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第2節 

1 生態圏を意識した取組

 ここでは生態圏を、生態系を健全に保つための様々な野生生物の生息・生育のために必要な、空間的連続性または一体性をもったまとまりと定義する。生態圏は、生物、生態系の種類に応じた様々な形のものが複合的に存在しており、地域規模、全国規模、地球規模等様々な広がりで捉えられるものである。以下に生態圏を捉える基本的考え方及び生態圏を意識した具体的な取組事例を紹介したい。
(1) 生物生息空間(ビオトープ)
ア ビオトープとは
 ビオトープとは、「特定の生物群集が生存できるような、特定の環境条件を備えた均質なある限られた生物生息空間」のことをいい、具体的には池沼、湿地、草地、里山林(※)等さまざまなタイプのビオトープがある。
 ビオトープを基本単位とし、地域全体に生態的な観点から広域的につなげたものが、ビオトープネットワークと呼ばれている。これは、生物多様性の保全の観点から、郊外から市街地まで、あるいは森林から草原、河川等、大・中・小、面点線など様々な動植物の個々の生態を踏まえながら広域的なネットワークを形成し、自然環境の保全・復元・創造をはかることを内容としている。
 このシステムは主に以下の4つの柱で考えることができる。
? 大規模な保護地域
 大規模な保護地域は、植物と動物の両方にとって継続的な安定した生息地を提供し、面積要求の強い種の生息を可能にする。
? 小規模な保護地域
 小規模な保護地域は、動物群集・植物群集の長期にわたる生存を保証するには面積的に不十分であるが、生物の一時的な休息地や時として繁殖地としての機能を持つ。また、踏石ビオトープとして、大規模な保護地域間における野生動植物の移動を容易にする役割を果たす。
? 生態的回廊(エコロジカル・コリドー)
 生態学的回廊は、それ自身生物の生息空間として一定の役割を果たすものであるが、主に保護地域間を生態学的につなぐ役割を果たす。その形状は、点的な踏石ビオトープとは異なり、保護地域間を直接つなぐ線的形状である。
? 個々の生物生息空間がより多くの生物に利用されるような配慮
 例えば、農地において農薬や化学肥料の投入を減らすことにより、農地自体に、より多くの生物が生存できるような場としての機能を併せ持たせる。保護地域に隣接する農地の場合、保護地域への悪影響も軽減させることもできる。
 野生生物は、一般に種によって生息生育に必要なビオトープのタイプや規模が異なる。また多くの野生生物は単独のビオトープの中だけで生活が完結しているわけではない。採餌、休憩、繁殖等において、あるいは1日、1年、一生のライフサイクルにおいて、複数の異なるタイプのビオトープを必要とする。さらに、他集団との繁殖交流のためには、他集団の存在が生息する同じタイプのビオトープが、当該野生生物の移動可能な距離内に存在することが求められる。
イ ドイツにおける生態圏を意識した取組
 ドイツでは1976年の連邦自然保護法制定を契機に、生態圏を意識した地域づくりが進められている。
 連邦自然保護法は第1条(自然保護及び景域保全の目標)において、自然保護等について、人間の居住地域、非居住地域を問わず、「?生態系の生産力?自然資源の利用可能性?植物界と動物界?自然と景域の多様性・独自性・美観性が人間の生存基盤として、また自然と景域における人間の保養の前提をなすものとして、永続的に確保されるように、保護、維持、発展」が、明確に示されている。さらに、法第2条では、「野生の動物、植物及びそれからなる生物社会は生態系の一部として、自然的・歴史的に増してきた種多様性に富む形で保護されなければならない。それらの生息場所および生息空間(ビオトープ)並びにその他の生息条件は、保護され、維持され、発展され、回復されなければならない」というように「ビオトープの復元」「生物多様性回復」の概念が法律の中に明示されている。
 (景域とは、ドイツ語のLandschaftの訳である。これは、視覚的に捉えられる景観や風景とは異なり、自然に対する人間の働きかけの中で形成される文化的・歴史的背景を持った概念である。)
 「連邦自然保護法」は、自然保護についての基本的方向を示した「枠組み法」であり、これに沿って各州毎にそれぞれ独自の州自然保護法が制定されている。そしてこれらに基づき、州において「景域構想」、広域市町村において「景域基本計画」が策定され、各市町村ごとに10年後の目標像を示した「景域計画」が作成されている。
 「景域計画」は、自然保護のための空間計画であり、基本的に地域全域にわたった「自然保護と景域維持」のために作成されるものである。作成にあたっては地形図・水域図・気候図等の国土を規定する自然的要素の現況を調査し自然のメカニズムを把握するとともに、各種開発計画との競合箇所との調整が事前にとられる。「景域計画」では当該市町村の自然と景域の現況、法第1条に照らしての評価、地域の環境目標像、目標達成のための措置、特に生物社会及びビオトープを保護・保全するための措置が示される。
 バーテン=ヴュエルテンベルク州のカールスルーエ市では、公共緑地を核に自然のメカニズムに沿ったまちづくりが市民の理解と協力に支えながら、進められている。市では、市街地を囲む原生状態に近い森林や湿地等を自然保護地域や景域保護地域に指定するとともに、農地についても辺縁部の自然草地化・農地境界のブッシュの保全・再生等を通じて、生態的に価値あるものへと改善するよう計画している。このように、ドイツでは、貴重な自然の保護にとどまらない、地域のあらゆる自然を取り込んだ健全な生態圏の維持を目指した計画が各地で策定され、実施されている。
 この「景域計画」の特徴として
? 地域の生態圏を意識した地域一体的な計画であること。したがって、景域全体の自然度の高い大規模な保護地域だけにとどまらず、市街地地域も取り込んだものであること。
? 自然の状態の広範な分析と診断を基礎に、開発事業に対する予防計画としての位置づけ
 があげられる。
 さらに、日本の都市計画にあたる「都市建設基本計画」の「土地利用計画」と「景域計画」との整合性・一体化が法的に義務付けられており、「地域における野生生物の多様性保全」が実効性を持った「土地利用計画」を通じて確保されるシステムになっている。(第2-2-1図第2-2-2図)
ウ ドイツの農村整備
 ドイツでは、1970年代中頃まで専ら、労働条件の改善を目的に農地整備が行われてきた。しかし自然保護や景域保全に関する国民の意識が高まり1976年に連邦自然保護法が制定されたのを契機に「農地整備法」も改正され、農地整備を行う際に「自然保護・景域保全」に配慮すべき旨が法律の中で明らかにされた。また、公益の代表者として自然保護・景域保全を所管する官庁(自然保護官庁)が農地整備事業に関し、専門的立場から意見を述べる場が保証されている。
 この農地整備法の改正により、ドイツの農地整備の重点が農村地域全体の生態圏の維持をめざしたものへと大きく変わりつつある。これは人間性回復の場としての農村の価値を高め、それが結果的に農村の活性化を図ることにもつながっている。
 特にドイツ南部に位置するバイエルン州では、1983年以来、改正農地整備法に基づく農村整備手続きに反映させる形で、3段階からなる「景域計画」を作成し、自然保護・景域保全的課題を農村整備事業に導入する独自の方式を実施している。
 景域計画の第1段階としては、まず農村整備局が、農業者の代表、自然保護官庁等の了解を得ながら、国土保全上の「景域整備方針」を決定する。ここでは、対象地域の構造や土地利用状況等の環境構成要素について調査・評価を行い、対象地域の生態学的な繊細性、農業利用上の適否を把握し、立地条件に適した計画理念を策定し、景域整備の目標像を市民参加の下に決定する。
 第2段階として、「景域整備方針」を踏まえ道路建設や水路整備など農業生産の観点からの必要な事業について、自然保護・景域保全との調和を図るだけでなく、地域の生態系の回復のための積極的な措置について景域整備計画を策定する。ここでは、新たに生物空間を創造することよりも、既存の環境構成要素の保全を最重視して計画が策定される。さらに、農業生産上の事業が、自然に著しい影響を与える場合、自然保護法により代償することが義務付けられている。生態学的補償措置を講じる際には、事業対象地域にそれまで欠けていたビオトープを補充するなど、ビオトープネットワークの形成が目指される。
 最終段階として、農村整備手続の中で保全された生態学的に価値が高い土地や環境構成要素に関する保全管理措置に係る「保全管理計画」が策定され、農地整備法上の「農地整備計画」の中に組み込まれる。ドイツでは、農地整備に際して、そのほか土壌浸食が著しい傾斜地や野生生物の生息地として価値が高い湿地地域にある農地を、再び自然に戻していく、または農道沿いに帯状草地を創出することで個々のビオトープをつなげ、生物の移動するような回廊を計画的に整備する等、圃場整備によって生態圏を形成、維持することが目指されているのである。
 (第2-2-3図)(参考:ビオトープネットワーク?,?(財)日本生態系協会)


(2) 生物多様性保全のための国土区分及び区域ごとの重要地域情報
 環境庁では平成9年12月に、多様な自然環境を有する日本の国土レベルでの適切な生物多様性保全施策の推進を図るため、「生物多様性保全のための国土区分及び区域ごとの重要地域情報」の試案を取りまとめた。これは、生物多様性保全の基本単位として生物学的特性から見た、地域のまとまりを概括的に把握し、その保全目標と管理方策を整理しようとするものである。
 国土区分では、?日本列島の地史的成立経緯、?植生に強く影響する気候要素を取り上げ、これをベースに、ア)大陸島・海洋島 イ)渡瀬線・ブラキストン線 ウ)気温(温量指数)エ)年間降水量を用い、これにより全国を10に区分した。(第2-2-4図第2-2-5図)
 (注 渡瀬線……屋久島・種子島と奄美諸島との間、七島灘(トカラ列島)に東西に引いた生物地理上の境界線
 ブラキストン線…本州及び北海道の間に引かれた生物境界線
 温量指数…………吉良竜夫の考案による積算温度の一種で、月平均気温5度を減じて加算した値。植生区分の指標となる。)
 この10区分に基づき、代表性、典型性、生態系のまとまりの程度等を考慮しつつ、区域毎の生物学的特性を維持していく上で、コアとなる生態系を以下の観点から、植物群集を主な指標として抽出した。植物群集を指標としたのは、動物群集はその土地の植物群集へ強く依存するからである。コアとなる生態系を特定し、そこを中心とした保全施策を行うことが、当該国土区分内の生態系を全体として保全していくことにつながる。
A: 区域の生物学的特性を示す生態系
{1} 区域の特性を示す気候条件によりある程度のまとまりを持って成立している植物群集が見られる地域
{2} 生物学的特性を示す動物相が存続できるようなまとまりを持つ地域
B: 区域内の環境要因の違いにより特徴づけられる重要な生態系
 次に示したような環境要因によりある程度のまとまりを持って成立している植物群集が見られる地域
ア) 垂直、気候条件
イ) 地形条件(特異な地形等)
ウ) 水条件(湖沼、湿原、河川等)
エ) 地質、土壌条件(母岩の特性、土壌の物理化学的特性、厚さ等)
オ) 複合条件(複数の環境要因の複合)
C: 伝統的な土地利用により形成された注目すべき二次的自然
 二次林(アカマツ林、クヌギ-コナラ林等)、二次草原(山地草原等)、谷津田、ため池など長い年月の継続的な人為の影響下で形成された特 色ある生物群集が見られる地域
 試案では全国の研究者等に対するアンケート調査を行い、区域ごとの重要地域として、A:448件、B:884件、C:154件が抽出された。
 また、Aについて3次メッシュ単位で地図化を行い、国立・国定公園等との重なりの状況にしぼって分析している。
 今後は、今回抽出された重要地域情報を基礎として、さらに各区域の生物学的特性を保持している代表的な地域を特定し、地球温暖化や酸性雨等の影響を含めて、生物群集の動向やそれを取り巻く環境の変動等に関する長期的なモニタリング・調査研究を行うための体制を整備していくことがまず必要である。
 今回抽出された重要地域情報を基礎として、さらに区域の生物学的特性や生態系レベルの多様性の維持にとって特に重要な地域について特定するとともに、それらを体系的に保護地域として保全を図ることを検討することも重要である。またこの重要地域の保護を中心に国土区分の特質に応じた管理手法を確立し、当該区分内を一つの圏域として一体的な保護管理を展開していくことも望まれる。さらに、抽出された重要地域については、国土における多様な生態系に関する情報として意義が高いものであるため、開発の計画段階から環境アセスメントの段階まで、自然環境への配慮を行う際の基礎的情報として適正に活用されることが期待されている。
 これは、生物多様性保全の基本単位として国土を構成する自然的要素のうち地理的要素を中心に、地域のまとまりを等質的な生態圏として概括的に把握し、その保全目標と管理方策を整理しようとするものである。


(3) 生物多様性保全モデル地域計画
 多様な自然環境を有する日本においては、それぞれの地域の自然特性に応じて生物多様性保全を進めることが必要である。環境庁では、市町村・都道府県レベルでの生物多様性保全の取組の促進を図るため、生態系のまとまりとしてとらえられる流域、山地、半島・島しょといった3種類の等質的な生態圏ごとにそれぞれモデル地域(鶴見川流域、折爪岳地域、北松浦半島及び周辺島しょ地域)を選定し、生物多様性保全施策を推進するための地域レベルでの計画のあり方について検討している。
 流域タイプでは、1次、2次の支流域を単位にランドスケープ(地形及びその上に成立する動植物で構成される相観の生態系)を区分し、これをベースに保全目標を整理することとし、特に、本地域が都市化の著しく進行していることも踏まえ、地域の状況と保全に視点をあてて「生物多様性重点配慮地域」を抽出している。半島・島しょタイプでは、主として海域との関係に着目しながら、地形と土地利用の特徴から環境タイプを設定し、環境タイプごとの保全の方向を整理するとともに、環境タイプ別の「生態系のコア」となる地域を抽出している。山地タイプでは、生物の生息環境や土地利用を規定している標高の差をベースに環境タイプを設定し、環境タイプごとの保全の方向を整理するとともに、生物多様性保全のための配慮地域や回復拠点の設定及び垂直方向・水平方向の連続性を確保するためのコリドー(生態的回廊)の形成を打ち出している(第2-2-1表)。それぞれのモデル地域とも、こうした保全目標を踏まえ、具体策と計画の推進体制についても検討を行っている。
 これは、日本の生態圏を、流域、半島・島しょ、山地という地形的観点からとらえた取組である。本モデル計画のうち、鶴見川流域については、後述する流域圏の項で紹介する。


(4) 渡り鳥と生息域の保全
 日本でみることのできる渡り鳥は、ロシアや東南アジア等の国々の間を移動しているものであり、日本における陸域の緑地、湿地、干潟等の水辺は、このような渡り鳥にとって重要な生息空間を提供している。
 渡り鳥とは、そのライフサイクルにおいて、国境を越えて移動する鳥のことを指し、一般的には、春に東南アジアから主に繁殖のために渡ってくるものを夏鳥、北方より越冬のために渡来するものを冬鳥、北方の繁殖地と南方の越冬地との間を往復する際に立ち寄るものを旅鳥という。渡り鳥は、途中の休憩地で栄養分の補給を行いながら、目的地まで非常に長い距離を移動する。とりわけ、オーストラリアやニュージーランドで越冬して、シベリアやアラスカの繁殖地への移動途中に立ち寄るシギ・チドリ類は、非常に長い距離を移動するため、その保護のためには多国間で中継地の保全に取り組むことが必要である。
 平成6年、「東アジア〜オーストラリア湿地・水鳥ワークショップ」が開催され、アジア太平洋地域の水鳥保全戦略の策定、同地域の水鳥の種類群毎の保全活動計画の策定などについての勧告(釧路イニシアチブ)がまとめられた。これを受けて、環境庁とオーストラリア自然保護庁の支援のもと、アジア湿地調査局と国際水禽湿地調査局日本委員会が「アジア・太平洋地域渡り性水鳥保全戦略」を策定した。同戦略では、特にシギ・チドリ類、ツル類、ガンカモ類が取り上げられ、それぞれについて保全のための活動計画を策定すると共に、アジア・太平洋地域の渡りのルート上にある国々に対し、水鳥の渡来する湿地の情報交換や地域住民への普及啓発を通じて、水鳥とその生息地の保全を推進していくことが促された。同戦略に基づき、平成8年に「東アジア・オーストラリア地域シギ・チドリ類湿地ネットワーク」が構築され、9か国24湿地、日本からは2カ所(千葉県谷津干潟、徳島県吉野川河口干潟)が参加している。
 さらに、環境庁では、昭和63年からシギ・チドリ類の全国の主な渡来地において観察調査を継続的に行ってきたが、平成8年までの調査結果をとりまとめシギ・チドリ類の観察数が湿地ネットワークへの参加基準を満たす調査地点を抽出して「シギ・チドリ類渡来湿地目録」を作成した。また、その過程で、シギ・チドリ類の渡来数の多い、あるいは渡来種数が多いという観点から重要性の高い地域が明らかになった。(第2-2-6図)第2-2-7図は、本調査結果より1000羽以上の地域別最大確認数をまとめたもので、藤前干潟を含む庄内川・新川・日光川河口、コムケ湖等19の地域で確認されている。
 このようにシギ・チドリ等多くの渡り鳥にとって必要不可欠な湿地は、その他の生物の生息のためにも貴重な場所である。例えば、ある国の湿地で孵化する魚は、別の国の湿地や外洋で成魚として生息している場合がある。また、湿地の中でも干潟は、バクテリアやプランクトンがたくさん生息し、陸域から流れ込む汚物を分解している。それをカニやエビ、貝やゴカイが、さらにそれらを鳥、人が食べている。この食物連鎖が潟の水をきれいにし、新しい海の命、海産物を育てている。東京都環境科学研究所の干潟の水質浄化能力に関する研究結果では、(平成2年〜4年)では、自然干潟の底生生物の有機物除去能はCOD換算で、75〜151kgCOD/m
2
/年という結果が報告されている。このように干潟は、自然の物質循環を確保し、自然との共生を保つために重要な環境である。
 このような湿地を、渡り鳥を「つなぎ手」とした生態圏として捉えることにより、渡り鳥の生息環境及びその生息地のもつ環境保全上の役割をも評価しつつ、一体的な保全していくことが望まれる。


(5) 地球を支える世界の森林
 海外の森林は、本章で主に議論している我が国の国土の範囲からは少しはずれるが、気候の安定を保つなど、我が国も含めた地球全体の生態系を支えるものとして、ここで取り上げたい。以下では、森林の有する機能、世界の森林の状況を概観し、重要な森林を有する地域として、インドネシアとシベリアの状況を紹介する。
ア 森林の果たしている役割
 森林は、様々な機能を有しているが(第2-2-2表)、まず、地球全体という大きな生態系において、地球の生命の源泉としての役割を果たしている。つまり、酸素・有機物を生産し、熱循環、水循環、炭素循環を安定化している。例えば、炭素循環への貢献の機能についてみてみよう。炭素は、第2-2-8図のような循環をしており、森林は、植物の光合成により大気中の二酸化炭素を吸収し、陸上生態系に存在する炭素の約6割を固定・貯蔵している。また、森林は、生物多様性の保全にも重要な役割を果たしている。地球上の生物の種数は、1000万種あるいは1億種を超えるとされているが、その3分の2は森林に生息しており、中でも熱帯雨林には全種数の半数が生息しているとも言われている。
イ 世界の森林の概況
 現在、世界の森林面積は34億5400万ha(1995年(平成7年)、FAO「Stateof the World's Forest」)で、地球の陸地面積の26.6%を占めている。世界の森林は全体として減少傾向にあり、地域別に見ると、先進地域では微増、開発途上地域では減少している。また、先進地域についても、大気汚染の影響や天然林伐採後の更新の問題による森林の劣化が懸念されている。こうした状況の主な原因としては、農地への転用や商業伐採、非伝統的な焼き畑、過放牧、薪炭材の過剰伐採などの他、森林火災がある。森林は、第2-2-2表にあるとおり、有形無形の計り知れない役割を果たしているが、森林の持つ様々な機能のうち、一部だけが求められて、森林が失われていると言える。森林の持つ様々な機能を意識し、貴重な生態系を有する森林地域の保護や生物多様性の保全に配慮するなど持続可能な森林の保全、管理を行っていく必要がある。
ウ インドネシアの森林火災とシベリアの森林の状況
(ア) インドネシアの森林火災
 1997年(平成9年)6月頃からインドネシアのカリマンタン島、スマトラ島で発生した森林火災は、その後、エルニーニョ現象がもたらした干ばつとともに拡大し、広大な面積の森林を焼失させた。また、森林火災で発生した煙霧は、インドネシア国内のみならず東南アジアの近隣諸国に激しい大気汚染をもたらした。この森林火災は、ようやく1997年(平成9年)11月、雨季の到来とともに鎮火したが、1998年(平成10年)2月以降、東カリマンタンでは再び発生している。
 インドネシアでは、近年、大規模な森林火災が頻発し、大きな社会問題となっていたが、中でも今回の火災は最大級の規模であったと言われている。この森林火災の原因、被害の規模等については、未だ不明な部分が多く、公式的なデータはあまり存在しないが、環境に大きな影響をもたらしたトピックとして、ここでは、入手可能な研究情報等により、その一端を紹介する。
a 森林火災の状況
 インドネシアでは、1982年〜1983年(昭和57〜58年)にも大規模な森林火災が発生し、東カリマンタンで約360万haが焼失あるいは影響を受けたとされている。その後も平均して数年に1度の割合で大規模な森林火災が発生している。
 大規模な森林火災は、地球規模の環境影響という観点からみると、多量の二酸化炭素等の温室効果ガスを発生させるだけでなく、多種類の大気汚染物質を発生させる。第2-2-9図は火災が最も激しかった地域の一つであるスマトラ島ジャンビ県で測定したエアロゾルの濃度の変化を、第2-2-10図はマレーシア気象局がオゾンゾンデにより測定した対流圏オゾンの濃度の変化を示している。これらによると、エアロゾルは、11月7日から11月10日までの間に約500μg/m3もの高濃度を記録し、特に人の呼吸気管を通して肺へ到達する2μm以下の微小粒径のエアロゾルの濃度が高いことから、人の健康への影響が懸念される。対流圏オゾンについても、エアロゾルと同様に、9月から10月にかけて60〜80ppbの高濃度を記録した。対流圏オゾンは、温室効果ガスの一つであり、また光化学スモッグに含まれる主要なガスであることから、気候変動だけでなく、植物や人体への影響が懸念される。
 また、成層圏オゾンの破壊の原因物質である臭化メチルが森林火災により発生すると推測されている。第2-2-11図は、1997年(平成9年)9月と11月にかけてスマトラ島南部の地表付近の大気中において測定された結果であるが、バックグラウンド濃度よりも数十倍以上の高濃度を示している。これらの測定結果は、いずれも明らかに森林火災の影響により高濃度となったことを示している。
 一方で、大規模な森林火災は、植物の焼失という直接的な生態系への影響のみならず、哺乳類から昆虫にいたるまでの多種類の動物に対しても、生息可能域の減少を通して確実に影響を及ぼすと考えられる。
 このように、インドネシアの森林火災は近年頻発し、地域の社会経済だけでなく、地球規模の環境へも大きな影響を及ぼしているが、一方で影響評価のための定量的なデータの収集や解析研究、生態系修復のための方策研究等はまだ緒についたばかりであり、今後の系統立った調査研究の強化が必要である。
b 森林火災の原因
 元来、熱帯多雨林は、雨が多く、湿潤な環境であるため燃えにくいと考えられていた。こうした熱帯多雨林が、伐採や伐採用の道路により移住可能となった人間による開墾によって、分断され、乾燥化し、通気性の良い2次林やブッシュが増加し、燃えやすい条件を持つ地域が広がりつつある。また、インドネシア地域に乾燥をもたらすエルニーニョ現象が、少なくとも1997年(平成9年)には、最近半世紀間で最も早く始まり、かつ規模も最大級であった。こうした要因が相俟って、今回のような大規模で長期間にわたる火災が発生したと考えられている。
 また、インドネシアの森林火災で特徴的なのは、多くの泥炭湿地林が含まれることであり、地表の樹木が燃える地表火とともに地中の泥炭層、石炭層が燃える地中火も発生しており、地中火が消火活動を困難にし、火災を長期化させた原因の一つと考えられている。
c 我が国の取組
 我が国における熱帯林保全に資する森林火災関連の取組としては、国際協力事業団(JICA)を通じたプロジェクト方式技術協力として、平成8年より「インドネシア森林火災予防計画」を実施しており、森林火災の早期発見や初期消火方法の改善等に取り組んでいる。
 また、こうしたインドネシア森林火災について、大気や生態系に与える影響に関連する調査研究、観測等がより効率的に行われるよう、環境庁では、平成10年3月に文部省国際学術研究班(代表:中島映至東京大学教授)と共同で「1997年インドネシア森林火災国際研究集会」を開催し、国内外の研究者間の情報交換、意見交換の促進を図ったところである。
(イ) シベリア・極東地域の森林の状況について
a シベリア・極東地域の森林の概況
 近年、熱帯林のみならず、カナダやロシアの北方林の状況についても危機感が強まっている。ロシアのシベリア・極東地域で伐採される木材の3割、輸出される木材の8割は日本向けといわれている。また、シベリア・極東地域の森林は、シギ・チドリ等渡り鳥の繁殖地であるとともに、その膨大な面積により地球全体の炭素循環に大きな影響を持つなど、我が国の環境とも大きな関連を持っている。以下、あまり知られていないシベリア・極東地域の森林の状況を紹介したい。
 ロシアの森林は、世界の全森林面積の22%、総森林蓄積の21%、針葉樹蓄積の51%を占めている。森林面積は、1966年(昭和41年)の6億5800haから1993年(平成5年)には7億600万haへと微増しているが、森林蓄積はほぼ横這い、針葉樹蓄積は低下傾向、成熟林蓄積は急減しており、森林の質の劣化が進んでいる(第2-2-12図)。これは、齢別森林蓄積が急激に若齢化(平均樹齢はこの12年間に9年低下)していることからも知ることができる。
 地域別に見てみよう。ロシアは、ウラル山脈を境に西から、ヨーロッパ・ロシアとアジア・ロシアに大きく分けられ、さらにアジア・ロシアは、西シベリア、東シベリア、極東に分けられる。各地域の主な植生は第2-2-13図第2-2-14図のようになっており、また、シベリア・極東地域の北東部は永久凍土地帯になっている。森林蓄積で見ると、ヨーロッパ・ロシアの森林は回復傾向にあり、東西のシベリアは横這い、そして極東では著しい悪化が進んでいる(第2-2-15図)
 状況の悪化の進んでいる極東の森林を詳しく見てみる。極東の全森林面積は、2億7373万ha、総森林蓄積は204億m
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(1993年(平成5年)。平成7年の統計による我が国の総森林面積は2515万ha、総森林蓄積は約35億m
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)であり、樹種は、カラマツを中心に、エゾマツ・トドマツ、カンバ類、硬質広葉樹等が生育しており、沿海地方、サハリン等の極東南部では、我が国の北海道の森林と似た風景が広がっている。極東の森林の状況を1988年(昭和63年)と1993年(平成5年)の比較すると、木材としての商品価値の高い針葉樹面積、硬質広葉樹面積は減少しており、カンバ類の面積が増加している。成熟林の面積・蓄積ともに減少しており、成熟林比率は48.5%とアジア・ロシアの他の地域より低くなっている。伐採量は年間3000万〜1000万m
3
であるにもかかわらず、森林蓄積は年間1億m
3
以上減少している。また、ヘクタール当たりの成長量は0.9m
3
から0.7m
3
へと森林の若齢化にも関わらず低下している。
 また、シベリア・極東地域の森林でも火災が頻発しており、多い年には200万haを超えると言われている。火災の8割は人為的なものであり、集落や道路に近いほど火災が多いとされている。
b シベリア・極東地域での森林経営
 シベリア・極東地域南部の非凍土地帯では、木材生産を目的とした森林経営が行われているが、ソ連の崩壊の影響を今なお強く受けており、旧式の機械を使用し続けることによる生産効率の低下、収益の減少が、植林等適切な森林管理を伴わない森林資源の消費を余儀なくし、森林の劣化、伐採の奥地化を引き起こしている。国際的な木材価格の低迷も、適切な管理を伴わない森林資源の消費に拍車をかけている。
 また、前述の通り、この地域では森林火災が頻発しているが、出火の主原因は人為的なものであり、その背景には、伐採跡地に商品価値の低い木が放置され、こうした木が乾燥して燃えやすくなっているといった状況があり、不適切な伐採行為が森林火災の大きな原因となっていると考えられている。ソ連の崩壊後、シベリア・極東地域では、航空機による火災の早期発見等森林を管理するための資金の欠乏や組織の混乱が生じており、森林管理に関して深刻な状況が続いている。
 現在、持続可能な森林経営のための様々な国際的な検討が行われているが、地球環境に大きな影響を持つシベリア・極東地域の森林が適切に保全・管理されていくためにも、森林保護のための国際的な枠組みの形成が期待される。また、我が国は現地に適合した有効な協力指針を作成するための取組を行っている。
c シベリア・極東地域の永久凍土地帯の森林
 シベリア・極東地域の北東部一帯は、永久凍土で覆われている。この地域は、降水量が非常に少なくなっており、本来樹木の生育には不利な気候であるが、凍土が水の浸透・流出を防ぎ、保水のはたらきをしているため、カラマツを中心とした森林が形成されている。一方、この森林は凍土の融解を防ぐはたらきをしており、シベリア・極東地域の北東部では、永久凍土と森林が擬似的な共生関係にあると言える。このような永久凍土地帯で火災等により森林が失われると、凍土が融解し、湿地、さらには草地となり、森林が元には戻らない場合もある(第2-2-16図)。
 また、凍土が融解すると、過去に生成・蓄積された温室効果を持つメタンガスが長期にわたって発生する。さらに、こうした融解跡地に新たに形成される湿地がまたメタンガスを発生する。こうしたメタンガスの量は、年間1000万トン強(過去蓄積分約1万トン、新たな湿地からの発生分約1000万トン、全体量の持つ温室効果をGWP(温暖化係数)により炭素に換算すると2億1000万トン強分に相当)にのぼるとの研究もある。


(6) 生態圏を視野に入れた人間の活動
ア 生態圏と人間活動
 生態圏は、上記でみたように、国土を構成する自然的要素を基礎とした、生態系を健全に保つための様々な野生生物の生息・生育のために必要な、空間的連続性または一体性をもったまとまりとして捉えることができる。ここでは、この生態圏を意識した人間の社会経済活動を具体的な地域レベルで見てみたい。
 日本の伝統的な農村環境は、農業生産を持続的に行うために農耕地、農用林・屋敷林、ため池等の各ビオトープが、しばしば一定の規則をもちつつ、モザイク状に配置されていた。そしてこの伝統的農村に見られる土地利用が、多様な生物相を保全する上でも好適な構造を有していた。例えば、屋敷林や二次遷移初期段階の構成種に係る農耕地における種子が、果実食によって二次林構成種に係る里山林に供給される等各構成要素が相互に種子を供給しあい、それぞれの自然状況が維持されている。つまり、かつての伝統的な農村においては、そのモザイク状の土地利用により、地域全体の植生及びその植生を基礎とした生態系を維持し、人間を含む生物の生息にとって望ましい環境が形成されていた。
 このように、伝統的な農村環境は人間活動と共存する生態圏を維持してきたものとして捉えることができよう。近年問題となっている鳥獣の集落地域への侵入による農耕地への悪影響、特定の生物の異常繁殖等の市街地の拡大等は、生態圏を十分配慮しない人間活動の拡大が背景になっていると考えられる。
イ 自然保全地域の地域づくり−フランスの地方自然公園制度−
 フランスでは、国立公園を補完する地方自然公園制度が1967年(昭和42年)に創設された。地方自然公園は、すぐれた自然的、文化的特性を有する農村地域を対象に、域内の社会、経済的活動を維持しながら、柔軟で持続的な手法を通じて地域の自然的及び文化的な資産を保全し、整備することにより、都市住民の余暇活動、休息、観光、教育のために活用するとともに地域の活性化を図ることを目的としている。
 自然公園は、関係する地方公共団体の提案又は同意に基づき、州知事が、県や市町村と共同して、公園の管理運営及び関係市町村の整備計画に対する基本的な指針となる「公園設立憲章」を作成し、それを環境大臣が認可した後、州知事の決定により設立される。公園設立憲章は公園設立に参加した行政機関の間で交わす行政契約であり、直接規制力をもつものではない。一方、地方自然公園はゾーニングされた単なる公園ではなく、運営主体を持つ組織体であり、公園設立憲章を具体化する法人や協議会を持っている。そして、国、州、県と、地域=市町村連合の契約により、財政的負担義務を定め、その承認後補助金が交付されている。
 例えば、アルプスの近隣に位置するシャルトルース地方自然公園のケースを取り上げてみたい。シャルトルース地方自然公園は、2つの県にまたがっていて、当初は63の町村を対象に調整がなされた。1992年(平成4年)に公園設立が決定された。
 憲章自体は、町村と県と州との契約であるが、シャルトルース地方自然公園の憲章は、行政責任上の約束だけでは不十分として、地方自然公園の主役が住民であることを強調している。憲章制定にあたっては、公園、関係町村及び住民の3者が協約し、各主体の行動指針を定める。シャルトルースの町村は、過疎化が進み農業の近代化には追いつけず、観光農業を目指していたが、個々の村は経済力が十分ではなかったため、全体としてまとまった方向を模索し、地方自然公園を設立したのである。
 その際の方針は、
? 景観の質の創造と維持に関しては、伝統的なものを生かしつつ、公園全体をゾーニングして目標を設定する。
 例えば、標高1800メートル以上の高原地帯は保全区域の指定を促進し、放牧のみが許容される地帯とし、また景観の保護のための農業の育成、広告物の規制等を行う。
? 生活空間に関しては、農業を景観の質を向上させる唯一のパートナーとして位置づけ、農産品の質を向上させ、農業を振興する。そのためシャルトルースというラベルの農産品の開発を追求する。
? 施設の整備に関しては、「発見の小道」のサイン計画の整備を行うことで、出会いの空間を創出する。このことにより環境からのメッセージをラベル化することによって子供向けの環境教育とともに、地元住民、訪問者にも共通の認識ができ、双方のコミュニケーションが可能になる。
 この方針に基づき、スキー場を拡張せずに、クロスカントリースキー等による散策ルートを設定したり、文化遺産に関しては、散策する過程で伝統的な建物や生業に行き着くルートを選定するプログラムを開発する等の取組を実施している。
 このように、フランスの地方自然公園では、貴重な自然環境と、自然と人間との共生の営みの中で形成されてきた歴史的な風景、集落を保全したり、活用していくことを基本としている。そして、景観、動植物保護、水質、廃棄物、観光など生活に関連する様々な課題と関わりながら、地域の自然保護がはかられている。すなわち、地域の自然のメカニズムを大事にしつつ、生活基盤を整えていくという、生態圏の中における豊かな人間活動を保証する地域づくりが目指されているといえよう。そして、公園を管理するための「公の施設法人」の存在、及び市民、行政等の参画によって策定された市民憲章において取組の主体、地域づくりの方針が明確されていることが、その仕組みの背景にある。(第2-2-17図)
ウ 「地球にやさしいむら」……大分県久住町における取組……
 大分県久住町は、広大な森林を抱くくじゅう連山、その麓の高原に広がる大草原、その下には、人々が産業と生活を営む田園地帯がある。ここでは、久住の環境そのものが、久住の人々が生きていく上での大きな「資産」となっている。この久住の環境資産は、人の手が入らない原生的な自然環境だけでなく、昔からこの地域に住む人々が幾世代にもわたって続けてきた農的な営みによって作り上げられた、つまり人と自然との共生から生み出された一つの文化的所産といえよう。
 久住町では、平成6年7月に大分県によって策定された構想である「地球にやさしいむら」構想のモデル地域として、様々な取組がなされている。その取組の一つとして、久住の自然に触れ、自然を知り、社会や文化のあり方も含め、人々がともに考えるための「学びの里でのわかちあい」の事業が行われている。具体的には、久住などの草原の維持を考える「野焼きシンポジウム」「野焼きボランティア」等の取組がなされている。また、自然のふれあいの場としての「エコロジーキャンプ」や九州をはじめ西日本各地から環境教育に関わる人々があつまり久住の自然と人間との共生の姿に触れ、環境教育のあり方を考える「久住高原環境教育ミーティング」が毎年実施されている。


(7) 生態圏を意識した今後の取組
 以上の事例から、生態圏としては、ビオトープのような小規模なものから、流域、半島等の地形的な「まとまり」で捉えられるもの及び10の国土区分、さらに、渡り鳥、森林のような国境を越えるものまで様々なものが想定される。このような生態圏は、地域レベルでの小規模のものもあれば、行政区域を越えた広域的にわたるものまで様々である。したがって、様々な生態圏の基で、それと調和する人間活動のあり方を、既存の行政区分、経済体制にとらわれず、広い視野でもって模索していくことが求められよう。

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