1 公害紛争の動向
公害紛争の前段階的なものとしてその底辺をなす公害苦情の件数は、対前年度増加率こそ低下の傾向にあるとはいえ、依然として増加を続けている。47年度において地方公共団体が受理した苦情件数は約8万8千件であった。公害に関する苦情としては、このほかに警察が受理したものがあり、この数は47年において約3万2千件である。
一方、公害紛争処理法に基づく調停、仲裁等の制度を利用した者(被害者)は、公害等調整委員会、都道府県公害審査会(公害審査委員候補者方式の県を含む。以下同じ。)に申請されたものを合わせると、47年度末において約1万1千人であったが、その後48年末までに約8千人増加して、累計約1万9千人の多数にのぼった。実質的な事件の数でみると、年間の新受件数に大きな変化はない。48年には、公害紛争処理制度のほかでも多くの公害紛争があったが、それらを通じてみられた特徴はおおむね次のとおりである。
? イタイイタイ病、水俣病(新潟及び熊本)及び四日市ぜん息を巡るいわゆる四大公害訴訟は、48年3月20日の水俣病訴訟判決(熊本地裁)を最後としてすべて終結した。これらの判決に引き続いて、それぞれの加害企業と訴訟の原告を含む被害者との間で交渉が行われ、直接交渉や公害等調整委員会の調停等によって、次々に和解が成立した。その内容はいずれも、判決を基礎に、医療手当、年金等の給付を上積みしたものである。他方において、公害規制の強化、公害健康被害補償法の制定、幾つかの地方自治体における大気汚染に係る公害病患者のための基金制度の発足等もあり、重大な健康被害に係る補償問題の解決はほぼ軌道に乗ったものと考えられる。
? 48年の夏には、水銀、PCBによる魚介類の汚染を巡る紛争が各地で続発し大きな社会問題となった。これらの紛争の多くは、直接交渉、知事等のあっせん、関係者による協議会の設置等により比較的短期間に解決をみたが、紛争の規模及び形態において従来と異なる様相を示し、公害紛争処理法へのあっせん制度導入について検討する契機となった。
? 48年には、前年に引き続き、清掃工場、高速道路、新幹線鉄道、発電所等の建設を巡る紛争が各地で活発化した。これらの紛争の多くは、将来生じるおそれのある公害の未然防止を目的としており、その対象が公共事業等国民の日常生活の利便に直接かかわるものであること、行政施策と密接に結びついていること等において困難な問題を含んでいる。