1 有害物質による蓄積性汚染
有害物質による蓄積性汚染の脅威は、まず人体に対して深刻な影響を及ぼすおそれが高いことである。48年12月末現在でこれらの蓄積性汚染物質による公害病認定患者数は熊本県及び鹿児島県水俣病患者616人をはじめとして合計1,079人にものぼっている。
有害物質による蓄積性汚染が深刻な健康被害をもたらすのは、これらの蓄積性有害物質が次のような特性を有しているからである。
まず、これらの物質は難分解性を有するため、一たん環境中に放出されると、いつまでも蓄積することとなる。例えば、水俣湾では、工場からの水銀の排出は、数年前から行われていないにもかかわらず、既に放出された水銀が蓄積しているため、水俣湾の大部分において、水銀を含む底質の暫定除去基準値(水俣湾の場合は25ppm以上)を超える水銀濃度が検出されている。
PCBについてみると、40年から47年までの間に全国約1,200工場で使用されており、これらの工場に対する都道府県別の出荷量は、第1-5表のとおりである。これらの工場に対して、現在は行政指導により排出規制やPCBの使用規制が行われているが、過去においては相当量のPCBが電気機器、熱媒体、感圧紙等各分野において使用され、その一部が環境中へ放出されていたことが予想される。第1-6図は、全国の水質、底質及び魚介類のPCB汚染の実態を示したものであるが、これによると、広範囲にわたって、PCBにより環境が汚染されていたことがわかる。
次に、これらの蓄積性有害物質は、水中等環境中における濃度が低くても、藻類や魚類に吸収され、その体内で濃縮される傾向がみられる。例えば、PCBについては、ヒブナとシジミをPCB濃度0.001ppmの水槽中で飼育したところ、30日目にはそれぞれの体内から0.55ppm、0.4ppmの蓄積が認められ、550倍、400倍の濃縮倍率を示した実験例(新潟大学医学部)がある。水銀については、現在のところ十分な知見は得られていないが、特にメチル水銀の濃縮倍率は相当高率になるものといわれている。
しかも、これらの蓄積性汚染物質を生体内に濃縮した生物を食物連鎖において上位のものが摂取するため、いわゆる生物濃縮の傾向が認められることが問題である。第1-7図は、琵琶湖におけるPCBの汚染実態調査の結果を示したものである。本調査は生物濃縮の実態を厳密には握するために必要な各生物の環境水等からのPCBの吸収量の相異、汚染地域での生息可能性の有無等を十分考慮したものとはいえないが、本調査によって得られた当該水域の生物のPCB濃度を相互に比べると、食物連鎖において上位にあるものほど汚染が著しい傾向がうかがわれる。藻類に比べ食物連鎖上高次にあるオイカワ(コイ科の淡水魚の一種)のPCB濃度は7〜17倍にもなっている。また、野鳥は魚介類を摂取するものが多いため、PCB汚染水域に生息するものには、更に高濃度のPCBを含有する可能性が高く、例えば琵琶湖周辺の守山市で捕獲されたカイツブリの脂肪中からは144ppmのPCBが検出されている。
食物連鎖上、人間は常に最上位にあることを考えれば、当初は環境中に広く排出された濃度の低い蓄積性有害物質も食物連鎖を通じて次第に人体に高濃度で蓄積される場合があることが懸念される。
蓄積性汚染の脅威のもう一つの面は魚介類、農作物等を汚染し、食物としての許容限度を超えて有害物質を蓄積させ、商品としての市場価値を失わせること等によりいわゆる生業被害を発生させるおそれがあることである。
特に、48年5月から6月にかけて、水銀、PCBによる魚介類の汚染問題を契機として需要が著しく減少したため、漁業者のみならず水産加工業者、流通業者等関連中小企業者に対し大きな被害が生じ、一部の水域においては補償問題を巡って漁業者が水銀使用企業に対しいわゆる海上封鎖を行う等の事態も生じた。
この被害を救済するため、昨年の国会で成立をみた「水銀等による水産動植物の汚染に係る被害漁業者に対する資金の融通に関する特別措置法」に基づき、被害漁業者及び関連中小企業者等に対する低利融資措置等の対策が講じられ、48年12月末までの融資実績は、漁業者関係で約165億円、鮮魚商等関係で約81億円に達している。まぐろ漁業者及びはまち養殖業者についても、別途の措置により、49年1月末までに約74億円の貸付けが行われた。
カドミウム、銅等により各地の農用地の土壌が汚染された結果、稲等の農作物も相当程度の被害を受けている。重金属による土壌汚染が懸念される農用地の面積は、45年度の農林省の調査結果によれば約3万7千haにのぼると推定されている。
このように、有害物質による蓄積性汚染は、人の健康と財産に深刻、かつ、長期的な影響を及ぼし、国民生活を脅かすこととなるが、更にその解決を困難にしていることは、既に環境中に放出されたこれらの物質を除去し、若しくは封じ込めるためには、高度の技術と多額の資金を要することである。特に、しゅんせつ事業等については、事業の実施に伴い二次汚染が発生するおそれがあり、これを防止するためには高度の技術を要しよう。これらの公害防止事業に要する資金については、汚染原因者である事業者が当該公害に関し、その事業活動が原因となった程度に応じて負担することが基本であるので、事業者の負担は相当の額になるものと考えられる。
49年2月末までに環境庁が各県等から報告を受けたところによると、これらの蓄積性汚染を防止するため、地方公共団体が公害防止事業費事業者負担法に基づき実施している公害防止事業の事業費総額は、約141億8千万円にのぼっている。その内訳は、しゅんせつ、覆土等の底質汚染防止事業(有害物質によらない汚でいの蓄積による汚染を含む。)が9件、約115億6千万円、農用地の客土等の事業が4件、約26億2千万円であり、これに対する事業者の費用負担額は、前者が約85億8千万円(総事業費に対し平均74.2%)、後者が約19億4千万円(同74.2%)とかなり高額なものとなっている。
今後も各地の汚染の実態が明らかになるにつれて、これらの公害防止事業を実施する必要性は高まるものと予想され、これに対する事業者負担も相当額にのぼるものとなろう。これに関連して、休廃止鉱山による汚染農用地の客土事業の場合等は、過去に汚染の原因となった事業活動を行った事業者が解散等により現在存在しない場合もあるので、これらの公害防止事業の実施はより複雑かつ困難な問題を抱えているといえよう。
次に、蓄積性汚染物質がどのような経路を経て、環境中に放出されたかを水銀を例にとってみてみよう。
我が国における水銀の生産から使用、廃棄に至るまでの経路は第1-8図のとおりである。これらの各用途における過去20年間の水銀消費量は、第1-9表に示すとおりである。
これによると、苛性ソーダ、農薬、機器計器、触媒として使用されていたものが多い。各用途における水銀使用量はこれまでにかなり大きく変化しており、35年から40年頃は農薬や触媒等にも相当量使用されてきたが、最近では農薬用や触媒用等の水銀使用量の減少に伴い、水銀使用量のかなりの部分が苛性ソーダ製造用に向けられている。
すなわち、用途別にみると、農薬用は、主に有機化合物の形で殺菌剤に利用されてきたため、これらの生産や使用の過程で、相当量の水銀が環境中に排出されてきたものと考えられる。しかしながら、有機水銀を主体とする水銀系農薬の生産は種子消毒用を除き45年3月から禁止され、種子消毒用も48年10月をもって生産が停止されており、近年はほとんど使用されていない。
触媒用も従来主としてアセトアルデヒドやアセチレン法塩化ビニルモノマーの製造用として使用されてきたが、近年では、すべてのアセトアルデヒドが、また大部分の塩化ビニルモノマーがカーバイドを原料とし水銀を触媒として生産する方式から、エチレンを原料として生産する方式へと製法の転換を行っており、近年の使用量は非常に少ない。
更に、腐食防止用として、船底塗料用やパルプ製造用に使用されてきた水銀や一般大衆薬品用として使用されてきた水銀も、数年前から行政指導により使用が中止されている。
そして、最近では、水銀使用量のほぼ7割が苛性ソーダ製造用に向けられている。
第1-10表は、各国の水銀の用途別需要量を示したものであるが、我が国においては、苛性ソーダ工業用の水銀需要が諸外国に比べて多い。苛性ソーダ製造方法をみても、我が国では、水銀法によるものが47年における苛性ソーダ生産能力の96%を占めているのに対し、アメリカでは24%、カナダでは60%、イギリスでは90%、西ドイツでは89%、フランスでは70%という実態調査報告がある。
水銀法苛性ソーダ製造工場においては、水銀を陰極に用いて原料塩を電解することにより苛性ソーダを生産している。この製造過程においては、特に、原料塩中の不純物が水銀と結びついたいわゆる塩水マッドが生じたり、各工程における洗浄水に水銀が逸出したりしていたが、排出規制が実施される以前は、これらの水銀が完全には回収されずに環境中に放出されることがあったものと考えられる。
第1-11表は、苛性ソーダ製造工場の年次別排水中の水銀含有量の変遷を示したものである。このように排水中の総水銀濃度は最近では低くなってきているが、過去においては、かなりの量が公共用水域や大気中に放出されていたものとみられる。
これまで環境中に放出された水銀の全体量を把握することは困難なことであるが、例えば、昨年行われた水俣湾等緊急に調査を行うこととされた9水域についての国の調査結果によると、工場の総水銀使用量約4,100トンに対し、排水中に含まれて流出したものが約96トンと見込まれている。