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第1節 

5 地域の自然と共に生きる豊かな生活

 これまで見てきたように、生物多様性の保全とは、希少な野生生物から身近に見られる生物も含めて生態系として総合的に保全していくことであり、それは、人々の生活に物質、精神両面で欠くことのできないものである。
 かつて、濃密な自然とのふれあいが日常生活において展開されていた頃、自然の恵みに対する謙虚な態度が当然のこととして培われていた。今日、この自然と人間が共に息づくかつての関係を現代の要求にこたえられる形で、新しく再現していくことが要求されている。多様な自然の恵みを受け、持続的に発展していけるような生活を、今日の社会において、どのように見い出していくことができるだろうか。

(1) 自然とのふれあいをめぐる意識と行動

 近年の各種の意識調査の結果からは、自然とのふれあいや環境問題に関する人々の関心の高まりがうかがえる(第2-1-7表)。今後の国土づくりにおいては「自然環境の保護」に力を入れるべきであるとする人の割合が第1位となっている。また、これからは生活の便利さよりも自然とのふれあいが求められるようになると考えている人が増えており、中高年層では余暇活動において「自然とのふれあい」を志向する傾向がうかがえる。学校教育においても力を入れてほしい教育課題として「自然を活かした体験活動」が1番目に挙げられている。
 これらの調査から、地球環境問題や自然破壊の問題が大きく取り上げられ、環境問題に対する関心が高まっている中で、自らの問題としても、健康な肉体や精神を維持するために豊かな自然とのふれあいを求める意識が強くなっていることは明らかであろう。しかし、人々のイメージの中で、自然や環境問題に対する認識は高まっているものの、実際の行動にはなかなかつながりにくく、人々の生活は地域の環境づくりに結びついていかない傾向が見られる。そのような中、実際の体験を重視した新しい自然との接し方を模索する動きも出始めている。
ア エコツーリズム
 エコツーリズムは、その地域の環境や生活文化を損なうことなく、地域の自然や文化とより深くふれあい、学ぶ旅行であり、80年代後半頃から新たな旅行の概念として認知され始めた。我が国の優れた自然地域において自然環境を保全しながら活用し、地域の発展を図る手法の一つとして大きな可能性を秘めたものである。
 沖縄県の西表島ではエコツーリズム等の企画のために、島民たちへのヒアリングを中心に、自然、歴史、生活、信仰等に関する島の自然・文化資源や野外活動に適した場所・時期などについて調査が行われた。この調査は、島の自然・文化資源の見直しや新しい資源の発見につながり、島の住民たちが島の豊かさ、素晴らしさを再認識する契機となった。
 この調査後、島の豊かな資源を生かして滞在型の観光地にする方法を探るための勉強会が始まった。勉強会の成果は、平成6年、「西表島エコツーリズム・ガイドブック」として一冊の本にまとめられた。同書には島の自然だけでなく、地名、祭り、食文化、歴史など島の人々と自然とのかかわりが四季の変化と合わせて生き生きと描かれている(第2-1-15図)
 西表島におけるエコツーリズムは、謙虚な心と尊敬の念を持って自然と接することを出発点とし、島人たちが歴史の中で培ってきた自然とともに生きる知恵を追体験しながら、じっくり自然とふれあうことをテーマにしている。
イ 自然学校
 自然をより深く理解し、接するためには自然学習・教育の場が必要である。アメリカでは主に環境教育を行う自然学校が発達している。その規模も内容もまちまちだが、プログラムは豊富で、自然・人文・社会科学系、アウトドア全般まで様々な研究、観察、遊びのプログラムがそろっており、受講すると高校や大学の単位が取れるものもある。
 我が国では、この分野はまだまだ未発達であり、その数も少ない。代表的な自然学校として、山梨県・清里にある財団法人キープ協会のエコロジーキャンプや東京都狛江市の国際自然大学校、静岡県・芝川町のホールアース自然学校などがあげられる。
 財団法人キープ協会のエコロジーキャンプは昭和60年に始まり、平成7年11月までに計43回開催されている。毎回異なるテーマを掲げ(第2-1-8表)、3泊から4泊の日程で行われている。このプログラムは、自然の中での体験や感性を重視し、参加者が主体的に問題の解決に取り組めることに特徴がある。
 キャンプは大人を対象としているが、主催者である財団法人キープ協会ではその理由を「環境教育が必要なのはまず私たち大人だから」だとしている。「私たちの生活のスタイル、「文明」そのものが問われているのが環境問題であり、私たちは大きな価値観の転換を迫られている。私たち自身が変わること。これまでの文明や生活を反省し、「もう一つの道」を探し始めること。これが子供たちの世代に期待する前提なのだと考える」と語っている。



(2) 多様な地域の環境づくり

 近年、農村や農業の持つ自然や歴史・文化の豊かさ、循環の仕組みが見直されつつあり、都市住民にとっては自然や地域文化とのふれあいの場所として、今後ますますその価値が高まっていくと考えられる。地域に残された農地や自然とそれに育まれた生活文化を活かしながら、都市住民と地域住民の交流のもとに、地域づくりをしている例が見られる。
 東京の西に広がる多摩丘陵に、人口30万人を目指す新しい街「多摩ニュータウン」があり、それに隣接した地区の一角に「ユギ・ファーマーズ・クラブ」はある。そこには雑木林や畑地が展開する多摩丘陵の原風景が広がっている。ユギ・ファーマーズ・クラブは多摩ニュータウン近辺の地区で、代々酪農や養蚕を営んでいる農家、生活している住民、周辺の市街地に住む都市住民が交流しながら、多摩丘陵の豊かな自然を活かした暮らしやすいニュータウンづくりを進めるための活動を行っている市民団体である。
 多摩ニュータウンに隣接した地区には、開発が進む中で展開された農地の保全運動がきっかけとなって開発区域から除外され酪農が行われている4.4haの区域がある。そして、その区域を拠点として農家を中心に地元住民、ニュータウン住民等様々な人々の参加の下に酪農農業を都市住民に理解、評価してもらうための研究活動が展開され、その活動の中からユギ・ファーマーズ・クラブは発足した。会員数は、現在300人を越えている。活動内容は自由で、自分の生活に無理のない範囲で農作業を楽しむといった形になっている。稲作や野菜栽培、養蚕、炭焼き、ハム・ソーセージ・そば・お茶・ジャム作りなど多彩である。周辺地域からも様々な参加者が集まるようになり、その活動と人々の交流は日常的なものになっている。活動を知って、地元の小学校からは、クラスごとに農業体験を行いに来る。また、障害者の施設の生徒たちも訪れるが、農家から借りた畑で椎茸や野菜、花づくりを生き生きと行っている。
 ユギ・ファーマーズ・クラブの人々は、自然や農業と共存する都市づくりは都市の価値を高めこそすれ、損なうことはないと考えている。ニュータウンの中の農地にはゆとりやうるおいがあり、人々にとって、心地よい空間となっているからである。四季折々変化する自然の中で遊び、生き物の大切さを子供達に学ばせたいという願いにこたえてくれるのも残された森や農地なのである。ニュータウンの登場の裏で、昔からの農村共同体に変わり、新しい共同体として登場したのがユギ・ファーマーズ・クラブと言えるだろう。
 個性的で豊かな地域づくりを進めるためには、地域に眠る文化や伝統を適切に掘り起こし、新しいものも加えて、今に活かす工夫が求められる。地域の良さは、その地域に住む人ばかりでなく、他から訪れた人によっても発見される場合が多い。ユギ・ファーマーズ・クラブの活動は、都市と農村双方の住民が交流することにより、伝統的な良さに新しい価値観が加えられて、自然と人間、人間と人間が豊かにふれあえる空間を保全しているものである。
 先に見てきたように、古来、我が国の自然は多彩で豊かであり、同時に歴史的な人とのかかわり合いの結果として、豊かな文化を形成してきている。この多様で豊かな個性をそれぞれの地域において、様々な人々の交流を通じて自立的に見直し、将来世代と共有していくことが、地域の環境づくりを考えていく一つの方向といえよう。ひいては、それが、地球全体としての生物の多様性、持続可能な発展の実現にもつながると考えられる。

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