流れを開発し、その円滑な流れを拡大するとともに、その流れの利用をより豊かで多様なものとしていくために行われる自然改変である。治水、鉱山やダム開発、工場の立地、道路、鉄道、港湾の建設、都市域の拡大、廃棄物の最終処分などがそれである。
 第1の基本的な環境利用を一次的環境利用と呼ぶならば、産業化に特有な環境利用は二次的環境利用と考えることができる。この二次的環境利用の拡大を通じて、自然災害、飢餓、疫病、風土病などの自然の脅威を克服してきただけでなく、物的豊かさと高い利便を享受できるようになったが、他方で、環境を利用しているという認識が希薄なまま、二次的環境利用が環境保全上の適切な配慮を欠いて行われた場合、我々の生命、健康を支えている物質代謝あるいは食糧を生産している農・漁業などの一次的環境利用に障害をもたらすことがあった。高度経済成長期における人こくな公害の発生はこの典型であり、これが環境保全への配慮を欠いて二次的環境利用が行われた場合にもたらされる公害発生の基本的メカニズムである。
 他方、今日では、自然環境と多面的かつ相互依存的な係わり合いをもち、環境汚染の浄化等の環境保全機能を備えている農漁業活動についても工業製品の多用等により環境問題が発生する場合がある。
 第2章第2節で見たように、公害問題は危機的な状況は脱し、全般的には改善傾向にあるものの、近年その改善傾向は足ぶみの状態にあり、大気の汚染、騒音、河川、湖沼及び海域の汚濁、土壌の汚染、地盤の沈下、廃棄物などで、公害発生源が多様化している現状は、良好な環境を求める人々のニ―ズの高まる中で、キメ細かな公害防止努力を続けて行くことの必要性を示しているといえる。
 一次的環境利用と二次的環境利用に伴う環境利用障害による公害の問題は以上に述べたようなものであるが、さらに今日、産業化と都市化の進展に伴って第3の環境と人間の結びつきが認識されてきている。それは、産業技術を駆使し都市域を中心に高密度の人工環境に居住する我々が強く感じるようになっている環境の快適性に対するニ―ズからくる環境との結びつきである。高密度な人工空間において身のまわりから失われてきた歩くことを基本的な尺度とするヒュ―マン・スケ―ルを備えたのびのびした開放感を持った空間、自然の潤いを備えた緑や水辺、あるいは居住空間の歴史的ふんい気が備えている安らぎのある時間の連続性などに対して、我々は強いニ―ズを感ずるようになってきている。これが第3の環境との結びつきである。
 第2章第5節自然の改変で見た都市のイメ―ジ調査が示すように、我々は住んでいる都市の規模の大小とは関係なしに、自然の豊かな居住環境や歴史的な都市の落着きに強い親近感を懐くようになってきている。また、同節で見たように、このような自然に対するニ―ズから、レクリエ―ションに出かけてキャンプ、ピクニック、釣りや山菜つみなどの野外生活を通じてより豊かな自然との接触を回復しようとする傾向を強めている。
 また、昭和54年度に環境庁が実施した「望ましい環境に関する意識調査」によれば、快適な環境の構成要素として、静けさ、空気の清浄さ、水や緑の豊かさと並んでのびのび歩ける空間に対する人々の欲求は極めて強いものがあることが示されている。
 このような自然や歴史との接触に我々が潤いや安らぎを強く感じ、のびのび歩くということに大きな開放感を覚えるのは、われわれの感性の働きであり快適性を求める人間の本質的な欲求に根ざしたものと考えられる。それは、人類の長い歴史を通じて、踊り、音楽、歌、詩、物語、絵画、彫刻、あるいは哲学、美学など、文化の領域に含まれる活動の原点にある我々の感性の働きを通ずるものである。
 快適性は我々の感性の基本的尺度を形成し、我々の感覚と知覚はその上に養われてきたものである。環境の快適性は我々の環境を構成する不可欠な要素であり、環境利用が混乱して、歩行空間が圧迫され、自然の潤いや歴史の連続性を失った環境の歪みを改修することを通じて、環境創造を進めていくことのできる基本的な尺度である。ここに我々の三次的環境利用があるといえる。
 急激な二次的環境利用の拡大によってこれら三つの環境利用が錯綜して環境利用の主体間の利害の対立を招くことも多く、環境問題は社会問題となりやすくなっている。経済社会活動の高密度化が進む中で、公害をもたらし良好な環境の劣化を招くような環境利用を規制することは環境行政の基本的な役割である。しかし、それだけでは人々が納得できる環境利用は実現しないだろう。高度に分業化しそれゆえに環境利用も多様に分化し、しかも高密度な環境利用が行われている今日の産業社会において、快適性という共通の創造の尺度をもって環境創造を行っていくことは、環境を共有しているという認識を復元し多様な環境利用を共存させながら望ましい環境利用を実現して行く上で重要な意味を持っている。
 我が国の環境政策の本格的整備は、産業公害を中心とする深刻な公害の防止から始ったものである。工場や事業所の生産活動の拡大によって二次的環境利用が拡大し、様々の汚染物質が大気中、水中あるいは土壌中に地域的集中を伴って排出されたため、同じ大気、水あるいは土壌を呼吸や水、食物の摂取を通じて直接あるいは間接に人体に取り入れている一次的環境利用との間に、二つの環境利用の間の深刻な対立が発生したところから、環境政策の本格的整備が始ったのである。
 国民の生命、健康を産業公害から守るという緊急の社会的要請を受けて、公害防止施策の整備が展開されたのである。この公害防止施策の展開を通じ、生命、健康の保護は経済的利益その他の諸利益に優先するという明確な原則のもとに、環境基準の設定、排出規制の実施等を通じて二次的環境の制御が推進され、国民の生命、健康に係る危機的な状況を脱することができた。
 しかし、二次的環境利用の拡大に伴う都市域や閉鎖性水域などの環境汚染によって良好な生活環境が損なわれている場合があり、生活水準の全般的向上、定住傾向の強まり、高次の生活環境の質を求める欲求がますます強まっていく中で、我々は依然として環境問題をかかえている。
 一例を水域環境にみると、既に第1章第1節で見たように、有害物質等に係る健康項目の環境基準はごく一部の水域を除けばほぼ達成されているが、都市内中小河川を中心に生活環境項目の達成状況は十分とはいい難いのみならず、近年、内海、内湾、湖沼などにおいて富栄養化の進行による水質の悪化という新たな問題が大きくなっている。
 この他にも騒音、悪臭、散乱性の廃棄物など都市及びその周辺において、発生源が生産、流通、消費の多様の段階にわたり複合している汚染現象もあり、また環境汚染発生の機序が必ずしも明確でない汚染現象もある。これらの良好な生活環境を損っている都市生活型公害については、交通公害対策、閉鎖性水域の水質汚濁対策など、二次的環境利用の制御は、第1節で見たように、排出規制、利用規制、土地利用規制、流通や交通のシステムなどの都市構造対策など多岐にわたるキメ細かな対応が着実に進められる必要がある。
 これまで進められてきた公害対策は、地域的集中を伴った高密度な二次的環境利用が進み、環境汚染が顕在化してから事後的に環境利用を制御するものであった。既に、我々の身のまわりに多くの公害をかかえている現状において、今後とも、事後的ではあっても生命、健康を守り良好な生活環境を実現していくために着実に公害防止を進めていかなければならない。それと同時に、産業化と都市化の進展が二次的環境利用から悪影響を生み、社会の不安と不満を生み、事後的な対応を迫られるという事態を回避するためには、これまでの事後的対応の限界を越えて、総合的、計画的、構造的に環境保全を進める予見的環境政策の一層の展開が求められているといえる。このためには、二次的環境利用を伴う各種の事業の早期の計画段階から、計画の性格、熟度に応じて広域的、総合的な環境保全上の配慮を組み込んでいくことにより、幅広い環境利用の可能性の中からより望ましい環境利用を見つけ出して行く計画的な制御が重要である。
 我々は、既に公害の発生などによって環境というものが無限のものではなく、人間活動にとって一つの有限な資源として考えなければならないことを学んでいる。特に狭小な国土の中で高密度な人間活動が営まれている我が国においては、大気、水、土、緑などの環境資源の量的限界、すなわち資源制約は極めて強いものになっている。
 また、自然環境の保全に目を転じても、ここ十年余の環境政策の発展の中で、自然環境保全及び都市緑地保全法の制定実施をはじめとして、自然保護の強化を基調とした施策の前進が見られたが、人間活動が集中し、それゆえ様々な環境資源利用が重複する都市及びその周辺などにおいてどのような自然環境の保全を図り、人と自然の快適な触れ合いをつくりだすかは、なお大きな課題となっている。
 環境と人間との三つの結びつきは、それぞれに人間の生存と経済活動と快適性の欲求に応じるものであるが、人間の環境に対する働きかけが有限な環境資源の中で三つの環境利用に測り知れない様々なインパクトを及ぼし合っていることを明確に認識しなければならない。
 計画的な環境利用の制御を通じて予見的環境政策を進めていく上で、環境汚染の問題だけでなく、自然保護、快適環境の創造をも政策の視野に入れていかなければならない。

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