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第2節 汚染者負担の徹底と今後の課題

 昭和40年代は、汚染の大量発生に伴う防除に追われ、必ずしも豊かな環境の積極的創造に十分な資源を振り向けるまでには至らなかったといえよう。我々は50年代は失われた環境の復元のみならず、清らかな水、澄んだ空気、小鳥の飛びかう緑に包まれつつ変化の中にも落ち着きと安らぎのある生活環境を確保し、より豊かな人間居住環境を創出していかなければならない時であると考える。
 このような環境を確保していくためには、大気汚染、水質汚濁等汚染の防止は必須の条件である。今、仮に大気汚染、水質汚濁、廃棄物のいくつかの汚染因子について、各因子によって異なるものの総じて30年代前半頃の水準を確保するには、51年度から60年度までにどの程度の汚染防止投資が必要かをみると、45年価格でおおよそ26兆円程度、実質国民総生産の2%程度という1つの試算結果もある(参考資料1参照)。
 しかしながら、この試算は、二酸化硫黄、固定発生源から排出される二酸化窒素、BOD、一般廃棄物、産業廃棄物の5つの項目のみについて所要の目標値を達成にするために必要な投資額を算定したものであって、その維持管理費や自動車から排出される汚染物質や蓄積性汚染の除去に要する費用等は含まれておらず、これらを勘案すれば、今後環境保全に要する費用はこの試算結果よりはかなり大きいものとなろう。
 ちなみに、アメリカにおける1973〜82年の間に要する環境保全費用について見ると第3-6表のように10年間で3,250億ドル(日本円に換算して、約100兆円)、資本投資額だけを採ってみると1,326億ドル(日本円に換算して約40兆円)程度と推定されている。また、OECDの資料によって各国の長期経済計画期間中の国民総生産に対する公害防止支出総額について見ると、第3-7表のように、我が国は、他の諸国に比べ相当高い比率となっている。


 しかし、環境保全が国民の健康及び生活環境の確保のための前提であることにかんがみれば、環境保全に要する費用の支出が惜しまれてはならず、国民的合意のもとにこうした費用に関する負担がなされる必要がある。
 最近における環境保全費用負担に関する国民世論の動向を見ると第3-8図のように、汚染者が負担すべきであるとの考え方が一般的に定着しているとともに汚染の防止のために要する費用を積極的に負担しなければならないという考え方がうかがわれる。例えば自動車の汚染対策に要する費用については、18.6%の人々は「全く負担しかねる」としているものの「不明」の38.9%を除いて残余の人々は、ある程度の負担増もやむを得ないものとしている。
 こうした国民の意向が実現するためには、環境保全に要する費用は環境を汚染する者が負担するという考え方が、環境保全費用の全般にわたって確立していなければならない。
 このような観点から、ここでは我が国において汚染者負担の考え方を持つ意妹を検討し、環境保全に係る費用負担全体についての基本的考え方を明らかにしたい。


 第1に、環境保全に係る費用の負担については、生産面に限らず、あらゆる面にわたって汚染者が汚染の程度に応じて、その費用を負担することを基本とすべきことである。これによって、PPPが意図している生産、流通、消費に係る各経済主体が環境資源を含めた形で財やサービスの選択を行うことを可能とし、その結果、環境汚染という外部不経済が内部化され、環境資源を含めた資源の最適な配分が可能となるからである。
 この場合、費用を負担すべき汚染者として、汚染物質を第1次的に排出している直接的汚染者(生産活動の場合は生産者、輸送活動の場合は輸送者等になろう。)が特定できない場合には、汚染物質の発生に係る財やサービスを提供あるいは消費し、間接的に汚染の発生に関与しているいわば間接汚染者にその費用を負担させることも可能である。環境保全に係る費用も他の一般的な財やサービスのコストと同様に生産、流通、消費を通ずる経済の連鎖の過程において各経済主体に波及していくものであり、因果関係から規定される原因者が不明確な場合には、経済の連鎖に着目して幅広く環境保全に係る費用を負担すべき者を理解することも必要であろう。すなわち、汚染の形態に応じどの段階で誰が第1次的に負担することが国民的合意の下に最も環境改善の効果を発揮できるかという観点に立って環境保全に係る費用を負担する者を判断することが必要である。
 第2に、我が国において汚染音負担の対象となる費用としては、これまでも環境復元費用や被害救済費用が含まれていることは既に述べたとおりであるが、今後とも汚染者が負担すべき費用の範囲は、汚染防除費用に限定することなく理解すべきである。
 水銀、PCB等による汚染等ストックとして問題になっている汚染も元をただせばフローとしての汚染の集積に他ならない。汚染を発生する者は今現在において汚染防除に最善を尽すことはもとより、過去において汚染発生に関与しているときにもその責任を免れない訳であって、こうした蓄積性汚染を除去するための環境復元費用も基本的には、汚染者が負担する必要があろう。また同様に、被害救済費用についても基本的には汚染者が負担すべきであろう。
 第3に、国民が一定レベルの生活を営むために必要最小限のサービスの供給の確保のために必要な環境保全費用は公費負担もやむを得ない。
 国民が一定レベルの生活を営むために必要な最小限のサービスの供給基準である「ナショナルミニマム」は、国民のニーズや一国の経済、社会、文化の状況によって異なるものであってそのレベルは変動するものであるが、ある時点を採るならは国民的合意が存在するともいえよう。こうしたナショナルミニマムを確保し増進することは行政本来の目的であり、そのための費用については公費負担が認められよう。
 第4に、環境改善を限られた期間内に早期に達成する場合には、一定の条件の下で公的助成措置が認められることである。
 これは、OECDにいうPPPにおいても認められているところである。
 我が国においては、狭い国土に濃密な経済社会活動が営まれ、深刻な汚染状況を呈し、汚染された環境の改善に緊急を要しており.事業者は規制のレベル等に沿って、短期間に公害防止、投資等の対策を行うことを強く要請されている。こうした場合、過渡的措置として環境資源の合理的な利用と配分を損わない範囲内において金融税制上の措置を認めることはできよう。
 また、環境保全のための技術開発を行う場合においても、過去の技術的蓄積が少なく、また、環境保全を迅速に確保していくため短期間に開発を行うことが要請されていることにかんがみれば、公的機関が自ら技術開発を行うことに加え、民間における重要な環境保全のための技術開発に対して公的助成を行うことが認められよう。
 今後の環境保全の対策を進めるに当たっては、まず第1に、このような考え方に沿って環境保全に必要な費用の適切な負担が図られなければならない。その際まず問題となるのは、公共部門が実施している事業の実施について各施設の特色を考慮しつつ汚染者負担の考え方を徹底する見地からその費用負担のあり方を再検討していくことである。
 例えば、さきに述べたように下水道については、工場排水の費用負担について多くの問題を残しており、家庭排水についても水量比例制による使用料体系となっている市町村が大部分である。
 今後、水質汚濁の防止を徹底していくためには、汚染物質の排出を抑制していく一方、下水道の普及と高度処理(3次処理)を図ることが強く要請されているが、それには多額の費用を要し、適切な使用料体系等の確立が是非とも必要となっており、工場排水については排水の量及び質に応じて費用負担がなされるよう使用料算定方式を再検討するとともに家庭排水についても適切な使用料方式を検討していく必要があろう。
 下水道使用料について検討するに際しては、一般的な水量に伴う経費と、2次処理、3次処理に係る経費及び水質測定に要する水質経費に大別し、減価償却費及び利子、維持管理費に分け、一般排水については維持管理費のみ、特定排水については減価償却費及び利子をも負担させるとする下水道財政研究委員会の報告(第3-9図参照)も参考となろう。
 廃棄物処理においても下水道と同様、ナショナルミニマムとの関連等について検討すべき問題が少なくない。特に、プラスチック、粗大ごみ等のいわゆる処理困難物については、一般ごみと同様に主として公費負担によって処理されているが、例えば、ポリ塩化ビニールを主体とする含塩素プラスチックが廃棄物処理施設から塩化水素等の有毒ガスを発生させごみ焼却炉の損傷を起しやすく処理を困難としてるように、通常の廃棄物と異なり従来の処理技術では対処できない面を有しており、その再利用や適切な費用負担のあり方を検討する必要があろう。
 更に、航空機、新幹線、高速道路等の高速輸送機関においては、騒音をはじめ各種の汚染の防止対策を一段と強化することが今日強く要請されており、これら防止対策のために今後巨額の費用の支出が見込まれる。その費用は、各汚染者が企業努力を尽くすことを前提とした上で高速輸送機関の利用者負担によるべきであると考えるが、利用料金の水準、体系等の検討に際しては、料金体系の実態を考慮しつつ汚染の量と質に対応する考え方を採り入れる必要があろう。また、汚染の少ない交通輸送体系の形成の促進を図ることも必要となっているといえよう。
 次に、第2の課題として、適切な費用負担を実現するため、複雑かつ多様となっている最近の汚染の形態と態様に即し、負担の方法を多様化することが挙げられよう。
 環境基準、排出基準の設定を基礎に汚染者自らの負担による公害防止投資の促進等を図る直接規制方式は適正な費用負担を図る上においても基本であるが、このほかにも経済的インセンティブを活用した課徴金方式等も考えられる。
 課徴金は、汚染防除のためのコストと汚染物質が排出される場合に社会が受ける損害とを勘案してその額を適切に定めるならば、汚染者が汚染防除投資を行って汚染物質の排出を止めるか、あるいは課徴金を支払うかについて経済的得失を判断して選択することによって、最小の社会的コストで汚染の防除が図られるとの考えに立つものである。課徴金の額の算定には社会的な損害コストの算定等の困難な問題もあり、直接規制のように短期間に汚染を一定レベルに削減する効果は乏しいものの、不特定多数の汚染者から生ずる生活環境に係る汚染の防除等には有効な面を有するものといえよう。公害による深刻な健康被害が発生し、早急に汚染防除を行う必要のある我が国の現状からすればこのような制度の導入にはなお検討すべき問題が多いが、生活環境に係る汚染の防止面を中心に、直接規制とともに課徴金の最大の特色である経済的インセンテイブを導入した方策を組み合わせていくことは検討に値しよう。
 なお、フランス等において河川の水質管理の分野を中心に汚染因子の排出量に応じて課徴金を徴収するという方式も一部採用されている。
 また、経済的インセンテイブを活用した費用負担制度については、その実施の手段方法によって未然防止上の効果が異なることに留意して手段の選択を行うことも必要である。
 例えば、廃棄物処理対策において、現在問題になっている一例として道路、公園等に捨てられた空かん、空びん等の処理の問題がある。こうした廃棄物は、一般家庭が所定の方法で廃棄した場合には通常の一般廃棄物と何ら変わるところはない訳であるが、通常の処理ルートから外れて放てきされた場合に環境に与えるインパクトが大きいところに特色がある。このような場合、汚染者を明確にして費用を負担させる必要があるが、もし、汚染者を当該製品の消費者と考えた場合には、空かん、空びんを放てきした個々の消費者とその数量をは握しなければならず、実際問題としてはその徴収はほとんど不可能に近いであろう。
 したがって、あらかじめ製品の価格に正規の回収ルートに乗らない場合の費用を含ませ、正規の回収方法で廃棄した場合にはその差額を返還する等、経済的インセンティブをより強く活用した手段も考えられる。
 また、主要成分の1つであるリン酸塩による富栄養化等が大きな問題となっいる合成洗剤については、下水道の2次処理では十分な処理ができず更に高次の処理が必要な場合もあるが、その費用負担についても主として2通りの方法が考えられる。1つは、消費者が下水道の使用料を支払う過程で負担を行うものであり、今1つは、あらかじめ合成洗剤の製品価格の中に汚水として排出された場合の処理費用を盛り込む方法である。この場合においても、どの段階で費用を負担するかによって当該製品の需要の動向や代替製品の開発促進に及ばす影響は異なる。したがって、同じく汚染者に費用を負担させるといってもその実施方法によって汚染の発生量が異なることに留意して、具体的方式を検討することが今後ますます重要となろう。
 更に、第3の課題としては、被害救済の迅速適正化を図るための費用負担のあり方について検討すべきことである。公害によると否とにかかわらず、不法行為による損害の賠償については民事上の解決が基本となっており、他の不法行為と同様、公害による被害者はその損害賠償を公害の原因者に対して民事上のルールに基づいて請求することができることはいうまでもない。この場合、被害者が賠償請求を実現するためには、その損害が原因者の行為によって発生したことや原因者の行為がその故意又は過失によること等が証明されなければならない。
 しかしながら、公害発生の複雑さや多様性から、因果関係や原因者の過失等の不法行為の要件の立証には困難を伴うことや、民事上の解決にはかなりの労力と時日を要するという問題があったため、ややもすれば被害者の迅速な救済が図られ難い現状にあった。
 このような事情を背景として、公害による健康被害については、その救済の重要かつ緊急であることにかんがみ、最近の判例の動向等を踏まえて無過失責任制の導入等が図られ、また、「公害健康被害補償法」によってその救済についての制度的確立が図られたが、物的被害については、健康被害ほどには被害の重大性が認識されず、判例等もいまだ確立したものがないこと等から、主として被害者と原因者との折衝や訴訟により補償が行われている。
 しかしながら、最近、農業、漁業等の生業被害を中心として迅速な救済を求める声が高まっており、特に原因者が不明、不存在等の場合には、民法上の解決を求めることが事実上不可能であることから、公共団体に救済を求める動きも見られる。公害に係る物的被害については、汚染の原因者や被害の態様が複雑多岐である上に被害補償の態様も金銭的補償のほか、原状回復措置及びその間の補償措置等多様にわたっており、統一的な制度による救済措置は困難な面があり、被害の種類ごとに適切な方策を検討することが妥当と思われるが、こうした各種の物的被害の救済措置に要する費用負担についての基本的な考え方については早急に検討する必要がある。
 以上のように、今後の環境保全を確保するための費用負担上の課題は少なくない。費用負担の問題は、各経済主体の利害得失と直接結び付くだけに完全なコンセンサスを得ることは容易ではないが、汚染者が汚染発生に伴う費用を負担することは基本的には当然の理であって、こうした考え方に基づき環境保全に係る費用の適正な負担が図られなければならない。

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