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第2節 

1 地盤沈下の概況

 地盤沈下は、昭和初期には東京と大阪において確認されている。その原因については、現在までに多数の説が出されているが、その主たる原因は地下水の揚水であるとする説が、今日では定説となっている。東京、大阪等の古くからの地盤沈下地域における地盤沈下の推移は、水準測量の反復によって追跡されているが、これと地下水の揚水との関係は、地盤沈下観測井による地層の収縮量と地下水位の測定記録の分析によって究明されている。地下水の揚水量に関するデータが十分に整備されていないので、地盤沈下量と揚水量の関係を直接比較するのは困難であるが、産業活動の消長、工業用水の需要、地下水の揚水量および地盤沈下量の間の一連の関係を前提とし、鉱工業生産指数と東京および大阪における年間沈下量との関係を図示すると、第5-2-1図のようになる。
 これを見ると、戦争末期から終戦直後にかけて、工場の疎開や焼失による作業活動の停止に伴い地盤沈下が鈍化していること。また、戦後の経済復興に伴って再び地盤沈下が激化していることがわかる。このように戦後再び激化した地盤沈下に対処するため、工場用水法(昭和31年制定)、建築物用地下水の採取の規制に関する法律(昭和37年制定)等による地下水の採取規制が行なわれるようになったが、東京および大阪におけるその効果は昭和37年頃から現われている。大阪市内において両法による厳しい地下水採取規制が行なわれた結果、大阪の地盤沈下は府下の一部地域を除いてほぼ停止している。これに対し、東京においては地下水の代替水供給施設の整備の遅れ等により、一時鈍化した地盤沈下も再び激化し、昭和45年においても最大18.5cm/年の沈下を記録している。また、東京を中心とする首都圏南部地域においては、従来それ程沈下の激しくなかった埼玉県南東部および千葉県西部において最近地盤沈下が激しくなり、深刻な被害を生じている。東京都においても最大沈下量は最高時より小さいとはいえ、従来はあまり沈下の生じていなかった台地部までも含み沈下地域が広域化しているのが注目される。
 一方、新潟においては、昭和30年頃より急激に地盤沈下が生じ、最高時には年間40cm以上も沈下する異常な事態となった。これは科学技術庁資源調査会等の調査により、主として水溶性天然ガス採取にともなう地下水の急激かつ大量揚水に起因するとされているが、昭和34年以降の数次にわたる工業用ガスの採取の自主規制等および昭和38年からの市町村条例による自家用ガスの採取規制等により、現在ではかなり沈下が鈍化する傾向にあるものの、未だ完全に停止するまでにいたっていない。
 これらの地域のほかにも最近建設省国土地理院が全国の一等水準測量成果に基づいて調査した結果等を総合すると、第5-2-1表のとおり全国の多数の地域において地盤沈下が生じているが、それらの地域では、一般に沈下量は小さく、実質的被害はほとんど生じていない場合が多い。しかしながら、濃尾平野、佐賀平野、石川県七尾市等においては沈下が激しく、大きな被害が生じている。

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