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第5節 休廃止鉱山周辺の健康被害

(1) 概要
 宮崎県土呂久鉱山周辺の砒素による住民の健康被害の問題については昭和47年1月に開かれた日教組教育研究会全国集会報告会において、岩戸小学校斉藤教諭からその事情が発表され土呂久鉱害として世間の耳目をひく問題となった。これが発端となり国会においても、全国に散在する多数の休廃止鉱山についての鉱害問題としてとり上げられることとなった。
 現在、全国に散在する休廃止鉱山は5,000から6,000と推定され、通商産業省においてはそのうち1,050鉱山に重点をおいて実態を把握するための調査を進めており、さらにこのうち113鉱山については、環境庁で水質などの環境汚染調査を行っているところである。
 また、周辺住民の健康調査については、この環境汚染調査の結果に基づき、住民の健康に影響があると予想される場合には、健康調査を実施することとしているが、島根県笹ヶ谷鉱山など、現に住民の健康影響上のおそれが予想されている一部の鉱山については、現在、関係県において健康調査を実施中である。
(2) 宮崎県土呂久鉱山の健康調査
 休廃止鉱山問題の発端となった土呂久鉱山は、貞亨年間(1684―1687年)に銀山として鉱石の採掘が行なわれて以来、37年まで断続的に錫精鋼や三酸化砒素の生産が行なわれた。すなわち明治初期当時から大正9年までおよび昭和8年から14年までの間に三酸化砒素の生産が行なわれ、また昭和30年から37年までは中島鉱山株式会社において砒素鉱の山元製錬が行なわれ、年間50〜100トンの三酸化砒素を産出していた。その後、同社は37年操業を中止し、鉱区は住友金属鉱山(株)の所有となった。
 宮崎県においては、44年から公害の未然防止の観点から県下における休廃止鉱山の一斉点検を実施した。この中で土呂久鉱山は要監視鉱山とされ、通商産業省福岡鉱山保安監督局と協議しつつ、調査および環境汚染源対策を講じてきたが、この問題による住民不安に対処するため、46年11月から所要の環境調査を行なうとともに、九州大学倉恒匡徳教授を委員長とする調査専門委員会を発足させ、土呂久地区の社会医学的調査を実施した。
 この調査においては、土呂久地区住民269人を対象として第1次検診を行ない、このうち18人について第2次検診を、さらにこのうち8人について精密検診を行なった結果、土呂久鉱山の操業に伴って発生した三酸化砒素に暴露したことによる慢性砒素中毒と思われる皮膚所見が地元住民7名に認められた。
(3) 救済
 環境庁においては、土呂久鉱山その他において砒素による健康被害が疑われたため、島根等関係県に助成し、休廃止鉱山周辺住民の健康調査を行なうとともに、「砒素による健康被害検討委員会」(委員長久保田重孝)を発足させ、砒素の健康被害に関する疫学的健康調査方法、臨床的診断方法および救済のための公害病認定条件について検討を行なった。検討委員会は47年9月から6回の会合を重ね、48年1月には中間報告として「砒素の環境汚染による健康被害者の認定条件等について」を発表した。環境庁はこの報告を受けて、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」に基づき、48年2月慢性砒素中毒症の救済地域として宮崎県西臼杵郡高千穂町土呂久地区を指定した。また、宮崎県は、同時に同法に基づいて公害被害者認定審査会を設置し、公害病認定のための準備をととのえた。
 なお、宮崎県知事は土呂久地区社会医学的調査により砒素中毒症とされた健康被害者7人について、会社との補償あっせんを行なっていたが、47年12月28日双方とも知事あっせん案を受諾した。
(4) 島根県等の健康調査
 島根県笹ヶ谷地区の住民の健康調査等については45年8月、河川水および飲料水から許容基準を越える砒素が検出されたことから地域住民の健康に影響を及ぼしていないかと疑われたので、島根県は鳥取大学医学部の協力をえて45年11月より住民の健康調査を実施し、46年5月慢性砒素中毒症に特有の所見を有するものは認められなかったとの結論がえられた。
 しかし、さらに調査対象を拡大し健康調査する必要が生じたので、鳥取大学医学部の協力をえて島根県笹ヶ谷周辺砒素汚染地区健康調査部会を設け、47年7、8月に健康調査を実施した。この結果、47年11月から精密検査の対象者について検診が行なわれ近くその結果が判明する予定である。
 また、島根県以外の一部鉱山周辺住民についてもそれぞれの県の健康調査の結果をまって、もし必要があれば所要の措置について検討することとしている。

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