前のページ 次のページ

第1節 

1 自然破壊の現状

(1) わが国の経済の急速な成長は自然資源の大規模な開発等によるところが多いがその反面、最近における著しい自然破壊現象をもたらしつつあり、これらの問題に対処すべく昨年7月、環境庁が発足したのであるが、民間においても自然破壊を阻止するための運動が全国規模でひろがり、各地で相次いで自然保護団体が組織されている。
 ここで一歩ふみとどまって自然と人間との関係について考察を加えるならば、人類の歴史はまさしく原始の時代における鳥獣を捕獲し、木の実を採取する生活から始まって、原野を開墾して農地を作り、農耕生活を営む等、人間の生活や文明の向上のために自然を利用し、改変することの連続であったことに気づくであろう。このような自然に対する働きかけは、自然の抱擁力に比し、極めて微少であった間は、自然の自浄力あるいは復元力のなかに消化され生活環境の悪化という自然の反作用を受けることなくすぎてきたのであって、文明の発展に貢献こそすれ、けっして自然破壊のそしりを受けることはなかったのである。
 ところで、今日の時代、われわれの周辺におきている自然破壊の現象をみるとどうであろうか。
 人口の増加と都市への集中によって、市街地の膨張現象は著しくすすみ、このため近郊の田園風景やそこに散在した雑木林は損なわれつつある。また生活汚水や産業排水などによって河川や湖沼は汚濁し、工場立地のため干潟の埋立ても進み、それらの結果として野鳥、魚類、昆虫のたぐいも都市やその周辺からしだいに姿を消しており、都市の住民にとって自然を身辺に触れる機会が乏しくなっている。このため都市生活の快適性は失なわれ、その緊張は増大している。
 さらに、そればかりではなく、国立公園などのすぐれた自然の風景地も自然との接触を求めて都会から集まる利用者により雑踏と化しているところもあり、またこのような場所における観光開発が、過剰な利用人口を当てこむあまり、きわめて大規模に行なわれ、それ自体が観光の元手である自然の破壊をもたらす結果すらひきおこしている例もある。
 さらに、自然公園内におけるダム建設や土石の採取などの一般の産業行為も、ややもすると自然環境保全の十分な配慮なしに進められたために、自然の破壊を各所にもたらしている。
 これらの事実からわれわれは次の点を理解することができる。
 すなわち第1に、都市から後退しつつある自然をできるだけ食い止め、かつ失なわれた自然を可能な限り都市に復元することが強く要望されていること
 第2に、精神的に感銘を受け人間性を回復する場所として、国立公園のようなすぐれた自然環境を確保することが今日特に重要性を有してきていること
 第3に、人類は自然に接し、自然を改変することによって文明を発展させ、生活内容を向上させてきたのであり、人類が進歩を続ける限り、自然と人間とのこのような関係は永遠に続いていくものである。しかし、文明が高度に発達した今日において、自然は、人間性を回復し、文化的な生活を営む上に欠かすことのできないものとして、その重要性をますます高めてきている一方、経済成長の過程で、しばしば自然を破壊し、すぐれた自然環境を有している地域が減少してきているとともに、現代文明の機械力は、それらの自然に対する大きな破壊力を有していることなどから、今後自然に人為を加える場合には、自然の重要性を十分認識しつつ自然の改変によって得られる公益と、それを失なうことによってもたらされる不利益とを慎重に比較考量されなければならないこと。又人為を加える場合にあっても自然破壊が最小限度にくいとめられるよう必要な措置を講ずることが強く要請されていることなどである。
 そこで、具体例として自然公園内の観光道路問題と、干潟の埋立て問題を取り上げて検討をすすめることとする。
(2) 自然公園内の観光道路問題
 最近、いわゆる観光道路の開設がもたらす各種の自然破壊の現象が世論の大きな関心を集めるにいたっているが、すぐれた自然の風景地の中に道路を建設する場合、これが自然破壊を招くとする主張はおよそ次の3点に基礎づけられている。
 第1点は、道路工事そのものにより自然の地形や植生などがさまざまな程度に破壊されることである。特に建設される場所が亜高山帯以上であったり、地形が急峻な地域等いわゆる「弱い自然」である場合においては、工事の設計あるいは施工上、自然保護に対して細心の注意がはらわれていないときには破壊度が著しいばかりでなく、その破壊が年とともに進行するということで批判されている。
 第2点は、道路を通すことによる2次的な影響ともいうべきものであるが自動車の排気ガス・騒音などにより植生の枯損・野生鳥獣の生息地域の分断、圧迫などの現象が生ずることである。また、高層湿原地域などは道路開設に伴う利用者の増加によって、弱い植生が踏みつけられるなど破壊がさらに拡がることが問題視されている。
 第3点は、道路と自動車という人工の所産物が、自然が豊かな地域に入り込み、自然環境の純粋さを失わせるということである。
 このような主張の具体的な対象として取り上げられたものに富士スバルラインや石鎚スカイラインがあり、さらに尾瀬道路問題(主要地方道沼田田島線)やビーナスライン美ヶ原線等がある。
 これらの路線が自然破壊を招くものとして批判の対象となったその要因は何であろうか。
 第2次世界大戦後の経済復興が軌道に乗り、国民の生活が安定してきた昭和30年代に入ってから著しい工業化の進展による都市への人口の集中現象がみられ、これによって都市生活が高密度化し、その緊張が著しく高まったが、これに国民所得の増加と余暇時間の増大等の要因も加わって都市住民のすぐれた自然との接触に対する渇望が非常に大きくなってきた。
 しかし、他方、人口の都市流出による農山村の過疎現象も急激に進行し、大きな社会問題となり、ここで観光開発が農山村地域の経済振興につながる重要な手段として注目されるにいたった。
 このように、都市住民の日常の都市生活から解放されて、すぐれた自然に親しもうとする欲望と、一方、これらの需要を受け入れて経済の振興を図ろうとする農山村の意図をつなぐかけ橋として、いわゆる観光道路の開発が活発にすすめられることとなり、さらに近年におけるモータリゼーション化の思潮がこの傾向に拍車をかけることとなったのである。
 しかしながら、これらの観光道路の開発は、自然保護に対する配慮の不十分さ、科学技術の遅れ、あるいは経済性に着目した工法の施工等によって自然破壊をもたらすとともに、自動車の排気ガス等による植生等の破壊等第2次自然破壊をもたらし、自然の利用者に深い失望を与え、ようやく世論の非難を喚起するにいたった。
 特にモータリゼーションによる自然破壊は、自分の足で汗水を流して歩きまわるという本来的な自然利用に伴う労力をさけ、安易に自然の中に入ろうとすることによってもたらされるものであるとする点で強い批判を呼びおこし、さらに、都市等における排気ガス公害や、交通事故の多発等によって生ずる、この文明の利器に対する反感とがからみあって、自然公園等の中における自動車利用のあり方を見直そうとする風潮が高まってきたのである。
 このように、観光道路優先主義または自動車万能は許されるべきではないという意識の芽生えてきたことが、観光道路反対論の特色である。
 自然公園内に設けられる道路には?到達道路、?周遊導路およびパークウェイ的なもの、?産業道路、?生活道路、?通過道路等の各種の性格を持った道路がある。これからの道路計画の検討については、これらの性格に従い、路線毎に区別した上でその必要性を検討し、さらに建設しようとする地域の自然の性質を考慮に入れて、自然に及ぼす道路の直接間接の影響が最小限にとどまるよう計画されるべきものであろう。
(3) 干潟の埋立て問題
 干潟は、近年における急速な国土開発や都市化の進展の中で、次第にその姿を消していった。干潟は干満の差の大きな内湾の河口部に発達し、数多くの生物の生息する場所であり、古来人間の身近な生活の場であったが、立地上港湾、工業用地、宅地造成地等として利用価値が高いことから、その埋立て等が急テンポに進み、このため特に干潟を生活の場としているシギ、チドリ等の鳥類については、その渡来に重大な影響を及ぼしてきた。
 干潟は、干潮時に現われ、満潮時に水没し、底質が砂泥質の海岸で、通常は河口附近に発達し、淡水と海水が混るところが多い。干潟は干潮時に、大気の影響に直接さらされる等から、特殊な環境条件をもっており、極めて豊かな生物相を有している。すなわち、河川により陸地から運ばれる豊富な栄養と、太陽光線、酸素の補給等により、アオサや珪藻等の植物は有機物を合成してアサリ等の貝類、ゴカイ類、カニ類等の繁殖を促し、これらがシギ、チドリ等の干潟の鳥類に餌を提供している。このため、干潟には水鳥のほか陸鳥相当数渡来しており、種類数では、全体のほぼ3分の1程度を占めている。
 日本に渡来する代表的な干潟の鳥類であるシギ、チドリの仲間は約60種類にのぼる。これらのシギ、チドリ類が、どこからきてどこへ渡るかについては不明な点が多いが、これまでの標識調査等によると、長距離の渡りをするものが多く、アラスカからアリューシャン列島、またはシベリアからサハリンを経由して、わが国に渡来し、フィリッピン、ニューギニア、さらに一部はオーストラリアの遠くに渡るものとみられている。
 往時、全国各地でみられた干潟は、近年の開発の波の中で消滅したものが多く、このため、干潟の保護についての国民の関心も著しい高まりをみせている。最近になって、干潟の埋立てにあたり、鳥類の生息地を確保するため、埋立てを中止したり、人工干潟を造成し、野鳥公園の設置を図る等の鳥類保護への配慮がはらわれるようになってきたことは注目に値する。
 かって、東京湾、伊勢湾および有明海の干潟は、わが国の三大干潟といわれたが、いずれも大規模な開発計画が進行し、東京湾、伊勢湾の干潟は殆んど埋め立てられ、有明湾のみがわずかに自然の状態を維持しているにすぎない。
? 東京湾の干潟は、わが国のなかでも飛来する鳥類の種類、羽数において代表的なものであり、荒川河口から江戸川放水路までの範囲にわたり飛来する鳥類は、現在までに記録されているもので、231種(シギ、チドリの類は54種)と多く、飛来数はハマシギ、シロチドリを中心に数万羽にのぼることがある。
 しかし、東京湾の干潟は、現在、葛西沖(通称「三枚州」)等にわずかに残る程度となった。この葛西沖についても埋立計画が進められているが、この埋立計画については鳥類の保護の観点から再検討を加えられ、東京都では一部の埋立を中止すると同時に、人工的に鳥類のための約400ヘクタールにおよぶ緑地および干潟を造成し、現況以上によりよい鳥類の生息地とする計画を策定し、実行に移すことととなった。また、既に造成中のものとしては、千葉県で新浜海岸を埋め立てるについての、約50ヘクタールの内陸人工干潟がある。
? また、伊勢湾は、愛知県木曽川をはじめ三重県沿岸の町屋川、鈴鹿川、安曇川、五十鈴川等の河口附近に多くの干潟が存在し、シギ、チドリ類(45種)を中心に多数の鳥類が飛来する。しかし、木曽川河口の広大な干潟(鍋田地区)については、すでに埋め立てられ、堤防で囲まれるに至っているが、愛知県ではこの地域の一部に緑地または湿地を造成するなど鳥類の渡来地を確保するための措置を講じようとしている。
? 有明海は、三大干潟のうち、もっとも自然に近い状態で広大な干潟が残っており、なかでも干満の著しい有明海北西部の諫早市小野町海岸、鹿島市肥前浜および塩田川河口等には、シギ、チドリ類の飛来数が多く、また、八代市八代外港干拓地周辺も水田、蓮田、あし原等の広々とした環境に多数の鳥類が飛来している。

前のページ 次のページ