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第1節 

2 公害をめぐる各界の動き

 45年3月12日に、国際社会科学者協会の公害シンポジウムで宣言された東京決議における「環境破壊は地球的規模で広がっており、現代最大の問題の1つになっている。物質的な破壊だけではなく、文化的退歩にまで及び、人々の福祉を阻害している。よい環境に住むのは人間の基本的権利であり、また、よい環境をこれからの世代に遺産として渡すのは、現世代の責務である。」という考えは、その後の公害問題に関する世論に大きな影響を及ぼす主導的な考え方となった。
 また、日本弁護士連合会は45年9月22日に公害シンポジウムを開き、公害問題を人権問題としてとらえる姿勢を示して注目された。これは、環境を破壊から守り、環境を支配し、良い環境の享受を求める権利は憲法第25条にいう基本的人権であるとして、環境権の確立を主張したものである。
 一方、日本学術会議第57回総会は、45年10月23日に「公害激化にあたって科技術者に訴える」という声明を発表し、「従来、われわれ科学者が、自然科学、人文、社会科学を問わず、その専門領域における成果を追うのあまり、国民の健全な生活を守ることを最優先するという立場を忘れ、科学の総合的は握に欠けるところのあったことを強く反省し科学者の社会的責任について改めて思いをいたさなければならない。」として、全科学者の努力を訴えた。
 日本生産性本部も、46年3月25日に「産業公害と生産性運動に関する宣言」を決定し、「産業公害発生は直接的には企業が生産第一主義によって水、大気などの自由財を乱用し大量の汚染、廃棄物により自然の調和機能を破壊した結果であり、また、人間の福祉を無視した企業の繁栄や利潤は、一時的な幻影に過ぎない。」として、企業が自己の責任において公害を解消する措置を率先して実施する責務を有することを明らかにした。
 公害問題については従来とかく消極的であった労働組合も45年後半になって公害防止に積極的に取組む姿勢を示し、11月29日には、公害メーデーとして全国各地で集会などが開かれた。そのほか、水俣病補償問題等をめぐるチッソ株式会社水俣工場第一労組の8時間ストライキ、ガソリンに混入される四エチル鉛の問題をめぐるゼネラル石油精製労組、東洋エチル労組の労働争議が注目をひいた。
 学生のあいだでも、公害問題は70年代の主要課題として、また、トピカルな問題としてとりあげられるようになり、多くの学生が田子の浦、洞海湾、水俣などの現地にも出かけ、また、高校の学園祭などにおいても公害問題が研究展示のテーマとして多くのところでとりあげられた。大学キャンバスでも公害ゼミナール、シンポジウム、自主講座などが次々に行なわれるようになったことも注目された。
 このように公害に関する認識は急速に高まってきたが、このことを考えるうえで見逃せないのは、環境の悪化とともに国民の間に地球は人間だけのものではなく、すべての生物との共存なしには人間そのものの生存も不可能であるという認識が高まり、生態学(エコロジー)を理論的基礎として従来の局地的、部分的な自然保護運動がより広汎な環境擁護運動へと発展する動きがみられたことであろう。

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