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第3節 

1 芸術・文化と環境のかかわり

 今日、日常生活における生活の美化や芸術化の方向とこれとは反対の美的なものや芸術の生活化が注目されている。現代の我々の生活において、芸術・文化は社会的に大きな比重を占め、不可欠の価値領域となって日常生活と関連する重要な意味と機能を帯びていると言える。例えば、景観の美しい町づくりや芸術的な催しなどの行事が各地で行われているが、こうしたものは、社会を活性化する役割を果たしていると言えよう。
 一方で、近年の都市開発・国土開発は、様々な環境破壊、その一つとして景観の破壊をもたらしたが、それは、経済や産業の観点が優先したことに加え、自然の景観の美しさを生活の中で認識し、それを保全していくという考えが十分でなかったためと言えるだろう。

(1) 環境芸術

 現代の芸術には、「環境芸術」と呼ばれる新しい試みが現われている。これは絵画や彫刻のほか、音や光、さらには日常的な物体なども素材として、環境の中において芸術を創ろうとする動きと言えよう。
 これには二つの方向が認められる。一つは芸術の環境化であり、従来美術館に展示し、ホールや劇場で上演されていた芸術を環境の中に解放し、環境の一環として位置付けようとする方向である。その先駆は彫刻庭園や噴水造形、モビールなどに見られるが、代表的な例としては環境ビデオ(インテリア・ビデオ)、環境映像、環境演劇、インスタレイション、BGM、サウンド・インスタレイション、音響彫刻、インテリア・ミュージックなどが挙げられる。人間と環境の間に安定した関係を生み出すために、その関係や他の条件を配慮して作られた芸術である。もう一つの方向は、環境の芸術化であり、もともと芸術とは無縁である種々の環境を芸術たらしめるものである。オブジェやパフォーマンス、また後述するアースワーク(ランド・アート)などがこの方向に属するとされる。

(2) アースワーク、ネイチャーライティング、環境音楽等

 以下では、具体的な事例により、近年の動向を概観してみたい。
ア アースワーク
 1960年代の後半に米英を中心に登場した実験的なアートの一つにアースワークがある。アースワークは、美術館やギャラリーといった展示空間の中で展開されてきた美術を野外に持ち出すことによってより広大な地球環境に向かい合わせることを目的とした芸術である。こうしたアースワークの作品は、ある期間をもって撤去されるものや、自然の中に放置されるものが見られる。米国のアースワークの作家たちは、画廊や美術館を出て、さらに都市を離れ、砂漠、山岳、海岸など広大な土地を素材にし、大地の掘削や石の積み上げなど、それらに直接はたらきかけることによって、大規模な構造物などを制作した。これらは、ランド・アート、アースアートとも呼ばれる。環境保護運動のパイオニアとしての伝統を持ち、世界に先駆けてナショナルトラストによる国土保全を行った英国においても、やはり60年代の半ば頃から、自然環境とそこでの造化を表現のモチーフとする一群の作家が登場している。彼らは、砂漠や荒野ではなく、野山や人里から離れた自然のふところを活動の場とし、そこでささやかなストーンサークルを作ったり、草木を編んだり、あるいは作家自身が自然の中を歩いたその行程を写真やテキストで記録し、自然と人間との交感を作品化している。こうした営為は70年、80年代を通じて行われ、環境問題への意識の高まりにつれて我々の眼にも親しまれるようになった。アースワークを実践した作家たちには、いくつかの共通した背景が指摘されている。一点目は、画廊や美術館などの展示空間や商品としての作品という、従来の芸術をめぐる問題に対する批判である。また、アースワークを成立させているもう一つの動機として、環境汚染や都市化による人間の疎外、こうした現代文明に対する懐疑によって触発された、地球環境に対する意識の目覚めや、自然との共感への願望が指摘されている。すなわち、アースワークには、1960年代末から1970年代にかけて顕在化した、この大きな社会的あるいは思想的な動きの変化が投影されていると言えよう。
イ ネイチャーライティング
 環境と文学の結びつきは、まず人間の自然賛歌として現われ、都市社会の成立にしたがって自然の営みと人間の営みの摩擦、葛藤を表現するようになってきたと考えられる。社会と人間の間の揺らぎや葛藤を軸として作品を見れば、社会的視点を含む現代文学の作品に環境問題へのメッセージを捉えることができよう。米国で、1960年代から徐々に盛んになってきた分野にネイチャーライティングがある。これは、自然を巡るエッセイ又はノンフィクション文学であり、その多くの作品は、人間と自然との隔たりを意識しながらも自然との接触を通じて、人間の生き方についての目覚めを伝えようとする点に特徴がある。ネイチャーライティングは、自然を舞台にした作品群から次第に環境問題全般を対象としてその範囲を広げてきている。米国の大学では、「自然とアメリカ」、「アメリカの風景」等この分野での授業が増加している。こうした状況の下、1992年には、「文学・環境学会」(ASLE:TheAssociation for the Study of Literature and Environment)が結成され、現在800人弱の会員数を数える。米国では、環境研究に人文科学系の学問が参入し始めているところであり、英文学科に環境文学の専門家が配置されつつあるが、例えばネバダ大学では、「人文科学系環境研究センター」(Centerfor Environmental Arts and Humanities)を設置し、研究活動を展開している。
 我が国は、1970年代の高度経済成長期に多くの公害問題を抱えていた。公害問題については、現在の地球環境問題や都市生活型の公害等に対する意識に比べ、地域住民による社会運動との結びつきといった側面も強く、当時の公害問題をテーマとした作品は社会告発的なものが見られた。その後、より大局的な見地から自然破壊に危機感を募らせ、これをテーマにした作品が出てくると、これをきっかけとして大衆が自然環境に大きく目を向け始めることとなった。また、経済的に豊かになるとともに、個性的なライフスタイルを選択する自由が生まれ、改めて自らの生活と自然とのかかわりを見直そうとする試みも芽生えてきている。つまり、環境が日常生活の一部として意識されてきているのである。ネイチャーライティングへの関心の高まりは、このような変化と無関係ではなかろう。93年には、「ASLE-Japan/文学・環境学会」が日本の英米文学者を中心に結成されている。日本ではこれまで系統的な研究対象とされてこなかった日本文学におけるネイチャーライティングの掘り起こし作業が開始されている。日本文学は、自然に関して豊かで奥行きの深い省察をし、作品としてきた長い歴史が背景にあり、今後その進展が期待され、すでに環境教育の分野でのその応用も検討されている。
ウ 環境音楽等
 1960年代末から「環境音楽」という概念が用いられるようになった。当初は、音楽療法において「音による空間演出」の意味で使われたが、現在では、「環境としての音楽」一般を指す。その例としてミニマル・ミュージックやサウンド・インスタレーションと呼ばれるものがある。これらは、「鑑賞」の対象としての音楽作品に対して、「聞き流される」ことを意図し、作曲家は音の仕掛人に留まるとされる。また、「耳でとらえた風景」あるいは「音の風景」として「サウンドスケープ」という考え方がある。この「サウンドスケープ」とは、音を音そのものの問題として扱うのではなく、音や聴覚を通じて、普段の生活で忘れられがちな様々な音の存在に気付き、時代や地域による音の風景の変化、人間と音環境とのかかわり、鐘や鳥の音などの環境音から地域の社会・文化や意識をとらえようとするものと言えよう。この分野に対する関心は、騒音公害のような環境問題への意識の高まりも背後にあると考えられているが、かつて「音」を風景のより重要な一つとしてとらえていた伝統的な感性、現代人が忘れた美学にも新たな光を投げかけるものと言えよう。我が国では、1993年に日本サウンドスケープ協会が設立された。同協会は、より多くの人々が身の回りの音の存在に気付き、それらに関心を持ち、音をきっかけとしながらも、音の問題に留まらずそれぞれの音の意味やその成立を支える社会や歴史、環境や文化そのものについて共に考えていくこと、さらには、海外との交流も含め、音に関連する様々な活動や領域をつなぐネットワークとなり情報交流の場を作っていくことを目的としている。今後、このような「サウンドスケープ」の考え方を通して、自然や都市、環境や文化について改めて考え、実践する活動が着実に進んでいくことが期待されよう。なお、環境庁では、日常生活の中で耳をすませば聞こえてくる様々な音についての再発見を促すこと、及び良好な音環境を保全するための地域に根ざした取組を支援すること等を狙いとして、全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)を広く募り、音環境を保全する上で特に意義があるもの100件程度を認定する「残したい“日本の音風景100選”」事業を行っているところである。

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