第5章 生物多様性の保全及び持続可能な利用

第1節 生物多様性の現状

 生物多様性条約事務局は、地球上の生物多様性の現状の評価と将来予測を行う「地球規模生物多様性概況第3版(GBO3)」を平成22年5月に公表しました。また、日本では、環境省が設置した「生物多様性総合評価検討委員会」が、国内の過去50年程度の生物多様性の損失を評価するため、生物多様性や生態系に関する既存の科学的・客観的な情報等を総合的に分析・評価し、22年5月に「生物多様性総合評価」として取りまとめ、公表しています。

 以下に、この2つの報告書で示された世界と日本の生物多様性の状況について述べていきます。

1 地球の生物多様性の現状

 GBO3は、世界の生物多様性の現状評価を行った結果、2002年(平成14年)に開催された生物多様性条約第6回締約国会議(COP6)で世界が合意した「生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という、いわゆる2010年目標は達成されなかったと結論付けました(図5-1-1)。


図5-1-1 地球規模生物多様性概況第3版(GBO3)の構成

 GBO3の主な評価結果は以下のとおりです。

○遺伝子、種、生態系という3つのレベルのすべてにおいて、生物多様性は引き続き減少を続けている。

○絶滅のおそれがある種の状況は、多くがより絶滅に近づいている。両生類は最も危機的で、サンゴも急速に状況が悪化し、植物は全体の4分の1の種に絶滅のおそれがある。

○ある程度個体数の推定が可能な脊椎動物全体では、1970年からのたった数十年で3分の1ほどの数が減少した。

○湿地、海氷域、藻場、サンゴ礁などは深刻なまでに減少し、森林や河川も生態系の分断と劣化によって生物多様性が失われている。

○人の手によって多様化し、維持されてきた農作物や家畜の多様性も、現在急速に減少を続けている。

 GBO3は、生物多様性の損失に直接つながる5つの要因として、生息地の変化、過剰利用、汚染と栄養の蓄積、侵略的外来種、気候変動を挙げ、これらがすべて継続あるいは増加していると判断しました。

 生物多様性は、人間社会にさまざまな恩恵をもたらしてくれるものであり、その喪失は人類にとってたいへん深刻な問題です。2010年目標が設定されたことで、国際社会は生物多様性の保全のためのさまざまな行動に取り組み始めたが、これらの取組は十分ではなかったとしています。

 さまざまな将来シナリオの分析では、ほとんどのシナリオで、今後も種の絶滅や生息地の破壊が長期にわたって継続すると予測されました。熱帯林は今後も食料、牧草、バイオ燃料生産のために伐採され、淡水域の生物多様性は、気候変動、外来種、汚染、ダム建設によってさらに悪化し、海洋資源の乱獲が、漁業を破綻させると予測しています。また、気候変動によって、寒帯林や温帯林は南限域で大規模な立ち枯れに見舞われたり、熱帯地域の海の多様性が減少することが予測され、林業、漁業、レクリエーションなど生物多様性の多様な恵みに影響するとしています。

 また、GBO3は、生態系がある限界や転換点を超えてしまうと、生物多様性の喪失や生態系サービスの劣化が劇的に生じるおそれが高まるという点も指摘しています。例えば、アマゾンの熱帯雨林が、伐採、山火事、気候変動の相互作用を受けてサバンナのような植生になってしまう可能性や、湖沼が肥料や下水の流入により富栄養化したり、サンゴ礁が海洋の酸性化、水温上昇、汚染されることで、漁業資源の減少等をもたらし、何億人もの人々の生活を脅かすことも指摘されています。

 一方で、GBO3は、悲観的な評価や将来予測だけでなく、将来に向けた取組のヒントも示しています。

 今回の世界各国の現状分析を通じて得られたさまざまな知見に基づき、生物多様性の危機に対して私たちがとり得る手段が、これまで考えられていたよりも幅広く、かつ効果的であることが指摘されています。例えば、現在残された森林等の生態系を維持し、拡大したり、放棄された耕作地の自然を元の自然に再生したり、河川流域やその他の湿地生態系を回復することで気候変動を緩和したり、水供給、治水、汚染物質の除去などを進めることもできると分析しています。

 直ちに生物多様性の損失を食い止めることはむずかしいとしても、対策の優先度を考慮し、適切な目標を設定し取り組めば、最悪の変化を回避できるかもしれないとしています。

 これまで掲げられたような生物多様性の変化を的確に予測することがむずかしいからといって、何もしないことが、全人類社会の未来を危険にさらすことは明白です。このまま成り行きに任せていては近い将来に失われてしまう生物多様性の価値の多様さ、重大さが、社会の仕組みの中で適切に認められ、ことが起こってしまってからの対応ではなく、例えば、重要な生態系を保全することを通じて生物多様性の劣化を未然に回避することなどの重要性が理解される必要があると強調しています。

 そして、人類の将来を決定付ける今後の10年、20年に向けて、さまざまな主体の参加と合意によって、将来の社会のあり方についての意思決定がなされ、貧困対策、保健、安全保障、気候変動など、世界の重要課題への対応と生物多様性の問題が正しく関連付けられ、これらの取組の本流に生物多様性を位置付けることが必要だとしています。

2 わが国の生物多様性の現状

 わが国は、昭和30年代から40年代にかけて高度経済成長を成し遂げました。この間、国土のインフラ整備が進み、平野部では宅地等の都市的な土地利用が拡大し、食料自給率は79%(昭和35年度)から60%(昭和45年度)に低下しました。また、このような変化とあわせて、都市を中心に公害の発生が社会的な問題となりました。その後、開発等による土地利用の変化等は緩やかになりましたが、この50年で日本の生態系にはさまざまな影響が生じました。平成21年3月に環境省が行った専門家アンケートにおいても、さまざまな人間活動によってわが国の生物多様性が損なわれてきたことが分かります(図5-1-2)。


図5-1-2 有識者アンケートによる生物多様性への主な影響要因

 平成22年5月に公表された生物多様性総合評価は、日本の生物多様性の状況を国民が広く認識し、環境行政等の政策決定における判断材料を提供することを目的として、生物多様性の危機のタイプと生態系の区分ごとに、生物多様性の損失の要因や状態を示す指標をそれぞれ設定し(図5-1-3)、各指標に関連する統計資料等の具体的な情報に基づいて評価が行われました。


図5-1-3 生物多様性総合評価の指標

 その結果、1950年代後半から現在までの日本の生物多様性の変化を以下のとおり評価しています。

○人間活動に伴うわが国の生物多様性の損失はすべての生態系に及んでおり、全体的に見れば損失は今も続いている。

○特に、陸水、沿岸・海洋、島嶼生態系における損失が大きく、現在も損失が続く傾向にある。

○損失の要因としては、「第1の危機(人間活動や開発による危機)」による影響が最も大きいが、現在、新たな損失が生じる速度はやや緩和されている。「第2の危機(人間活動の縮小による危機)」は、現在もなお増大している。「第3の危機(人間により持ち込まれたものによる危機)」のうち、特に外来種による影響が顕著である。「地球温暖化の危機」は、特に一部の脆弱な生態系で影響が懸念されている。これらの危機に対してさまざまな対策が進められ、一定の効果を上げてきたと考えられるが、間接的な要因として作用しているわが国の社会経済の大きな変化の前には、必ずしも十分といえる効果を発揮できていない。

○陸水、島嶼、沿岸生態系における生物多様性の損失の一部は、今後、不可逆的な変化を起こすなど、重大な損失に発展するおそれがある。

 以下に、日本の生物多様性がどのように変化してきたか、生物多様性の危機のタイプ、生態系ごとにそれぞれその変化を概観します。

(1)生物多様性の危機の要因

 日本でも生物多様性はさまざまな危機に直面しています。平成22年3月に策定された「生物多様性国家戦略2010」では、日本の生物多様性の危機を「3つの危機」と「地球温暖化の危機」としてとらえています。

 これらの危機ごとに、生物多様性の損失に要因に関連する指標に基づいて、生物多様性に与える影響力の大きさや現在の傾向の評価を行った結果の概要は以下のとおりです(図5-1-4)。


図5-1-4 生物多様性の危機の要因の評価に用いた事例

 ア.第1の危機

 第1の危機は、人間活動や開発が直接的にもたらす種の減少、絶滅、あるいは生態系の破壊、分断、劣化を通じた生息・生育空間の縮小、消失です。

 特に、開発や環境の改変は、過去50年における最も大きな生物多様性の損失の要因として、高度経済成長期(昭和30年代から昭和40年代)を中心に、あらゆる生態系に対して影響を及ぼしました。現在は開発や改変の速度はやや緩和していますが、小規模な開発や地域的な開発は依然として続いています。また、過去の開発・改変により、生息地や個体数の多くが失われた場合などは、生態系だけでなく、生物の種に対しても、その影響が長期間にわたり継続することも懸念されます。従来の保護地域の指定などに加えて、近年は事業実施時の配慮などの対策が講じられていますが、過去に生じた大きな損失は回復していません。

 イ.第2の危機

 第2の危機は、生活様式・産業構造の変化、人口減少など社会経済の変化に伴い、自然に対する人間の働きかけが縮小撤退することによる里地里山などの環境の質の変化、種の減少や生息・生育状況の変化です。

 特に、エネルギー供給構造の変化、農業・農法の変化、農村部の過疎化・高齢化などに伴って、里山を管理しながら、持続的に食料や燃料を得ていた状況は大きく変化し、影響は緩やかに増加しています。生物資源の持続可能な利用・管理を促進する取組などが検討されていますが、抜本的な対策にはいたっていません。

 ウ.第3の危機

 第3の危機は、外来種や化学物質など人為的に持ち込まれたものによる生態系のかく乱です。

 このうち、外来種による影響は近年特に顕著です。とりわけ、外来種の影響を受けやすい湖沼や島嶼における影響が懸念されます。平成17年の特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(平成16年法律第78号。以下「外来生物法」という。)の施行で、外来種の輸入や飼養等の規制が強化されましたが、すでに定着した一部の外来種は急速に分布を拡大しています。

 エ.地球温暖化の危機

 これらに加えて、地球温暖化によってもたらされる種の生息・生育地の縮小、消失等の影響が指摘されています。

 平均気温の上昇等と具体的な生物多様性への影響との因果関係についてはさまざまな議論があるものの、高山、サンゴ礁、島嶼生態系では影響力が大きいと見られています。サンゴ礁では地球温暖化との関係が疑われる海水温の上昇によって、白化が生じ、南西諸島等では大規模なサンゴ群集の衰退が生じるなどの影響も懸念されています。

(2)生態系ごとの現状と傾向

 絶滅のおそれのある野生動植物の種のリストである環境省レッドリストは、日本の野生動植物の多くが絶滅の危機に瀕していることを示しています。このような状況にいたった原因としては、生息地・生育地の開発による影響が大きいと考えられていますが、さまざまな影響が作用しています。

 ここでは、森林、農地、都市、陸水、沿岸・海洋及び島嶼の順にその変化を概観します(図5-1-5)。


図5-1-5 生態系ごとの状態と傾向の評価に用いた事例

 ア.森林生態系

 日本の森林全体の規模に過去50年間で大きな変化は見られません。一方、森林のおかれている状態についてみると、高度経済成長期の旺盛な木材需要の下、天然林や二次林から人工林への転換が進められてきましたが、その後、林業の採算性の悪化により人工林の適切な管理が成されなくなりました。二次林については、化石燃料への転換等を背景に、かつてのように薪炭林等として適切に管理されなくなったことによる森林生態系への影響も懸念されています。また、森林の連続性も開発等によって低下しました。さらに、森林の病害虫によるマツ枯れ、ナラ枯れなどの被害が広く発生しています。特にナラ枯れの被害については、その深刻化と、森林の利用・管理が行われなくなって枯死木が放置されたり、樹木が高齢化・大怪木化したこととの関係も疑われています。また、近年は、シカの個体数の増加と分布の拡大によって、樹木や下層植生に対する被害が深刻になっています。さらに、地球温暖化によると思われる高山植生への影響等も報告されています。

 現在は、社会経済状況の変化によって、森林における直接的な開発や改変の圧力は低下していますが、過去に森林の分断が進んだ地域における野生生物への継続的な影響などが懸念されます。

 イ.農地生態系

 大陸から稲作が伝わって以降、日本では水田での稲作を中心に、農用林、二次草原、水路・ため池などがモザイク状に分布する特有の農村環境を築き上げ、アユモドキ、ダルマガエル、オキナグサなどこれらの環境に特有の生物の生息・生育の場となってきました。しかし、昭和30年代から40年代を中心に宅地等の開発が進み、また、農業・農法の変化によって、人為的に維持されてきた草原は利用されなくなって樹林化し、その後、農地も耕作放棄によって変化し、水田、水路、ため池等も整備によって人工化されました。このため、農地と周辺の樹林、水辺などからなる里地里山のモザイク性は損なわれ、水田をはじめとする農地やその周辺に生息・生育する生物種の分布域の縮小、個体数の減少が進行しています。現在は、森林同様、開発や改変、農業・農法の変化に伴う圧力は低下していますが、継続的な影響が懸念されます。

 一方で、1980年代以降、サル、シカ、イノシシなど中大型哺乳類の分布が拡大し、自然植生への影響だけではなく、農業被害などの人との軋轢が増加しています。また、アライグマやヌートリアは農地の周辺に定着し、農業被害を発生させており、地方公共団体などによる防除が進められています。

 ウ.都市生態系

 都市にとって生物多様性は、単なる生物の生息の場としてだけでなく、都市気候の緩和や都市におけるレクリエーションの場を提供するといったさまざまな役割を果たしています。都市では、主に高度経済成長期において、農地や林地などの都市緑地の減少や河川の水質の悪化などが生じてきました。

 昭和50年代以降には、新たな都市緑地の整備や河川等の水質の改善などが進み、こうした環境に生息・生育する一部の生物の分布が拡大しています。

 エ.陸水生態系

 河川、湖沼、湿原などの陸水生態系は、上流から下流までさまざまな環境の特徴に応じて、特有の生物を育むとともに、生態系をネットワークとしてつなぐ重要な役割を担っています。これらの生態系は、人工化や埋立てなどにより、全国的に規模の縮小、質の低下、連続性の低下が見られました。その一方で、湖沼等の水質は昭和40年代までに悪化した可能性がありますが、50年代以降には改善傾向にあります。

 現在は、陸水生態系についても開発・改変の圧力は低下していますが、過去の改変に伴う影響の継続が懸念されます。また、外来種による問題も生じており、とりわけ、オオクチバスとブルーギルは、全国の河川・湖沼への定着が確認されており、在来種の捕食などにより生態系への影響や漁業被害が生じています。このほか、鑑賞用の捕獲・採取による影響が増大することも懸念されています。

 オ.沿岸・海洋生態系

 複雑で変化に富んだ海岸線を有し、干潟藻場、サンゴ礁など漁業やレクリエーションの上でも重要な役割を担ってきた日本の沿岸域や、広大な排他的経済水域も日本の生物多様性を特徴付けています。

 特に高度経済成長期の開発や改変によって、一部の沿岸生態系の規模が全国規模で大幅に縮小しました。海の生物は漁業によって利用されていますが、日本の周辺水域では、資源の評価が行われている水産資源の4割程度が低位水準にあるとされています。

 現在は、社会経済状況の変化によって、沿岸域の埋立てなどの開発・改変の圧力も低下していますが、過去の改変に伴う影響の継続が懸念されています。加えて、海岸浸食の激化や外来種の侵入、地球温暖化の影響が新たに懸念されています。

 カ.島嶼生態系

 日本は、6,800以上の島々からなり、島ごとに特有の生物相を発達させています。特に、大陸との接続や分断の歴史をもつ琉球諸島、大陸とつながった歴史を持たない小笠原諸島や大東諸島など、個性豊かな島々が日本の生物種の多様性を特徴付けています。

 島嶼生態系の状態について、評価期前半を評価する十分な資料は存在しませんが、少なくとも昭和50年代以降、森林から農地、宅地、交通用地への土地利用転換や、河川・海岸の整備が進み、このことで固有種を含む一部の種の生息地・生育地の環境が悪化しました。また、一部の島嶼では観光等による来訪者の増加が顕著となり、生態系への影響が懸念されています。

(3)わが国の生物多様性条約2010年目標の達成状況

 生物多様性総合評価では、上記の過去50年程度の評価に加えて、生物多様性条約2010年目標のわが国の達成状況とこの10年の傾向の評価を行っています。2010年目標の21の下位目標のうち、指標を定めて達成状況を評価した15の目標でみると、2目標を達成し、10目標は達成が不完全であり、3目標が達成できなかったとされました。この10年の傾向としては、評価を行った14の目標のうち、6目標が「プラス」、7目標が「明確な傾向なし」、1目標が「マイナス」と評価されました(表5-1-1)。


表5-1-1 わが国の生物多様性条約2010年目標の達成状況

 このように、2010年目標が決定された2002年(平成14年)以降に対策が進み、状況が改善している分野はあるものの、全体としての生物多様性の損失の傾向は止まっていない状況にあるとされました。

 2010年(平成22年)以降も、[1]過去の開発や改変による影響が継続すること(第1の危機)、[2]里地里山などの利用・管理の縮小が深刻さを増していくこと(第2の危機)、[3]一部の外来種の定着・拡大が進むこと(第3の危機)、[4]気温の上昇等が一層進むこと(地球温暖化の危機)などにより、さらなる損失を生じさせることが予想されています。

 これらの点を踏まえて、2010年以降も、生物多様性の保全と持続可能な利用の実現に向けて、継続的な状況把握と評価、新たな目標達成に向けて生物多様性の損失への対策をさらに充実させていくことが必要です。



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