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第4節 

1 環境問題と地域住民

 環境問題はすぐれて地域的問題であり、環境保全政策をきめ細かく、かつ、確実に行っていくためには、地域における経済社会の事情とともに地域住民等の意向を十分には握することが重要である。
(1) 環境問題の推移と住民の対応
 最初に、戦前における環境問題を巡る住民の対応を見よう。明治前期から中期にかけて環境問題の中心は鉱害に関するものであった。栃木県渡良瀬川流域での足尾銅山からの鉱毒による農作物被害、愛媛県別子銅山の製錬所からのばい煙による農作物被害等が生じ、限られた地域的問題として注目された。足尾銅山の鉱害問題については、渡良瀬川流域住民が県へ陳情するとともに政府に対し学術調査を要請し、更に住民の意向を受けた地元議員が国会へ質問書を提出する等の対応が採られた。また、別子銅山についても地元の農民代表が会社、県へ陳情し、県は更に国に陳情を行っている。一方、事業者は、公害防止措置に努め、国、地方公共団体においても調査や防止措置命令等により鉱毒、煙害の防止に取り組んでいる。
 明治の後半には、兵庫県高砂市における製紙工場からの汚濁水を巡り、加古川沿岸農漁民との間に紛争(明治34年)が生じ、また、逗子味の素製造工場からの塩酸ガスによる農作物被害で紛争(明治41年)が生じている。その後の紛争を見ると、日本亜鉛からの汚濁水等を巡る事件(昭和14年)、日本窒素と水俣漁民との間の漁業被害を巡る問題(昭和18年)、国策パルプと石狩川沿岸農民との間の農業被害を巡る事件(昭和18年)等が起こっている。
 このような戦前の環境問題を巡る住民の一般的な動向として、
ア 紛争の内容は発生した被害に対する補償問題が中心であること、
イ 解決の方法の多くが、当事者間の取決めによっていること、
ウ 今日のように広く騒音、振動等生活環境一般における事例が極めて少なかったこと
 等がその特徴である。
 これに対して、戦後の環境問題を巡る住民の動向の特徴としては、第1に被害の原因となった事業活動が、明確にはは握し得ないものが増加してきたことである。例えば、昭和25年頃からの川崎の大気汚染の深刻化、横浜市でのぜん息患者の発生、30年代からの四日市、水島における異臭魚の発生等に見られるように被害が相当広範囲の地域に発生し、多数の事業場等からの汚染が集積して被害を及ぼす事例が多発した。
 第2は、四日市市、三島市の例に見るように、農漁民とともに一般住民も加わり、地方公共団体に対する陳情や公害反対運動の組織化のための会合の開催を積極的に行うようになったことである。
 次に、環境問題に関する住民運動の現状を見よう。
 第1に、環境問題に対する住民運動の団体数は、環境庁の調査によれば、45年292団体であったのが、49年10月には1,249団体、50年10月には1,286団体と増加している。
 第2に、種類別に住民運動の件数を自治省委託調査「住民参加に関するアンケート調査」(委託先:(財)地方自治協会)によって見ると第3-17表に示すように高順位に環境問題が挙げられており、また、同調査によれば全住民運動の55〜60%が環境の保全を目的としていると指摘されている。
 第3に、住民運動の実態を前述地方自治協会が49年から50年にかけて調査した事例で見ると、一般的な傾向として次の点が指摘できよう。
ア 運動の対象となる事業は、工場・事業場からの公害、新幹線、高速自動車道、ごみ処理施設等による公害のように公共事業に伴うもの、大規模工業開発に反対する運動など広範である。
イ 要求の内容も対象に応じて多様となるが、被害の補てん、事業活動の差止め、公害防止措置の徹底等要求が広範となっている。すなわち、現に被害が発生している場合は補償のみでなく、原因となる事業活動の差止めや防止措置の徹底、また、被害が生じようとする場合は事業計画の変更、取消し等がそれぞれ内容とされていることである。
ウ 運動団体として、必ずしも組織化されないことがあるが、運動目標別には、事業(計画)の促進派、反対派、中間派(条件付賛成派)の3つに類型化でき、解決方法もこの3者間の力関係で方向付けされる。例えば、高崎市における上越新幹線新設に関する住民運動では、絶対反対派から促進派まで7グループの運動団体があり、それぞれ関係各機関に対し、要請、陳情を行っている。
エ 地方公共団体は、事業(計画)に関与するとしないとにかかわらず、住民とのパイプ役を努めているが、政策的配慮から現実的な解決を指向する傾向があるため、絶対反対派の住民に不満を残すことがある。


(2) 訴訟、調停に見る住民の動向
 環境問題を巡る住民運動は、関係事業者や地方自治体等に対する陳情、要請等が大部分であるが、これらの陳情等により解決が困難な場合には司法制度又は公害紛争処理制度による解決によっている。ここでは、訴訟及び都道府県公害審査会の紛争処理制度による環境問題の処理状況を概観してみよう。
 (訴訟)
 水俣病問題、新潟水俣病問題、神通川イタイイタイ病問題及び四日市ぜん息問題を扱った四大公害訴訟や大阪空港騒音事件訴訟に見られるように、環境問題に関し、訴訟が提起されることも少なくない。
 環境問題に関して、これまで訴訟に係属中の事件を見ると第3-18図のとおり、全般にその係属事件数は年々増加の傾向をたどっており、49年には312件で45年の168件に比べ86%増加している。汚染類型別にみると、騒音、振動等が最も多く、49年で全体の312件中216件と7割を占め、45年の107件から49年の216件と約2倍となっている。この類型の過半を占める建設工事によるものは、全件数の4割を占めているが、この類型のものは同じく45年から49年の間に約3倍に増加している。
 また、戦後以降47年6月までに判決があった公害事件(最高裁判所事務局調べ)のうち、事業活動の差止め、公害防止措置の徹底等を内容とするものが82件あり、相当数に上っている。
 これらの判決の特徴としては、第1に、特に公共事業に係るものについては、公共の福祉の維持、増進という公共事業の性格から、その差止めに当たっては経済的社会的影響を十分に考慮しなければならないとしている。第2に、差止めの根拠として住民側が主張する環境権については否定的態度をとるが、生活環境利益や人格権等を保護法益とすることについては肯定的なものもある。
 (公害紛争処理制度)
 訴訟による紛争解決のほかに環境問題に係る紛争を行政的に解決する制度として、公害等調整委員会及び都道府県公害審査会による公害紛争処理制度がある。
 都道府県公害審査会に新たに係属した事件を経年別に見ると第3-19図のとおりである。汚染類型別では、訴訟と同様に騒音、振動に関するものが多く、かつ、増加の傾向も著しいが、大気汚染、水質汚濁に関するものも近年増加している。
 45年12月末から50年9月末までに都道府県公害審査会において終結した事件を見ると、総数86件のうち、事業活動の差止め、防止措置を求めるものが27件で、約3割を占め、そのうち11件が建設作業場、工場等の騒音・振動によるものであった。49年中に係属した事件は44件であったが、事業活動の差止め、事業計画の変更等発生源対策を求めるものが26件と多いのに対し、金銭の支払を求めるものは18件であった。
 なお、最近の調停等においては、公害防止措置の担保手段として地方公共団体を介した公害防止協定の締結を求める事例が見られる。これは、地方公共団体の有する環境管理の機能を通じて、調停等の内容を実現していこうという考え方に立っていることを表わしている。
 以上、訴訟や調停等に見られる環境問題の動向を見てきたが、次のような特徴が挙げられる。
 第1に、騒音、振動等の生活環境に係る事件が多く、かつ、増加する傾向にあり、今後とも、これらに関する生活環境の改善に一層の努力が求められている。
 第2に、事業活動の差止めや事業計画の変更を求めるものが多く、公害の未然防止を含めた公害防止措置が一段と強化されることが要請されている。


(3) 住民の意向と行政の対応
 環境問題を巡る住民の動きは、紛争が深刻化して訴訟、調停等に係属されることもあるが、その多くは地方公共団体等への陳情、請願等により、地方公共団体等による対策を求めている。
 第3-20図は、住民運動の手段を「ごみ・し尿等処理施設反対」と「工場・事業場公害反対」について見たものである。それによれば、両者ともに請願、陳情による場合が多いが、他方、デモ、実力行使、マスコミの利用、世論の喚起といったものにも力を注いでいる。なお、少数ではあるが、「工場・事業場公害反対」に係る運動において条例の制定改廃請求が現れている。
 このような住民の動きに対し、関係地方公共団体の対応を見ると第3-20図のように、両者とも主として「対話集会等の開催」「広報活動の強化」等を行っている。また、ごみ等処理に関するものでは「直接の説得」によることが多い。
 次に、地方公共団体の採った最終的措置を見ると、ごみ等処理施設に関するものは「計画の修正、撤回」や「運動主体に対する説得」等により解決されたものが多いが、運動件数の3割がなお「継続中」とされており、解決の困難さを示している。
 これに比べ、工場、事業場に関するものは「私企業等に対する必要な措置」を講じたものが約4割あり、その他「国等への働きかけ」、「条例、規則等の制定等」によって解決を見ており、紛争が「継続中」のものは比較的少ない。
 このような地方公共団体の対応のうち、公害防止施策として重要と考えられるものは、第1に、公害防止協定の締結である。50年10月1日現在公害防止協定を締結している事業所数は8,923となっており、前年同期に比べ1,827増加となっている。
 公害防止協定の内容を見ると、50年10月現在で、重大な公害の発生があった場合は操業を停止することを定めたものが2,808協定で、全協定数8,923の31%を占めており、また定期的立入調査を定めたものが6,062協定で68%となっている。また協定の不履行に対し地方公共団体がその協定に基づく措置を行った事例は50年度で145件となっている。
 この公害防止協定は、当事者間で定められることから義務の内容や運用はまちまちであり、また当事者間の合意という形で一種の行政措置を行うものであるが、公害関係法令の補完策としての意義もある。
 第2に協定以外の主要な措置として地方公共団体が行っているものは、条例、規則等の制定等、排出規制の強化、条例等による立地規制の推進等である。これらによって、判決や調停等における事業の差止め、事業計画の変更等と同様の措置を行政的に講じ、積極的な公害防止施策が行われている。
 以上のように、環境問題を巡る住民の動向を見ると、環境問題に係る住民運動は増加の傾向にあり、要求に係る事業は個別の工場、事業場に関するもの、新幹線、高速自動車道、ごみ処理施設等公共事業に関するもの等様々であり、要求の内容も被害の補てん、事業活動の差止め、公害防止措置の徹底を求めるものなど広範にわたり、新規の事業計画に対する態度も反対派から賛成派まで多岐にわたり、また要求の手段も請願、陳情によるもの、デモ、実力行使によるものなど多様である。
 このように、多様化した環境問題の中には、地域住民の間で要求の内容が対立し、又は地域的利害を代表する住民要求と公共の利益とが対立するような側面もあり、また、地域住民だけでなく関係団体等が参加している例も見られる。このように、多様な要求をどのように評価、調整し、環境施策を進めていくかが今後の課題の1つである。

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