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第1節 

2 日本に伝わる「環境の心」

 個別の環境情報が得られ、多少の努力で環境保全に効果があるとわかっても、「自分一人ぐらい」「なぜ自分だけが」と考え、当面の日常生活の快適さを優先することがあります。いわゆる「共有地の悲劇」(コラム参照)のような社会的ジレンマといわれる場合です。これを防ぐため、個人の努力がその人にとっても利益となる誘因を確保することが求められますが、同時に、一人ひとりが社会全体を尊重し、環境を考える心を持つことも重要です。
 「環境の心」とは、環境を大切にし、敬う心です。社会のさまざまな人々が互いに支え合い、連携し合うことによって育まれます。「みんなで」「お互いさま」という仲間意識と相互依存関係の理解が、社会的ジレンマの中で生じた「自分一人ぐらい」「なぜ自分だけが」という感情を克服し、全体にとって長期的に最も良い行動を促します。関係者が問題意識を共有し、環境に良いことに向けて協力し合うように、人と人とをつないでいくことが重要です。
 この考え方は、必ずしも新しい概念ではありません。日本の歴史をふりかえってみれば、村人が山に入ることに対して、自然への畏敬の念も踏まえ、山林資源の持続可能性を維持するために共同体の風習が作られ、長年にわたって守られ続けた例が多くあります。
 こうした、日本古来の「環境の心」を振り返り、地球という共有地の持続可能性について語り合う国際的な議論に参加し、21世紀にふさわしい「環境の心」を育んでいくことが、これからの日本の役割と考えられます。

コラム1 「共有地の悲劇」と環境問題
 「共有地の悲劇」は、1968年にハーディンが発表した行動モデルで、環境問題との関連などで議論されています。共有地である牧草地で人々が羊を飼っている場合、牧草地の容量内において羊を飼育している限り、問題は生じません。しかし、羊を多く飼育して多くの収入を得ようとその頭数を増やしていくと、やがて牧草地の容量を超え、牧草は枯渇します。
 個人にとっては、増やした羊分だけ利益が多くなりますが、その一方、牧草の減少により牧草地全体で見れば損失が多くなります。しかし、後者については全体の中に分散するため、個人の経済的利潤のみを追求した場合には、羊を増やすことの方が合理的な判断となり、このようなことが起こります。
 これは環境問題にも当てはまります。例えばエアコンの効いた部屋で快適に過ごしたり、自動車に乗ることは、個人の利益の達成ということでは合理的な判断といえます。しかし、多くの人が同じように行動すれば、結局は地球温暖化が進み、多くの人がその被害を受けます。

コラム2 「もったいない」と日本の心
 「もったいない」という日本語に、私たちが昔から受け継いできた「環境の心」が表れています。広辞苑によれば、「もったい」とは、「物の本体」で、「もったいない」は「物の本体を失する」こととされています。「もったいない」の意味としては「そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい」が挙げられていますが、このほかに、「神仏、貴人などに対して不都合である、不届きである」という意味も記されています。
 日本人は、このような「環境の心」を持ちながら、壮麗さよりも簡素で繊細な美を極め、物量よりも風雅な趣を楽しむ生活を貴んできました。「もったいない」は、自然を敬う日々の中で暮らしてきた、いにしえの日本人の子孫として、美しい環境を後の世代に伝える上から、大切にしたい言葉です。

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