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第2節 

2 各地の地盤沈下の現況

(1) 東京およびその周辺について
 東京江東地区の地盤沈下地帯はいわゆる0m地帯といわれるところであるが、この江東地区を中心として、埼玉県南部、千葉県西部一帯は、武蔵野、大宮、下総の各洪積台地に囲まれ、荒川、江戸川等によって形成された沖積層の軟弱な河川デルタ地帯である。
 江東地区は、戦前から工業地帯として発展し、工業用水として地下水をくみ上げており、昭和12〜13年ごろ、江東区平井町、亀戸町において、年間15cmの地盤沈下が観測されていたが、戦争による被害によって地盤沈下も停滞した。
 24年8月、キテイ台風に襲われた江東地区は2週間にわたって浸水し、またその後、33年には、台風11号(7月)、狩野川台風(9月)によって各所で浸水したにもかかわらず、江東地区を中心とする工業地帯はめざましく復興し、これに伴い地下水くみ上げが増大し、30年以降地盤沈下はしだいに激しくなるとともに、工業地帯の拡大にしたがって地盤沈下地帯は江東地区からその周辺に及ぶようになり、城北地区(北区、板橋区、足立区、葛飾区)、江戸川区あるいは浦安地区(千葉県)、埼玉県南部地区まで拡大した。
 このような現状にかんがみ、35年に至り、江東区、墨田区および江戸川区の一部を含め江東、城北地区を工業用水法の指定地域とし、地下水の新規くみ上げを規制した。その後、指定地域を拡大し、埼玉県南部一帯を含めるとともに、38年大阪市についで、建築物用地下水採取の規制に関する法律(ビル用水法)によつて、ビルの雑用水としての地下水のくみ上げについて東京北東部の14区について規制した。この結果、地盤沈下は江東地区において、36〜37年をピークとして減少したが、城北地区、埼玉県南部はいまだに好転せず、また地下水位は依然沈下を続けている。(第2-3-7表および第2-3-8表参照)。
 また、江東0m地帯は42年約27km3となり、33年当時の約6倍に拡大しているが、その拡大の傾向は漸時減少している。
 江戸川区、荒川流域一帯の地下水脈は、浦和水脈と呼ばれ東京北東部および三多摩地区、埼玉県南部一帯に広く分布する地下水脈であり、城北地区、埼玉県南部工業地帯では地下水くみ上げ量は、若干減少しているものの、最近の東京北西部、埼玉県南地区の住宅地化の進行にとって、上水道水源としての地下水のくみ上げが増大しており、今後の地下水規制対策は、工業用水のみならず、上水道用水を含めて、水源転換を急ぐ必要があろう。


(2) 大阪市およびその周辺について
 本地域は洪積層よりなる上町台地および東南部丘陵地帯を除いて、その大部分の地域は淀川、大和川等にとって形成された沖積層の軟弱な地層であって、その厚さは100m〜150mに達している。
 地盤沈下については、明治、大正年間において年間数ミリの沈下が観測されたが、昭和の年代にはいり、産業活動が活発となるに従い、地下水くみ上げが増大し、地盤沈下も増大した。昭和16年には、年間沈下量が西部の臨港地帯において16cmをこえるところが発生し、沈下区域は大阪中心部まで拡大した。その後、戦争による被害によって産業活動が停止し、地盤沈下は著しく鈍化したが、戦後、産業の復興とともに地下水くみ上げが増大した。大阪市においては、28年、年間地下水くみ上げ量3,000万トン(推定)であつたものが、35年には1億4,400万トン(推定)と増大し、それにつれて地盤沈下も増大し、大阪市此花区島屋町では、25cm/年に達した。
 一方、25年9月ジェーン台風による高潮によって大阪市は大きな被害を受けたこともあって、26年から工業用水道の建設に着手し、29年には一部給水を開始した。その後、31年工業用水法の制定に伴い、尼崎市、西宮市(32年6月)、大阪市(33年12月)の各市の工業地帯を工業用水法の指定地域とする一方、工業用水道の建設を急いだ。
 36年9月、第2室戸台風が大阪地方に来襲し、大阪市においては、市域の1/3が浸水し被害者47万名に達し、また、大阪、尼崎等の臨海工業地帯は大被害を受けた。特に33年完成した高潮堤防を乗り越えて市内各所で浸水したことは、地盤沈下防止の重要性を改めて認識させた。この災害を契機として地下水くみ上げ規制強化の声が高まり、その結果、工業用水法を改正強化し、さらにビルの雑用水等の地下くみ上げ規制の法律の制定となつたのである。
 かくて37年ビル用水の地下水くみ上げ規制を大阪市全域にわたって実施し、また、工業用水法の規制地域を逐次拡大した結果、地下水くみ上げ量はしだいに減少し(第2-3-6図参照)、また、それに伴い、地盤沈下も35〜36年ごろをピークとしてしだいに減少した(第2-3-7図参照)。大阪市此花区島屋町では年間4から6cmと減少し、尼崎、西宮の臨海地帯は、一時、10cm/年の沈下であつたが、4cm以下に減少した。しかし最近においては、大阪府東北部(東大阪市周辺)の地盤沈下が目立ってきているが、最近の市街地化に伴う地下水のくみ上げの影響と考えられ、対策が急がれるところである(第2-3-8図参照)。


(3) 新潟地方について
 新潟市およびその周辺地域においては、昭和30年の測量にいって年間沈下量1.2cmと目立って大きくなっていることが判明した。33年にはかなり広い範囲にわたって20cm/年以上も沈下し、沈下の被害はしだいに深刻となり、新潟港の防波堤は海面スレスレまで沈下するという事態が発生した。
 沈下の原因については、科学技術庁資源調査会を中心として調査が進められ、その結果、その主な原因は地下水を急激に、かつ、大量にくみ上げたことによるものとみざるを得ないという結論となつた。新潟地方には豊富な地下天然ガスがあり、一部においては自家用燃料として使用されていたが、昭和27年ごろから工業用ガス原料として盛んに使用されることとなつた。この天然ガスは水溶性であるため、採取する際は地下水とともにくみ上げており、地上に出てガスと水に分離した地下水はそのまま排水されることになるが、30年ごろより天然ガスの需要の増大に伴い地下水のくみ上げ量は急激に増大した。28年、工業用ガス採取による地下水くみ上げ量は14万8,000m
3
/日であつたものが、34年には約60万m
3
/日と増大し、地盤沈下は急激に増大した。
 33年から34年にわたる資源調査会の調査および報告を尊重して、天然ガス鉱業権者は自主的に採取を規制し、また、その後の通商産業大臣の2回にわたる勧告、あるいは自主規制をした結果、37年には18万m
3
/日と減少した(第2-3-9表参照)。その結果、新潟市およびその周辺沿岸部において年間40〜50cm(34年)あつた沈下量はしだいに減少した。また、内陸部の自家用ガスについても、38年より市町村条例を設けて規制し、公共機関によるガス採取を極力禁止するなどの措置もあって新潟地方の地盤沈下はしだいに減少して、42年においては10cm/年以内となっている(第2-3-9図参照)。


(4) その他の地帯について
 名古屋市、四日市市等の伊勢湾周辺は木曽川等の河口デルタ地帯であり、昭和37年ごろには木曽川河口部では年間最大10cmの沈下が観測されている。また、四日市市においては鈴鹿川の河口部において年間数cmの沈下が観測されている。
 その後、工業用水法による地下水くみ上げ規制を行うなどの措置が講ぜられているが、今後も地下水位の観測、地盤変動について監視する必要があろう。
 また、川崎市、横浜市等においては、地下水くみ上げ規制を行なつており、地盤沈下地帯は比較的小範囲であり、その沈下量も数cm程度であるが、今後も沈下の観測を続けていくことが肝要である。

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