第3節 地球温暖化による生態系の変化と人類への影響

第2節では、人間活動の影響により、地球上の生態系やその基盤である生物多様性が危機的な状況に陥っていることを見てきましたが、このことは、人間の生存や生活にも非常に大きな影響をもたらします。
既に見たとおり、人類は生態系から様々な物質的・精神的な財やサービスの提供を受けることにその生存の基盤を置いており、生物多様性がこれを支えています。したがって、地球温暖化などによって生態系や生物多様性の状況が大きく変化することは、現在人類が享受している生態系サービスの質及び量の変化を意味するとともに、これまで被ることのなかった影響の発生や増大を示唆します。
ここでは、地球温暖化による生態系の変化が私たち人類の生活に与える影響について見ていきます。

1 農業・畜産業への影響

人類はそのエネルギー源である食料を他の生物に依存しているので、生物の生息・生育状況が変化することは、食料の確保という意味で非常に重大な影響をもたらします。
イネについては、出穂から成熟までの登熟期の日平均気温が27~28℃を超えると、乳白米や背白米など、粒の成熟が不十分で乳白色化した米が増加します。また、二酸化炭素濃度の上昇はイネの収量を増加させますが、高温になるほどその効果は低下するとされます(農林水産省「近年の気候変動の状況と気候変動が農作物の生育等に及ぼす影響に関する資料集」)。将来の気候変動モデルと大気循環モデルを用いてイネの収量をシミュレーションした研究によれば、カナダで開発された大気循環モデルを用いた場合、南日本でイネの収量が40%近く減少するという試算結果もあります。さらに、ニカメイガ、ツマグロヨコバイ、ヒメトビウンカなど害虫の発生量の増加、発生地域・時期の変化が地球温暖化により生じる可能性が指摘されています。全国の広い地域で米の品質の低下が予想されており、既に高知県では、従来60~80%台に維持されてきた1等米の比率が30~40%台にまで低下しています(農林水産省「水稲の高温障害の克服に向けて(高温障害レポート)」)。また、イネの栽培には、移植(田植え)時期に膨大な水を必要としますが、気候変化によって現在の水需給バランスが崩れ、河川流量の季節変動の変化や農業用水(灌漑水)の減少によって作期や作付け体系に影響が出る可能性があります。

写白未熟米の発生形態(右:基白米、中央:背白米、左:乳白米)写真提供:石川県立大学 永畠秀樹

果樹は一般に、気候変動の影響を受けやすいと言われています。これは、一年生の植物が適温期間中に栽培されるように播種期を調整できるのに対し、樹木である果樹は作期調整が困難であるためです。例えば、日本で生産量が最も多い果樹であるウンシュウミカンについて、地球温暖化の影響を評価した研究結果によれば、ウンシュウミカンの栽培適温地(年平均気温15℃以上18℃未満)の北上が指摘されています。太平洋・瀬戸内海沿岸部や九州沿岸部といった現在のウンシュウミカン主産地のほとんどは、2060年代には年平均気温が栽培適温より高温な地域になり、栽培適地からはずれます。
ヨーロッパは、2003年、記録的な熱波に襲われました。西ヨーロッパを中心に多くの人的被害が報告されましたが、高温と乾燥による農産物への影響も大きく、EUの穀物の生産量は前年に比べ約2,300万トンも減少したとされます。この熱波が地球温暖化の影響であると断定することはできませんが、地球温暖化の進行により同様の熱波が頻発するようになれば、こうした被害は慢性化し、拡大していくと考えられます。
畜産業においても地球温暖化の被害は深刻です。例えば、気候モデルを活用した農業・食品産業技術総合研究機構の研究によれば、地球温暖化が進行した場合の夏季の暑さがブロイラーにもたらす影響は重大で、特に九州、四国、中国、近畿などの西日本において産肉量が大幅に低下する可能性が示されました(図2-3-1)。乳牛や肉牛、豚の飼養環境の悪化に関する研究結果も報告されています。

図2-3-1現在、2020、2040、2060年代の鶏肉生産低下予測

地球温暖化の影響は緩やかな変化によるものもありますが、干ばつや熱波などの極端な気象現象の増加によって農業・畜産業の生産量低下が突発的に起こることの影響も重大であると考えられています。その変化と被害は、程度の差こそあれ、世界的に発生することが予想されます。人類の生存の基盤である食料の生産に影響することから、適切な対策が取られなければ、世界的な食料危機が生じるおそれもあります。食料を海外からの輸入に頼る我が国にとって(日本の食料自給率(平成17年度)は、カロリーベースで40%)、世界的な食料生産の減少は極めて影響が大きく、安全保障上も重要な問題です。

2 水産業への影響

地球温暖化は、海流の変化、海水温の上昇などを引き起こすと予想されており、こうした海洋環境の変化は、海の生物多様性にも重大な影響を与えるおそれがあります。このことは、海と共生し、海からの豊かな恵みを享受してきた人々にも影響すると考えられます。特に、四方を海に囲まれ、食料の多くを海産物に依拠している我が国では、適切な対応が取られなければ、大きな影響が生じるおそれがあると考えられます。
水産総合研究センターの調査結果によれば、サンマやマイワシ、マサバ、マアジなど、回遊性のある魚の漁場は今よりも北上すると指摘されています。例えば、サンマの分布及び漁場は季節的に移動し、9月には北海道東部の根室半島沖に漁場が形成されますが、水温上昇とともに北上し、長期的にはその分布や漁期に変化が生じる可能性が指摘されています。主に沿岸域に生息するヒラメでは、水温上昇の影響で生息可能な南限が北上する可能性があります。また、養殖種のトラフグでは養殖適地が北上する可能性も指摘されています。
漁業へ悪影響を与える生物の北上の可能性も指摘されています。インド洋から東シナ海にかけての亜熱帯から熱帯の沿岸域を生息地とするエイの一種ナルトビエイは、アサリやタイラギなどの二枚貝を大量に捕食する、漁業者にとっては頭の痛い生物ですが、1989年に五島列島(長崎県)で生息の確認が報告されて以来、有明海や瀬戸内海でも大量の生息と漁業被害が報告されるようになっています。
また、海中の二酸化炭素濃度の上昇による海水の酸性度の上昇が、プランクトンなどに影響をもたらす可能性が指摘されており、海洋の生物多様性に与える影響が危惧されています。また、海水の表層の温度が上昇すると、北方水域では生産性の向上も見込まれますが、南方水域においては表層の海水が冷たい深層の海水と混合しにくくなり、海水の鉛直方向の循環が弱まります。これにより、栄養塩類の豊富な深層からの湧昇流が弱まって、海の食物連鎖の基盤を成している植物プランクトンの分布状況に重大な変化が起こる可能性が指摘されています。結果として、人間が利用する海産物にも影響が及ぶことが予想されます。

図2-3-2水温上昇によるサンマ漁場の変化予測


3 健康への影響

地球上には、生物を媒介することによって感染が拡大する感染症が多く存在します。
例えば、マラリアは、世界の人口の40%に当たる25億人が危険にさらされていると言われる蚊媒介感染症です。毎年3~5億人が感染し、150~270万人が死亡しています。マラリア原虫は気温が15~20℃以上で、マラリア原虫を媒介するハマダラカは22℃以上で活発な活動をするとされます。マラリアは現在日本では根絶されていますが、地球温暖化が進行することにより、日本も再びマラリアの汚染地域に入るリスクが高まる可能性があります。
デング熱も、ネッタイシマカやハマダラカといった、気温の高い地域に生息する蚊が媒介する感染症です。全世界で年間約1億人が発症し、そのうち約25万人が重篤なデング出血熱を発症すると推定されており、熱帯・亜熱帯地域の子どもの生命を危険にさらしています。従来の流行の中心は東南アジアとカリブ海沿岸諸国でしたが、近年では、中国南部、南太平洋地域、南米へと拡大しています。観光客が多数訪れるハワイでも、2001年から2002年にかけてデング熱が流行し、122人の患者が発生しました。デング熱もマラリアと同様、地球温暖化によって日本人の健康を脅かす危険をはらんでいます。
感染症を媒介する蚊の生息区域の拡大による影響としては、他にも、アフリカを中心に流行するリフトバレー熱や西ナイル熱等の拡大が懸念されています。
感染症の流行は、居住環境や公衆衛生など複数の要因によりますが、地球温暖化によって感染のリスクが高まることを認識し、社会全体として注意していく必要があります。

写吸血中のネッタイシマカ 写真提供:長崎大学熱帯医学研究所 川田均


4 文化への影響

生態系の変化がもたらす財やサービスの量・質の変化は、物質的なものだけではなく、社会・文化的な面でも影響をもたらします。
例えば、長野県の諏訪湖では、結氷した湖面が山脈のように盛り上がる「御神渡り(おみわたり)」が見られます。これは、気温の上下で氷が膨張と収縮を繰り返すことによって生じる自然現象です。八剱神社(諏訪市)の宮司・氏子総代らにより御神渡りを認定する拝観式が行われ、その際、湖面の割れ目の状態を見て、その年の天候や農作物の出来、世の中の吉凶までも占います。近年、冬季の高温の影響で御神渡りが見られない年が多くなっています。
また、日本に春の訪れを告げるサクラは、古来より日本人に大いに愛でられ、和歌にも多数詠まれてきました。例えば、平安時代初期の歌人であり、六歌仙のひとりである在原業平は、サクラの散りゆくさまを「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠みました。サクラは、我が国の文化に深い影響を与えています。しかし、近年、サクラの開花時期に影響を与えるものの一つとして地球温暖化が指摘されています。気象庁が1953年に生物季節観測を開始して以来、2004年までの50年間で、サクラの開花日は全国平均で約4.2日早まったと言われます。
さらに近年では、気温が上昇しても開花が早まらない地点が九州地方で見られ、冬季の高温が開花日を狂わせているという研究者の指摘もあります。サクラには花芽が冬季の低温に一定期間さらされて休眠から覚めるという仕組み(休眠打破)があり、一定の低温期を経ないと花芽が生長できないためです。気温の上昇により、サクラが春の気温と関係なく開花するようになれば、開花によって季節を感じることが難しくなったり、地域の催しの開催に影響を与えたりするおそれがあります。梅、桃、アジサイ、椿、ボタンなど、花芽の形成に温度変化が影響を与える種の植物には、同様の現象が見られるようになる可能性があります。

写諏訪湖の御神渡り


5 地球温暖化の悪循環

人類にとって生態系の状況の悪化は、こうした直接的な影響のほかにも、間接的ではあるが深刻な影響をもたらす可能性があります。例えば、気候の緩和などの調整機能の低下はその一つで、地球温暖化を更に進行させる効果のあることが指摘されています。
膨大な炭素を固定している森林に関しては、地球温暖化で異常乾燥が進むことによる火災の頻発が指摘されています。森林火災が発生すると、燃焼による二酸化炭素の放出やツンドラ・凍土からの二酸化炭素・メタンの放出に拍車をかけることを意味します。1997年から1998年にかけて、エルニーニョ現象等の影響を受けてインドネシアで発生した森林火災では、数百万haにのぼる森林が焼失したとされています。1997年のインドネシアの炭素排出量を8.1~25.7億トンと算出する研究結果がありますが、これは、1年間に世界全体で消費される化石燃料由来の二酸化炭素排出量の13~40%にも相当します。
さらに、地球温暖化に伴って土壌中の有機物の分解が進むこと等により、陸上生態系が炭素吸収源から炭素放出源に転じる可能性も高いと言われています。
こうした結果、これまで生態系中に蓄えられていた温室効果ガスが大気中に放出され、地球温暖化を助長し、これが更に生態系に影響を与えるという悪循環が生じることが懸念されています。

地球温暖化は、地球の営みを支えている生態系及びその基盤となる生物多様性に重大な影響を与えます。このことは、私たち人類にとって直接的にも間接的にも甚大な被害をもたらします。人類の生存は、健全な生態系を支える生物多様性にその基盤を置いています。しかしながら、産業革命以降の人間活動は地球規模の環境を著しく悪化させ、自らの生存そのものを危機的な状況に追い込んでしまっているのです。
特に、地球温暖化は確実に進行しつつあり、私たちとその子孫が、今後も豊かな自然の恵みを享受していくことができるか否かは、まさに今、私たちの選択に委ねられています。地球温暖化の進行を止めるための早急かつ適切な対策が、今、求められています。

写アラスカの森林火災



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