1 汚染底質対策
チッソの水俣工場については昭和43年にアセトアルデヒドの生産が停止され、昭和電工の鹿瀬工場については新潟水俣病が公式に確認される以前にアセトアルデヒド生産工程は既に閉鎖されていました。
その結果、水俣湾周辺地域においては遅くとも昭和44年、阿賀野川流域においては昭和41年以降、水俣病が発生する可能性のあるレベルのメチル水銀のばく露が存在する状況ではなくなっていたと考えられます。
しかし、メチル水銀化合物の排出が停止した後も、関係水域の底質には水銀が残存していたことから、汚染された底質を除去する必要がありました。
このため、熊本県では、昭和52年から平成2年にかけて、「公害防止事業費事業者負担法」(昭和45年法律第133号)に基づき、チッソ、国及び熊本県の負担により、暫定除去基準値(水銀25ppm)以上の水銀を含有する水俣湾の底質約150万立方メートルの浚渫(しゅんせつ)、埋立(封じ込め)及び58haの埋立地の造成が行われました。この事業の費用については、チッソが約300億円、国及び熊本県がそれぞれ約90億円を負担しました。また、丸島漁港や丸島・百間(ひゃっけん)水路についても浚渫等が行われました。
新潟県では、昭和51年に工場排水口周辺の除去基準値以上の水銀を含有する底質の浚渫が、昭和電工の負担により行われました。