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第2節 増加する社会的費用

 環境問題が近年爆発的な様相を呈してきた第2の内容は、環境汚染に関する社会的費用が増加し、各方面に大きな影響を与えるようになったことである。
 この環境汚染に関する社会的費用としては、環境汚染による被害と、被害の発生という形で生ずる環境資源の損耗を防ぐための環境汚染防止の費用などがあろう。
 これをさらに具体的にみれば、環境汚染による被害額としては、?人の健康に与える被害額、?水質汚濁や大気汚染による農作物、漁獲物、森林の被害額、?大気汚染によってもたらされている洗濯代、ペンキ塗りかえの費用などにみられる家計部門の被害額などがあり、また環境汚染を防止するための費用としては、?企業の公害防止設備投資、?国、地方公共団体の公害対策費などがある。このうち、人の健康とくに生命に与える被害を金額に換算することは不可能である。その他の項目についても、これを厳密に計量化することは、きわめて困難であるが、いくつかの大胆な前提の下に計量化を試みてみると、以下のようになる。
 すなわち、被害額としては、農業、漁業の被害が45年で約400億円程度になっているものとみられ、参考までに家計部門の被害を一応試算すると約4千億円程度になる。また防止のための費用としては企業の公害防止投資が約8千億円程度、政府の公害対策費が約3千億円程度と試算される。これらの数値を単純に総計して考えることには種々の問題もあるが、一応上記の環境汚染に関する社会的費用を総計すれば、40年頃には約4千5百億円程度(政府の公害対策費を除く。)だったものが、45年には約1兆5千億円程度に高まってきている。国民1人当たりにすれば、30年代半ばには約2千円、40年頃には約4千5百円、最近では約1万5千円となる。
 推計方法が異なると思われるので単純に比較することはできないが、ちなみに、アメリカ「環境問題諮問委員会」第2回年次報告にあるアメリカの例をみると、大気の汚染による健康被害、植物、原料の損失、不動産価値の減少は160億ドルと推定されている。これに1970年の大気の汚染防止コスト5億ドルを加えると、165億ドルとなり国民1人当たり約80ドル程度と推定されている。


 以下これらの環境汚染に関する社会的費用の構成要素ごとに、最近の推移をややくわしくみてみよう。
(1) 健康に与える被害
 水俣病、イタイイタイ病をはじめとする公害による悲惨な健康被害は、公害のおそろしさを強く印象づけるものだが、人間の健康は、絶対的に守らなければならないものであり、社会的費用としてとらえて、資源配分上のバランスを考慮しつつ取り扱われるべきものではないといえよう。いいかえれば、健康の破壊は、とくにそれが死に至る場合はもちろん、回復不可能な疾病も、社会的には無限に大きなコストを支払っているものとみるべきであろう。
(2) 農林漁業の被害
 農業、林業、漁業等の第一次産業の生産は、動植物等の生物の生育状態によって大きく左右されるため、本質的に大気汚染、水質汚濁等の影響を受けやすい。このため、環境の汚染が進むに従って、これらの第一次産業が被っている損害も次第に大きなものになってきている。
 まず、農業では、とくに水質汚濁による被害が大きい。工場排水、都市汚水等の流入は、直接農作物に被害を与えるほか、土壌中の微生物活動への影響、土壌の理化学性の悪化等を通じて間接的に作物の生育を阻害する。
 かんがい用水の汚濁によって、被害を受けている農地面積は次第に拡大してきており(第1-2-1図?)、全水稲作付面積に占める比率をみても、33年の2.9%から45年には6.8%に拡大している。仮に、被害を受けた農地で、土地当たり生産性が15%低下するとすれば、農業生産額の低下という形での農業部門の損害は33年の45億円、40年の97億円から45年には220億円となり、生産額の0.5%を占めるに至っている。
 つぎに林業の被害については、資料が限られているが煙による国有林野の立木被害面積は44年度まで次第に拡大してきており、大気汚染の影響がうかがわれる(第1-2-1図?)。
 さらに漁業については、有害物質による魚介類の直接的被害の他に、漁場の汚濁による魚群の逃避、異臭魚等の経済的価値の低下、漁具の被害等広範なものにわたっている。
 水産庁の調査によれば45年の被害額は、約160億円に達するものとみられる(第1-2-1図?)。これは沿岸内・内水面漁業、養殖業生産額の約3.7%に相当する。


(3) 家計部門の損害
 一般の家計も公害によって種々の影響を被っているものとみられるが、40年に大阪市で行なわれた大気汚染による被害に関する調査によれば、一般の家計は、大気の汚染によってペンキ塗りかえ、余分な洗濯、掃除のための費用等の支出を余儀なくされており、その合計は大阪市で130億円、一世帯当たり1万5千円以上に達するものと推定されている。
 また、燃料(石炭および重油)消費量が多いほど、その地域の一世帯当たりの被害額は大きくなるという関係がみられることが報告されている。
 なお参考までに上の調査に基づき大阪市をモデルとして、重油の消費量と一世帯当たり被害額との間に一定の関係を想定して、40年の全国の家計部門の被害額を推計すると、約2,700億円となる。そして、これが45年には、約4,100億円と大きく伸びている。
(4) 企業の公害防止投資
 企業が公害防止のために支出しているコストは、割高な低いおう分の重油や、天然ガスの使用といった燃料の転換、立地上の制約等多様なものが考えらられるが、最も大きなものは、浄水装置、集塵装置、脱硫装置等の公害防止のための設備投資である。
 通商産業省の調査によれば、全設備投資に占める公害防止のための設備投資の比率は、40年の3.1%から、45年の5.3%へと上昇している。
 仮に、この比率で国民所得ベースの設備投資に引き延ばすと、40年には、約1,554億円だったものが、45年には、約7,800億円に達する。
(5) 政府の公害対策費
 下水道、公園等の社会資本の整備、公害防止技術の研究開発、規制および監視、取締りなど、公害の防止のために政府の果たすべき役割は大きいが、環境の汚染が進み、その解決が重要な政策課題となるにつれて、国および地方公共団体が公害対策のために支出する金額も多額にのぼるようになってきている。主な公害防止関係公共投資(下水道、し尿処理、ごみ処理)規模は35年度249億円、40年度1,086億円、45年度2,224億円(総事業費、経済企画庁計画局資料)と急増をみせている。また、公害対策関係予算をみると国の予算にあっては42年度の432億円から45年度には757億円(環境庁企画調整局調べ、当初予算)と増加してきており、国と地方を合せた公害対策予算は45年度には3,023億円(当初)にのぼるものとみられる。
 以上みてきたように、いずれの分野においても環境の汚染に関する社会的費用の増大にはいちじるしいものがある。これは、基本的には、環境汚染が急速に進展し、広範に浸透してきたことを反映しているが、?環境汚染に関する社会的費用が被害という形で社会全体に転嫁され、経済活動に伴う当然のコストとして明確に意識されていなかったこと、?近年の防止コストの伸びは、これまでの対策の遅れを取戻す役割を果たしていることなどの要因が加わっていると思われる。
 国民の所得水準の上昇等を経済成長の成果とみれば、以上に述べてきたような環境汚染に関する社会的費用の増大はその代償といえよう。
 近年における環境問題の爆発は、所得の増大等のプラスの効果を生みだすために、あまりにも大きな犠牲を払ってきたことを示しているといっていいであろう。
 

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