むすび

 われわれの生きる世界は、どのような状況にあり、どこに向かっているのでしょうか。

 今からおよそ46億年前に形成された地球。ここに、およそ6億年から8億年ほどして生命が誕生したといわれます。その後、大陸でさえ形を変えてしまうほどの長い時間、生命は自らの体や機能を環境にあわせながら、いのちをつなぐ営みを続けてきました。水や岩石、太陽などがさまざまな環境をつくるとそこには無数の種が現れ、無機的なものと生命、あるいは生命同士の関わりからさらに多様で精妙な生態系が織りなされてゆきます。幾度かの大規模な絶滅期を迎えても、これを耐え抜いた個体はたしかにいのちをつなぎ、長い時間をかけて地球を非常に多くの生命があふれる惑星としてきました。

 この星に人類が誕生したのは、生命史的な時間スケールで見てもごく最近のことになります。百数十万年前に火を自らのものにしたとされる人類は、その後、気候変動をはじめ数々の環境の変化にも適応し、さまざまな危機を生き抜いてきました。時を経て、文明が興隆し、ある文明は栄え、ある文明は滅んでいきましたが、現代に受け継がれた文明の恩恵をわれわれは受けています。

 産業革命により火を格段に上手く使えるようになると、人類の社会は新たな時代を迎えました。現代文明は、実にさまざまな利便性を人類に与える一方で、後述する自然界のルールに従わず、環境に大きな負荷を与え続けてきましたが、それが国際的に顧みられることはごく最近までほとんどありませんでした。

 今、人類は、大きな岐路に立っています。


 地球規模での環境変化や国際的な経済動向が、私たちの日々の暮らしにまで影響を与えることを実感するようになって、これまでのような経済社会の発展のあり方が、今後も果たして人類を幸福な将来へと誘うものであるのか、という懐疑的な声も聞かれるようになってきました。

 人類の経済社会活動の基盤たる環境が損なわれ、国によってはこれまでふんだんに使ってきた資源やエネルギーの枯渇を意識せざるをえない状況になっています。かつてのように、こうした問題の答えを、新たな地理的フロンティアに求めることはできません。地の果てまで活動領域を広げた人類は、生活を根幹で支えてくれる地下資源の幾つかさえあと数十年で使い尽くす勢いです。今後は、資源やエネルギーの使用の一層の合理化に加えて、環境への負荷が少なく枯渇の心配されない資源やエネルギーの活用へと人類の活動の軸足を移していかなければなりません。

 また、世界的な経済不況をきっかけとして、時に実体経済と大きくかけ離れた利益をもたらしたり、個人の暮らしが立ちゆかなくなるほどの損失と責任を課すような経済制度やそのあり方に対して倫理的側面も含めた疑念が示される一方で、環境に配慮した金融の流れやSRIの増加など明るい動きも広がりを見ています。この経済不況からの脱出、ひいてはその後の持続的な発展のため、環境対策によって経済を牽引しようという、いわゆるグリーン成長の動きが国際的に見られます。

 さらに、例えば、洪水や熱波など異常気象の影響により甚大な被害を受けた欧州では、GDPという尺度が、災害復興に要した費用など少ない方が望ましい費用であってもプラスに評価してしまうことへの疑問から、GDPを越えて人間の幸福に重きをおいた新たな尺度の開発を呼びかけています。


 こうした時代にあって、本年の白書では、まず、世界はどこに向かっているのかを、人口の推移から貧困・格差の状況まで、環境問題に関わりの深い幾つかの経済社会活動のデータによって世界的な視野で展望しました。さまざまなデータを通して浮かび上がったのは、人口増加や経済活動の増大に伴って資源消費や環境への負荷も増大しており、水、食料、エネルギー、廃棄物など、その傾向が改善を見ていないこと、国際的な経済社会の趨勢や資源の有限性を考慮すると、これまでのような大量生産、大量消費、大量廃棄型の経済社会活動を継続することは極めてむずかしいということでした。資源の枯渇と偏在は、国益の確保を巡って一層大きな国際問題となることが懸念されます。環境問題の国際的な対応においては、途上国を中心に「共通だが差異のある責任」の「差異」が強調されがちですが、わが国としては、むしろ「共通な」一つの運命を自覚し、環境保全に向けて、すべての国が一致団結して具体的な行動に踏み出すべきであると主張しています。

 第1章での代表的な環境の現状の俯瞰に引き続き、第2章では、すでに地球温暖化の被害は現れており、急いで対策を講じなければならないこと、地球温暖化の被害の状況や対策の経済上の効果を論じた上で、地球温暖化対策に関する国内外の取組を紹介しました。地球温暖化対策の進め方にはさまざまな選択肢があり得ますが、いずれにしても、地球温暖化問題の解決のために、私たちの文化や生活に犠牲を強いることなく、真に豊かな生活を実現しながら、温室効果ガスの排出が抑えられる社会を構築しなければなりません。地球温暖化の進行には、私たちの日々の活動すべてが大きく関係しています。そして、その悪影響は、私たちだけでなく、未来の子どもたちまで永く続きます。私たちは、すぐにでも手立てを講じてこの問題に立ち向かい、「人間のための経済社会」を掲げた新成長戦略に則り、温室効果ガスの排出が削減された経済社会を目指します。

 第3章では、本年10月にわが国で開催されるCOP10を控え、議長国としてのわが国の責任や生物多様性に配慮した社会経済への転換の必要性を示しました。生物多様性は通常わたしたちが考えているよりもはるかに大きなスケールで、多方面に及ぶ便益を人類に与えてくれています。その一方で、このかけがえのない生物多様性が地球規模で急速に失われつつあり、生態系から提供されるサービスを将来にわたり持続的に享受することが困難になってきています。また、生態系を保全することで得られる便益の大きさは、一度損なった生態系を回復させるコストより大きいことも分かってきており、開発行為や自然資源の利用に当たっては、こうした費用効果分析を的確に行った上で進めていくことが大切です。わが国は多くの資源を海外に依存することで、世界の生物多様性に大きな影響を及ぼしており、人類の存続基盤である生物多様性を保全し、持続的に利用していくために、企業活動から私たちのライフスタイルまで、生物多様性に配慮した社会経済への転換を率先して進めていく必要があります。COP10は、2010年以降の新たな世界目標の検討など、世界の生物多様性の将来を左右する重要な会議です。わが国は議長国として、自然資源の持続可能な利用や管理を進める「SATOYAMAイニシアティブ」を世界に広げるなど、地球規模で人と自然の共生を実現するため、先導的な役割を果たしていく必要があります。

 第4章では、地球上の、有限で偏在している水の保全に、わが国が果たすべき役割を考察しました。恒常的に水ストレスの状態にある国々に比べるとわが国は、すぐれた給水技術・システムのお陰で生存や生活に直結する資源としての水に対する有りがたさや意識が希薄になりがちです。しかし、わが国の経済社会活動は、国内で消費するのと同程度の水を世界の水に負っていることも忘れてはなりません。このことについては、わが国のすぐれた上水供給や汚水処理技術を、知的所有権に十分配慮しながら、適切に活用することで世界の衛生的な水の確保の問題解決に貢献することが出来ます。もとより国際社会においては、水もまたビジネスの対象であり、わが国の有する技術より劣るものであっても価格面での競争力が強かったり、要素技術より遙かに巨大な水処理システムの維持・管理市場で日本はあまり実績がなかったりするなど、わが国の水ビジネスを巡る状況に楽観は禁物です。しかし、良好な萌芽も見られるところであり、関係者の連携と政府の一層の後押しによって、水環境の保全と水ビジネスの振興を世界規模でさらに進めていく必要があります。

 第5章では、環境産業の発展によって、経済社会を牽引することの必要性を述べました。わが国は環境分野の特許など世界最高水準のすぐれた技術力を有する一方で、それが必ずしも世界の市場への十分な浸透や新製品の開発につながっていないという現状があります。環境産業は、国を挙げて、研究開発、人材育成、ニーズとシーズのマッチング、需要喚起、社会的な制度整備など広くグリーン・イノベーションを支援していく必要があります。これによりわが国のもつすぐれた技術力による環境と経済の好循環が国際的な規模でもたらされることが期待できます。近年、多くの国々や国際機関において、こうした「グリーン成長」と呼ばれる環境を軸とした経済発展のあり方が模索されています。これまでの発展のあり方を見直し、環境の重要性を認識した上で人類のさらなる発展を希求する、人類の発展史上重要なパラダイムシフトが、今、起きているのです。環境、社会、経済の発展を統合的に見る指標を試算すると、そこには、それぞれの国の価値観や努力の成果も映し込まれた姿が見えてきます。


 こうしてみると、これまでのような費消型の文明から、唯一つの地球で確かに持続する文明へと人類の社会を新たな段階に発展させるために、わが国が貢献できるさまざまなことがらが存在していることが分かります。このため、経済性のみならず、さまざまな指標によって人類の活動を評価していく必要があるのではないかという考え方も出てきます。

 現代文明は、自然の摂理を踏まえ、また自らの影響力の大きさを的確に自覚した上で自然と上手につき合うことができていなかった部分もあります。その第1の点は、自然界のもたらす恵みの受け取り方です。例えば、毎年もたらされる恵みは、その範囲内のものを受け取り、限りのある資源は、繰り返し使うことを含めて極力大事に使うということです。自然の再生能力を超えるほどの恵みを短期間に受けようとしたり、またそれが永遠に続くかのように考えて、節約や効率的な使用の努力を怠ると、限りのある資源は思いの外早く枯渇し、再び使うことが出来なくなります。第2の点は、自然界に不要なものを返す時には、それが受け取れる範囲で返さなければならない、ということです。自然界からの恩恵を受けた後、人類は、自然界ではうまく循環できない物質や循環しきれないほど多量の物質を環境中に滞留させてきました。今やそれが地球的な規模で環境に影響を及ぼし、人類は自らの活動によって改変される環境への責任をどうとるのかに、頭を悩ませています。第3の点は、自然との共生を適切に図ってこなかったことです。人類は、3000万種ともいわれる地球の生物の中の一種であり、自然のメカニズムの中には人類がいまだうかがいしれない未知の部分が多いにもかかわらず、近年、爆発的にそのシェアを拡大しています。その過程で、生命史上類を見ないほどのペースで多くの生物種の絶滅がもたらされています。ある生物が環境中の資源を使いすぎると資源が枯渇し、その生物の個体数が減っていくのが自然な状態であり、周囲の環境を、結果として自らの生存に不適なものに変えてしまうとやはり個体数を減らすのが自然です。我々はそうした将来を望むのでしょうか。


 もったいない、足るを知る、という考え方は、まさに持続可能性を踏まえた価値観でもあり、これを長く実践してきたわが国は、その価値観から技術・制度まで、グローバル・スタンダードとしていくための努力を惜しんではならないと考えます。物差しが歪んでいればそれを改善し、新たな目標を適切に定めた上で、それぞれの主体が努力していくことが必要です。

 目の前に迫る危機があります。この危機に直面し、人類は正しい判断をしなければなりません。それだけでなく、着実に行動を積み重ね、成果を上げていかなければなりません。このため、科学が要請する水準に基づく目標を掲げ、全員参加でこれに取り組んでいく必要があるのです。

 わが国は、主要排出国の公平かつ実効性ある国際的枠組みの構築や意欲的な目標の合意を得る前提で、2020年に温室効果ガスの排出量を25%削減するという国際的な公約を掲げています。その実現は決して容易ではありません。痛みが生じるならそれを分かちあうことも必要でしょう。それでもわが国は、ありとあらゆる政策・対策を総動員し、中期目標の達成を目指します。人類の明るい未来への道を拓き、枯渇性の資源やエネルギーに過度に依存しない新たな文明の構築に向けて、揺るがぬ決意と共に。



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