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第2節 

2 古代文明からの教訓

 このように見ると、文明と環境とは深い関わりをもってきたことがわかる。
 一つには文明は、気候、降水量、利水条件、土壤、森林などの環境条件に依存して存立していたということである。エジプト文明はナイル川の水、肥沃な泥土といった恵みに依存していたのであり、メソポタミア文明はチグリス川及びユーフラテス川の水の恵みと、それを利用せざるを得ない乾燥した気候によってそのような文明のあり方や盛衰が規定されてきたという面があることは否定できない。
 他方、文明は環境の恵みを利用し、環境に影響を与えてきたものであって、その影響によって環境を一定の限度を超えて損なう場合にはそれが一因となって文明の基盤そのものが失われ文明が衰退していったということが古代の文明の実例から言えるであろう。ナイル川の毎年の大氾濫による土壤の更新という極めて恵まれた自然条件下にあったエジプト文明などでは、文明を築くための環境の利用の程度は相当規模であったと考えられるが、それはナイル川の自然が受容し得る範囲内にとどまり、直ちにその文明による環境への影響が自らの文明を衰退させることはなかったようである。また、エジプト文明と似た自然とのかかわりを持つものとして日本の縄文文化がある。縄文文化は豊かな森の資源を核とした自然と人間の季節的な循環システムの上に成立していたと言われているが、こうした森の資源を核とした季節的な循環システムが環境との共生を保ってきたといえる。しかし、いくつかの文明は、環境に大きな影響を及ぼし、そして自らの存立基盤である環境を損ない、衰退、滅亡していったのである。そのことは、文明の発展に伴う人口の増加等により、文明を生み出し支えた灌漑農業の持続性が確保されることなく生産を継続せざるを得なかった結果、土壤の塩類集積による食糧生産の激減を引き起こし、それによって文明が衰退していったシュメールなどの文明、材料や燃料としての木材の確保や農地の確保などのために森林を非持続的に利用し続けたことによって森林の減少、土壤の流失などを招き、それが文明の衰退の一つの要因となったと考えられるイースターなどの文明の例に見られるものである。
 滅亡した文明は、何がしかの遺産を残し、やがて他の文明にそれを引き継いだかもしれない。しかし、その地に栄えた文明自体は、引き継がれることなく滅びてしまったのである。
 以上に見てきたように、人類は、有史以来、自然環境を利用し、あるいは自然環境から資源を採取して、自然環境に対して負荷を与えつつ、文明社会を形成してきた。それは農業による食糧生産、自然環境を改変した都市の形成など、さまざまの物を生産、消費する社会であり、文明以前の、あるいは文明の影響の及ばない自然界とは異なった人間独特の世界であるといえるだろう。しかし、人間がまぎれもなく一生物として生態系の一員でもあるように、この文明社会も、生態系システムの中の一部であり、これと無関係に存在するものではない。人間の文明社会あるいは文明的人間活動は、自然の環境を基盤とし、環境から恵みを得て、そして環境に不用物を排することによって成立しているものである。
 現代の文明は以上のような点で古代文明等と共通の要素を持つ一方、古代文明にはない科学技術を有していることもあり、速度を速めつつその活動を拡大している。このことを踏まえて現代文明と環境について次節で考えてみることとしたい。

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