2 国連等における活動
国連環境計画(UNEP)は、1972年(昭和47年)にストックホルムで開催された国連人間環境会議を契機に、既存の国連システム内の諸機関が行っている環境関係の諸活動を一元的に調整し、かつ、これら諸機関等の環境保全分野での活動を促進することを目的として創設された。UNEPの本部はナイロビで、国連システム内での環境分野の活動の総合的な調整のほか、その他の国際機関、各国政府、非政府機関とも幅広い協力を行っている。UNEPが実施するプログラムは、?地球環境モニタリングシステム、国際環境情報源照会システム、国際有害化学物質登録制度等の環境状況把握から成る地球環境監視、?人間居住、森林保全、生物多様性保全、砂漠化、環境と開発、バーゼル条約などの環境法等から成る環境管理、?情報、教育・研修、技術援助から成る支援措置の三つに大別されている。1993年(平成5年)5月には、第17回管理理事会が開催され、地球サミットの議論及び決定などを受けて、今後のUNEPの活動について議論された。
UNEPに対して、我が国は、当初から理事国として、UNEPの管理理事会に参画するとともに、環境基金に対し、平成6年度は900万ドル(米国に次いで世界第2位)を拠出する等多大の貢献を行ってきた。
また、1992年(平成4年)10月に、UNEPの内部機関であるUNEP国際環境技術センターが、日本で初めての環境関係の国連施設として、大阪市及び滋賀県に開設された。同センターは、開発途上国等への環境上適正な技術の移転を目的とし、環境保全技術に関するデータベースを整備し、情報提供、研修、コンサルティング等の業務を行う。淡水湖沼集水域の環境管理の技術分野を担当する滋賀事務所と、大都市の環境管理を中心とした技術分野を担当する大阪事務所とから構成され、1994年(平成6年)4月に事業を開始した。
国連アジア・太平洋経済社会委員会(ESCAP)においては、1991年(平成3年)4月のESCAP第47回総会において採択された「アジア太平洋地域における環境上適正で持続可能な開発に向けての地域戦略」や、地球サミットでの議論を踏まえ、ESCAP機構改革の下に設置された「環境と持続可能な開発委員会」の開催等を通じ、域内各国の政策能力の強化と環境計画実施面での域内協力の枠組みづくり等を行ってきた。
1994年(平成6年)9月、国連主催による10年に一度の人口問題に関する政府間会議である国際人口・開発会議(ICPD)がカイロ(エジプト)にて開催された。
本会議の目的は、1974年(昭和49年)の世界人口会議(ブカレストで開催)において採択された「世界人口行動計画」を全面的に見直し、今後20年間を視野にいれた新たな「行動計画」の策定を行うことであった。
本会議の特徴としては、1992年(平成4年)の環境と開発に関する国連会議(UNCED)の流れを酌んで、人口問題と持続可能な開発(特に環境)との関係の問題が新たに取り上げられたことが挙げられる。これにより、会議名も「国際人口・開発会議」となった。
そして、本会議で採択された「行動計画」では、第3章207/sb2.3>に「人口、持続的な経済成長と持続可能な開発の相互関係」が設けられ、人口・開発・環境の相互依存関係の認識の下、「持続可能な開発の文脈における持続的経済成長」の必要性、「持続不可能な生産・消費パターンの変更」の必要性等が位置づけられている。
その他、従来人口問題は国の施策としてマクロに捉えられていたが、本会議においては、個人(特に女性)に立脚したミクロの視点からの人口問題が大きく取り上げられたこと、NGOの参加やNGOとのパトナーシップ等のこれまでの人口問題で扱われなかった新たな問題への対応が取り上げられたことも大きな特徴である。
また、東京青山に本部をおく国連大学では、1993年12月に地球環境問題に対する学術分野での研究・人材育成に関する行動計画(「国連大学アジェンダ21」)を策定し環境問題に対する取組を行っている。
さらに、アジア・太平洋地域の経済問題に関する協議システムであるアジア・太平洋経済協力(APEC)においても、1994年(平成6年)3月に環境担当大臣会合が開催され、域内における持続可能な開発実現に向けた環境保護と経済成長の密接な関連性が再認識された。
また、1994年4月に、地球サミットでの合意を受けて開催された「小島嶼国の持続可能な開発に関する世界会議において、小島嶼国のおかれた特別な状況と国際的支援の強化の必要性が確認された。