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第2節 環境改善の費用

 環境汚染は、経済的に外部不経済であり、社会的費用という形で社会全体に負担が課せられてきたこと、そして、汚染防止のためには、そのコストを内部化させる必要があることは先にみてきたとおりである。
 このような費用の内部化は、さまざまな分野に新たな影響を与えることになろう。環境問題の解決のためには、こうした環境改善の費用を認識しつつ、効率的な戦略をうち立てていかなければならない。
 人々の所得水準が向上し、都市化の進行とともに人間と自然とのつながりがなくなってくるにつれて、人々は単に健康が守られるだけでなく、より豊かで、多様な形態の環境を望むようになってくる。このようにますます高度化し、多様化するとみられる環境に対する欲求に応えるためには、従来よりも飛躍的に環境対策を充実させていく必要があり、そのための費用も増大することとなる。
 これまで、環境改善のために費やされた費用として、民間公害防止投資と公害関連社会資本(下水道、ごみ・し尿処理)投資の推移をみると第3-2-1表のように近年大幅に拡大してきている。GNPに占める比率をみても35年頃の約0.2%から、45年には0.5%と急速に上昇してきており、近年、多くの資源が公害の防止のために投入され、その相対的な割合も急速な高まりをみせていることがわかる。
 経済・社会に及ぼす負担の第1の形態は、こうした相対的に多くの資源を公害防止投資に向けることにより長期的には経済成長に何らかの制約がかかってくることである。民間公害防止投資の場合をとってみると、公害防止投資は他の生産関連設備投資に比べて、直接的な生産力とはならない。このため設備投資の総額を一定とすれば、設備投資に占める公害防止投資の割合が高ければ高いほど、経済全体の供給力の増加テンポは相対的に鈍化することになる。
 第3-2-1図は、モデル計算によって民間企業設備投資に占める公害防止投資比率の高まりが供給力の制約を通じて全体としての経済成長率にどの程度の影響を及ぼすかをみたものである。
 一般的にいって、経済活動の多くの場合を消費よりも投資にふり向ければ、資本形成の比率(GNPに占める民間、政府固定資本形成の割合)が高まり、供給能力の増加テンポも速まるので、全体としての経済成長率も高水準になってくる。しかし、資本形成のうち、供給能力を増加させない公害防止投資の割合が増せば、それだけ成長率の高まりも制約されることになる。このモデル計算によれば、資本形成比率40%の場合、民間設備投資に占める公害防止投資比率が10%高まれば、全体としての成長率は約1%低下することが示されている。
 こうした成長力に対する制約は、全体としての所得上昇テンポを鈍化させることになるが、その反面では、人々は豊かな環境というGNPには計上されない大きなプラスを得ることになる。
 第2に、全体としての供給力に対する制約に加えて、産業別にみれば、生産活動から汚染因子を発生しやすいいくつかの業種では今後さらに公害防止のために資金を投入しなければならないことになるので、経営面・コスト面での圧迫が高まらざるをえなくなるものとみられる。
 たとえば、水質汚濁については将来すべての業種にBOD 120ppmの一律排水規制が実施されることになるが、これが完全に実施された場合、業種によっては、現在の負荷量を大幅に削減しなければならず、そのために必要な投資額もかなりの水準になるものと想定される。
 第3-2-2図は、43年の業種別のBOD負荷量と当時120ppm以上の濃度だったすべての業種について排水濃度を120ppmにした場合の負荷量を算定し、そのための負荷量の削減に必要となる投資額を試算したものである。これによれば、食料品、紙・パルプ、化学産業などでは、削減すべき負荷量が他の業種に比べて非常に大きく、そのための必要投資額もかなりの水準になるものと見込まれている。
 もちろん、ここに示した負荷量の削減、必要投資などは現在までにすでに実施された分もあると考えられるが、今後規制の強化等に伴い一部業種ではかなりの追加投資が必要となってくることは否定できない。
 また、工業が集積している過密地帯、必要投資額の大きい業種が集中して立地している地域など特定の地域では集中的な防止投資が必要となり、地域経済にとっても大きな影響を及ぼすことも考えられる。
 また、公害防止装置だけでなく、原料等についても価格面、生産効率等の利点によってこれまで使用されてきたものが、環境に及ぼす影響を考慮した場合、使用が不適となり、よりコストの高いものを使用しなければならなくなるという事態もみられる。
 たとえば、先に蓄積性の高い有害物質の典型として考察したPCBや残留性農薬のような物質を今後他の環境汚染上問題がないような物質に代替していけば、少なくとも一時的にはコスト面での圧迫をもたらすことになるだろう。
 また、わが国のエネルギー源の大部分を占めている重油についてみても、今後公害対策の進展に伴ってますます必要になってくると思われる低いおう原油は、世界的にみても需給がひっ迫しており、いおう分が低い公害対策上有効な原油ほど単位当たりのコストも高いという関係がみられる(第3-2-3図)。
 第3に、国民生活への影響の一つとしては、コスト上昇からくる物価へのはねかえりを考えることができる。まず、前述したような生産過程での公害防止対策によるコストアップは、生産性の向上や新技術の開発などの企業努力によって吸収されない限り、何らかの形で製品価格へはね返ることになろう。
 第3-2-4図は、企業に対するアンケート調査により得られた業種別の47年度の公害防止費用をとり、こうした公害防止費用の売上高に対する比率が今後も一定と仮定し、それがすべてコストアップとして製品価格に転稼された場合、それぞれの製品価格が最終的にどの程度上昇するかを産業連関表により試算したものである。
 これによれば、大気汚染については窯業、電気、ガス、鉄鋼、水質汚濁については紙・パルプ、化学、繊維、食品など、生産過程から環境汚染因子を発生しやすい業種で、防止費用の割合が相対的に高く、最終的なコストアップ率も高いことが示されている。また、一産業の製品価格の上昇は、産業連関のメカニズムを通じて他の産業のコストアップを引き起こし、機械産業のように、その産業自体からは比較的汚染因子を発生させないような業種においても、波及効果による価格の上昇がもたらされることがわかる。
 また、自動車の排出ガスのように、消費者の使用する最終製品が公害排出源となっているような場合、最終製品に公害防止装置をとりつける必要が出て、これが消費材の価格を押しあげる方向に作用するだろう。
 例えば、わが国においても今後自動車排出ガスに対する規制は大幅に強化されることとなるが、こうした規制を満たすためには、かなりの追加コストを支払う必要が出てくるものと思われる。
 アメリカの環境保護庁が議会に報告した例によれば、自動車排出ガスの規制比率とその規制を満たすために必要となる1台当たりのコストとの間には第3-2-5図にみるような関係があるとされている。
 これによれば、低減目標が80%を越えると、1台当たりの必要追加コストは急速に上昇し始め、低減目標80%の場合は約100ドル程度だったものが、90%の場合には260〜600ドルに達するものと考えられている。
 しかし、こうした規制の強化に伴う価格への影響は、これまで経済活動の中に内部化されていなかった公害防止コストが内部化されることによって生ずる価格体系の変化としての意味をもつものといえる。すなわち、こうした価格体系の変更が、負の社会的コストを反映したものであれば、生産者も消費者も環境に及ぼす影響を反映させながら、自らの生産、消費活動を選択することができ、これによつて産業構造、消費構造の転換を促進し、環境資源を含めた資源の効率的配分が達成されることを期待できるわけである。
 第4は、地域的な所得上昇機会、雇用機会の創出を制約する方向に作用すると考えられることである。
 今後、良好な環境を守るため汚染因子の排出量をそれぞれの地域の環境受容能力の範囲内に止めようとすれば、工業立地、操業規模等も制約されることになり、その地域の雇用機会が失われ、開発されれば得られたであろう所得水準の上昇を得ることはできなくなる。
 もちろん、豊かな環境は金額に換算できない大きな価値を有しており、回復不可能な健康被害、一度損なわれれば二度と回復できない貴重な自然など、社会的にどのように大きなコストを払ってでもその保護を図らなければならないものは多いが、その地域は機会所得の減少という形で環境保全のための費用を負担したことになるわけである。
 今後、環境保全を達成していくためには、以上にみてきたような、形態での費用が社会全体にかかってくることとなり、その費用の大きさは環境を改善しようとする度合に応じて決ってくる。
 環境保全のための費用を惜しんではならないことはいうまでもないが、効果的な環境政策は、こうした意味での費用をなるべく小さくしながら環境改善に最大の効果をあげるものでなければならない。そのためには、環境の改善から得られる効果と、そのために必要となるコストを冷静に評価しながら環境の改善を進めなければならないであろう。

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