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第2節 

1 深刻な蓄積性汚染

 環境中に排出される汚染因子は、さまざまな形態をとりながら、環境汚染を引き起こすが、これを大別すれば、フロー的な汚染とストック的な汚染に分けることができる。いおう酸化物等による大気汚染、BOD濃度によって示されるような河川の水質汚濁などは、主として日々環境中に排出される汚染因子の量がその時点での環境汚染状態を左右しており、フロー的な汚染と考えてよい。他方、排出された汚染因子が浄化されることなく次第に環境中に蓄積され、長期的にみて人間の健康や良好な生活環境を脅かすようになるものもある。こうした環境汚染は蓄積された汚染因子の量が大きな意味をもつという意味でストック的(蓄積性)汚染ということができる。
 このような蓄積性汚染は、汚染因子が長期間環境中に残留するため、汚染のメカニズムも複雑であり、人体への影響も深刻で、汚染の除去もむずかしく、大きな問題となっている。
 こうした蓄積性汚染の第1の形態は、人体に有害な物質が環境中に排出され、難分解性であるため浄化されることなく、水、土壌などの環境に蓄積し、ひいては人体中に蓄積することにより、健康被害を引き起こすものである。こうした物質の代表的な例としては、PCBと残留性農薬をあげることができる。
 PCBも残留性農薬も、近年になって環境汚染源としての危険性が認識されるまでの間、そのプラスの側面に着目して、生産、消費が続けられてきた。PCBは不燃性、電気絶縁性、安定性などそのすぐれた化学的特性に着目して、日常生活をとりまく感圧紙、トランス、コンデンサ、各種熱媒体等極めて多方面に使用されてきた。その生産量、輸入量をみると、第1-2-1図のように、昭和45年に至るまで急速に増加してきており、これまでの累積使用量は5万トン以上にも達するものと見込まれている。
 農業についても同様である。従来までは蓄積性、残留性をもった農薬は薬効が長く持続するという点でその特性はむしろ長所とされてきた。42年から46年までの主要な残留性農薬の生産量の推移をみると第1-2-2図のように近年に至るまでかなりの量が生産、使用されてきており、土地生産性の高いわが国の農業生産を支えてきた。
 第1-2-3図は、PCBや残留性農薬が、環境中に排出された後、どのように循環し、環境問題を引き起こすかをあらわしたものである。これによってもわかるように、日常生活をとりまく製品に広く使用されているPCBは、廃棄や製造、使用工場からの排水などを中心に、また残留性の農薬は土壌を主たる媒介として、環境中を循環しているものと考えられる。
 難分解性の有害物質が環境中を循環する過程でとくに注目されるのは、食物連鎖の過程で上位に進むにしたがってこうした有害物質が高濃度で生物体内に蓄積されるという、いわゆる生体濃縮の傾向が認められることである。例えば46年10月から11月、東京湾地域において水揚げされた魚介類中のPCBの濃度の調査によれば、全ての魚からPCBが検出されたほか、食物連鎖で上位にあるものほどその濃度が高いという結果が得られた(第1-2-4図)。
 食物連鎖上、人間は常に最上位にあることを考えれば、当初は環境中に広くばらまかれていた蓄積性有害物質が食物連鎖を通じて次第に人体に高濃度で蓄積されていくことが懸念される。
 これら有害物質の環境中での蓄積状況を、例えばPCBについてみると、47年度に国において行なわれた各種実態調査によれば、土壌、公共用水域、河川、海域の底質、農作物、魚介類、さらには母乳に至るまで全国的に広くPCBが検出されている。PCBについては、すでに生産の中止、使用規制等により環境中に排出されないような措置がとられているにもかかわらず、これまで環境中に排出されてきた分が複雑なメカニズムを経て依然として、環境中に蓄積され人体に影響を及ぼしているわけである。このように、一たん環境中に出てしまった有害物質を回収することはきわめて困難である。
 蓄積性汚染の第2の形態は、ヘドロ問題、富栄養化問題等にみられるように、フローの汚染として河川を流れていく場合はとくに問題とならない程度の汚染物質が海湾、湖等に次第に蓄積されることから生ずる汚染問題である。
 田子の浦、洞海湾等で生じているヘドロ公害は工場排水等に含まれる浮遊物質、有害物質等が港湾等に堆積することに伴い生ずる問題である。例えば、田子の浦港のヘドロは、第1-2-5図にみるように、河川流域の紙・パルプ製造工場等により次第に運ばれてきたものが堆積した結果である。このようにして堆積したヘドロからは水質の悪化、悪臭の発生、流況の変化等種々の問題が発生している。
 これらのすでに堆積したヘドロ公害に対処するためには、しゅんせつ、埋立てなどの復旧作業が必要となるが、しゅんせつした有害物質を含んだヘドロの処分方法いかんによっては二次汚染が生ずることも考えられ、埋立てもヘドロが堆積する前の状況を回復することにはならないという点で完全な解決策にはなりえない。
 次に湖沼や内湾の富栄養化も近年大きな問題になりつつある。この富栄養化とは、窒素、リン等の栄養塩類が少しずつ湖沼や内湾に流入することによって水中のプランクトンや藻類が繁茂成長し、あるいは生物体内に移行することによって水中に蓄積され、累進的に水質が悪化する現象であるが、琵琶湖、霞ヶ浦、諏訪湖、瀬戸内海など人の活動の場に近い湖沼、海湾などにおいては、工場排水、生活排水等の流入に伴い近年富栄養化の傾向は著しくなってきている(第1-2-6図)。こうした富栄養化の進行は、透明度の低下等によって自然景観としての価値を低下させ、「かび臭」を伴うこと等で上水道源としての利用を困難にしているほか、赤潮の発生等により漁業にも悪影響を及ぼしている。
 なかでも、瀬戸内海はもともと閉鎖的な海域で自然の浄化能力に限界があるにもかかわらず、沿岸府県に産業、人口の集積が進み、大量の汚染物質が流入するようになり、富栄養化など水質汚濁の進行は著しい。47年度における実態調査によれば瀬戸内海には1日当たりおおよそCOD負荷量1,500t、アンモニア態窒素180t、亜硝酸態窒素6t、硝酸態窒素30t、リン酸態リン9tが流入しており、これが容易に外洋に拡散されずに瀬戸内海全体の水質を悪化し続けている。とくに、大阪湾、播磨灘などでは、漁業環境として望ましくないとされている水質環境基準のC類型(COD8ppm以下)さえほとんど満たしていない状態である。
 このような汚濁の進行は瀬戸内海における魚族の構成の変化によってもうかがうことができる。すなわち、第1-2-7図にみるように、最近5年間の漁獲高の推移をみると、全体としての漁獲高は増加しているものの、かつては豊富だったタイ、タコ、クルマエビなどの高級魚介類はいずれも漁獲高の低下がみられる反面、イワシ、イカナゴなどの汚濁に強い魚が大幅に増加してきていることがわかる。
 富栄養化が原因とされている赤潮発生件数総数の推移をみると昭和42年の48件から46年には164件にも増加してきており、これに伴う漁業被害も大きな問題になつてきている。
 このような富栄養化に対しては、排水の高級処理により窒素、リン等を除去する必要があるが、技術的にもコスト的にもまだ困難な点が多い。また、富栄養化の進行を止めることはできても、一度富栄養化してしまつた湖、内湾等を従前の状態に復元することは極めて困難である。こうした困難性は、PCB等の蓄積性有害物質と異ることはない。

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