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第1節 

1 ひろがる環境汚染の脅威

 このように、環境に対する社会的関心が飛躍的に高まってきたのは、かつての公害事象が局地的な事件にとどまっていたのに対し、近時においては公害がその要因や被害の態様においても、また地域のひろがりにおいても比較にならないほど広範なものとなってきていることに起因するものといえよう。
 環境問題の歴史は古い。わが国においては、明治時代においても渡良瀬川鉱毒事件などいくつかの事件が見られる。しかし、それらは、あくまでも局地的に起こった事件であり、被害の内容も作物被害というものが多かった。ところが、今日においては、ほとんど全国的なひろがりにおいて国民一人一人が身近かに環境汚染の影響を受け、脅威を感じるようになってきている。
 こうしたことを示す例は、いくつかある。その一つは環境汚染による生命、健康への脅威が身近かになってきたことである。たとえば、大気汚染や水質汚濁が原因となって生ずるいわゆる公害病の認定患者の数だけをみても、47年3月末現在では6,688人を数えるに至っている。
 また、新たな汚染物質が複雑な汚染経路を経て、思いがけない環境汚染をもたらした例として、PCB問題をあげることができる。PCB(ポリ塩化ビフェニール)は安定性がきわめて高く、すぐれた電気絶縁性をもっているため、日常生活をとりまく電気器具、感圧紙等多くの製品に使用されてきた。しかし、一方で、このPCBが生体内に入った場合の急性毒性による障害作用については、食品製造工程における事故によって43年に発生したカネミ油症事件によって強く印象づけられたが、最近では東京湾、琵琶湖等の魚介類、鳥をはじめ人間の母乳等からもPCBが検出され、その慢性毒性による健康影響の有無が問題となっている。
 また、一昨年の夏以来、戸外にいる人が突然目やのどの痛みを訴えるという事件があったが、窒素酸化物、炭化水素が主因となって起こる光化学スモッグによるものであるらしいということがわかった。それ以来、東京都内において光化学スモッグ注意報および警報がしばしば発令されるようになった。
 二つは、環境汚染が以前とは比べものにならないほど地域的なひろがりを持って起こるようになったことである。
 海の汚染が主たる発生原因であるといわれる赤潮の瀬戸内海における発生状況の推移をみると、第1-1-2図のように、年を追うごとに、地域的なひろがりをみせていることがわかる。瀬戸内海における赤潮は、昭和25年から30年頃までは、大阪湾の北部、広島湾奥の一部、山口県の岩国市藤生地先などで発生がみられたが、いずれも局地的発生の域を出なかった。ところが、昭和40年頃になると広域化の傾向が急速に進み、年間発生件数も40件をこえ、それまでは内湾の奥部に限定されがちであった発生範囲が次第に湾口から灘部へと拡大していった。それ以後、毎年加速度的に発生の範囲が拡大し、発生件数も増加してきた。昭和45年においては、伊予灘、安芸灘ほかごく一部を除くほぼ瀬戸内海全域に発生がみられるまでになった。かって白砂青松を謳われ国立公園に指定されるとともに、水産資源の宝庫といわれた瀬戸内海が年々汚染の度を増し、大量の漁業被害を生ずるまでに至っているのである。
 都会における環境汚染のひろがりも顕著である。人口の都市集中の進行は、大気汚染や水質汚濁等環境汚染の大きな要因となるものであるが、東京都においては、昭和30年頃から、西へ西へと都市化現象が進展し、これに呼応して、環境汚染もひろがっていったと思われる。これを指標生物によってみると第1-1-3図に示すように、1平方キロメートルあたり人口7,500人のラインが西へ西へと移動するのに伴って、トノサマバッタが最後に見られた年を示す退行前線は「く」の字型になって年を追うごとに西へ移動している。
 もちろん、こうした昆虫の退行は、薬剤による影響が大きいことも確かであるが、宅地の造成、緑地の減少など広い意味での環境の悪化がかなりの影響を及ぼしていることも疑いないところであろう。
 昆虫ばかりでなく、植物に対する被害を見ても、汚染がいかに広域化したかをうかがうことができる。植物に対する被害の原因は、種々の要因が複雑にからみあったものであるといわれるが、その中でも大気汚染による影響が大きいといわれている。第1-1-4図は、東京都下に広く分布していたカシワ、エゴノキ、クリなどの植栽状況を示したものである。カシワは大気汚染に比較的強い植物といわれ、まだ東京都下において植栽が不可能であるような場所はないが、それでも江東区あたりでは、その植栽方法や管理に相当程度注意しなければならなくなりつつある。一方、大気汚染に対しては、比較的弱いといわれているエゴノキ、クリなどは、東京の中心部では、植栽がほとんど不可能となってきている。
 あの梅雨のころに咲くアジサイの花も、一部の地域を除き、都心部では次第に見られなくなってきている。このまま環境汚染が進行した場合には、カシワも、そしてまだあちこちに見られるイチョウやヒノキも、エゴノキやクリと同じような運命をたどるかも知れない。
 環境汚染が大多数の人々の実感となってきていることを端的に物語る例をもう一つ示そう。
 昔は、東京からよく富士山が見えたという。しかし、最近では、たとえ晴れた日でも、大気汚染によって見通しがきかなくなっており、富士の姿を見ることは稀になっている。第1-1-5図は、明治初年に日本にいたP.V.ウ`ィーダーというアメリカ人科学者が1877年(明治9年)12月21日から翌年10月21日までの間、東京本郷から調べた富士山が見えた日数と、気象庁職員が渋谷において昭和46年1月1日から同年12月31日まで調べた結果とを比較可能の月(1〜9月)のみ比べたものである。明治初年には、約3日に1日の割合で富士山が見られたのに対して、昭和46年には、約7日に1日しか見られなくなっている。東京では、冬とりわけ年末から年始にかけて富士山がよく見えるといわれているが、これは、その時期に、都内および周辺の工場事業場の活動が大幅に減少され、また、自動車交通の量が激減することにより、ばい煙や自動車排出ガスなどによる大気汚染がなくなるためである。雄大な富士のながめを再び東京にとり戻すことができるか否かは、大気汚染問題の解決いかんにかかっているといえるのである。
 近年になって環境問題が激化してきたことを示すものとして、三つには、エコロジカルな面からみた環境汚染の影響をあげることができる。
 千葉県に大巖寺というお寺があるが、このお寺の境内の“鵜の森”は、全国でも数少ないカワウの群生地であった。戦前には、2万羽にも及ぶウが生息していたといわれている。しかし、昭和30年頃には数千羽、昭和40年頃には数百羽、昭和45年には60羽と激減の一途をたどり、ついに最近では1羽もその姿が見うけられなくなってしまったという。
 かつては、東京湾や近くの湖沼の汚染の影響は少なく、エサも豊富であったが、東京湾のエサ場を海面埋立で失なったほか、工業開発等により生育環境がいちじるしく悪化したことがウのいなくなった原因である。
 各種の開発行為や環境汚染は、動植物に大きな影響を及ぼしている。そしてその影響は、その動植物にのみ与えられるのではなく、それとかかわりあいをもつ他のすべての動植物にも影響を与えていることに注意しなければならない。生物と生物、生物と自然環境とは、相互に依存しあって生態系を構成しているが、環境汚染は、この生態系にいまや大きな影響を与えつつある。
 とくに植物は、太陽のエネルギーをあらゆる生物のためのエネルギー源としてとりこむことのできるいわばエネルギーの生産者であり、生物が生きていくために必要な酸素の供給者であるが、それだけではなく、生態系の中の調整者としても重要な役割を演じており、これに対する侵害は、重大な結果をもたらすことは明らかであろう。それは、必然的に生態系の一つの構成要素となる人間の存立そのものにかかわってくる問題である。環境汚染による被害は、思いがけない時に思いがけない所であらわれてくるという面を多分に持つ。事態は、いまや、昆虫や動植物の世界で起こっている異常な出来ごとを対岸のこととして座視できないところへきているのである。

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