第4節 地球環境と経済社会活動

 環境は、経済社会の持続的発展の基盤となるものであり、さまざまな環境問題は、安定的な経済社会活動や時にはその存続すらも脅かす重要な課題となっています。一方で、わが国の経済は、今般の経済危機から景気は持ち直してきているものの依然として厳しい状況にあります。また、労働力人口や貯蓄率の減少が進み、今後の経済成長に悪影響を与えることが懸念されるとともに、従来の競争相手であった先進国だけでなく、安く豊富な労働力や大規模な外資導入を背景に世界市場に参入してきた中国、インド等の新興国との競争にもさらされています。

 こうした環境と経済に関する困難な課題を克服するためには、イノベーションの創出により環境技術等のさらなる開発・普及を図ることによって、わが国の強みである環境産業の国際競争力を維持・強化することが必要です。あわせて、この環境技術や環境産業を原動力として、これまでの経済成長に伴い資源・エネルギー消費や環境負荷が増大するという関係を断ち切り、経済を成長させつつ環境負荷の低減を図ることが必要です。

 こうした考えの下、本節では、環境分野のイノベーション(グリーン・イノベーション)の促進を中心に、今後の環境産業の発展に必要な政策について概観するとともに、環境と経済の好循環を生み出す新たな経済社会システムの姿について考察します。

1 環境政策によるグリーン・イノベーションの促進

(1)グリーン・イノベーションを創出する環境政策

 環境政策を通じて環境負荷による社会的コスト(外部不経済)を内部化させることは、環境技術に対する需要を増加させ、グリーン・イノベーションの創出につながります。京都議定書が採択された1997年以降、低炭素技術に係るイノベーションが劇的に進展したことに示されるように、民間の低炭素技術に関する研究開発への投資決定においては、市場に明確なシグナルを与えることが重要です(図5-4-1)。


図5-4-1 気候変動緩和技術における技術革新のトレンド

 また、同じ目標に対し、複数の政策が考えられる場合には、さまざまな新技術の開発や導入に対する選択が可能な柔軟性のある政策手法を取り入れていくことが望ましいと言えます。こうした観点も踏まえ、グリーン・イノベーションの促進には、環境負荷の削減レベルを指定するような直接規制だけではなく、対策に工夫の余地があり、環境負荷を減らせば減らすほどメリットが生じる経済的手法を含む効果的なポリシーミックスを推進することが重要です。

 さらに、近年、大企業を中心に、企業の社会的責任(CSR)の一環として、環境に配慮した企業経営(環境経営)が経営理念の重要な要素となるとともに、消費者や市場の環境意識の高まりも相まって、多くの企業において、省エネルギーや省資源によるコスト削減や環境リスクの回避はもとより、環境性能のすぐれた製品の開発により、市場シェアを獲得し、ひいてはブランド価値や企業価値を高めようとする動きが見られます。こうした企業の環境経営の進展によって、環境政策とイノベーションの創出、さらには環境改善効果の間の因果関係は、より複雑になっています(図5-4-2)。


図5-4-2 環境政策が企業の環境経営に与える影響

 このため、環境政策を考えるに当たっては、環境政策が企業の環境経営にどのような影響を及ぼし、イノベーションがどのような発生プロセスを経て創出されるのか、また、金融機関などの投資家などの利害関係者(ステークホルダー)がイノベーションにどのような役割を果たすのかといったメカニズムについて、環境問題や業種・事業規模の態様ごとに、より詳細に分析することが、イノベーションを通じた、より効果的な環境改善効果を発揮する上で必要であると考えられます。

(2)イノベーション政策との融合

 こうした環境政策に加え、研究者による新技術の開発や当該技術の普及に必要なイノベーション政策を強化することにより、グリーン・イノベーションを加速化させることが必要です。

 イノベーションの創出にいたるまでには、学術的好奇心から行われる学術研究と事業化のために行われる技術開発との間のベクトルの違い等から生じる「魔の川」、技術開発から事業化段階にいたる間の支援の不足等により陥る「死の谷」、産業としての成功に向け、競合相手と過酷な競争を行う「ダーウィンの海」と呼ばれる障壁があります(図5-4-3)。


図5-4-3 イノベーションの創出にいたる過程と各種支援施策

 こうした産業化にいたる過程は、環境産業においても例外ではありません。例えば、「地域経済報告」(平成21年10月、日本銀行)によると、環境分野の将来性や公的支援に期待して、環境産業への事業転換や多角化の動きが拡大・加速する一方で、平成20年秋のリーマン・ショック以降内外経済の急激な落ち込みにより需要が低迷していることや、多くのビジネスが発展初期の段階にあり市場規模が小さいこと、国内外市場で競争が激化していることなど、環境産業を巡る現状は厳しいと言えます。さらに、環境省が実施した企業行動調査においても、環境産業の進展上の問題点としては、「消費者等の意識・関心の低さ」、「追加投資への高いリスク」、「組織内のアイデア・ノウハウの不足」、「市場規模などの環境産業に関連する情報の不足」などが多く挙げられました(図5-4-4)。また、行政に求める支援策としては、「税制面での優遇措置」、「環境産業に関する情報提供」、「消費者の意識向上のための啓発活動」などが多く挙げられました(図5-4-5)。


図5-4-4 環境ビジネスの進展における問題点


図5-4-5 環境ビジネスの進展のために行政に望む支援策

 グリーン・イノベーションを通じて、環境産業を創出するためには、研究から開発、事業化、そして産業化にいたる一連の過程において、公的な資金援助や税制優遇だけでなく、人材育成、公共調達、産学官連携などの施策を、包括的かつ業種特性や事業規模等に応じきめ細やかに実施することが必要です。

[1]研究開発・ベンチャー企業等への支援

 研究開発においては、新技術が開発されると、開発者はもとより開発者以外の者も恩恵を受けるため、開発者は十分な先行者利益を得られないことをおそれて、研究開発投資が過少になる可能性があります(いわゆる「技術のスピルオーバー」)。また、研究開発は長い期間を必要とするため、失敗するリスクもあることから、研究開発投資に踏み切れないことも考えられます。加えて、第1節で述べたように、環境分野における研究開発投資は伸びているものの、今般の経済危機の影響から研究開発投資全体は減少しています。このため、研究開発については、民間に任せるだけでなく、政府においても、民間の研究開発投資に対する税制上の優遇措置や、とりわけ成果がビジネスに直接つながりにくい基礎研究における補助など、積極的な支援を行っています。また、新成長戦略(基本方針)において、「官民合わせた研究開発投資をGDP比の4%以上にする」とされたように、今後、グリーン・イノベーションを含めた研究開発投資がさらに拡充されることが期待されます。

 また、研究開発の成果である新技術等を軸に産業化に乗り出すベンチャー企業を育成・支援するため、政府において、エンジェル税制(ベンチャー企業への投資に対する税制上の優遇措置)、ベンチャーファンド(アーリーステージにあるベンチャー企業への出資)等の措置を講じています。さらに、電気自動車、蓄電池、太陽光パネル等の低炭素型製品の開発・製造を行う事業者へ低利・長期の資金を供給するとともに、中小企業等がリースによる低炭素型の設備導入を行いやすくするために新たな公的保険制度を創設する「エネルギー環境適合製品の開発及び製造を行う事業の促進に関する法律案」を第174回国会に提出しました。

[2]環境人材の育成

 わが国の高度成長期におけるイノベーションを支える基盤として、1960年代に理工系の人材を大きく増やしたことが奏功したとされるように、今後グリーン・イノベーションによる技術革新を促進させるためには、科学技術の専門知識を持った研究・技術人材を確保することが極めて重要であると言えます。その一方で、わが国において、少子高齢化・人口減少に加えて、若者のいわゆる「理科離れ」が進むことは、将来を担う研究・技術人材が質的にも量的にも不足することになり、わが国産業の国際競争力の弱体化につながることが懸念されます。こうしたことから、新成長戦略(基本方針)においては、「独自の分野で世界トップに立つ大学・研究機関数の増加」、「理工系博士課程修了者の完全雇用の達成」が目標に掲げられており、この目標の達成を通じて、グリーン・イノベーションを支える環境人材の育成・活用が図られることが期待されます。

 また、科学技術分野だけでなく、新たな環境産業の創出や経済活動のグリーン化には、その他の分野における環境人材の育成・活用も必要ですが、現在のところ、大学等における環境人材の育成が必ずしも十分に行われているとは言えません。その一方で、企業などにおいては、環境人材のニーズはあるものの、その獲得に苦心している状況も見受けられます。

 環境問題をはじめとした「持続可能な開発のための教育(ESD)」に関する取組である「国連持続可能な開発のための教育の10年」に関する国内実施計画においては、高等教育機関においてESDの取組を推進することとなっています。これを踏まえ、平成20年3月に、環境省の検討会により「持続可能なアジアに向けた大学における環境人材育成ビジョン」が取りまとめられました。同ビジョンでは、環境人材を「自己の体験や倫理観を基盤とし、環境問題の重要性・緊急性について自ら考え、各人の専門性を活かした職業、市民活動等を通じて、環境、社会、経済の統合的向上を実現する持続可能な社会づくりに取り組む強い意志を持ち、リーダーシップを発揮して社会変革を担っていく人材」と定義し、持続可能なアジアを実現するための、大学等における環境人材育成の考え方や方策を取りまとめています。そして、環境省では、このビジョンの具体化を図るため、「アジア環境人材育成イニシアティブ(ELIAS)」として、(ア)大学教育モデルプログラムの開発と普及、(イ)産学官民すべてのステークホルダーで構成され、環境人材育成を目的とした連携の枠組みである「環境人材育成コンソーシアム」の立ち上げ、(ウ)環境人材育成に取り組むアジア大学のネットワーク化を進めています。


大学教育モデルプログラムの開発と普及


 環境省では、環境人材育成イニシアティブの取組の一つとして、高等教育機関が、企業や行政、NGO等の環境人材の受入側と連携・協働して実践的な環境人材育成プログラムを開発・実証することを支援するため、平成20年度から「環境人材育成のための大学教育プログラム開発事業」を実施しています。具体的には、地域のものづくり中小企業の技術経営(Management of Technology:MOT)に着目した「グリーンMOT教育プログラム」の展開(信州大学)、CDM等の低炭素化事業を担う環境人材を育成する「低炭素社会デザインコース」の創設(慶応義塾大学)など、現在合計11の大学で事業が行われています。

 現在、環境人材育成イニシアティブのもう一つの取組として、「環境人材育成コンソーシアム」の設立に向けた準備が進められており、こうした大学におけるプログラム開発の取組とも緊密に連携しながら、多くの大学で環境人材の育成に資する実践的教育が実施され、さまざまな分野で環境人材が活躍することが期待されます。


信州大学「グリーンMOT 大学院教育プログラム」の概要


[3]グリーン購入の促進等による需要の喚起

 環境産業を創出するには、環境配慮製品の需要を喚起する施策を講ずることも重要です。

 その一つとして、わが国においては、最終需要の約2割を占める国等の公的機関が率先して環境物品等(環境負荷低減に資する製品・サービス)の調達を推進するグリーン購入の取組を進めています。「国等による環境物品等の調達の推進等に関する法律」(以下「グリーン購入法」という。)の施行前(平成12年度)と平成19年度における市場占有率を比べてみると、グリーン購入法の施行により、多くの環境物品について上昇が見られます。例えば、再生プラスチックがプラスチック重量の40%以上使用されているステープラー(ホッチキス)は、グリーン購入法の施行後、市場占有率は、20%未満からおよそ90%へと大きく伸びています(図5-4-6)。平成19年には、国等の公的機関が契約を結ぶ際に、価格に加えて環境性能を含めて総合的に評価し、最もすぐれた製品やサービス等を提供する者と契約する仕組みを盛り込んだ「国等における温室効果ガス等の排出の削減に配慮した契約の推進に関する法律」が施行され、現在、電気、自動車及び船舶の購入等、省エネ改修事業(ESCO事業)並びに建築物の建築又は大規模な改修に係る設計について、いわゆる環境配慮契約が進められています。


図5-4-6 グリーン購入法施行前後における特定調達物品等の市場占有率の推移

 また、特に近年増加が著しい家庭からの温室効果ガスの排出を削減するため、環境省においては、地球温暖化対策に資する商品・サービスの購入や行動に対してポイント(エコ・アクション・ポイント)を発行し、貯まったポイントはさまざまな商品・サービスに交換できる「エコ・アクション・ポイントモデル事業」を平成20年度より実施しています。平成21年度においては、全国型の事業として3事業、地域型の事業として6事業が採択されました。エコ・アクション・ポイントを普及させることにより、経済的に自立した民間主導のビジネスモデルを確立し、幅広い地球温暖化対策に資する商品・サービスの利用が促進されることを目指しています。

 さらに、平成21年度からは、経済・雇用状況等にかんがみ、地球温暖化対策と経済活性化のため、家電エコポイント、住宅エコポイントやいわゆるエコカー補助が導入されました。家電エコポイントは、グリーン家電(統一省エネラベルの☆が4つ相当以上のエアコン、冷蔵庫、地上デジタル放送対応テレビ)の購入に対して、さまざまな商品・サービスと交換可能なエコポイントを発行することにより、グリーン家電への買い換えを促進するものです。この家電エコポイントは、「明日の安心と成長のための緊急経済対策」(平成21年12月閣議決定)及び第174回国会で成立した平成21年度第2次補正予算において、対象となる購入期間の平成22年12月31日までの延長、利用者の利便性を考慮した申請手続の改善、テレビの省エネ基準の強化やLED電球等の利用の促進といった制度の改善等を行った上で、平成22年4月1日より新しい制度としてスタートしました。さらに、エコ住宅の新築やエコリフォームを行った場合に、家電エコポイントと同様に、さまざまな商品・サービスと交換できるポイントを付与する住宅エコポイントが新たに創設されました。

 また、エコカー補助は、環境性能の高い新車(環境対応車)の買い換えや購入に対し、補助を行うものであり、すでに導入されていたエコカー減税と併せて、大きな経済・環境保全効果を発揮しています。このエコカー補助についても、平成22年9月30日まで延長することとなりました。

 こうした家電エコポイント及びエコカー補助の影響もあり、個人消費に持ち直しの動きが見られたほか、平成21年の乗用車の国内販売台数で初めてハイブリッド自動車がトップに立つなど、市場における環境配慮製品のシェアが拡大するとともに、家電業界や自動車業界の景気・雇用を下支えすることとなりました。

[4]海外、とりわけアジア地域への市場拡大

 海外、とりわけ、世界人口の半分以上を占め、地理的にも経済的にもわが国と深い関わりを有するアジア地域は、急速な経済成長を経験する一方で、大気汚染、水質汚濁、廃棄物の不適切な処理、森林減少等の環境問題が深刻化しています。また、温室効果ガスの排出量の急増や廃棄物排出量の増大などは、地球的な規模で環境に大きな影響を及ぼしています。

 わが国としては、経済成長を維持しつつ公害問題を克服してきた経験と知恵をアジア地域に共有するとともに、わが国のすぐれた環境技術を積極的に展開することにより、アジア地域の持続可能な発展を促進することができると考えられます。このことは、巨大な環境市場を有するアジア地域への輸出を拡大することにつながると期待されます。

 このように、アジア地域を中心に環境市場のさらなる拡大が予想されますが、デンマーク、スペイン、フィンランド、ドイツなど欧州の国々においては、環境産業を輸出戦略の中核に据えて、政府が環境産業の育成・支援を行うとともに、環境製品・サービスの輸出を積極的に推進する動きも見られます(表5-4-1)。


表5-4-1 諸外国における環境産業振興・輸出戦略


中国におけるエコシティーなどの取組


 中国では、国家プロジェクトとして環境分野での集中投資が行われています。その代表として挙げられるのは、天津エコシティー(天津生態城)です。天津エコシティーは、中国政府が初めて主導する環境都市計画であり、シンガポール政府との共同プロジェクトとして平成19年より始動しました。総投資額は2,500億元(約3兆2,000億円)、敷地面積は約30km2であり、2020年までに35万人が居住する計画で、10~15年以内での完成を目指しています。環境面からは、マンションやオフィスビルなどすべての建築物について省エネルギー基準に基づいた建設を義務づけるとともに、電気自動車や路面電車などのグリーン交通の比率を90%とすることや、電力の20%を太陽光や風力発電など再生可能エネルギーでまかなうことなどにより、省エネ・環境保全型のモデル都市を築くこととしています。その他にも、湖南省の長沙、株洲、湘潭からなる「長株潭」都市群と湖北省の武漢市を中心とした都市群を「両型社会」(「資源節約型と環境友好型」の社会)の実証実験都市群に指定しています。武漢市を中心とした都市群では、2010年から10年間にかけて、459件の環境保護プロジェクトが、総投資額5,000億元(約6兆5,000億円)規模で実施される予定です。

 このように、中国においても環境問題に対する取組を都市レベルで進める動きが見られ、今後より一層環境産業を巡る競争が激化することが予想されます。こうした中、わが国の企業が世界最高水準の環境技術力を活かし、中国の環境市場に積極的に進出していくことが期待されます。


「天津生態城」の完成予想図


 わが国においても、例えば、地球温暖化対策に関する途上国支援として、平成21年12月の気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)において発表された「鳩山イニシアティブ」では、民間資金・民間技術による支援は、途上国による温室効果ガス排出削減を強力に進める上で不可欠との考えの下、わが国の高い環境技術を戦略的に活用しつつ、官民一体となって応分の貢献を行っていくこととしており、このことは、わが国が自らの気候変動対策技術に磨きをかけることで世界の先頭に立ち、緩和と適応の双方に関する日本の技術と知見を世界に広めることにつながり、日本経済にとって大きなチャンスをもたらすことが期待されています。

 また、水ビジネスなどに見られるように、途上国において建設、資金調達から運営まで含めて発注するケースが増えていますが、わが国の各要素技術・ノウハウは世界最先端であるものの、これらの技術・ノウハウを有する各企業間の連携が不十分であることや、途上国が求める技術は最先端のものではないためわが国の技術は高コストで受け入れられないといった理由から、海外の水メジャーに主導権を握られているのが現状です。これに対抗するため、平成21年1月に「海外水循環システム協議会」が設立され、わが国のすぐれた技術・ノウハウを結集し、「システム」としてコスト競争力を付けることにより、成果が現れ始めています。

 このように、途上国を中心にさらなる拡大が期待される環境市場においてわが国が国際競争力を付けるには、個々の企業がグリーン・イノベーションを通じ環境技術を創出するとともに、官民及び企業同士が協調して、こうした環境技術を持ち寄って一つの「システム」として国際競争を勝ち抜くことが重要であると考えられます。

2 地球環境を考慮した新たな経済発展の考え方

(1) 地球環境を考慮した経済発展の指標

 地球環境問題の発生は、経済活動が巨大化し、その影響が地球上のこれまで無限に存在すると考えていた自然環境の容量を凌駕するようになってきたことにその根本の原因があります。すなわち、持続可能な発展を実現するには、資源賦存量や環境容量が有限であることを認識するとともに、その中で経済活動をどのように行うべきか考える必要があります。これまで述べてきた環境産業は、新技術の開発のみならず、従来型の生産方式や私たちのライフスタイルの変革をもたらすことを通じて、経済社会を持続可能なものに変える原動力になると考えます。

 これまでのわが国の伝統的指標はGDPですが、国内市場において取引された財・サービスのみを計上し、市場を経由しない環境価値の喪失・改善などは評価されないなど、福祉や人々の幸福感といった生活の質や持続可能性などを測る指標としては必ずしも適切ではありません。こうしたことから、低炭素社会、さらには持続可能な社会の実現に向けて、OECD、EU、世界銀行等の国際機関やNGOなどで、GDPを補足する持続可能性指標の開発が進められています。また、フランスでは、サルコジ大統領の諮問により、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授を委員長とした「経済パフォーマンスと社会の進歩の測定に関する委員会(The Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress:CMEPSP)」が設置され、福祉(well-being)を反映する指標としてのGDPの限界を指摘するとともに、それに代わり得る指標あるいは指標群を検討し、その結果を平成21年9月に報告書として取りまとめました。


スティグリッツ・レポート


 CMEPSPは、「GDPに代表される現在の指標では経済社会の実態がうまく捉えられていないのではないか」という問題意識の下、経済パフォーマンスと社会の進歩の両方をより適切に測定する方法が必要であるとの観点から、「GDPの問題点」、「生活の質(Quality of Life)」、「持続可能な開発と環境」という3つのテーマを設け、検討が進められました。その結果として、平成21年9月に取りまとめられた報告書では、以下のとおり、今後の指標あるいは指標群に関して必要とされる12の要素について提言がなされました。

1.GDPの問題点~生産(production)から福祉(well-being)へ 

[1]福祉を評価するときには、生産指標であるGDPではなく家計の所得や消費などの指標を見るべきである。

[2]福祉を評価するために家計の所得や消費を見る際には、税金等の支払いを控除するとともに医療や教育に対する政府からの支援を反映すべきである。

[3]持続可能性は、将来に引き継がれる資産(物的資本、自然資本、人的資本、社会資本)で測定されるものであり、所得や消費と併せて資産についても考慮すべきである。

[4]所得、消費、資産の平均値だけでは、一方で経済的な不平等が拡大している可能性もあり、福祉全体を評価したことにはならない。平均値だけでなく、これらが均等に行き渡っているかについても注目しなければならない。

[5]家事などの市場で取引されていない経済活動も所得を測定する際に組み込むべきである。

2.生活の質の評価

[6]生活の質は、個人が置かれている状況、選択の機会の程度(Capability)に依存する。生活の質を測定するには、まず、個人の健康、教育、個人の活動、環境の状況に関する測定の改善から取り組むべきである。特に、社会的なつながり、政治的な発言権、不安・危険などは生活の満足感を示すものであり、大きな努力を払ってでも頑健で信頼できる測定を行うべきである。

[7]生活の質に関する指標によって、不平等さに関する側面も包括的に評価されるべきである。

[8]貧困でかつ病気の人の生活の質の損失は、貧困であるが健康な人、病気であるが貧困ではない人の生活の質の損失の単純合計をはるかに凌ぐ可能性がある。このため、生活の質に関する評価項目をその項目ごとで見るのではなく、各項目間の相互関係を考慮して統計調査を行うとともに、その結果を政策形成に活かすべきである。

[9]統計当局は、生活の質に関するさまざまな項目を集約するに当たって必要な情報を提供すべきである。これにより異なる指標をつくることができる。

[10]主観的な福祉に関するデータは、個人の生活の質を測定する上で有用な情報を与えてくれる。こうしたことから、統計当局は、人々の生活に対する評価、楽しかった経験や人生における優先順位に関する質問を盛り込むべきである。

3.持続可能な開発と環境

[11]持続可能性(sustainability)と現在の福祉は異なるものであり、分けて評価されるべきである。持続可能性を評価するに当たっては、自然資本や人的、社会的、物的資本の量や質といったストックの変化を表す指標群が必要である。持続可能性を貨幣換算することについては、すべてのストックについて行うのではなく、持続可能性の経済的側面に焦点を当てたものにとどめるべきである。

[12]自然環境を評価するに当たっては、物的な指標群に基づき行われることが有効である。特に、環境の損害が私たちの生活にどれほど密接にかかわっているかを明確に示す指標が必要である。


 このように持続可能性指標に関する研究が各方面で進められていますが、ここではすでに指標化が進められているいくつかの試みについて紹介します。

 その一つとして、グリーンGDPがあります。グリーンGDPとは、環境の悪化や自然資源の消費を国民所得勘定に組み込んだGDPをいい、多くの国々でグリーンGDPの計算方法が作られました。しかし、グリーンGDPは、自然資源の消費による減価を適切に貨幣換算することがむずかしいなどの問題点も指摘されています。

 このほかに、世界銀行によって開発された指標で、「ジェニュイン・セイビング(Genuine Savings)」があります。ジェニュイン・セイビングは、国民総貯蓄から固定資本の消費を控除し、教育への支出を人的資本への投資額と考えて加えるとともに、天然資源の枯渇・減少分及び二酸化炭素排出等による損害額を控除して計算されます。例えば、ジェニュイン・セイビングがマイナスとなることは、総体として富の減少を示しており、現在の消費水準を持続することはできないことを意味します(図5-4-7)。


図5-4-7 各国・地域別ジェニュイン・セイビング


複数の指標を使った持続可能性に関する評価
~ジェニュイン・セイビングとエコロジカル・フットプリント~


 ある経済の持続可能性を評価するための指標として、ジェニュイン・セイビングのほかに、エコロジカル・フットプリントというものがあります。これは、人類の活動が地球に与える負荷を、資源の供給と廃棄物の浄化に必要な陸地・海洋の面積で表したものです。このエコロジカル・フットプリントと、生物的な生産が可能な陸地・海洋の面積であるバイオ・キャパシティ(有限な地球の環境容量)とを比較することで、私たちの暮らしが持続可能な状態にあるかどうかを感覚的にも分かりやすくとらえることができます。

 環境省による委託調査(「環境経済の政策研究」京都大学フィールド科学教育研究センター佐藤真行准教授ら)において、ジェニュイン・セイビング(対国民総所得比)と1人当たりのエコロジカル・フットプリントの2つの指標から、128か国における持続可能性について分析を行いました。その結果、多くの先進国(赤色の部分)やメキシコ、ブラジル、中国などの経済成長の高い新興国(黄色の部分)は、ジェニュイン・セイビングはプラスである一方で、エコロジカル・フットプリントから見ると、平成17年の世界1人当たりのバイオ・キャパシティ(約2.1グローバルヘクタール。「グローバルヘクタール」とは、同じ面積の土地でも生産力に差があることから、その違いをなくすために仮想的に設けた単位であり、1グローバルヘクタールは、平均的な生物学的生産力をもつ陸地・海洋面積1ヘクタールに相当する。)を超え、必ずしも持続可能な状態にあるとは言えないことが分かりました。持続可能性の面からは、ジェニュイン・セイビングがプラスで、かつエコロジカル・フットプリントがバイオ・キャパシティを超えないこと(緑色の部分)が望ましいのですが、これに属するのは主に途上国であり、こうした国々は一方で、基礎的な生活の質の改善という課題を抱えています。また、わが国は、数多くの国々との貿易を通じた経済社会活動を営んでいますが、その一部を支えるのが、エコロジカル・フットプリントが高く、ジェニュイン・セイビングもマイナスであるような持続可能性が懸念される国であるような場合には、双方の国々で地球の持続可能性を考えた対応を行うことが望ましいことも認識すべきでしょう。

 このように、持続可能性を評価するに当たっては、単一の指標ではなく、複数の指標を使って総合的に評価するとともに、経済のグローバル化が進む中で、国同士の関係性も考慮して指標を読み取ることにより、今後の環境政策に活かすことが求められます。


ジェニュイン・セイビングとエコロジカル・フットプリントから見た持続可能性に関する評価


 さらに、欧州では、「持続的発展戦略」を踏まえ、2005年、OECDとEurostatにおいて、持続可能性を評価する指標群を作成しました(2007年に改訂)。この指標群は、持続的発展戦略にある9つの目標ごとに、さまざまな指標を目標との関連性や関係の深さから体系的に3つのレベルに整理しています。具体的には、レベル1で11指標、レベル2で33指標、レベル3で78指標により持続可能性を捉えていくこととしています(表5-4-2)。このほかにも、国立環境研究所の調査によると、少なくとも26の国や国際機関等が、それぞれ、持続可能な発展にかかわる指標を作成してきており、持続可能性を柱とした発展の測定が進められています(表5-4-3)。


表5-4-2 欧州における持続可能性指標リスト(レベル1)


表5-4-3 各国並びに国際機関等が作成した主な持続可能な発展にかかわる指標

 また、生活の質や発展度合いを示すものとして、国連開発計画(UNDP)が発表している「人間開発指数(HDI)」があります。このHDIは、識字率や1人当たりGDP、平均寿命などを考慮して算出されますが、これを用いて先進国の発展度合いを測った場合、すでに多くの国では満点に近い数字を獲得しています。このことは、先進国においては、HDIによって目指すべき発展の水準は、すでに達成されていることを意味しています。こうした状況から、先進国における発展状況を測定していく場合、より先進国の状況に見合った指標を設定し、国の発展度合いを測っていく必要があります。例えば、HDIでは「GDP」が利用されていますが、これを二酸化炭素排出量当たりのGDPに置き換えるなど、先進国における環境保全の状況等も組み込んで、先進国における発展状況をより適切に把握することも考えられます。仮に、そのような置き換えを行い、再試算を行った場合、HDIでは10位であった日本は、6位にランクされるなど、順位に大きな変化が生じます(表5-4-4)。


表5-4-4 先進国の発展状況を表す指標の試算例

 さらに、ブータンでは、GNH(Gross National Happiness:国民総幸福度)が進歩の代替指標として活用されています。この指標は、1980年代に、GDPに代わるよりよい指標としてブータンによって初めて提唱されたもので、独自の文化や価値観に見合った方法でブータンの発展を導くための原則を表すものです。2004年以降、ブータン政府は国民総幸福に関する国際会議を開催するなど、積極的な取組が行われています。いずれにせよ、国の豊かさを「経済」ではなく「幸福」で測り、「国の幸福度をいかに上げるか」を国家の政策目標として掲げていることは一つの試みとして評価されます。    

 このように、新たな経済社会システムの進展を把握し、目標を設定する上で、GDPを補足・代替するものとして、経済、環境、社会の諸条件の変化を網羅的に把握する持続可能性指標などさまざまな指標について見てきましたが、わが国としてもさらに研究を推進し、国際的な検討に積極的な役割を果たしていくことが期待されます。


OECDによるグリーン成長宣言


 平成21年6月にOECD閣僚理事会は、グリーン成長戦略の追求に向けた取組強化とグリーン投資・天然資源の持続可能な管理の奨励を表明しました。また、「効率的かつ効果的な気候変動ポリシーミックス」により、グリーン成長を妨げ得る補助金など、環境保全上好ましくない政策を取り除いていく目的を持って「国内政策改革」を促す決意を述べました。さらに、横断的なプロジェクト―景気回復と社会的に持続可能な経済成長を実現できるグリーン成長戦略―の策定作業をOECDに要請しました。


グリーン成長に関する宣言(抄訳)


(2)環境と経済の好循環を生み出す新たな経済社会の実現に向けて

 今般の世界的な経済危機等をきっかけに、いわゆる「グリーン・ニューディール政策」が各国で導入されたように、環境関連投資等の環境対策は経済成長の原動力として考えられるようになっています。つまり、環境対策に費用をかけるということは環境改善や省エネ技術・サービスに対する新たな需要の創出につながると考えられます。また、他国に先んじてこのような技術・サービスの新市場が創出され、そこで日本の環境技術が育てられていけば、いずれ世界的に需要が顕著に増大すると見込まれる環境市場で比較優位を確立し、わが国の環境産業は、将来の日本経済にとって強力な輸出産業に成長することになると考えられます。

 こうした動きは、国際的にも広がりを見せています。例えば、平成21年6月のOECD閣僚理事会において「グリーン成長に関する宣言」が採択されました。この宣言において、経済の回復と環境的・社会的に持続可能な経済成長を成し遂げるために「グリーン成長戦略」策定作業をOECDに要請し、平成22年のOECD 閣僚理事会に中間報告を提出することになっています。また、平成21年11月のAPEC首脳会議において、気候変動やエネルギーを含む環境面に配慮した「持続可能な成長」を含めた、包括的かつ中長期的な成長戦略をつくることが合意され、その具体的内容については、平成22年に日本で開催される会合で議論されることとなっています。

 第2章や第3節で考察したように、温室効果ガス排出量を2050年までに80%削減するためには、生活様式からインフラ整備、産業構造にいたるまで低炭素型に変えていくことが求められます。わが国の経済状況は依然として厳しい状況にありますが、環境対策を後回しにするのではなく、早い段階から積極的な研究開発投資などによるイノベーションを通じた環境産業の創出を図るとともに、低炭素社会を構築することにより、わが国の経済の体質強化と地球環境や世界の持続可能な発展への貢献につなげることが必要であると考えられます。

まとめ

 第5章では、環境産業の発展によって、経済社会を牽引することの必要性を述べました。わが国は環境分野の特許など世界最高水準のすぐれた技術力を有する一方で、それが必ずしも世界の市場への十分な浸透や新製品の開発につながっていないという現状があります。環境産業は、国を挙げて支援しているところも多く、国益という観点から、研究開発、人材育成、ニーズとシーズのマッチング、社会的な制度整備も含め、広くグリーン・イノベーションの促進を支援する必要があります。またわが国では少子高齢化社会への移行が最も早く進んでいますが、模範となる経験を有する国はなく、むしろわが国の取組を各国が見守っている状況にあります。こうしたことも踏まえ、環境、社会、経済の発展を総合的に見る指標を試算すると、そこには、それぞれの国の価値観や努力の成果など、さまざまな観点が映し込まれた姿が見える可能性が示唆されました。



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