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第2節 産業構造の変化と環境問題

 第二の背景は、産業構造面において、環境資源多消費型産業の生産の伸びが以前よりもいちじるしくなったことである。
 生産活動に伴って汚染物質をどのくらい排出するかということを示す汚染因子排出原単位をもちいて主要産業の汚染因子排出量を試算してみると、45年には、いおう分3141千トン、BOD負荷量3065千トンが生産活動に伴って発生した勘定になる。もちろん、最近では、企業は防止施設の設置に努力したり、低いおう重油の使用に努めるなどしているため、これがそのまま大気や水域にばらまかれているというわけではないし、自然の浄化能力を考慮すれば、排出されたものが必ずしもそのまま環境汚染をひき超こすわけのものでもない。しかし、わが国の産業構造自体がおおよそこの程度の環境汚染のポテンシャルを持っているという目安にはなろう。
 ところで一口に鉱工業といっても、その中には、大量のいおう酸化物を大気中に排出して大気を汚染する傾向の強い電力業や、大量の水を使用して高濃度の汚染物質を排出する紙・パルプ産業などの産業と環境汚染を比較的ひき起こさない機械工業のようなものとがある。
 そこで、主要業種の汚染因子排出構成比の推移を、いおう分とBOD負荷量についてみると、第2-2-1表および第2-2-1図のようになる。昭和45年時点でいおう分の寄与率の高い電力業、鉄鋼、窯業・土石の上位三業種およびBOD負荷量の寄与率の高い紙・パルプ、食料品、化学の上位三業種を仮りに環境資源多消費型業種と呼べば、全体に占める環境資源多消費型産業の構成比は近年増加してきていることがわかる。
 これは、いうまでもなくこれらの業種の生産の伸びが近年になっていちじるしくなったことによるもので、第2-2-2表にみるように、食料品を除き、近年5年間の方がそれ以上5年間より伸びがたかまっている。こうした傾向は、他の先進国と比べてみるといっそうはっきりわかる。第2-2-2図にみるように、わが国の環境資源多消費型業種の生産の伸びは、全体の生産の伸びに比べて低く、産業構造としては、以前に比べて環境汚染をひき起こさない方向へ向かうきざしもみえているが、全体の生産規模の拡大がいちじるしいこともあって、これら業種の生産の伸びは、他の先進国より高くなっている。
 30年以後の高度成長の過程で、わが国の産業構造の変化ははげしかったが、環境汚染に関連しては次のような特徴がうかがわれる。一つは、エネルギー構造における大きな変化である。
 すなわち、昭和30年に19.8%だった電力業の汚染寄与率は、30年代半ばを境に増加し、45年には23.7%になっている。これは、30年代の半ばに、わが国の発電の方式が、水力資源開発の困難化、大容量火力発電の技術開発などを契機として、水力発電中心から火力発電中心へと変化したこと、いわゆる「水主火従」から「火主水従」への変化が主な要因である。すなわち、昭和30年には、全体の発電量の25.7%をまかなっていたにすぎなかった火力発電は、45年には、76.4%を占めるに至っている。
 こうした結果わが国のエネルギー消費構造は、諸外国に比べていちじるしく液体燃料多消費型となってきており、環境汚染の種類も降下ばいじんによる大気汚染からいおう酸化物による大気汚染へと変化してきた。さらにいおう分の多い中近東産の石油を使用せざるを得ないというわが国の事情がいっそうこの傾向を助長したといえよう。
 次に水質汚濁は、生産段階での水の使用量と密接な関係をもつが、農業用水、工業用水、上水道別に使用料の構成比をみると、昭和37年に全体の35%だった工業用水は、第2-2-5図のように44年には50.1%へと大幅に伸びている。
 その中で紙・パルプ、食料品、化学の三業種における工業用水使用量(海水、回収水を除く。)は44年には59.7%となっている。このことは、これら業種の排水量もそれだけ大量であるということを示すものである。この面からもこれらの業種が水質汚濁に大きく寄与していることがわかる。とりわけ、紙・パルプの寄与は非常に大きいが、これには、近年における情報社会への移行に伴う紙消費の増大、包装紙の増大傾向(後掲第2-3-3図参照)などから紙・パルプの生産増大がもたらされたことが働いていると思われる。
 なお、最近の食料品の伸び率低下を反映して、水質汚濁に対する食料品工業の寄与は全体として下がっているが、食料品工業は、中小、零細企業が多く、問題をひき起こしている例が多いことは注意すべきことであろう。
 国土がせまく、したがって環境資源も相対的に稀少なわが国においては、環境資源多消費型の傾向が強い基礎的生産財部門は、比較優位とはいえないと思われるのに、これまで、こうした部門の成長が可能であった背景は一体どこにあったのだろうか。
 まず第1は、わが国経済の発展パターンからみて、30年代から40年代にかけての時期が産業構造の高度化の過程において、ない基礎的生産財の比重がかなり高い段階であったということである。諸外国の例をみても、経済の発展につれて、食料品、繊維といった基礎的消費財の比重が次第に低くなっていく反面、鉄鋼、化学などの基礎的生産財が高まり、さらに進むと機械工業のような高度の投資財や耐久消費財が高まっていく。わが国の産業の発展も、こうした産業構造の高度化が急速に進展する過程であった。最近における環境問題の爆発的な進行は、このように経済発展の過程の一断面において起こった問題であるといえるのではなかろうか。
 第2は、わが国が基礎部門から加工、組立部門に至るまでの一貫した産業をすべて国内でまかなう必要があったということである。
 わが国は、資源が乏しく、原材料を輸入に頼って生産活動を行わなければならないため、最近まで絶えず国際収支の赤字に悩まされつづけた。このため、できるだけ輸入を節約し、自給度の向上につとめる必要があったわけである。このことは、昭和30年に策定された「経済自立5ヵ年計画」の「国際収支の赤字解消のため、出来るかぎり自給度向上に資する産業の発達を図り、雇用の増大と経済の安定に役立てる」という政策目標に如実に示されている。このような考え方は、その後わが国産業の発展を方向づけてきたように思われる。
 第3は、第2の背景のもう一つの側面であるが、国際収支の天井を高めるために輸出振興に力が注がれ、世界の需要構造に即応した輸出構造をとる必要があったことである。1960年代は、鉄鋼、化学などの重化学工業部門の世界需要がいちじるしく伸び、わが国は、国内の産業構造をこの動きに沿って発展させ、輸出を伸ばしてきたのである。
 このように、わが国経済の発展のなかで、わが国の環境問題を考えてみると、ここ数年に起こった環境問題の激化は、産業構造高度化への過渡的段階で生じた苦悩のあらわれであるという一面をもっているといえよう。

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