1 「公害対策基本法」の制定
公害問題が全国的な問題となり始めたのは、日本経済が戦後の復興期を脱し、目覚しい成長への過程を歩み始めた30年頃からであった。30年代後半に入ると、重化学コンビナートを中核とした地域開発が進められ、また、水力や石炭から石油へのエネルギー転換が進められるに伴い、大気汚染、水質汚濁等が進んだ。
このような重化学コンビナート中心として発生した産業公害に加え、人口の都市集中及び国民生活の向上に伴い、自動車の排出ガスによる大気汚染や生活排水による水質汚濁、膨大に排出される廃棄物等都市生活に起因する公害も増加してきた。
当時、「公共用水域の水質保全に関する法律」、「ばい煙の排出の規制等に関する法律」など国の公害規制法も個別に順次制定されていった。しかし、これらの法律は、発生源の規制を主たる手段とし、指定地域、つまり、施設が集合して設置されており、それから排出される汚染物質により環境が著しく汚染されている地域等の一定地域のみ適用されるという個別的対策の域を出なかったことから、総合的、計画的対策によって増大する公害を克服すべきであることが認識されるようになった
このような状況を背景に、39年に各省庁事務次官からなる公害対策推進連絡会議が設置され、さらに、40年には厚生省に公害審議会が設置された結果、41年10月には「公害に関する基本的施策について」が答申された。この答申の内容を踏まえ、鋭意検討がなされ、ようやく42年8月、第55回国会において「公害対策基本法」の制定をみるに至った。
本法の制定によって、初めて各省庁に分かれた公害行政についての共通の原則と目標及び調整の仕組みが明らかにされ、それまでどちらかといえば、個別的に講ぜられがちであった公害対策は、事前の対策を含めて総合的、計画的に推進されることが可能になったということができ、本法の制定は公害対策の歴史のうえで画期的なことであったといえる。