前のページ 次のページ

第3節 

2 環境科学技術の確立

 当面の汚染の防除を目指した公害防止技術の研究開発と同時に、より基礎的な人間と環境に係る科学技術の研究の推進も環境保全上極めて重要である。これまでのところ、環境現象のメカニズム及び人間をはじめとする生物に対する環境汚染の影響等の分野において取得しえた知見は限られており、未知のものは極めて多い。しかし、汚染現象が本質的に人の活動に伴う環境への作用とこれによる人間への反作用としての現象であるだけに、こうした問題を解明し、人の活動を環境と調和された形で管理制御していく方法を見出すことがなければ、公害問題を真に解決したことにはならないであろう。
 以下において、これらの分野における研究の推進に際して、その重点となる課題について分野別にみていこう。
(1) 環境現象の解明
 環境に関する科学的知見は、公害防止や自然環境保全を図るための重要な基礎となる。また、環境アセスメントを行うときに、開発等によって大気、水、土壌、生物という基本的な環境を構成している媒体の成分や状態がどのように変化するかということを予測して評価することが基本的な課題となる。更に、特定化学物質の規制のための審査事項として、ある化学物質が自然環境の中で難分解性や生物濃縮性をもっているかどうかということが問題となる。
 一方、地域ごとの汚染物質の排出総量を規制するためには、その地域の大気や水や空間における拡散等の動き等環境管理の技術的問題を更に解明しなければならない。また、光化学オキシダントについては発生源から排出された汚染物質が大気中のいろいろの条件によって化学的に変化を起こして生成されるメカニズムを理解しなければ対策の完全を期し得ない。富栄養化についても、水のなかで窒素やリン等の化合物がどのようにしてその生成を進めるかということが不明では、三次処理や洗剤の成分等についても的確な防止手段をとり得ない。
 環境科学技術がいかに公害防止や自然環境保全にとって大切であるかということはこれらの例をもっても明らかである。
 しかし、現実には大気汚染や水質汚濁等の幾つかの汚染物質についての常時監視測定や水銀、PCB等の特別の全国調査という当面の環境条件のは握が急務となり、より基礎的な実験やサンプリング、分析測定評価のための科学技術は今後の課題として残された面が多い。環境アセスメントや自然環境保全における動的な生態系のバランスの問題についても、これをどのように科学的に客観的に理解していくかは、今後の研究に待つべきものが少なくない。大気汚染予防における風洞実験や水質汚濁防止における水理模型等は環境科学技術の一つの有力な研究手段ではあるが、いずれも物理、化学、工学の立場からのものであり、生物学からの研究はまだ極めて限られている。資源衛星の活用も現れはじめたが、これは、従来、巨視的な環境のは握や計画に欠けていた環境行政にとって、また、地球管理計画にとって有力な手段を提供するものであろう。
 環境科学技術は人間の活動による環境の成分や状態の変化を知り、これによる発生源等の規制条件等の設定や評価に不可欠である。更に、環境におけるその構成要素相互の動的な関係は今後の廃棄物処理等の推進に当たって基礎的に必要な知識である。現代の環境を巡る問題に答えるには、環境科学技術の確立が必要であり、このために環境現象の解明に関する分野における研究を一層強力に推進していかなければならない。
(2) 影響に関する科学技術の強化
 公害問題を処理するに当たって、最も難しい基本的な課題は、汚染による影響についての科学的因果関係やこれを基礎としての量効果関係についての知見である。
 人間の健康に及ぼす影響は最も重要な社会的関心の高い問題であるが、急性や亜急性の影響については相当従来の薬理学や毒物学や労働衛生の知見があるが、慢性影響、特に各種の汚染因子の複合による低濃度長期暴露による慢性影響についての知見は限られている。有機水銀やPCB等による従来の公害健康被害の経験を通じて、化学物質の慢性影響が大きな問題となってクローズアップされてきた。特定化学物質の規制のための審査の条件にも慢性毒性が一つの尺度とされているが、従来、薬品、食品添加物等に要求されてきたことと同種のテストが広範な化学物質についても必要とされてきた。また、水銀やPCB等の有害化学物質の暫定的な許容限度は設定されているが、今後は多数の化学物質についての許容限度について研究を進めていかなければならない。
 また、水俣病、イタイイタイ病、慢性砒素中毒等の公害にかかわる疾患の診断、鑑別、評価に当たって、老化や一般の成人病による変化との関連をどのように取り扱うかは医学にとっての問題となっており、公害健康被害救済の面でも行政上の課題とされている。実験と疫学と臨床と労働衛生という四つの分野から公害にかかわる疾患に取り組みはじめているが、この分野は従来医学にとってほとんど究明されていない分野が多く、問題に対して十分満足のいくような答が得にくい場合が多いのが現状である。特に最近人間の生活の質的な要求から問題としてとりあげられはじめた騒音や振動による人体への影響という問題に対しては、どの範囲を社会的に健康被害としてとりあげるか、騒音振動による疾病若しくは疾病の悪化をどのようにとりあげるかという問題になると科学的には非常に未開拓な難しい領域となっている。種々の汚染因子が人間の健康に及ぼす影響に関し、それがどの程度有害か無害か、また、影響をうけている個人や人口集団の状態が健康、不健康、疾病のいずれに評価され区分されるかということが環境保健行政上の問題となっている。
 環境汚染や環境破壊が動物、植物、無機物等にどのような影響を及ぼすかということも、環境アセスメントや環境基準を認定するための科学的な判断条件として極めて重要な問題である。
 どの程度の自然環境や生活環境の水準を保全するかについての学問に基づいた判断条件や行政上の基準を基礎として、社会的な合意が形成されていくものである。
 今後の環境保全は人間生活の質的な要求にこたえなければならないので人間の健康が安全か否かというだけでなく、生活の質を示す上での環境の条件の設定が必要となる。従来の化学や物理学的な汚染指標に加えて生物学的な汚染指標又は保全指標の確立に今後努めていかなければならない。
 影響の知識に基づいて、より確かな危険性や安全性の予測、被害の評価が可能になり、これを環境保全政策の判断の基礎としなければならない。
(3) 環境管理システムの開発、整備
 以上のような基礎的研究の成果を踏まえつつ、環境に対する人間活動の影響を予測し、これを管理するシステムを開発、整備することが、環境科学技術に課せられた究極の課題となろう。そのためには、まず環境の状態を正確に測定し、定められたレベルを超過しないかどうかをチェックする環境測定監視システムの研究開発が必要となる。現在、汚染の測定監視システムは、特に大気汚染について国及び地方公共団体によって整備されつつあり、また、国際的にも国連人間環境会議の行動計画の具体化の一つとして汚染計測を国際協力体制のもとに継続的に実施するための地球環境測定計画(GEMS)が進められている。
 しかし、測定監視データの信頼性を保証するチェックシステムや観測値の地域環境値としての正確性等について、今後更に研究、改良が進められなければならず、このためには、測定手法の標準化、統一化を推進するとともに、データ処理システムの開発に積極的に取り組む必要がある。
 次に、人間活動の環境に与える影響を事前に予測する手法の研究開発を推進することも重要である。環境予測の前提は、正確な環境状態の測定と実態のは握にあり、このためには、先に述べたような環境データの蓄積と環境における物質循環機構、環境に対する生物の生理生態反応等の基礎的関係の解明が必要となる。
 環境予測を目指した研究として大型水理模型をあげることができる。既に通商産業省中国工業技術試験所における瀬戸内海モデル(2千分の1)や運輸省港湾技術研究所における東京湾・大阪湾モデル(2千分の1)等により実験が開始されているが、これらの模型実験によってそれぞれの地域における海流現象の解明と汚染物質の拡散状況のは握が可能となり、環境予測に大きく役立つものとして期待されている。また、環境予測を科学的に行うために環境風洞の建設が重要である。これは、大気の温度と速度を任意の部位において制御し得るいわゆる成層風洞であり、大気の逆転層生成機構や拡散、物質収支機構の解明と予測に重要な役割を演ずるとされている。環境現象の予測は実地調査とあいまって環境評価の基礎を与えることとなろう。
(4) 試験研究推進体制の設備
 以上のような各方面にわたる研究を総合的、計画的に推進していくために、研究体制の設備拡充が重要となることはいうまでもない。49年3月開所の運びとなった国立公害研究所は、現象解明科学、環境生物科学を中心とする自然科学領域とあわせて人文社会科学領域をも含む総合的な環境科学の研究推進を目指したものである。具体的には、環境汚染の長期予測等人間活動による環境汚染のシステム的は握、環境汚染による人間の健康への影響の解明を中心として研究を行うこととしており、一つの研究目的に各分野の研究者が集合する総合プロジェクト方式による研究方法を予定するとともに汚染物質による生体影響を解明するためのバイオトロンのような大型共同利用施設を中心にして行う戸外研究者との共同研究制度や流動研究員制度の積極的導入等が検討されている。
 研究体制の整備に関する課題として、研究分担の文化と総合化による研究の効率的推進の問題がある。このことは、特に公害防止技術の研究開発の場合に、国と民間の分担に関する問題として重要である。アメリカ環境保護庁における自動車公害対策研究計画では、公害防止科学技術振興において国が果たすべき役割の重点は、電気自動車等の先行的新技術開発分野と現象解明や影響研究、計画制御等の分野であるとされている。我が国においても、国、民間の協力のもとに研究開発を進めていく必要があるが、それぞれのポテンシャルに応じた効果的な分担の原則が確立されねばならない。先にみたように開発研究は、その企業性に着目して民間企業が中心となって実施すべき分野であり、国はその基礎的分野について分担すべきである。また、より基礎的な環境科学技術の分野における現象解明、影響研究等の研究は、原則的に国が担当する方向で進められるべきである。このような研究体制を支えるものとして、人材の育成が積極的に進められるべきである。
 最後に、研究体制の整備に関連し、環境情報を必要に応じていつでもどこでも得られるようにする体制の確立も重要な課題である。環境科学技術のように各分野の科学技術の密接なつながりと相互交流が要求される分野の研究促進にとって、発生源、環境現象、環境影響の評価に関連する国内外の種々のデータ、研究情報が体系的に収集、整備され、信頼性を確保したうえで広く提供されることが極めて重要である。新しく発足した国立公害研究所においては、かかる観点から総合的な環境データバンクの創設に着手しており、その成果が期待されている。
 環境保全政策における科学技術は、高度の専門性とあわせて総合性、学際的協力が必要とされ、更に、従来の科学技術を人間環境という観点から再評価しなければならない。環境保全政策における科学技術政策の基本的なあり方と、それに基づいた短期、中期、長期の計画の策定に本格的に取り組むべき時期に至っているものといえよう。

前のページ 次のページ