1 個別排出規制
60年代における鉱工業生産活動の急速な拡大によって、産業公害は危機的な状況となったが、70年代においては、このような産業公害の激化に対処して、国民の健康を保護し、環境を保全することが、緊急を要する政策課題となった。
このような強い社会的要請を背景に、42年には「公害対策基本法」が制定され、それに基づき我が国の公害対策は画期的な進展を遂げることとなった。同法は、人の健康又は生活環境に係る被害を発生する公害として典型7公害(大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染(45年の改正法により追加)、騒音、振動、地盤の沈下、悪臭)を定め、人の健康を保護し生活環境を保全するうえで維持されることが望ましい環境上の条件として環境基準を設定し、事業者などが遵守すべき排出などに関する規制の措置を講じるよう規定している。排出規制は汚染の原因となる物質とその許容排出基準を定め、汚染源を特定化してその発生者に排出基準以上の排出濃度ないしは量の汚染物質を排出させない直接的な規制の体系をとっている。
このような排出規制を事業者に課すことによって、公害という外部不経済がその発生者である事業者の防止コストとして内部化されることになり、公害の防止をその発生者の努力によって進めることのできる体系が確立したのである。
このような個別排出規制を中心とする公害防止の体制の確立によって健康被害を引き起こしていた汚染物質については、厳しい規制が行われ、公害防止努力が進み汚染は改善された。
しかし、個別排出規制による発生源対策だけでは公害防止に限界があることも確かである。例えば、BOD、CODなどの指標ではは握される生活環境項目に係る水質汚濁、また、窒素、リン、などによる富栄養化などの水質の悪化については、発生源が産業排水、生活排水など多様であり、産業排水については個別の排出規制による発生源対策が有効であるが、生活排水については個別の発生源に対する規則には限界があり、下水道、地域し尿処理施設などの普及、整備を進めていかなければならず、また、赤潮の例に見られるように科学的な解明が進められているところできめ細かな対応が進みにくいといった問題もある。
また、騒音、振動、悪臭などのいわゆる感覚公害については、発生源が多種多様でその被害は感覚的、心理的な要因が大きく、個別の排出規制による発生源対策だけでは公害の防止を進めにくい場合もある。
(1) 大気汚染防止対策
1960年代の鉱工業生産活動の拡大とそれに伴う石油消費の増大によって、四日市、川崎などの工業地帯では大気の著しい汚染が進行し、大気汚染に起因する健康被害が発生することとなった。このような鉱工業生産活動による大気汚染を防止するため、東京、大阪など工業地帯を有する一部の地方公共団体においては地域住民の要請を受けて条例の制定が独自に行われていたが、37年に「ばい煙の排出等の規制に関する法律」が成立し、著しい大気汚染生じている地域を指定して排出規制を行うこととなった。しかし、その後も大気汚染が一層進行するとともに、汚染地域も拡大した。
このため43年に同法を抜本的に改正した「大気汚染防止法」が成立し、ばい煙中の硫黄酸化物、ばいじんに対する排出規制の強化・拡充が行われた。
その主な内容を見ると、
? 硫黄酸化物について、排出口における濃度規制から排出口の高さに応じて排出量を規制するいわゆるK値規制へと規制の合理化が行われたこと、
? 施設が集合し、高濃度の汚染が生じるおそれのある地域については、新たに設置される施設に対し、汚染の状況に応じて、一般の排出基準より厳しい特別排出基準が定められたこと、
? 人の健康が損なわれるおそれがあるような緊急時における措置として、都道府県知事は事業者があらかじめ届け出た減少計画に基づき、燃料転換など必要な措置を講ずるよう事業者に勧告することができるようになったこと、
などである。
このような規制の強化・拡充により硫黄酸化物、ばいじんによる大気汚染は指定地域においては改善の兆しがみられたが、一方で大気汚染は広域化するとともに、カドミウムやふっ化水素等有害物質あるいは物の破砕により発生する粉じんによる大気汚染も発生した。
このため、45年に「大気汚染防止法」の改正を行い、規制の全国への適用拡大、規制対象の物質の拡大など、排出規制を更に強化するための体制を整備することとした。すなわち、汚染の多様化に対応して、ばい煙としてそれまでの硫黄酸化物、ばいじんに加え、カドミウム、塩素、ふっ化水素、鉛の4物質(48年に窒素酸化物を追加)を追加し、規制対象物質の拡大を行うとともに、汚染地域の広がりに対応して、国が全国一律の排出基準を定めることとなった。しかし、発生源が集中し、汚染が進んでいる地域では国の排出基準では環境基準を守ることが困難であったため、都道府県が国の排出基準より厳しいいわゆる上乗せ基準を条例で定めることとした。ただ、硫黄酸化物についてはその対策として低硫黄燃料への燃料転換による対応が有力な手段であったことから、地域の汚染の程度及び低硫黄燃料の全国的な需給を勘案して、国が地域ごとに排出基準を定めることとした。
そして、以上のような排出規制の徹底を期するため、都道府県知事がばい煙施設の構造改善命令、一時使用停止命令を行うことができるとともに違反者に対しては直罰を課することができることとなった。
このような45年の「大気汚染防止法」の改正により個別排出規制は、現行法に近い体系にまで整備が進んだのである。そして産業公害の管理体制の整備に伴い排出基準の強化が進み、例えば硫黄酸化物のK値は43年12月(第1次規制)以後51年9月まで8回にわたり段階的に改定強化されるとともに、特別排出基準が適用される地域も22地域に拡大されている。
また、45年改正法では残された問題であった窒素酸化物についても、48年に有害物質に指定されるとともに環境基準が設定され、固定発生源に対する排出規制も実施されることとなった。そして、それ以降逐次規制の強化、規制対象施設の拡大が行われており、54年8月の第4次規制により、固定発生源によるばい煙発生施設の70%以上、ばい煙発生量の95%が規制の対象となった。
他方、自動車交通量の増大による移動発生源に起因する大気汚染が進行した。
移動発生源に対する排出規制は、固定発生源とは異なり、自動車を直接利用する者が排出量を減少させることが困難なため、発生源である自動車の排ガス量の許容限度を定め、それにより自動車の排出ガスに含まれる汚染物質を低減させる対策がとられた。
自動車排出ガスに含まれる一酸化炭素は早くからその有毒性が知られていたので、41年9月から行政指導により排出規制が行われ、43年には「大気汚染防止法」により許容限度が定められ、法律に基づいた規制が実施されることとなった。更に、48年には規制の対象となる汚染物質に炭化水素と窒素酸化物が加えられ、移動発生源に対する本格的な3物質規制が開始された。まず、48年度規制においてはガソリン、LPGを燃料とする自動車に対して3物質規制が実施され、49年度にはディーゼル車に対して3物質規制が実施された。その後乗用車に対する排出ガス規制は、50年度規制、51年度規制及び53年度規制へと強化され、3物質すべてについて未規制時に比べ90%以上削減されることとなった。また、ガソリン乗用車以外の車輌(バス・トラック等)についても、50年度には軽中量ガソリン車の排出ガス規制、52年度には重量ガソリン及びディーゼル車の排出ガス規制の強化が行われた。更に54年度からはトラック、バスなどから排出される窒素酸化物に係る第1段階の規制強化が行われるとともに、第2段階の規制に向けて現在技術評価を行っているところであり、第1次の技術評価に基づき、軽量・中量ガソリン車について56年規制として54年8月に告示された。
(2) 水質汚濁防止対策
鉱工業生産活動の急速な拡大の中で、工場排水等に起因する水質の悪化が進み、特に水銀、カドミウム等金属による健康への被害が発生し、重大な社会問題になった。このような水質汚濁の進行に対し33年に「公共用水域の水質の保全に関する法律」及び「工場排水等の規制に関する法律」のいわゆる水質ニ法が制定され、工場排水等の規制が行われてきた。しかし、水質の悪化、汚濁の全国的な広がりに対応するため水質汚濁防止対策の抜本的な強化・拡充が必要とされる状況となった。このため45年に水質汚濁に係る環境基準の設定が行われるとともに、前ニ法にかわり「水質汚濁防止法」が制定された。
水質汚濁に係る環境基準は「健康項目」と「生活環境項目」に分けられ、「健康項目」には人の健康に有害な水銀、カドミウム、シアンなど9物質が指定され、全国一律の環境基準が設定されている。また「生活環境項目」については。BOD、CODなどの指標で測定されている有機物など利水上の障害をもたらす項目が指定され、利水目的の違いによって、河川については6、湖沼については4、海域については3の環境基準の類型を設けて、河川、湖沼、海域のそれぞれについて水域をいくつかに分け、環境基準類型あてはめが行われている。「水質汚濁防止法」はこのような環境基準維持達成するため、公共用水域における特定事業場の排水に基準を設定するとともに、この排水基準では十分でないと認められる地域については、都道府県が条例で国の排水基準よりは厳しい上乗せ基準を設定することができることとした。また、このような規制の徹底を期するため、新たに都道府県知事が排出基準に適合しない排出水の排出のおそれがあると認めるときは、事業者に対し排水の一時停止命令を行うことができることと、なるとともに違反行為に対する直罰制度が設けられることとなった。
このように工場排水などに起因する水質汚濁防止対策はかなり進展し、現在すべての都道府県で実情に応じ上乗せ排水基準の設定が行われている。
この結果、健康項目については、ほとんどすべての水域で環境基準を達成することになった。しかし、生活環境項目については都市内中小河川などで長期的には改善の傾向がみられるものの、工場排水以外にも汚濁発生源が生活排水など多岐にわたり、全体として満足すべき状況とはなっていない。