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第3節 

1 法による認定制度と補償協定

 原因企業に損害賠償を求める裁判が新潟(昭和42年提訴、新潟水俣病第一次訴訟)と熊本(昭和44年提訴、熊本水俣病第一次訴訟)で起こされたこと等を受け、昭和44年12月には、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」(昭和44年法律第90号。以下「救済法」という。)が施行され、健康被害の救済に係る当面の緊急措置が講じられることとなりました。救済法は、水俣病にかかっている者を関係県知事及び市長が認定して、医療費等の支給を行うもので、水俣病患者の認定は、医学者からなる認定審査会の意見を聴いて行われました。
被害の補償に関しては、昭和46年の新潟水俣病第一次訴訟判決及び48年の熊本水俣病第一次訴訟判決で水俣病患者に対する昭和電工及びチッソの損害賠償が確定したことを受け、同年に原因企業と患者団体の間で補償協定が締結されました。補償協定では、水俣病患者に、慰謝料(一時金)、医療費、年金等が支払われること、協定締結以降認定された患者についても希望する者には適用すること等が定められており、現在までに水俣病と認定された者は、全員補償協定に基づく補償を選択しています。
救済法の認定は、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」(昭和46年8月環境庁事務次官通知)に基づき、補償協定締結後も一貫して、医学的知見に照らして、対象者が水俣病である可能性がそうでない可能性と同等以上(水俣病である可能性が50%以上)と判断される場合に認定するという考え方に基づいて行われました。このような判断は、感覚障害など水俣病にみられる症候が非特異的であり、それら一症候のみでは困難であるため、いくつかの主要症候の組合せによって行われてきました。救済法の認定制度やそこにおける医学的判断は、昭和49年9月に新たに施行された公健法によって引き継がれました。環境庁は、昭和52年7月に、従来から認定審査における医学的判断に用いられてきた症候の組合せ等を明確化した「後天性水俣病の判断条件について」(以下、「52年判断条件」という。)を環境保健部長通知として示しました。
さらに、急増した認定申請者に対応するため、昭和54年2月には「水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法」(昭和53年法律第104号)が施行され、平成8年9月までに希望した申請者については、国においても認定業務を行うこととなりました。
平成18年3月末までの認定者数は、2,955人(熊本県1,775人、鹿児島県490人、新潟県690人)で、このうち生存者は946人(熊本県502人、鹿児島県186人、新潟県258人)となっています。
なお、患者への補償金支払いに支障が生じないようにするため、昭和53年から、熊本県が県債を発行して調達した資金を、患者補償の資金としてチッソに貸し付けるという県債方式によるチッソ支援が行われてきました。同方式による県債の累計発行額は約2,260億円となっています。このチッソに対する支援措置については、平成12年2月の閣議了解「平成12年度以降におけるチッソ株式会社に対する支援措置について」(以下、「平成12年閣議了解」という。)により県債方式が廃止され、チッソが経常利益の中からまず患者補償金を支払い、その後可能な範囲内で県への貸付金返済を行いうるよう、国が一般会計からの補助金及び地方財政措置により所要額を手当てするという方式に抜本的に改められました。同方式により手当てされた額の累計は、平成17年度末までで、一般会計からの補助金約400億円、地方財政措置約100億円となっています。

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