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第2節 水銀による健康被害状況

 熊本県水俣湾沿岸地域において、また、昭和39年から40年にかけて新潟県阿賀野川流域に発生したメチル水銀中毒事例はいずれも水俣病と呼ばれている。これは工場廃液中のメチル水銀化合物が魚介類で濃縮し、それを大量に長期間摂取したことにより発病したものであり、先に発生した水俣の地域名を取り入れ水俣病と呼ばれるようになった。
 水俣病の主要症状は求心性視野狭さく、運動失調(言語障害、歩行障害を含む。)難聴、知覚障害である。
 現在では、両地域とも新たな被害は出ていないが、発生当時中毒症状が明確に表われていなかったものの中から年とともに中毒症状の表顕してくるものがあり、これらの人達が水俣病患者として若干づつ新しく認定されてきている。
 特に、昭和46年8月、環境庁長官は、健康被害救済法にもとづく熊本県知事および鹿児島県知事の認定処分を不服として両県内の住民9名から提起されていた行政不服審査請求に対して裁決を行ない、救済法の趣旨に従って有機水銀による水質汚濁の影響を否定し得ない者も広く救済する方針を示した。この裁決を契機として水俣病の認定患者の数は、水俣湾沿岸地域および阿賀野川流域のいずれも急激に増加してきている。特に指定地域外の住民の中からも認定患者がでていることは注目に値する。水俣病の全貌を明らかにするため、現在両地域において住民の一斉健康調査を実施しているので、その実態が明らかになるについて認定患者の数も増加することが予想される。
 昭和47年3月末までの水俣病認定患者の発生状況は水俣湾関係で181名、うち52名が死亡し、認定患者は129名となっている。また阿賀野川流域関係で102名、うち8名が死亡し、認定患者は94名となっている。

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