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第1節 

1 立ち遅れた公害対策とその後の進展

 環境問題とりわけ公害問題に対処する政策の進展において、昭和42年における公害対策基本法の制定は一つの時期を画したものであった。
 それまでの政府の公害対策に対する取り組みは、必ずしも十分なものとはいえなかった。たとえば、旧公用水域の水質の保全に関する法律が制定されたのは、昭和33年12月であるが、実際に規制の対象となる水域の指定は、それから4年後の昭和37年になってやっと4水域が指定され、健康項目にあっては、さらにそれから8年後の昭和45年になって規制が行われたというのが実態である。
 自動車排出ガス規制においても、一酸化炭素については、発生源別寄与率で見ると自動車排出ガスによるものが99.7%(厚生省の東京都についての試算による)も占めており、すでに昭和36年以後増えつづけているにもかかわらず、大気汚染防止法が制定され、自動車排出ガスの中の一酸化炭素の排出基準が定められたのは、昭和43年であった。
 しかしながら、公害対策基本法が制定されたことは、公害対策の基本理念と基本的な体系を明らかにする意味で新しい一歩を踏み出したことになった。すなわち、この法律で行政上の目標としての環境基準を設定し、広域的かつ計画的な対策を講ずるため公害防止計画を策定するほか、事業者の責務等が明文化された。
 その後、公害に係る健康被害者の救済の緊要性から、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法が昭和44年に制定され、また公害紛争の円滑かつ迅速な解決のため、公害紛争処理法が昭和45年に制定された。しかしながら、こうした制度面の整備が進んだものの、一方では公害問題はますます深刻さを増してきた。いおう酸化物による慢性気管支炎等の呼吸器系の疾患は、四日市市、川崎市に代表されるように広範に及んでいることが明らかになってきた。昭和45年以来、瀬戸内海等において、窒素、燐等の栄養塩類と自然条件とが合わさつて生ずる「赤潮」による魚介類の被害も急速に生じてきた。また田子の浦のヘドロ問題、光化学スモッグ、プラスチック類や耐久消費財等の粗大ごみのような処理の困難な廃棄物問題等公害問題は質的にも複雑多様化の様相を示し、ここにきて従来の公害対策の実効性には、限界がみえてきた。
 その結果、昭和45年12月末の第64臨時国会には、公害対策基本法の一部改正法案をはじめ合計14法案が政府から提出され、公害関係諸法の法制整備が行なわれた。これらの一連の法制整備を通じての特色は、第1に公害規制が抜本的に強化され、規制権限が地方公共団体に大幅に移譲されたこと、第2に公害対策の範囲を拡大し、多様化した公害に即応した体制を整えたこと、第3に公害対策について、直接規制中心から下水道、廃棄物処理等の、公共事業の推進をはじめとする政策の多角的推進へというような展開がみられたことである。
 次に政府の公害対策の進展を予算の推移でみると、第3-1-1図のように全体の予算に比較して、昭和45年度以降急増している。これによっても政府の施策が本格化したのは、昭和45年度以降であると考えられる。
 また、公害対策予算を発生源対策、影響対策、環境対策、というように機能別に分けて、その推移をみると、第3-1-2図のようになる。各種調査、原因究明研究、技術開発等の発生源対策は、昭和46年度には、42年度に比べて3.5倍、47年度には、同じく5倍強と急増している。公害の事前予防を強力に進めるという見地から発生源対策が重視されていることが特色である。なお、下水道事業、廃棄物処理事業等の各種環境整備事業を内容とする環境対策の額自体は大きいが、伸び率は、他の対策よりも低い。また、被害救済とか地盤沈下対策等の影響対策は46年度から47年度にかけて最も伸び率が高くなっている。
 上に述べたような、これまでの法律および予算等による政府の公害対策の一応の成果として考えられるものは、次のようなものであろう。
 まず、第1に過密地域といわれるところにおいては、汚染度が最近になって低下してきているという事実もみられることである。たとえばいおう酸化物について毎年継続して測定を行なっている測定(64局)の年度別の単純総平均値をみてみると、昭和42年の0.0398ppmが昭和45年には0.0361ppmとここ数年次第に改善されつつある点がうかがわれる。
 これは、排出規制の強化と相まって、燃料の低いおう化対策などが行なわれてきたことによるものと思われる。また、隅田川の汚染も、昭和39年頃をピークに次第に改善方向に向かい、最近では悪臭が感知されなくなっている。これも、同河川においては他に先立って行なわれた排出規制の強化、下水道の整備、清浄水の導水事業などの成果があらわれはじめたことによるものであろう。
 第2に、監視取締体制についても、主な汚染地域をかかえる地方公共団体の大気汚染監視網はそのほとんどが、標準的なテレメーターシステムを導入して整備されてきたことがあげられる。これによって測定データの収集等は遠隔操作により完全に自動化され、集中的な常時監視が可能となった。
 第3に、公害防止技術開発成果の一部がようやく実用の段階を迎えるようになったことである。たとえば、脱硫技術については、工業技術院の大型プロジェクト制度によりかなりの成果をあげている。すなわち、排煙脱硫技術については、昭和41年から活性炭法および活性酸化マンガン法の2方法の研究開発に着手し、昭和44年にほぼ所期の成果をおさめて終了したが、その成果をもとに、電力業界等において実用化に努めており、昭和47年度中頃までには、運転を開始する予定である。一方、重油直接脱硫技術についても、昭和42年から研究開発に着手し、すぐれた触媒の開発、懸だく床式エンジニアリングの開発等所期の成果をおさめ、昭和46年度をもって終了した。

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