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第1節 現代社会と環境問題

 地球規模における環境破綻の問題は、将来発生するかもしれない危険としてではなく、人類の叡智を結集して早急に対策の樹立に着手すべき現在の問題として登場するに至っている。
 ひとくちに100万年ともいわれる人類の歴史のなかで、人類が自然の原生を組織的、継続的に破壊し、自然の姿を改造しはじめたのは、牧蓄や農耕による安定的な生活の途をひらき、他の生物とは区別される「人間」としての社会生活を開始してからのことである。その後、生産技術の革新と運輸交通手段の開発整備を基礎として、より豊かな生活を目指して繁栄への途を歩み続け、都市文明を発展させ、とくに産業革命以降においては、急速にその速度を早めてきた。それとともに量的にも質的にも自然環境破壊の規模を拡大し続けてきた。人類の自然秩序に対する恣意的でゆきすぎた侵害は、しばしば洪水や干ばつという自然の脅威によってきびしく報いられることもあったが、人類は築堤やダムの建設等の技術の開発や応用によってこれを克服し、現在まで消費生活の質を高め、幾何級数的な人口増加を可能にし、繁栄を続けることができた。
 しかし、すでに36億をこえる人口を擁し、しかも、なお、爆発的な増加を続けている人類にとって、この地球は次第に狭小なものとなりつつあり、われわれの自然界に加える変革の手は、これまでのように局地的なものに止まらず、地球上のおよそ生存可能な全域に及ぼうとしているばかりでなく、脱工業化社会といわれるまでに高度に発展したわれわれの物質文明社会を維持し発展させるために営なまれる生産活動や、消費生活に伴って排出される各種のぼう大な排出物、廃棄物は、環境の汚染をもたらし、公害の要因を急速に増大している。これらの排出物、廃棄物による局地的汚染の結果として、すでにわが国においては水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜん息等その影響による悲惨な健康被害の発生をもみるに至っているが、さらに、地球的な規模における汚染の進行によりわれわれの生存の基盤そのものである人間環境の全面的な破綻の危険までも強く指摘されるに至っている。いまや、われわれは、快適な日常生活の阻外要因として強く意識されている公害問題の解決を図ると同時に、自然環境の保全という基本的な命題を基礎として、科学技術の開発やその行使の方法についても抜本的な検討を加え、各国がそれぞれの利害を超越して国際的な協力のもとに、積極的に地球的な規模での環境の管理を図っていかなければならない時を迎えている。
 わが国は、戦後20有余年にわたり、世界にその例をみない高度の経済成長を続けてきたが、それに伴う都市化、工業化の進展と人口の都市集中によって、都会における自然環境は急速に減少してきている。わずかに残された緑地や水辺に生育し、生息する動植物も逐年衰退の度を深めている。人工的な環境のなかで日々を送ることを余儀なくされている都市生活者にとって、物質的な豊かさや人工的な娯楽施設によっては代位できないうるおいのある自然を求める心は強く、あふれる緑、清らかな水、澄んだ空気を求めて休日ごとに、人の波が郊外へと渦巻き奔流する情況を呈している。しかし、各種開発行為の進展とともに、自然は次第に遠のきつつあり、憩いと郷愁を求める旅が、かえって人の流れの中で大きな疲労をもたらすのみならず、求める自然も人の渦の中に埋れるありさまである。このような過度の集中的な自然利用の反復は、同時に、残された景勝地や原生自然そのものを破壊しつつある。
 われわれは、経済的に豊かな生活への途を急ぐあまり、GNPや経済効率の推移に関心を集中し、環境問題についての適切な配慮を怠ってきたが、われわれ人類もまた、究極的には生存の基盤そのものを自然界の物質循環の中に置き、他の動植物と共存しなければならない生物界の一員であるという自覚の上にたって、われわれが求める「豊かな生活」の内容そのものを環境問題との関連において、真剣に問い直さねばならない時期に直面しているといわなければならない。

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