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第3節 

1 地球的規模で進行する環境汚染

 1970年3月、ニューヨークで開かれた国連人間環境会議のための第1回準備委員会の冒頭、ウ・タント国連事務総長は、次のような演説を行った。「現在の環境危機の問題ほどあらゆる国にとって一様に関心のある問題は、国連25年の歴史上かつてなかった。今こそ国連は、憲章の精神に従い、人間環境問題を解決しようとするすべての国々の行動を調和させるための中心にならなければならない。われわれが現在決断をおこたるならば、人類の未来は重大な危機にさらされるだろう。」
 こうした認識の基礎には、1950年代、60年代を通じた経済成長優先の考え方に対する反省があるであろうが、その契機となったのは、現実の問題として、環境汚染が国境をこえて広がり、全地球的な規模で進行してきたという事情である。
 たとえば、1970年5月から7月にかけて葦舟ラー号で北大西洋を横断したノウルェーの探険隊は、ほとんど毎日廃油ボールが漂流していることを観察し、また、プラスチック廃棄物等も多数発見して海洋汚染が想像以上にいちじるしいことを報告している。
 また、多数の国が隣接して存在するヨーロッパでは国境をこえる環境汚染がしばしば問題になっている。ライン川の汚濁の問題や北ヨーロッパの工業地帯から発生する煙が、スカンジナビア半島に酸性の雨を降らせるなどの例が有名である。
 その他国境をこえて生ずる汚染として、核爆発実験による大気の汚染、SSTの飛行に伴う騒音と大気汚染、国際河川の上流で土木工事を行った場合の下流の生態系への影響、タンカーによる海洋の油濁、大陸棚や、深海海底での鉱物資源開発活動に伴う海水の汚濁などが問題視されてきた。
 このように国境をこえる環境汚染が問題になってきた一つのおきな要因は、なんといっても世界の経済が発展し、経済活動の規模が巨大化したということであろう。
 第2次大戦後の世界経済は、多少のあやを除けば、全体として非常に順調な発展をとげた。先進諸国は、発達した現代科学技術を駆使し、巨大化した経済力のうえに立って繁栄を謳歌することが可能になった。しかし、その反面で、工業化、都市化、モータリゼーションなどに伴って生ずる環境汚染の問題が、程度の差こそあれ、各国共通の問題として出現するに至った。人間活動が活発化すればするほど、環境汚染による影響の範囲は広がっていく。従来は、一国の一地域の問題であった汚染環境が、国境を越えて他国にまで影響を及ぼし、国際問題をひき起こすまでに至ったのである。大気や海洋は、地球全体としてつながっているわけであるから、その汚染の影響は、長い目で見れば、全地球的なものとなって伝播する可能性を持っている。各国の経済規模の拡大を背景に、その可能性が現実のものとなってあらわれてきたといえよう。
 このような汚染問題は、単に一国の努力だけではとうてい解決しえない問題であり、広く各国間の協力がなければ、その進行をくいとめることが不可能であるという認識が高まってきた。
 最近における生態学の発達は、地球的な規模での環境汚染に対する認識を高めるのに役立っている。環境の変化が生態系に及ぼす影響としては、アメリカの環境問題諮問委員会報告に次のような例が報告されている。
 アメリカ合衆国とカナダの両者にまたがる五大湖地方と大西洋をむすぶセントローレンス水路は、同地方の経済発展にはかり知れない貢献をしてきたがオンタリオ湖とエリー湖を結ぶウェーランド運河の完成は、五大湖の生態系に対しいちじるしい変化を生じさせ、漁業に被害を与えるとともに、ふえすぎた魚の大量へい死から生ずる環境汚染をひきおこした。すなわち、同運河の完成により、他魚に吸着して害を与えるといわれるヤツメウナギが五大湖に進入し、1950年代の半ばまでには、ニジマスその他商品価値のある大きな魚はほとんど絶滅したという。一方、それらが絶滅近くなると、平常はそれらに押えられていた小さい魚とくにニシン(alewife)が数を増し、それがふえすぎたため、大量へい死をまねき岸辺の死魚によって大きな環境汚染をおこしたということである。
 この例は、一地方の生態系の変化の例であるが、放射性物質、重金属、有機塩素系農薬などの有害物質が年々世界各国から大量に排出され、環境中に蓄積されていることが指摘されている。
 生態学の発達は、これらの有害物質が、植物界、動物界、微生物界等の連鎖を通じて、広範囲にわたって影響を及ぼすということを教えてくれるものであろう。

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