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第1節 

1 科学技術と環境の関係

 科学技術は、一方では環境に対し大きな影響をもたらし、他方で環境保全のため大きな役割を果たしている。
(1) 科学技術が環境保全に果たす役割
 科学技術の発展は環境の保全と分かちがたく結びついている。環境保全を進めるためには、まず、環境の現状を把握し、次に、汚染原因と汚染発生に至る機構を解明し、汚染による影響の評価や将来予測も踏まえて、それに基づき、環境汚染を防止・回復するための措置をとるという一連の対策を進めることが必要である。この各段階において、科学技術は重要な役割を果たしている。
ア 環境の現状の把握
 環境破壊が生じていないか、あるいは、環境が現在どのような状態にあるのかという事実を科学的に正確に把握することは、環境保全を進める上で、まず最初に必要となる基礎的な事項である。
 特に、広域的・長期的な問題である地球環境問題に対して実効ある取組を行うためには、地球環境に関する観測・監視と調査研究を強化し、人類の諸活動が地球環境に及ぼす影響を科学的に解明するための基礎作りを進めることが不可欠である。
 例えば、1970年に、ガスクロマトグラフィー用の電子補足センサーが発明された。この発明により、大気中にごくわずかしか存在しないフロンガスの濃度を一兆分の1の単位で測定できるようになり、71年に大気中にフロン−11が存在することが示され、74年にカリフォルニア大学のローランド教授とモリーナ博士がフロンによるオゾン層の破壊の危険性を科学的に明らかにすることにつながっていった。
 気象庁では、温室効果ガスやオゾン層の観測について、世界気象機関(WMO)の全球大気監視(GAW)計画に基づき観測を実施し、それらを基に、刊行物や電子媒体により科学的な評価を公表してきている。また、WMO温室効果ガス世界資料センターにより温室効果ガス等の観測データを収集し、品質管理を行い、全地球的なデータベースとして構築しデータ集や電子媒体を通して利用者に提供している。
 国立環境研究所(地球環境研究センター)では、環境庁が毎年度策定する「地球環境モニタリング計画」に基づき、地球環境研究や行政施策に必要となる基礎的なデータを得ることを目的として、世界各国・関係国際機関と連携しつつ、地球的規模での精緻で体系的かつ長期的な地球環境モニタリングを推進している。具体的には、第1章で述べた地球温暖化に係るモニタリングの他に、定期航路を利用した海洋汚染モニタリング、オゾンレーザーレーダーや人工衛星による成層圏オゾンのモニタリング、人工衛星画像等を用いた植生変動のモニタリング、及び有害紫外線のモニタリングなどとあわせて、GEMS(地球環境モニタリングシステム)/WATERの活動の支援などを行っている。
 これらにより得られたデータは、地球環境データベースを通じて国内外の研究者等の利用に供されている。
 また、平成8年8月には宇宙開発事業団により地球観測衛星「みどり」が打ち上げられ、地球の温暖化、オゾン層の破壊、熱帯雨林の減少等の環境問題に対応した観測・監視を行うためのデータの取得が開始されている。取得されたデータにより、国際的な連携の下で環境変化の把握やその原因究明のための科学的研究が推進されることが期待されている。
イ 環境汚染の機構の解明
 科学的に把握した環境の現状に対して環境保全対策を的確に講じるためには、環境汚染の発生源が何か、どのような機構で環境汚染が発生するに至っているのか、などを解明し、どのような影響が生じるかを予測することが必要となる。
 環境庁は、地球環境研究総合推進費により、各省庁の国立試験研究機関等の連携の下で、地球温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、海洋の汚染、森林の減少、野生生物の減少等の地球的規模の環境問題に関する調査・研究を実施している。
 また、国立環境研究所においては、交通公害、都市大気汚染、湖沼汚染、海域の汚染、廃棄物などのあらゆる地域環境問題について、その現象・機構の解明、影響の予測、対策等について研究を進めている。特に、環境リスクについては、環境汚染による人の健康や自然生態系への影響を防止するため、プロジェクトチームを構成し、大気汚染物質、人工化学物質、都市型ストレス等の健康リスク評価及び化学物質、遺伝子組み替え体等の生態系リスクの研究を進めている。
ウ 科学技術による環境の改善
 環境を実際に改善するためには、科学技術の利用が不可欠である。技術革新により環境保全対策が進められている例として、技術の壁に苦しみながらも官民が力を合わせ一つ一つ難関を突破することによって対応を進めている自動車排出ガス対策について見てみよう。
(ア) 科学技術の発展過程−自動車排出ガス対策の例
 自動車は、昭和30年代以降の急速なモータリゼーションの進展を通じ国民の日常生活、経済活動にとって不可欠な輸送機関に成長したが、反面で、大気汚染、騒音、振動等の公害問題を惹起した。特に昭和45年から47年にかけて光化学スモッグによるものと考えられる被害が続出したことを背景に、自動車排出ガスによる大気汚染が深刻な政治・社会問題となった。
 当時、米国では、一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物を厳しく削減すること等を内容とする1970年大気清浄法改正法(いわゆるマスキー法)が成立しており、その実施に向けた準備が進められていた。このような状況の下で、昭和46年9月、中央公害対策審議会に対し「自動車排出ガス許容限度長期設定方策について」が諮問され、昭和47年8月、「現在の世界における最も厳しい規制基準である米国の1970年大気清浄法改正法などが予定している規制と少なくとも同程度の規制を目標として許容限度を設定し、自動車排出ガスの排出総量を低減することが必要である」との認識に立って、昭和50年4月以降の生産車に対する規制に関する中間報告がまとめられた。
 米国においては、その後、マスキー法の施行が延期され、国内でも中間答申の実施に反対する声も上がったが、同時に、技術的に対応が可能とするメーカーもあり、環境庁は、50年度規制を予定どおり実施した。
 しかし、答申のうち「窒素酸化物については50年度規制の実施後51年度にさらに削減する」とされていた部分については、自動車メーカー側は昭和49年6月段階でなお実施不可能としていた。
 こうした状況において、国会においても、自動車メーカー、地方公共団体、学識経験者等が喚問されるなど活発な議論が行われた。
 特に産業界からは、公害防止投資によるコスト増が景気浮揚に悪影響をもたらし、我が国経済の国際競争力の低下をもたらすおそれがあるとの懸念が示された。一方、環境庁においては、計量経済モデルにより、排出ガス規制等の厳しい公害対策がマクロ経済に与える影響はそれほど大きなものではないとの予測がなされた。
 中央公害対策審議会は、昭和49年12月、「(51年度に実施を計画していた)窒素酸化物の低減目標値は、当面2年間延期し、53年度をめどに技術開発を促進する」とする中間報告を行った。その中で「規制に対応できる技術開発がいつ実現するかについての予測はたて難いながらも、不可能であると断定することもできない以上、一定の達成目標期間を設けて、当初目標の達成のため技術開発を促進させることとした上で、技術開発の状況について逐次その評価を行うことにより、その達成を図るべきこと」との提言がなされたことが注目される。
 これを受け、環境庁は、昭和51年12月、窒素酸化物の排出量を未規制時に対して92%削減する規制強化を内容とする53年度規制の告示を行った。
(イ) 科学技術と環境規制
 この過程を振り返ってみると、マスキー法レベルの規制の導入は2年延期されたものの、明確な政策目標があったために、自動車メーカーは研究開発を続け、その結果当初不可能ともいわれた技術の開発導入が短期間に実現したものといえる。また、自動車排出ガス規制の経済に対する悪影響についても規制実施前には様々な懸念がなされたが、結果としては、マクロ経済への悪影響が生じなかったことはもちろん、日本車の燃費は向上し、かえって国際競争力が強まることとなった。
 このように環境規制が未成熟な技術を発展させるだけでなく、技術の発展が次の規制を可能にし、さらに、技術的優位が産業の国際競争力の強化につながるというように、環境規制、科学技術、産業の競争力の間には相互に助長する関係があるということができる。
 現在も、環境庁においては、排出ガス低減の将来目標を示しメーカーの技術開発を促すとともに、技術の進展に応じ排出ガス規制を逐次強化している。メーカーにおいては、エンジン内の燃焼改善や触媒・フィルター等の後処理装置の開発・改良等、各種要素技術の開発が進められており、これらの新技術の投入による排出ガスの一層の低減が期待されるところである。また、電気自動車、ハイブリッド車等の低公害車の開発・普及も進められており、低公害車に係る技術革新及び大量普及に向けたインフラ整備等の社会環境づくりも期待されている。
(2) 科学技術が環境に与える影響
ア 産業化・都市化に伴う環境影響の発生
 産業化が進展する際に、事業者に環境への配慮が欠けていたため著しい環境影響が発生した例は、水俣病、イタイイタイ病をはじめとするいわゆる四大公害として良く知られているところである。また、都市化とモータリゼイションの急速な進行に伴い、自動車騒音や排気ガスなどの道路環境問題が、次第に激化したり、都心部等において、周辺部より気温の高い地域が生じるヒートアイランド現象が発生している。これらの問題は科学技術の発展と密接な関連を有している。
イ 科学技術の環境に対する予期しなかった影響
 一方、新たな化学物質などの科学技術の成果が、複雑な汚染経路を経て、思いがけない環境汚染・環境影響をもたらすことがしばしばある。
(ア) PCB問題
 その代表的な例として、PCB問題をあげることができる。昭和29年から製造が開始されたPCBは安定性が極めて高く、すぐれた電気絶縁性を有しているため、日常身近な電気器具、感圧紙など多くの製品に使用されてきた。しかし、その毒性は高く、昭和43年、食品製造工程における事故によってカネミ油症事件のような人体被害が発生し、このことに伴い、PCBによる環境汚染が大きな関心を集めるところとなり、関係省庁の行政指導によりPCBの製造中止、回収等の指示がなされるとともに、分解性が悪く、生物に濃縮する性質のある物質を規制するため、昭和48年に「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」が制定され、PCBは同法に基づく特定化学物質(現在、第1種特定化学物質)に指定されて、原則、製造等が禁止された。
(イ) フロン問題
 1930年ごろに冷媒として開発されたフロン(CFC)は、冷蔵庫やエアコンなどに欠くことのできない物質として発達した。さらに、第二次大戦後は、人体に対する毒性が低く、無味無臭で化学的に安定であること、圧力によって容易に液化して多くの有機物を溶かすことなどの性質を利用して、例えば、人体への毒性や環境への悪影響の心配のないクリーンな洗浄溶剤として、エレクトロニクス産業で部品の洗浄に大量に使用されるなど、洗浄剤や噴射剤、発泡剤など冷媒以外の多様な用途に広く利用され、二十世紀が生んだ最も大きな発明品の一つとして現代文明の発達に貢献した。
 しかし、このフロンは、成層圏に到達すると、紫外線で分解されて塩素原子を放出し、この原子がオゾン層を破壊することが、開発後40年以上経過した1974年になって初めて指摘された。そして、その後わずか十数年で、オゾン層保護のための国際条約・議定書や我が国の国内法制度が整備され、現在では生産が禁止されている。さらに、地球温暖化問題が重要になるにつれて、1990年ごろからは、フロンが温室効果ガスの一種でもあることが改めて取り上げられるようになっている。
(ウ) 電磁波その他の新しい問題
 また、最近では、電磁波を発生する電気機器が生活の中に急速に普及してきた。これに伴い、日常生活の場における電磁波も増してきている。近年、疫学的研究により超低周波電磁界による健康影響の可能性が示唆され、その解明が課題となっている。しかしながら、健康影響については未だ不明な点が多いため、環境庁において動物実験等に着手することとしている。
 さらに、近年、マイクロエレクトロニクス、新素材、バイオテクノロジー等のいわゆる先端技術を中心に技術開発の進展が著しく、このような技術の開発・利用に伴い、発生源、排出形態、影響の面で新たなタイプの環境汚染の可能性が指摘されている。こうした状況を踏まえ、先端技術の産業利用に当たっては、環境面への影響を事前に十分検討して将来環境問題が生ずることがないよう配慮していくことが重要である。
(エ) 生態系など因果関係が複雑な問題
 また、特に予測の難しいものとして生態系への影響が挙げられる。例えば、サイエンス誌によれば、北米・中米の渡り鳥の数が減少している(例えば、25年間にキツグミは40%、キンバネアメリカムシクイは46%減少した。)が、これは、コーヒー栽培方法が、伝統的な陰樹型から、除草剤・殺虫剤を多用し、収穫量が約3倍になる陽樹型へと変化しており、このため、豊富な昆虫類と木の実が存在し、渡り鳥の格好の餌場となっていた従来のコーヒー栽培環境が消滅したことが原因ではないかという疑いが持たれている。
 このように、ある科学技術を単に経済的な理由等により採用した場合、環境が複雑な系から成り立っていることから、予期しない環境影響が生じる場合がある。このため、新たな科学技術の開発・適用に当たっては、それが環境に与える影響について事前に十分な評価を行う必要がある。
ウ 省エネルギー・省資源技術の経済性の限界
 また、aでみてきたように、生産過程における廃棄物の発生抑制、再資源化や製品化、省エネルギーが環境改善に大きな効果を発揮する。しかし、通常実際にこれらの技術が適用されるのは、経済的に利益があがる場合が多いことから、環境保全のためには、他の政策措置をあわせて講ずることが必要な場合も多い。
(3) 科学技術と環境との関わりについての考え方
ア 科学技術による対応の限界
 現代の科学技術は、1970年代の石油ショックを契機として、資源の有限性を意識するようになったが、大気や海をはじめとする自然環境は、有害な化学物質、二酸化炭素、固形の廃棄物などを処理する場所として、依然として、無料で無限に使用できるものと考えられてきた。しかし、その後もさらに経済規模の拡大が続くことにより、資源だけでなく、環境自体も、有限で価値のあるものであることが顕在化しつつある。
 また、科学技術を用いて、ある環境破壊をエネルギー消費を始めとする別の環境破壊に置き換えることにより、環境改善が行われており、その単純な拡大には限界があるということが意識されるようになってきた。例えば、電気集塵機を設置して、粉じんの大気中への放出を防止する措置を講ずることは、大気汚染の防止には役立つものの、一方で、エネルギーを使用することにより二酸化炭素の排出増加をもたらしており、結局、大気汚染を二酸化炭素の増加で置き換えていることになる。このように、経済活動が巨大化することに伴い、かつては問題とならなかったようなことが障害として立ち現れるに至り、近年、環境が制約要件となった経済成長の限界があることが強く意識されるようになってきた。
 これに対し、資源問題や環境問題を解決する画期的な発明や技術革新が行われることを期待する立場もあり得るが、その発明が行われないまま資源の消尽や環境の限界を迎えた場合、その時点で、生産方法や生活様式の急激な変更が避けられないという、極めて大きなリスクを背負うことになる。
イ 科学技術を環境保全に生かす
 一方、現在人類が直面している問題を解決するためには科学技術の活用が不可欠であることもいうまでもない。
 従って、実現可能かどうか分からない将来の画期的な技術革新に期待を抱き、それまでの過渡期として現在を見るのではなく、また、いたずらな悲観主義に浸るのでもなく、環境を守るために、今、科学技術を具体的にどのように用いるべきかを考えることが必要であるということができる。また、科学技術に携わる者は、現代の科学技術が環境と密接に関わり合っていることを踏まえて、常に環境への影響を考慮していくことが望まれる。

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