1 環境影響評価の体制整備の歩み
(1) 環境影響評価の定着
公害の発生や自然環境の破壊はいったん起こってしまってから後に、その対策を講ずる場合には多くの費用と年月を要し、なお完全な回復は期し難い。このため、このような環境汚染は未然に防止することこそが重要であるということが広く認識されるに至っている。
環境に著しい影響を及ぼすおそれのある事業の実施前に公害の防止及び自然環境の保全について適切な配慮がなされることを期するための環境影響評価は、このような認識に支えられつつ、国や地方公共団体における諸施策を中心として、我が国において着実に定着してきた。
昭和55年11月に内閣総理大臣官房広報室により国政モニタ―550人を対象として行われたアンケ―ト調査によると、「環境影響評価」という言葉を知っている者は94%に達しており、また、開発事業を進めるに当たって環境影響評価を「当然行う必要がある」と考える者は93%にのぼっている。
(2) 国における環境影響評価
国においては48年に「港湾法」、「公有水面埋立法」及び「工場立地法」の一部改正、「瀬戸内海環境保全臨時措置法」(53年に「瀬戸内海環境保全特別措置法」と改称)の制定等を通じて、法令の整備が行われた。例えば、「港湾法」の一部改正により、重要港湾の港湾計画については、計画の策定に際し、環境に与える影響について事前に評価することとされた。また、「公有水面埋立法」の一部改正により、公有水面の埋立てについては、環境保全に対する配慮が免許基準として明文化され、環境影響評価が義務づけられた。
これらの法律による環境影響評価が行われる一方で、行政指導などによる環境影響評価も行われてきた。
既に40年度からは大規模工業開発予定地域を対象として産業公害総合事前調査が実施されてきているが、47年6月には「各種公共事業に係る環境保全対策について」の閣議了解が行われ、国の行政機関は所掌する公共事業について事業実施主体に対し「あらかじめ必要に応じ、その環境に及ぼす影響の内容及び程度、環境破壊の防止策、代替案の比較検討を含む調査研究」を行わしめ、その結果に基づいて所要の措置をとらしめる等の指導を行うものとされた。
特に大規模な開発プロジェクトについては51年にむつ小川原総合開発計画第二次基本計画に係る環境影響評価が行われ、さらに52年に児島・坂出ル―ト本州四国連絡橋事業の実施にかかわる環境影響評価が行われた。
これらの知見などを踏まえて、公共事業では、53年7月から「建設省所管事業に係る環境影響評価に関する当面の措置方針について」(建設事務次官通達)により、環境影響評価が実施され、また、54年1月から整備五新幹線では、「整備五新幹線に関する環境影響評価の実施について」(運輸大臣通達)により、日本国有鉄道及び日本鉄道建設公団に環境影響評価を行わせることとした。公共事業以外でも、発電所の立地について、54年6月に「発電所の立地に関する環境影響調査及び環境審査の実施について」(通商産業省資源エネルギ―庁長官通達)が出され、52年7月より行われた電源立地に際しての環境アセスメントの指導が強化されることとなった。
(3) 地方公共団体における環境影響評価
地方公共団体においても、47年の前記閣議了解に準じて所要の措置を講ずることが要請されたことなどを契機に各種の事業が行われるに際し、環境影響評価が行われ、また、その制度化の検討が進められるようになった。川崎市は51年10月に、北海道は53年7月に、又東京都および神奈川県は55年10月に、それぞれ条約を制定し、これに基づき環境影響評価を実施することとした。また、48年4月より福岡県が「開発事業に対する環境保全対策要網」により環境影響評価を行うこととしたのをはじめとして、56年2月までに15の県、政令指定都市がそれぞれ独自の要網等により環境影響評価を行うこととした。
55年1月に環境庁が行った調査によると、全国57都道府県、政令指定都市のうち、既に制度化を行っている前記19の団体のほか、34の団体が環境影響評価の制度化についての検討を行っており、これらの団体の合計は全体の9割を超えるに至っている。